第三話 「GORE-ゴア-」 その④
時計塔、つまり本校舎の最上部に陣取ったピンクのアーマーの少女。
手にした銃は縦長の四角柱を組み合わせた形状で、それは現在出回っているどの銃にも該当しないオリジナル品。少なくともライフルのように長距離を打ち抜く類のものではなく、もっと言えばトリガーもない。何か別な方法で弾丸を発射する機構のようだ。
深矩は時計塔の脇、本校舎の屋上にてただただその姿を眺めるのみ。何の力もない学生に都市伝説のヒーローの手伝いなど出来るはずもないので、成り行きを見守るに徹する。深矩がやったのは、敵の動きについて指摘しただけ。その事がピンクの少女に機転を与えたらしいが、詳細は不明だ。
「まさか、そこから撃つの?」
「そそ。良いアイデアでしょっ」
しかし、遠距離狙撃用には見えない武器で、どれだけの威力が出せるというのだろうか。
「倒せるのか?」
「いいや、倒すって言うのは少し違うのだよ少年っ!まあ見てなさいって。」
ピンクが腰の位置に銃を構える。重いのか、構え方はガトリングガンのそれに近い。とてもスナイプするような姿勢ではなかった。だが、ピンクは慎重に相手の動きを見極める。
敵はトールのハンマーを弾き、即座に迫ったブルーを前腕で攻撃。回避のために後方へと跳びずさったブルーを追撃しようと追いかけ、しかしグリーンの接近を感知するとそちらへと触手を伸ばす。二人の≪騎士≫と一体の≪怪物≫は、右へ右へと攻防の演武、いや演舞を続けていた。まるでダンスのよう。
らちが明かないと感じたブルーは、武器の先端に畳まれていた刃を展開、メイスは巨大な鎌へと変化した。鈍器で弾かれるならば刃物で切り裂いてやる、と言わんばかりの気迫を込めて、一撃を繰り出そうと構える。
(……いくぜ、トール?)
(わかってますよ、同時にいきましょう!)
トールと呼吸を合わせ、踏み込む。それとほぼ同時にピンクも動く。
「――――そこだっ!!!」
本校舎の天辺から、ピンクの放った弾丸――それは巨大な火球であった――が怪物へ迫る。一発だけではない。三発が立て続けに発射される。
ブルーの攻撃に対処しようとしていた怪物は、より早く、より自身の近くへと迫った火球の方に反応を変えた。そして上空からの攻撃を防ごうと、腕と触手を天へと掲げた。
そう、ピンクの狙いはこれだ。刹那の差で怪物の肉体へと襲い掛かったブルーの大鎌の刃、トールのハンマーは、上方へ伸ばし切った腕では防ぐことができない……!!
「あああああああああああッ!!!」
ブルーの少年は、渾身の力で鎌を横方向に薙ぐ。
しかし怪物は全くの無防備だったわけではなく、わずかながらに腕を下して防御しようという反応を見せる。すさまじい反応スピード。もっとも、防御は間に合わず、腕の硬質部で受け止めることはできなかった。むき出しの関節ごと蒼き刃が切り裂く。
「ジュイイイイイイイィィィィィィィィィィイイイイイッッッ!!!!!」
ここにきて、怪物は奇妙な雄たけびを上げた。怪物が初めて出した音。ザラついた板の上を爪で引っ掻いたような、不快感を伴う悲鳴である。
「ナイスアシストっす先輩!」
屋上でピンクの少女が手を振っているのを確認し、ブルーの少年は礼を言った。
「腕が一本!たった一本ですが、一本は取れましたね!これで、水平方向からの攻撃に対処できる手段を一つ減らせたことになります。」
「これでようやくダメージを狙えるわけだ。」
実のところトールは、怪物の行動パターンは読み切っていた。ゆえにできるだけブルーとタイミングを合わせて同時攻撃も試みてはいたのである。しかし、脚であり腕である怪物の四肢は、四方のどこからの攻撃へも対処できるうえ、素早い触手の攻撃もあって攻めあぐねていたのだ。
決定打は角度をつけた上方からの一撃、それも最も反応しづらい左側面後方、かつ水平方向からの同時攻撃が可能になるタイミングでの連撃。怪物にとっては“どの攻撃にも即座に反応すること”が、逆に命取りとなったのである。
「うお、すごい……怪物のペースが崩れたぞ!」
「ふふん、見たかね少年っ!でも、割とすぐ再生するだろうから、ここが一番の勝負―ーってね!!」
ピンクが再び火球を発射する。炎での攻撃は耐熱性の高い部位でガードされればさほど意味はないが、うまく先ほどの傷口にヒットすれば、細胞を焼き、回復を遅らせることができるかもしれない。
ブルーによる追撃も開始される中、怪物は再び上空から迫り来る火球のほうに反応してしまう。ブルーの動きよりも、火球の弾丸の方がコンマ数秒敵に到達するのが早い。たったそれだけの理由だった。
「はあああああああッ!!」
ついに大鎌が触手を切り裂きながら胴体にクリーンヒットし、筋肉の削がれた怪物の、弱点部位をさらけ出させた。赤い、血がそのまま結晶になったかのような宝玉。
「紅玉が見えたぜトール!」
「では、任せてくださいブルー。」
トールはあろうことか武器を解除し、素体である棒だけを持って相手の懐に滑り込む。怪物は残った腕でトールを攻撃するが、彼はワンステップで向かって右へ回避、怪物が右向きにしか方向を変えないことを利用してスライディングの要領で再び懐へと戻る。
「兵装!」
そして、武器を再装備。露出した弱点に全力のハンマーを叩き込んだ。この武器を出し入れしながらの立ち回りは、武器が巨大ゆえに小回りの効かないことをカバーするために身につけた戦法である。
紅玉が曇る。だがそれは石の内部に、無数の細かい亀裂が走ったからだ。
次の瞬間、紅玉は弾けるように砕け、鱗片を風に渡して消えた。刹那、電池が切れたかのように動きを止めた怪物は、地面へと力なく崩れ落ちたのだった。
◇ ◇ ◇
『これは政府による陰謀ですよ!生物兵器の実験台として杜陸高校が狙われたのです!』
『はは、止してくださいよ。ふざけてるんですか?』
スタジオは失笑に包まれる。
『冗談を言っているのではありませんよ!集団催眠の方が現実味がありませんし――』
『怪物だなんて妄想よりはいいと思いますがね!』
『まあまあ、お二人とも落ち着いてくださいよ。』
杜陸高校で起きた怪物騒ぎは瞬く間にニュースとして広まった。白昼堂々と現れた怪物は、これまでの都市伝説の中の存在から現実の脅威へと変わっていき、それと戦う≪仮面の騎士≫の正体を探る傾向が増える……かに見えた。
それは不思議なもので、当初加熱していたマスコミの報道は、徐々に収束していった。第一報では【竜都に化け物/怪物が現れ、生徒死傷】であった報道内容が、気が付けば【怪物は野生動物の見間違いか】に変わり、最終的には【市立学校で起きた集団ヒステリー&集団失踪の謎】と、オカルトチックになっていった。
なぜなら、証拠が全く無かったのである。
事件当初、複数の人間から怪物が出たとの通報があり、警察や消防などを巻き込む大騒ぎとなった。ところが現場とされる学校には、生徒が襲われた証拠である血痕や遺留品などが無く、怪物に襲われて行方不明になっていた生徒の中には、数日後にふらりと家に帰ってくるものもいた。
そういった生徒たちは
「気が付いたら河川敷を歩いてた」
などと証言をしており、怪物に襲われた記憶はあいまいだという。
よって世間の目は怪物という非現実的なものの存在に懐疑的となり、先に述べたような報道のされ方へと変化したわけである。一方で都市伝説の存在は有名になり、これは巨大組織が関与している事案だという陰謀論まで飛び出している。
『だいたいねぇ、陰謀があったとしても――』
「ターン・オフ」
深矩の声に感応し、プラズマスクリーンがオフになる。スクリーンが色を失うと壁面が透過されて壁紙が見えたが、すぐにスクリーンがA3コピー紙のサイズまで縮小して家族写真へと変わる。高校の入学時、母親と二人で撮った写真だ。
「ちょっと!ニュース見てたのに消さないでよ」
キッチンで洗い物をしていた深矩の母親が抗議の声を上げた。
「あんなのニュースじゃないよ。」
「深矩にとっては面白くない事件だもんね。本当に集団催眠にかかった訳じゃないの?」
「違う!……あれは、夢とか幻覚とかじゃないんだ。」
深矩は1週間前の出来事が、いまだ鮮明に思い出せる。転校初日、突如襲い掛かった非現実。
あの辛さも痛みも、忘れることなんて絶対にできない。
―――そして≪仮面の騎士≫の少女との邂逅も、忘れることなんて出来はしないのだ。
「でもあんた詳しいことは何にも覚えてないんでしょ?学校に最後まで居たの、あんたよね。」
「それは、そうだけど。」
実は、≪仮面の騎士≫と出会ったことは、母親にも打ち明けられずにいた。それは、信じてもらえないかもしれないという気持ちのほかに、もうひとつ別の理由もあったからだ。
“今日のことは、絶対に秘密だからねっ!”
そう言って、深矩を屋上に残したまま立ち去ってしまった少女。深矩は≪騎士≫たちが証拠隠滅をしてから、夜になって警察が来るまで一人取り残されていたのだ。季節は真冬。トイレにも行けず、凍えながら救出を待ったものだ。
(あの女、絶対に許さない。俺が正体を暴いてやる。)
心の中で一人誓う深矩であった。
「しかし、どこかで聞いたことあるような声だったなぁ」
「……なにが?」
「いや、こっちの話。」
ブラックのコーヒーを飲み干した深矩は、紺のダッフルコートを羽織り、緋色のマフラーを手に取ると玄関に向かった。
「なにあんた学校は?」
「今日まで休みだよ!」
「あれ、臨時休校って今日までだっけ。昼ごはん用意しとこうか?」
「いや、どっかで食べてくるよ」
そういって、少年は寒空の下へと足を向けた。朝の突き刺さるような冷え込みが身に染みる。空は曇り、あの日の午後を連想させる嫌な天気である。
坂道の多い、入り組んだ住宅街の小道を抜け、今時珍しい紙の本屋を目印に角を曲がる。やけに小ぎれいな駅の改札を抜けると、なんとなく学校の方面へと向かうリニアのローカル線に乗った。
気が付けば、深矩は通学路を歩いている。まだ数回しか通っていない道、だが深矩はここ数日毎日歩いていた。それも、なんとなくだ。
杜陸高校の正門の前にたどり着く。数日前まで張られていた規制テープは、とうに取り外されている。
タイル張りの地面、広い玄関口、手前にカーブを描くように張り出したルーフ、2階、3階、4階の窓、それから時計塔。その時計塔の上に桃色の幻影を見たような気がして、深矩は目をこするが、当然、そこには何もない。
≪仮面の騎士≫……≪マスクトナイト≫。ピンク色のアーマーの少女は≪仮面の騎士≫と複数形の名称を用いていたので、あれが正式名称なのだろう。だがそれが判明したところで彼らへの手掛かりになるわけでもない。
深矩はもう一度屋上を一瞥すると、そのまま踵を返し、旧神竜川の方角へと歩き始め――
「それじゃあ先生。明日は事件にはあまり触れない方向でいいですよねっ?」
「それでよろしくー。まだどこに行ったか分からない子もいるし、デリケートな話だからねー」
その声に、聞き覚えがあった。とてもまっすぐで爽やかな声。耳障りがよく、トーンが高い。
会話を小耳に挟んだ途端、深矩の脳裏にあの日の出来事がフラッシュバックする。八百神あさみとの一幕、現れた桃色の少女と、屋上で目撃した事の顛末。その声を聴いた瞬間、全ての記憶、情報が頭を駆け巡る。
「原稿ができたら、先生宛にメールしておきますっ!早ければ昼過ぎ……夜でも間に合いますか?」
「夜はこっちに転送されるから大丈夫。頼んだよー」
「はい那須先生!頼まれたっス!」
決して幻聴などではない。あの時の少女の声だ。
深矩はふりかえる。校門の向こう側に薄桃色の髪のポニーテールの少女。ぱっちりとした目はまつげが長く、空を写したかのような真っ青な瞳が美しい。幼さを残した顔立ちたが、細眉は元気そうに上を向いていて、自信たっぷりに見える。
セーラー服の上から、ご丁寧にも濃いピンク色のダウンジャケットを羽織っており、あの日の印象とダブって見えた。間違いなく彼女だ。少女は校門を出て、深矩のいる方角へと歩いてくる。
深矩は慌てて身を隠す場所を探すが、周りはほとんどが民家で、街路樹などもない。まさか他人の家の敷地に隠れるわけにもいかず、深矩はマフラーで顔を隠すようにし、腕にセットされている通信デバイスでメールを読むふりをした。これで通行人っぽく振舞えているだろうか。
「―――?」
少女はすれ違いざま、深矩のほうをちらりと見たようだが、そのまま気づかずに通過した。
少女の後姿を目で追う深矩。50メートルほど離れたとき、ついに尾行に移る。
(絶対に何かしらの証拠をつかんでやる。)
そう意気込んで、近づきも遠ざかりもしないように一定の速度でついていく。
(何かの本で見たことがある。あまり相手を見ず、あくまで風景の一部のように姿を捉えること。下手に隠れたりせず、堂々と歩くこと。これが尾行の極意だってな!)
薄桃色の髪のポニーテールがひょこひょこと揺れている。学校の周りは緩い下り坂になっていて、少女は旧神竜川へ続く道を進む。リニアの地下路線の駅も途中にあったのだが、スルーして堤防沿いの遊歩道へと続くルートを選ぶ。
堤防の脇には小さな公園。ベンチとブランコだけがある、広場のような場所である。周りは住宅街のはずだが、あまり人気はないように感じられる。
(……?なんだろう、この違和感は)
深矩がそう疑問を抱いたのと、背後から衝撃を感じたのはほぼ同時であった。
何者かに突き押され、地面に倒され拘束される。後ろに手を回された状態での抑え込みに、身動きが取れない。首の頸動脈のあたりを締め付けられる感触。
「カ……ッ!はぁッ!」
「どうも嗅ぎまわっている人間がいると思ったら、こんな子供だったとは思いませんでしたよ」
深矩は脳への血流を止められ、うまく思考できなくなってくる。
「あれ!?トールじゃん、何してるの?」
「見ての通りですよ。怪しい人間が奥菜さんを尾行していましてね。」
「え゛!ごめん、全く気付いてなかったよっ!」
ふわふわした感覚、ぐるぐると回りだす視界、言いようのない奇妙な“心地よさ”。深矩の意識が遠のいていく。
「――って、少年じゃんっ!?」
「お知合いですか?」
「こないだ話した、屋上の少年だよっ!あちゃー、やっぱこういうことになっちゃうのか……」
視界がブラックアウトし、世界から音が消えていく。車の音、風の音、町のあらゆる喧騒が遠くへ去っていく中、深矩が最後に聞いたのは自分を締め上げる男の声だった。
「どちらにせよ、この少年にはしばらく眠っていてもらいましょうか。(にっこり)」