感情と本音
「…………ね、姉さん?」
「何で、何で私なんかに優しくするの!私は……私はそんなの求めてない!」
表情を歪め、蓄積された感情を吐き出すように漆は叫ぶ。
「…………」
僕はただ、黙って彼女の言葉を受け取るしかない。姉の豹変ぶりに面食らったのではなく、漆がここまで饒舌に言葉を発したことに驚いていた。
「だから、あんな奴らなんてどうってことなかった!あいつらだって前の奴らと同じで半殺しにするなんて造作もないわ!」
「え、前の奴らって…………っ」
僕の記憶に、一週間前に読んだ手紙の内容が蘇る。父の手紙に記された『漆が男子生徒を半殺しにした』という一文を。
「ま……さか」
嘘だと思っていた。彼女が────漆が犯人だなんて。
「そうよ、私がやったの。しつこく私に付きまとってくるから“半殺し”にしてやったのよ」
「じゃあ、姉さんは自分で…………」
「私が前の学園で何て呼ばれてたか、あなたは知ってる?」
漆は僕から視線を外し、空を仰ぐ。頭上は既に雲で覆われており、次第に二人へと雨が降り注いでいた。
「…………」
僕はその様子を見て気づいてしまう。雲を眺める漆の瞳から一粒の滴が伝うのを。もしかしてそれはただの雨で、僕は涙と錯覚しただけかもしれない。そして、雨で濡れた前髪を払うこともせず、漆は弱々しい声で告げていた。
「────化け物ってさ」
放った後、漆は再び視線を地面に落とす。
僕は絶句し、一言も喋れなかった。漆がこれほどまでに絶望していたとは露知らず、そんな顔を見たのは初めてだったから。だが、それとは同時に気づいた。
姉は孤独なのだと。
こんなのを見せられて静観出来る筈もない。だからこそ僕は彼女へと言葉を放つ。慰めなんかじゃない、僕の“本心”を。
「…………姉さんは化け物なんかじゃない。僕には分かる、姉さんは優しい人だって」
ゆっくりと足を踏み出す。震える指先を伸ばし、手を伸ばしつつ漆をその瞳に映す。漆はそんな僕を見て『嫌、近づかないで』と怯えた表情を向けていた。
僕が距離を詰めると同じくして、漆は一歩ずつ後ろに下がる。
距離を取ると同時にバヂッと漆の体が帯電していた。それは再び彼女の体に付加された雷であり、触れるもの全てに対する“拒絶”を体現していた。
「────姉さんはあの人たちと同じ様に僕を魔法で半殺しにする?」
「…………っ」
唇をきつく結び、目を閉じて首を振る漆。僕の足音を耳にした瞬間、彼女の悲痛な叫びと共に雷撃が放たれる。
「近づかないで!」
穿たれた雷が右肩を通過すると同時に走る衝撃。僕は絶叫をなんとか抑え込み、唇をきつく噛みながら耐えていた。こんな状況だというのに内心では姉の技術の高さに感心すらする始末。
(詠唱破棄とはね、早すぎて全く見えなかった。ははっ、さすが最強の姉だよ)
感電して痙攣する右肩を左手で押さえつつ、楽観的に感想を漏らすも、状況はあまり芳しくない。
(攻撃のタイミングが見切れない以上、姉さんの行動を見てからだとすぐに察知できない。後何発受けきれるか…………)
威力からして一撃で地に沈むことはないが、これを何度も体に受けたら危険かもしれない。だが、それでも彼女の“気遣い”は感じられた。
(確証はないけど、僕が倒れてないのが何よりも証拠。姉さんは多分、無意識に力を抑えてる。きっと、本当は傷つけたくないんだ)
先程までの震えが止まり、心を覆っていた恐怖が消えるのを感じる。漆は優しい、だが怒りの感情はある。
苦しくて、痛くて、それでも傷つけたくない。
「姉さんは、感情を抑えるのが苦手なんだね。だから無意識に威力を抑えてくれたんだ」
「違う!私は…………っ、私は力を抑えてなんかない!」
再び衝撃が身体を襲う。今度は左足と右手に雷撃を受けてしまい、思わずバランスが崩れて倒れそうになる。距離を詰めた影響なのか、彼女の放つ魔法の精度が上がっているような気がする。
いよいよ彼女も本気という訳だ。動揺こそすれ、その技術は狂うことなく僕を危険な域に晒す。
空は依然と雲に覆われており、制服は雨によりべったりと肌に張り付いていた。右肩、左足、右腕と、それぞれに感電しており、体の一部は浅いが裂傷もしていた。
まさに満身創痍。体は限界に近い、もしかしたらもう数歩も歩けないかもしれない。
だが、心は折れない。
確かに前の学園では"化け物"と呼ばれていたかもしれない。彼女は生まれついての天才で、周りからの妬みや恨み、憎悪に嫉妬や恐怖と様々な負の感情を受けてこれまで生きてきた。
だが、本当の彼女は優しくて、寂しがりで、感情を上手くコントロール出来ないただの子供。
年下で弟な僕としては複雑な心境である。弟が姉を守りたいなどと思うなんて。その心は偽善でも同情でも情けでもなく、純粋な保護欲だった。
「僕は、姉さんみたいに力があるわけじゃない。攻撃を弾くことや受け流すことも出来ない。だけど、受けることは出来ると思うんだ」
体はボロボロになりつつも、その瞳だけは漆から逸らさない。だからこそ、僕は『大丈夫だから』と告げて、漆に心に届くように言葉を投げかける。
「僕に全部ぶつけてよ。遠慮なんかいらない、思いっきり感情を吐き出せばいい。僕が受け止めてあげるから」
僕は優しく微笑み、姉へと想いを伝えていた。
「僕たちは血の繋がった姉弟なんだから。僕がずっと傍にいてあげる、だから────姉さんもこれで寂しくないよ」
「ああ……あああああ!!」
ついに臨界点に達したのか、漆は頭を抱えながら絶叫を響かす。同時に放たれたのは三つ又の槍。
加減された牽制の為の一撃ではなく、正真正銘の天をも貫く雷撃の槍が発射されたのだ。
光も音も遅れて届く閃光の中、爆発したような轟音が響く。
後に残ったのは、雷撃を直撃して倒れる慎。
「あ、あ…………私、は」
口元を両手で押さえ、その凄惨な光景を目の当たりにして放心している漆だけが残っていた。




