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縮まらない距離と苦悩




「…………はぁ」


 授業終了の予鈴が鳴り響く中、僕は自分の机にへたり込むように座っていた。昨日────漆さんに手を払われてからというものの、一日中気まずい雰囲気が漂ってしまった。


 一応、彼女の部屋や洗面所、リビングなどといった案内は一通り説明したが、昨日の様子だと理解できているのかどうかも疑わしい。朝に(いた)っては『洗面所はどこ?』などという始末。


 正直、これから先のことが不安な今日この頃。


「慎、おいってば!」


 突然僕の耳元で叫ぶ男が約一名。名を結城 秀一と言って、幼い頃からの親友で家もお隣という、いわゆる(以下略)な関係。


「耳元で怒鳴(どな)らないでよ秀一…………」


 突っ伏した状態のまま返事をする。僕は今それどころじゃないし、前途多難な状態だから話し掛けないで欲しい。今日家に帰ったらどうするか考えてるんだからさ。


「それより訊けって、なんと二年生に転校生がきたらしいぜ。それも絶世の美人!なぁ、一緒に見に行こうぜ!」


 コイツはなんでこんなにテンションが高いんだ?転校生イベントにそこまで興奮する意味が分からない。


「いいよ別に、興味ない」


 実は凄く気になるが、あまり積極的に頚を突っ込めないという“ジレンマ”に襲われているから行くに行けないのだ。秀一が言う転校生とは紛れもなく漆さんの事で、どういうわけか既に転校生手続きが父親の手により行われていた。仕事が早いよ父さん…………。


 天才である漆さんにとっては、県内でも随一(ずいいち)を誇るこの学園であっても最高の環境とは言い難いかもしれない。何せ緊急の事なので転校先を見つけるには時期が悪かったらしい。


 だから勉強面はともかく、クラスメイトと上手く馴染めるかどうかの方がが心配である。


(やっぱり少しでも様子を見た方がいいか?でも迷惑じゃないかな…………昨日ははっきりと拒絶されちゃったし)


 葛藤するも、どうしても一歩が踏み出せない。


「────ほら!さっさと行こうぜ!」


 不意に僕の腕は秀一によって掴まれ、引っ張った勢いそのままに席を立たされていた。


「ちょっと!僕はまだ行くなんて…………」


「問答無用!いざゆかん!二年生の聖域へ!」


 僕の切実な願いも(むな)しく、引きずられるように僕は秀一に連れて行かれたのであった。




           ●




「…………ちらっと」


「口で言うな、口で」


 的確なツッコミをしつつ、僕と秀一は噂の二年生教室に(おもむ)いていた。生徒達の喧騒が()えぬ中、授業が終了したにも拘わらず教室内には大勢の人がいた。目的は勿論のこと、本日付けで転校してきた御堂(みどう) (うるし)の姿を一目見る為に他ならない。


 ────野次馬共よ、散れ!


 というのは言えないわけで、僕たちは教室に入ることは出来ずに、影でチラリと眺めるしか出来なかった。


「おい!見ろよあれ!美人だ、絶世の美人が降臨召(こうりんめ)されたのじゃあ!」


(やかま)しいよ、テンション高すぎ」


「んだよ、本当のことだろ!美しい物を眺めて何が悪い!否、悪くない!」


「…………はぁ」


 あまりの興奮状態を目の当たりにして物も言えない。


(漆さん大丈夫かなぁ、転校初日だし…………質問攻めに遭ってるみたいだけど)


 視線の先には、教室で漆さんを囲むように人々が群がっており、比率的にはやはり男子が多い。恐らくは他のクラスの男子も見物に訪れていることであろう。一人の男が『君、名前は?』とか『趣味は?俺は野球が好きなんだ』などと言った、転校生が質問されるテンプレート通りの展開となっていた。


 しかし、当の本人である漆さんはというと。


「…………」


 我関せず、といった様子であり、どの質問にも答えることなく沈黙を貫き通していた。その瞳には何の光も(とも)されてなくて、闇の奥底に“心”が閉じ込められているようにも思えてしまう。


 僕はそんな彼女を眺めた瞬間、チクリと胸が痛むのを感じていた。今まで生きてきて、あそこまで(かな)しい瞳をした人間を見たことがない。それ程までに今の漆さんの心は閉ざされていた。


 普段なら、みて見ぬ振りをするだろう。だが、他人ではない。血の繋がった正真正銘(しょうしんしょうめい)の姉なのだ。


(僕が一歩踏み出さないと……っ)


 家族同士でギスギスするのはよくない。なんとか関係を改善しなければと決心をしてから足を踏み出す。


「────っし!」


 そろりと秀一から離れ、二年生の教室に入ろうと僕が扉に手を触れた直後。隣にいた幼なじみの手が僕の腕を掴んでいた。


「────あの人の名前は何ていうんだろうな?あー、気になるぜ!」


 完全に不意打ちであった為に、僕は踏み出した脚を(から)ませてしまって体勢を崩してしまう。横方向に力を逸らされてしまった影響で、ゴンッと近くの壁に頭を強打してしまった。


「────!?」


 側頭部(そくとうぶ)に激しい痛みを感じ、思わず叫びそうになったが、悪目立ちしたくなかったのでなんとか(こら)える。その際に鋭い眼光を秀一へと向けるも、本人はどこ吹く風という状態に陥っており、眼を輝かせながら漆へと心酔する始末。


「あぁ、お姉様って呼びたい…………っ」


 現在進行形の形で漆の信者となっていた。控え目に言ってぶっ飛ばしたい。地平線の彼方(かなた)まで蹴り飛ばしたい衝動に駆られていた。ピクピクと青筋を額に浮かばせ、爆発寸前であったが秀一の一言でそれも沈静されてしまう。


「うおっ!?お姉様がこっちに来たぞ!お近づきになるチャンス!」


 漆さんが席を立って、何故かこちらへと向かって歩いていた。荒れ狂う怒りを秀一にぶちかまそうと拳を握りしめていた慎だったが、直ぐに手を引っ込めて近寄る漆を見る。


 彼女は帰り支度(したく)は済んだものの、クラスメイトに囲まれて立つに立てなかったらしく、僕と秀一をチラリと一瞥してから席を離れたらしい。当事者である僕と秀一は気がつかなかったが、このやりとりはかなり目立っていたらしい。


 (うるし)さんは騒ぎに乗じて質問攻めから抜け出していた。


(お、落ち着け僕!ここは弟らしく『漆さん、良かったら一緒に帰らない?』と誘おう。大事なコミュニケーションの第一歩として一緒に下校。それで少しずつ溝を埋めていけば)


 緊張する反面、慎は固く決心の意を示す。漆はゆっくりとこちらに近づき、一歩、また一歩と接近する。


(呼び方も"漆さん"じゃなくて"漆姉さん"にしよう。そっちの方が姉弟らしいしね)


 漆が一歩踏み出す(たび)に、僕はドキドキと胸を踊らせていた。姉さんはどう反応するだろうか────そんな事だけを考えて。きっと昨日は漆姉さんも緊張していただけ、と。胸の内でそう解釈し、漆との距離が近づくにつれ僕の手は汗ばみ、動悸が早まっていた。


 家に帰ったら沢山の話をしよう。ご飯を食べながら言葉を交わせばきっと前に進める。


 僕がそう考える間にも、漆はどんどん近づいてくる。長い睫毛(まつげ)が揺れて、その瞳がドアの(そば)に立つ僕を捉えていた。タイミングよく姉へと言葉を告げようとするも、僕の願った展開通りにはならなかった。


「う、漆姉さん。良かったら一緒に────」


「…………」


 こちらを一瞥(いちべつ)すらせず、漆は僕と秀一を視界に入れることなく素通りしていた。


 去り行く後ろ姿を眺めつつ、僕は息を呑む。戸惑(とまど)うか、それとも立ち止まるかと予想していたのに、まさか無視されるとは思ってもみなかった。


 いや、あれは“無視”というよりも“無関心”に近い。クラスメイトの男たちと同じで、ただの烏合(うごう)の衆────それだけの存在であるような認識でしかなかった。


「あ…………待って、姉さん!」


 僕は無意識のうちに一歩踏み出し、横を通り過ぎようとした漆を呼び止めていた。


「…………何か?」


「────っ!」


 ゾクリとした。まるで拒絶するかのような冷たい目。


 誰も寄せ付けず、誰も触れさせない。そんな意思を込めた瞳を向けられてしまい、僕は思わず後ずさってしまう。


「…………用も無いのに話しかけないで」


 チラリと、一瞥した(のち)、姉さんは僕を残して廊下に出る。僕はその様子を見つつも、口を出すことが出来ずにいた。


 明確なる拒絶の意思。それだけが僕の心臓に(くさび)を残し、チクリとした痛みを与える。廊下を歩く姉さんに、僕は手を差し伸べることは出来なかった。


「おい!姉さんって…………どういう事なんだよ!?まさか実の姉なのか!」


 呆然と一部始終を眺めていた秀一が解放されたかのように問い詰めるも、僕はそれに反応すら出来ずに小さく呟く。


「…………姉さん」


 口元をギュッと閉じながら、僕はただ後ろ姿の姉さんを見つめるしかなかった。


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