魅惑の令嬢はたった一つの愛が欲しい
神様、私がどんな罪を犯したというのでしょうか。
「クローディア・カーティス侯爵令嬢。貴女との婚約、破棄させていただく」
「……エリオット様、私は、」
「くどい。実の妹に対してあのような態度を取り、聞くに耐えない言葉を吐き捨てる冷たい女性と家庭を築くなど、僕にはできない」
青年は冷酷な眼差しを向けて、言い募ろうとする女性の声を一蹴した。目の前で繰り広げられる騒動を、ぼんやりと見つめる。国王陛下主催の夜会会場。パーティーの真っ最中にこんな一悶着が起きているのに、周りはざわつくだけで誰も男を咎めない。むしろ、ああまたか、というような空気さえ漂っている。
こんな光景を見るのは、もう何度目だろう。片手で数え切れなくなってから、数えるのを止めてしまったから、正確には分からない。
婚約破棄を告げた青年は厳しい眼差しを元婚約者の女性に向けて、その女性は小さく肩を震わせている。泣いているのだろうか。俯いているから、どんな表情をしているのかは分からない。出来るなら、今すぐ駆け寄って、泣かないでと慰めて差し上げたい。でも、それは許されない。
「フェリシア嬢。僕の愛しい黒薔薇。どうか、僕と結婚してほしい」
なぜなら、二人の婚約破棄の原因は、他ならぬ私にあるからだ。
男は先程と打って変わり、熱に浮かされたような濁った目で、甘やかに私に囁く。媚びるようなその声にぞわりと背筋が粟立った。よくもまあ、婚約者を切り捨てたその口で私に愛を囁こうとしたものだ。でもこれは、何もこの男だけのことじゃない。今までの姉の元婚約者たちは、皆一様にそうだった。
何を言われたって、私の答えは決まっている。
「ごめんなさい、エリオット様。私、まだ誰とも特別な関係になるつもりはございませんの」
「フェリシア嬢、僕は」
「気分が優れませんので、これで失礼いたします」
引き留めようとする彼の声を無視して会場を後にする。お姉様を置いてきてしまったが、どうせ父がどうにかするだろう。会場を出て建物の玄関に向かえば、既に我が家の御者が馬車を止めて待っていた。無言で馬車に乗り込む。
「今度こそと、思ったのに」
馬車の中で一人呟く。
エリオット・アディントン。公爵家の次男。王都にある貴族学院では首席を誇る聡明さ、しかしそれを鼻にかけることもない。三属性の魔力適正を持ち、保有量も高い。姉より少し年下なのが気になったが、堂々とした立ち振る舞いは素直に好感が持てた。姉だって、彼のことを憎からず思っていた様子だったのに。
けれど、ダメだった。彼は結局、私のことを選んでしまった。それもこれも、私の厄介な体質のせいだ。
魅惑の媚香――所謂、魅了。私は生まれた時から、この体質に悩まされている。
ソルディア王国の貴族、カーティス侯爵家の次女として、私は生を受けた。淑女の鏡のような母と、騎士団長を勤める厳格な父。少し歳の離れた優しい姉に囲まれて、幸せに暮らしていた、はずだった。
なんとなく、周りがおかしいと感じるようになったのは、五歳の時。私の世話をする役目を奪い合い、侍女が騒ぎを起こした。幸い怪我人はいなかったけれど、もう少しで乱闘に発展するところだったらしい。
外に出れば見知らぬ人間に後を付けられ、お菓子がほしいと言えば店ごと与えられた。私が出歩く先々で、なぜか魔物が多く発生した。それが異常だと分からないほど鈍ければ、開き直ることが出来れば、また違ったのかもしれない。
私はただ、恐ろしかった。それまで仲良く過ごしていた人たちが、私が傍にいったことで悪鬼のような顔で罵り合う姿なんて、見たくなかった。
最早何度目かも分からない誘拐騒動の後、流石に異常を感じた父が、私を教会に連れて行った。ソルディア王国では、一定年齢に達すると、魔力適正を測る為に教会に行く。私は年齢まで少し足りていなかったけれど、それを待っていられるほど状況は甘くなかった。
結果として、私は火・光・風・水の四属性への適正と、Sランクの魔力量、そして、“魅惑の媚香”という体質を授かっていた。
魔力の保有量はあれど、それを操る技量はよくて中の下。強い魅了の力を持っていても、それを自分で制御することすら出来ない。にっちもさっちもいかなくなって、私は父に自分の魔力を封じてほしいと願った。魔封じを施せば半永久的に魔法が使えなくなるが、それは魅了も同じ。周りに迷惑をかけるくらいなら、魔法が使えなくなっても構わない。そう思っていた。けれど、その望みが叶うことはなかった。
魔力封じは一生を左右するため、陛下の許可が必要だった。父に連れられ謁見を果たし、自分の体質を制御出来ないことを、恥入りながらも包み隠さず上奏した。そんな私に対して、陛下は言った。
――その体質を国のために使え。……と。
魔力を封じることは許されず、むしろ、積極的に使えと命じられた。魅了の力を伸ばして、いずれは他国に対して我が国が優位になるよう働きかけるために。
これが、ただの魅了であれば良かったのかもしれない。魅了の効果は、基本的に相手との魔力差で決まる。同じランクであれば、魅了にかかる可能性は半分程度。事実、お父様は私と同じランクで、魅了にかかっていない。でも、Sランクなんてそう多くはいない。不器用なのに、無駄に容量だけは多い自分の力が恨めしい。いくら適正があっても、私はひどく臆病で、初級の攻撃魔法すら未だに使うことができない。宝の持ち腐れにもほどがある。
この国の中で私より魔力保有量が多いのは、陛下と宮廷魔術師長、それに、お姉様。同ランクは、お父様と他にも何人かいて、その半分は私の魅了にかかっている。
お姉様は本当にすごい。魅了しか取り柄のない私に比べて、六属性の適正持ちだし、細かな魔法も得意だ。魔法以外の学問にだって熱心に取り組んでいるし、奉仕活動にも積極的。お母様にそっくりの金色の髪とお父様と同じ青い目。物語に出てくるお姫様のように美しいお姉様。本当に素晴らしい、私の憧れ。
けれど、お姉様は私を嫌っている。憎んでさえいるかもしれない。両親の愛を、使用人の愛を、周囲からお姉様に向けられるべき全ての愛を、私が奪ったと思っていてもおかしくない。
それくらいのことを私はしてきたのだ。たとえ、自分が望んでいなくても、どう足掻いたって結果は変わらない。お姉様に、私はこんなことを望んでいないと伝えたところで、信じてもらえる自信もなかった。
「こんな力、いらなかった」
魅了に侵された者たちは、皆一様に私を求める。熱に浮かされ、その目を濁らせて。口々に私への愛を囁く。そこに本心がないと分かっているのに、どうしたら喜べるのだろう。
家族の誰にも似ていない黒い髪も、黒い目も。どんなに神秘的だと褒められても、例えひいおばあさまからの遺伝だと言われていても、私は自分の容姿を少しも好きになれなかった。
――ねえお姉様、知っている?
いつだったか、お父様がよく私を連れ出すのを、ずるいと言ったことがあったわね。そのお出かけは、お父様が私を餌にして、集まってきた魔物を討伐するためなのものだと言ったらどう思うのかしら。たったひとつ、心許ない守護の指輪だけを渡されて、魔物が出現する森に放り出される恐怖がどんなものか。
カーティス家には跡取り息子がいない。お姉様の夫が家を継ぐ。より良い男を見極めるために、お父様は私にお姉様の婚約者に近付けと言う。魅了にかかったらそれまでだと。
でもね、魅了って効果が永続するわけじゃないのよ。私から離れれば次第に熱も冷めて正気になるの。私、お姉様の元婚約者からたくさんのラブレターをもらっているのよ。この前なんて、手紙に呪いがかかっていたわ。そのお陰で一週間寝込んでいたことも、きっとお姉様は知らないわね。
お姉様は私が愛されているというけれど、実のない愛の何がいいのか分からない。陛下も、お父様も、私のことを道具としてしか見ていない。
魅了にかかった者たちは、ただ熱に浮かされているだけ。そこに心は欠片もない。
館の中で守られているお姉様。魔物やならず者を誘き出す餌にされる私。
はたして、本当に愛されているのはどちらだろう。
「……疲れちゃった……」
いつまでこんなことを続けていればいいのだろう。
この国で、私は最早鼻つまみ者だ。姉の婚約者を寝取る妹。どんな内情があれ、対外的にはそう見えるだろう。お父様だってそれを否定していない。お姉様に相応しい相手が現れるまで続けたとして、そうしたら、私はどうなるの。社交界では純潔すら疑われている私を、厄介の種でしかない私を、望んでくれる人なんているのだろうか……。
たった一人でいいから、真っ直ぐに、魅了に囚われずに私を見てほしい。真心からの愛がほしい。そう願うことすら許されない。
静かに目を閉じる。人の声も、魔物の足音もしない。誰もいないこの空間だけが、私が私を取り戻せる時間だった。
『――見つけた』
「え……?」
うつくしい星が煌めく夜空の上から、脳裏に直接響くような声。それと同時に、乗っていた馬車が大きく揺れ、悲鳴にも似た馬の咆哮が聞こえた。
〇フェリシア・カーティス
侯爵家次女。黒髪黒目。生まれつきの魅了スキル持ち。ストーカー生産器。本来は臆病で引っ込み思案な性格。望まぬ魅了スキルのせいでだいぶスレた性格をしている。
〇クローディア・カーティス
フェリシアの姉。元は穏やかで優しい姉だった。妹のスキルのことを知らず、感情的になり当たってしまったところを婚約者に目撃され何度目かの婚約破棄をされる。
〇エリオット・アディントン
侯爵家次男。当初はクローディアのことも憎からず思っていたが、フェリシアの魅了スキルにころっとやられてしまった。