第三話 「GORE-ゴア-」 その③
「うそ……だろ?なんでアスナさんがいないんだ」
深矩は呆然と立ち尽くしていた。
本校舎と別棟との間に挟まれた、学校の中庭。中庭の中央部には盛り土がされ、樹木や草本が植えられて、ちょっとした庭園のようになっている。そのほかにも花壇や植え込みがちらほらと見受けられ、落ち着く空間ではあるものの見通しは決して良くない。
敷き詰められたタイルの継ぎ目を赤い液体が染み出して広がっていく。中庭に事情の解らぬ者がやってきたとしても、その一部分を見るだけでこの場所で起きた惨劇を想像することができるだろう。また、防球のために張られたネットと、金網フェンスの向こうでは怪物と桃色と青色の≪騎士≫が戦っている様子が垣間見える。
だが深矩にとって現状最も重要なのは、怪物に襲われ、植え込みのそばに倒れていたはずのアスナの姿がなくなってしまっていることだ。
深矩たちが怪物に遭遇してから、わずかな時間しか経過していない。あの状態から自力で移動することはできないだろうし、そもそも生きているかどうかも怪しい。誰かが運び去ったというなら、この短時間でそれは難しいように思われる。
「先ほど見たときには、もう死体なんてなかった。」
「そんな馬鹿な……」
深矩は愕然とした。何もかもが非常識すぎる。怪物のこともそうだが、それから先のことも全部だ。
「目的は済んだでしょ。一緒に、早く逃げよう」
あさみは「一緒に」を強調して言った。あくまで自分は無関係の人間で、避難の最中だと言い張りたいのだ。さすが、≪仮面の騎士≫をコードネーム呼びにすることにこだわりを見せた人物である。正体を秘匿することを念頭に置きながら会話を進めようとしている。
「早くしないと、私たちも巻き込まれる。」
自分も巻き込まれるという言い回しで、深矩に避難を呼びかけるあさみ。しかし、彼は何やら得心がいかない様子である。
「いや、俺は行けない」
「……え」
「納得いかないんだよ、何もかも。……そうだ、何もかもだ!あの怪物は一体何なんだ?どうしてアスナさんはいなくなった!?――どうしてこんな目に合わなきゃいけないんだ!どうして今なんだ?どうして今日なんだよ、せっかく友達になれそうだったのに……!」
口にすればするほど際限なく浮かび上がってくる疑問と怒り。それはあさみに対する質問ではない。ただ思いのままを吐露しているだけに過ぎない。
「タイミングが悪かったとしか言いようがないね」
「タイミングだって!?こんな理不尽全部を“タイミング”の一言で片付けられてたまるかよ!」
「だったら、どうするっていうの。あんな化け物、逃げるしか手はない。」
「いや、絶対問い詰めてやる。≪仮面の騎士≫とかいう奴らなら、何かしらの事情は知ってるだろ?」
「それは……」
あさみは口ごもる。彼女も同じ≪仮面の騎士≫として、これ以上部外者を深入りさせたくない。だが今何かを言おうものなら、あさみが≪仮面の騎士≫に関わりある者だとバレてしまうかもしれない。その場合はきっと自分自身が深矩の怒りの矛先となってしまうだろう。
現状だってバレるかバレないかのギリギリのところだ。なぜなら、“あさみは深矩を助けようとしている”から。むしろ、この状況でいまだ逃げずに説得を試みているほうが不自然に見える。逃げようと思うのであれば他人など放っておいて逃げればよいのだ、神楽 テツがそうしたように。
「この場所にいたら、あなたは死んでしまうかもしれない」
それでもあさみは再度の説得を試みる。理由は簡単、ここで死なれると後味が悪いからだ。また、一刻も早くこの場から離れさせないと≪仮面の騎士≫の姿をはっきりと見られてしまい、後々の厄介ごとにもつながりかねないとも考えられる。
「……でも」
「――このままだと、巻き添えになる」
「それはわかってる、わかってるけど、この目で見極めたいんだ!」
「何を見極めるっていうの?……じゃあ、見て。あんな化け物、常識なんかじゃもう測れないでしょう?非現実すぎることを何でも理解しようだなんて、身を滅ぼすだけ。そこからは何も生まれない。」
あさみは必死である。ここまでしても最後まで深矩が逃げなかったなら、最終手段をとるほかない。気絶なりなんなりをさせてから安全圏へ運び出すより良い手がなくなってしまうのだ。
だがその場合はごまかしが必要になる。あさみと≪仮面の騎士≫のつながりが露見するのは避けたい。戦場処理も行わなければならないのに、そんな事にまで手がかかるのは面倒極まりない。
「どうするの、津野 深矩!」
「俺は……ッ!!」
――深矩は自分の思いを口にしようとしたが、言葉にならない。あさみに気圧されたわけではなく、ただただ色々な思いが絡み合ってしまい、言葉をつまらせたのだ。こうしてみれば、恐慌状態とはならなくとも、深矩もまたパニック状態ではあるらしい。
「……ねえ、八百神さん。君は、≪仮面の騎士≫に会ったことがある?」
感情が入り乱れ、一時思考停止になりかけたことで逆に冷静になれたのか、深矩は落ち着いた口調であさみに問いかけた。
「どうしたの急に。」
「神楽くんから聞いたんだよ。山火事の現場で、君を見た人がいるって。」
「……。」
あさみは半目に開いていたまぶたに力が入り、さらに目を細めた。
「―――うん、見たことがある。ここ最近、私はあの人たちを追っていたから。」
「追っていた?」
「私ヒーローが好きだから。この街の都市伝説を聞いて、居ても立っても居られなかったの。」
「それで山火事の現場に?」
「うん。たまたまね……でも、彼らは決して捕まえられない。一瞬で姿が見えなくなるくらい早いスピードで移動するの。だから何かを聞き出そうとしても、無駄。そもそも話もできないんだから。」
「そうか……。」
それは、とっさに出た嘘だった。下手にごまかすよりも、直接ではなく間接的にかかわりがある、とした方が深矩を納得させられると思ったのだ。結果的にはその判断は正しかったといえる。
「畜生、俺には……知る権利がないってことかよ」
「権利はあると思う。でも、力がない。」
「ちから……」
気が抜けたのか、膝から崩れ落ちて座り込んでしまう深矩。
そんな彼の腕を取り、
「逃げよう。」
と、あさみは再度告げる。
ようやくそれを受け入れることにした深矩は、あさみの手を借りてよろり、と立ちあがり――。
「あ」
再びバランスを崩して、今度はあさみごと倒れてしまった。
よろけた拍子のあっという間の出来事。深矩があさみを押し倒してしまった格好となり、今はあおむけに倒れているあさみの上に、深矩が覆いかぶさっている。必然的に顔も近くなる。あさみの息遣いまで聞こえてきそうだった。
「――これは、どういう状況?」
「あ、あの!ごめん……力が、抜けちゃって」
「わかってる」
だが、深矩は美少女の顔を間近にしても、不思議と落ち着いていた。これが青春学園ドラマの一ページであればドキドキもの展開なのだが、あいにく今はそうではない。それどころか自分のあまりの情けなさに涙がこぼれてきたほどだ。
「――立ち上がれない」
「それは深刻だね」
仕方がない、とあさみの方から体勢を立て直そうとしたその時、ガシャン、と金網フェンスに何かがぶつかるような音がした。敵がこちらに襲い掛かってきたのかと、一瞬身をこわばらせた深矩とあさみであったが、フェンスに寄りかかっていたのは別の人物だった。
「いッ……たぁ……」
ピンクアーマーの少女が、敵の攻撃を受けて弾かれてきたのだ。
先ほどまでピンクはブルーの少年とともに、近接しながら戦っていた。ピンクの武器は銃であるが、鋭利な部分があり、可変して近接武器としても使うことができる。ブルーとピンクは運動場の方へと怪物を誘導しながら戦いを進めていたが、決定的なダメージを与えることができないでいた。予想以上に背中の触手の反応スピードが速く、こちらの挙動に対応して攻撃を防いでくるのだ。加えて前脚は動きが遅いものの強力で、まともに食らえば≪仮面の騎士≫ですら危ういと思われた。
ピンクは活路を見出すため、触手の攻撃を自分の方へ誘導しブルーに隙をついてもらおうとしていたのだが、触手の方に集中しすぎて前脚の攻撃を受けてしまったのである。武器でガードしたので大事には至らなかったものの、大きく弾かれて主戦場から遠のいてしまった、という経緯であった。
ピンクの激突したフェンスは形を歪めてしまっていたが、まだ健在。距離が離れていたのも手伝い、威力が軽減されたようだ。少女はそこに手をついて体勢をもち直すべく立ち上がるが……。
「ん?」
少女は背後に人の気配を感じ、振り返った。そこには、深矩に押し倒されるあさみの姿が。
――げげっ、一般人!
と頭の中では焦っていたのだが、それよりも先に思ったことが口をついて出てしまう。
「……何やってるの、あんたたち??」
血だまりの作り出す凄惨な風景の中、少女を押し倒している少年。しかも、片方は≪仮面の騎士≫のメンバーである八百神あさみである。
人間は生命の危機に陥ると、性欲が増すといわれているから、もしかするとついムラムラ来ちゃったのかもしれない、とピンクは考える。が、帰ってきた返事は彼女の想像に反してあっさりしたものだった。
「いや、これは……その、立ち上がれなくて」
「立てばいいじゃん??」
「そうじゃなくて、力が抜けちゃって」
なるほど人は恐怖に直面するとそういう反応もあるのか、と妙な納得の仕方をしたピンクの少女は、
「じゃあ、私が抱えて運んであげようっ!」
と、5メートルほどあるフェンスを跳び越えて中庭の方へとやってきた。
「え?運ぶって――」
「それじゃ、失礼するよっ」
ひょいと深矩を持ち上げ、肩へ担ぎ上げた。華奢な少女の体格でなせる業ではなく、明らかに変身によるパワーアップの効果であるが、第三者の視点からすれば小柄な少女に担がれる男子高校生、という構図はなかなかにアンバランスに見える。
ピンクの少女は小柄なのだ。身長は150センチあるかないかで、線も細く、中学生くらいの女の子が鎧を身に着けたような不格好さである。一方で胸のアーマーは胸部全体を覆っているものの、下から押し上げられ、胴との間に隙間ができてしまっていることから、その下の豊かな膨らみが想像できる。女の子らしい女の子なのだ。
そんな彼女に体を預けている深矩は、どう反応したらいいのかわからない様子である。
「ちょ、ちょっと!?」
「んー?どしたのっ?」
「ど、どこに連れていく気だよ!?」
「とりあえず屋上かな。皆がどこに避難してるかわからないから、上から探してみるよ。場合によってはそのまま置いてくけどねっ!」
ピンクの少女は上を見上げ、屋上までのルートを確認すると、立ち上がってスカートをぱたぱたとはたいているあさみに声をかけた。
「あさ――。えと、そこの……名前も知らない少女は自力で逃げられるよねっ?」
「……」
「――名も知らぬお嬢さんの方が良い?」
「……えっと、自力で逃げます。」
あさみはピンクの下手くそな演技に嘆息しながらも、きちんと返事をした。深矩は突然の状況に戸惑い混乱しているため、まさか二人が知り合いだとは気づかれてはいないだろう。気づかれていないと願いたい。
「屋上に着いたら、みんながどこに避難してるか上から知らせようか?」
「大丈夫、自分でなんとかする。」
「そかっ!がんばってね!」
そう言ってピンクは別棟校舎の壁面へ猛ダッシュ。ジャンプして壁を蹴り上げると、その後は三角跳びの要領で渡り廊下の壁面を数回経由しながら別棟の屋上に到達した。その間、深矩は強烈なGに驚いて絶叫しまくりである。下手なジェットコースターより怖いのだから当然だ。
しかし終わりではない。別棟よりも本校舎の方が高さが高いので、勢いをつけ、渡り廊下の屋根部分に向かって大ジャンプ。そのまま渡り廊下(の上)を走り抜けて、最後の最後に思い切り跳躍してついに本校舎の屋上までたどり着いた。
「到着したよっ!」
「――――…………。」
返事ができない。
胸の奥からこみあげてくる嘔吐感を堪えるので必死なのだ。
「あちゃー、ごめんねっ!吐いちゃった方が楽になるよ?」
キラキラキラキラ。
「あ、なんか本当にごめんね……」
―――――――
――――
――
閑話休題。
怪物との戦闘は続いていた。深矩や他の生徒たちにも知りえないことだが、≪仮面の騎士≫は本日二連戦目であり、その消耗度合いは計り知れない。変身状態を長時間維持し、戦闘行為を行い、忘れてはいけないが移動にも相当な労力を使っている。集中力も限界に近かった。工業団地での一度目の戦闘が瞬時に終わっていたのが救いである。
「なるほど、グリーンも参戦するみたいだね」
屋上から戦場を眺め、状況を確認するピンク。深矩は呼吸を整えながら、彼女の後姿を見ていた。
「どう?落ち着いた??」
「何とかね……」
ピンクは運動場とは逆の方角にも目を向ける。学校から少し離れた場所に大通りがあり、そこに生徒たちが集められているようだ。その周辺は野次馬や警察、救急車などがごった返している様子がわかる。
「あそこまで送っていくとなると、尋常じゃない人数に姿を見られちゃうよねぇ……」
想像以上の騒ぎになっており、人前に姿を見せることは今後の活動に影響しそうである。テレビカメラに写されでもしたら、映像解析によって正体がばれてしまうかもしれない。かといってあの場所に思考誘導波を当ててもらう訳にもいかない。
「申し訳ないんだけど、君、ここに残しといていいかなっ?あとで救護が来るようにしとくからさっ!」
ピンクはそう提案する。
「ちょっと待ってくれ。あんたたちはいったい何者なんだ?あの怪物は何なんだよ!何が起きてるんだ!」
「落ち着いて落ち着いて。そんなに一気に質問されても困っちゃうよっ」
「じゃあ、あの怪物は何なのかだけでも教えてくれよ!」
ピンクは困ったように頭をかき、何と答えたものかを考えている。
「その質問は、うまく答えられるかどうかわからないよ。わたしたちも詳しくは知らないからね。一つ言えるとしたら、とある組織の生物兵器、ってとこかなっ」
「生物兵器だって!?」
「そのとおり。私たち≪仮面の騎士≫は、あの怪物を倒して回収し、敵組織を探っている、いわゆる正義の秘密組織というわけだねっ!」
「なんか納得いくようないかないような」
ピンクはそれだけ告げると、屋上の落下防止柵の上へと身を躍らせた。
「それじゃ、これ以上は私たちの秘密にかかわるから。わたしは戦いに戻るよ。」
そして、屋上から飛び降り――
「待てって」
「わきゃぅ!?」
飛び降りようとしたその足を深矩に掴まれて、ピンクは宙にぶら下がるような格好になってしまった。空中で支えもないため、振りほどくことができない。無理に暴れれば深矩もろとも落下してしまうだろう。
「ちょっと離してよっ!業務妨害だ、ぎょうむぼうがいっ!」
「聞きたいことが山ほどあるのに、見逃せないよ!」
「あの化け物倒さないともっと被害が出るかもしれないんだよ!!君はそれでも良いのっ!?」
良い訳がない。あの恐怖を、悔しさを、憤りを、これ以上バラまくのは良くないことだと深矩にもわかる。しかし、理不尽な状況をそのまま受け入れるのも納得しがたい。
「向こうには二人もいるだろ?」
「足りない!だからその二人のためにも早く戻りたいのっ!」
「だったら納得いく説明をしてから―――」
「そうだよねっ?わかるよー?だから手を離そっかー?」
顔は見えないが明らかに青筋を立てながらピンクは言う。が、深矩は一向に手を離そうとはしない。ピンクの体を腕で支えながら、じっと怪物の方をにらみつけていた。
「―――?」
そのまま何のアクションを取ることなく、無言の数秒が流れる。
「どったん?」
その微妙な空気にいたたまれなさを感じたピンクから声をかけた。深矩は口を半開き状態にしたまま固まっていたが、ついに重たい口を開く。
「――なあ。≪騎士≫様は、気づいてたか?」
「なにを」
「アイツの動きだよ!」
空中では怪物の動きを見ることができないため、深矩に屋上まで引き揚げてもらうピンク。ようやく自由になった体で戦場を振り返ると、そこでは必死に戦うブルーとグリーンの姿が見えた。彼らのためにも、一刻も早く戦場に戻りたい。
「見てくれよ、あの怪物、たぶん規則的に動いてる」
「え!?うそっ!?」
俯瞰状態で戦場を眺めると、それだけでいろいろなことが見えてくる。深矩はその視点に立って初めて、敵の弱点に気づいたのだ。
「……やっぱりそうだ、アイツの標的は、常にその直前、一番近くで動いたヤツだ!それも、大きな動きにしか反応してない。――そうか、だからあの時も逃げようとしたら向かってきたのか!」
戦場では、怪物の猛攻を必死にガードしているグリーンがいた。大きなウォーハンマーを盾代わりに、触手の攻撃を捌いている。そしてブルーがメイスを大きく振りかぶって攻撃態勢に入ると、標的をそちらに変えて突進、一時的にグリーンが手薄になる。これを、繰り返していた。
「しかも、奴は右回りにしか反応していない。体の軸を右にずらしながらしか行動できないんじゃないかな。」
「本当だ……触手やら腕やらの数が多いから攻めあぐねてはいるけど、動きは単調だったんだねっ」
ピンクは感服していた。この男、ひょっとすると――。
「君、指揮官タイプなのかもね。」
「へ?」
「うちのグリーンも相当な観察眼の持ち主だけど、君も負けてなさそう。いいヒント、もらったよっ!ありがとうねっ!」
ピンクはそう言うと、戦場にではなく、屋上よりさらに上にある時計塔の上へと跳躍した。彼女が腰にセットされていた棒状のアイテムを掲げると、光の粒子、あるいは液体金属が展開、武器を形成する。その見た目は巨大なピッケル。刃の部分がスライドして変形すると、武器は銃の形を成した。
「ここからなら、きっと狙えるよねっ!」