第二話 「仮面の騎士」 その①
1月。人間の決めた年の区切りは、季節という観点からすれば非常に中途半端な位置にある。新年を迎えると途端に暖かくなるとか、何かが開花を迎えるなどというイベントは一切起きず、むしろ本格的な冬へと緩やかに変化していく途上といえる。
ただ、この年の冬は全国的にさほど厳しいものではなさそうだった。この町、竜都でも多分にもれず、ぽかぽかと暖かな日差しが照り付けている。時折北寄りの風が吹くと突き刺さすような冷たさを感じるのだが、日向にいる限りは非常に心地の良い風となる。
「いよいよ、今日から始まるのか……」
一人の少年が、赤レンガでできた校門の前に立っていた。
身長は170センチ強、細身の体。学ランに隠されて体つきがはっきりと見て取れるわけではないが、首回りが少し太く、きっとその下には程よく筋肉がついているのだろうことが想像できる。癖の強い黒髪は、前髪の一部が上へとかなり強く主張しており、それをごまかすためであろうか、髪全体を逆立てるようにセットしてある。大きめの二重は少しつりあがっていて、いわゆるネコ目。真夜中のネコのように大きな瞳が威圧感を打ち消している。
竜都市立杜陸高等学校。全校生徒1300人、学力の程は中の上。普通科と生活文化科を擁するこの学校の敷居をまたいだ瞬間、少年――津野 深矩の壮絶な1年は幕を開ける。
◇ ◇ ◇
杜陸高校普通科1年D組。
新年が開けて、なお何も変わらないクラスの雰囲気。だがそこかしこに冬休みのテンションから抜け出せていない者も見受けられる、そんな空気。友達と久々に会ってうれしいような、明日から再び授業が始まることが正直億劫であるような、複雑な心情が織りなす休み明け独特の感覚が教室を支配していた。
「――なあ、男かな?女かな?」
「かわいい女の子希望」
「仁がさっき見たらしい。どうやら男らしいぞ」
「おとこかよ!」
「なになに、男?イケメンかな!イケメンだといいな!」
「僕が見た限りではそこそこ整った顔立ちだったよ、明日菜」
教室内のあちらこちらで、何やらひそひそと話をしている集団がいくつか。どうやらどの集団も同じ話題で持ちきりの様子である。教室全体がざわついているため、何も事情を知らない生徒も気になってほかのグループの話に聞き耳を立てている。
そんな中、教室の扉がゆっくりと開かれ、担任である女性教師が姿を見せた。慌てて席へ戻る生徒たち。やれやれ、といった具合に教師は肩をすくめて見せた。
「みんなー?明けましておめでとー。いくら休み明けだからって気が抜けてないー?ほらそこ、早く席について!」
ガヤガヤとまとまりのない生徒たちではあったが、席に着くなり次第に静まり返っていった。ところが彼らの瞳はなにやら期待の色を含み、じっと担任教諭を見つめている。そんな生徒たちの視線には気づくことなく、教師はクラス名簿へと手をかけた。
「始業式の前に点呼だけするかんねー」
「いやいや待ってよ先生!その前になんか発表があるんじゃねぇの?」
「なぁにー?どうしたのかなー、神楽 テツくん?」
教師に声をかけたのは、いかにもお調子者っぽい一人の男子生徒。オレンジの髪の毛に、彫りの深い顔立ちが特徴的である。制服を着ていなければもっと年上に見られてしまうだろう風貌だ。
「座席が一つ増えている件について、詳しく聞きたいです!」
テツはいたずらっぽく笑って見せるが、それは“にっこりと笑っているつもりが人相の悪さも手伝ってニヤニヤ顔にも見えるだけ”だとは誰も思うまい。他方、クラスの生徒たちは発言こそしないものの、きらきらと新しいおもちゃを見つけた子供のような視線を教師に送っている。その態度により、ようやく教師もこの後起こるイベントについて既に周知になっていると気づいたようだ。
「先生、転校生来てるんでしょ!?」
「転校生が職員室入ってくとこ、大河が見たって!」
「点呼なんか後でいいからさ、早く連れてきてよ!」
一人の発言を許してしまったのを機に堰を切ったようにざわつく生徒達。
「もー、耳が早いなー。まったく。」
「せんせー、今日は紹介してくれないの?」
「するわよ!点呼が終わったらすぐに呼ぶつもりだったの。もう、扉の向こうにいるよー。」
「先生、早く早く!」
「わかった、じゃあ先に紹介しておこっかー」
ワッと歓声が上がる。
「ホラ静かにー!津野くーん、入ってきてー」
教師が呼びかけると静かに扉が開いた。生徒たちの視線が扉の方へ注がれると、気恥ずかしそうに頬をかきながら、一人の少年が入ってくる。癖の強い黒髪、大きな瞳孔のネコ目。転校生ではあるものの、制服である学ランは、ボタンなどが杜陸高校の校章入りのものに既に変更されている。
彼は黒板の前に立つと、緊張した面持ちでその名を告げる。
「はじめまして。津野 深矩です。よろしくお願いします。」
「津野くんはお母さんの仕事の関係でいろいろなところに住んでたらしいよー。」
「あ、はい。いわゆる引っ越し族ってやつで。」
「竜都にはしばらくいるんだよね。」
「ええ、母親が職を変えたのでようやく落ち着けそうです。」
「というわけで、みんなも聞いたよね?津野くんはこれから卒業までみんなの仲間になります。仲良くしてあげてねー!」
まばらに拍手が始まる。お調子者の男子生徒、神楽 テツが大声で「よろしくゥッ!」と叫ぶと心なしか拍手が大きくなり、ほかの生徒からもちらほらと挨拶の声がかけられた。暖かいクラスの雰囲気を感じて少年の緊張も和らいだのか、硬い表情は自然な笑顔になる。
「じゃあ、あの後ろの席に座ってもらおうかー。」
「わかりました」
深矩は指定された、教室の最後方、窓際から一つ分右にずれた座席へと着席した。荷物を机のサイドに引っ掛けながら、近くの座席の生徒に「よろしく」と声をかけた。“話しかけるときは自分から”。これが引っ越し族・津野 深矩のポリシーである。挨拶ができるできないでその後のクラスへの溶け込み方が違うのだと知っているのだ。
「じゃあみんな一旦静かにね!点呼行くよー?青木 太郎くーん、猪瀬 花子さーん……」
すぐに教師による点呼が始まってしまったので、この時点で話をすることはあまりできなかった。まずは近くの席の生徒、それからクラスのムードメイカーと仲良くなるのが先決。名前を確認しておくことができるので、このタイミングでの点呼は都合がよかった。
「大河 仁くーん」
「はい。」
目の前の席に座っている男子生徒が返事をした。名前を呼ばれた直後に後ろを振り返り、にこりと会釈をした。点呼前に軽く挨拶をした際も非常に愛想がよい。仁はメガネをかけているためインテリにも見えなくもないが、程よく日焼けしているのでスポーツマンなのかもしれない、と深矩は予測。青み掛かった銀髪が肌の色と対比していてよく目立つ。いまは着座姿勢のため深矩にはわかりづらかっただろうが、実はかなりの高身長でもある。
「枯尾 明日菜さーん。」
「はぁい。」
仁のすぐ後に呼ばれたのが右隣の席の女子生徒。小麦色の肌に輝く金髪、白い歯がまぶしい、いかにも活発そうな少女である。“かれお”という響きだけで漢字を予想することが難しく、明日菜本人もそれは自覚しているのか、わざわざ深矩に自分の胸を指さして名札を示した。胸の名札を見せられているため、どうしても彼女の豊かな双丘へと目がいってしまう。しかも名札はつまみあげられており、引っ張られた制服の襟内からは下着が見えそうな角度でもあった。深矩は少しどぎまぎしながらこれに会釈で対応する。
それから、クラスのムードメイカーであろう神楽 テツの名前も確認。テツは前の方の席であったが、名前を呼ばれると同時にわざわざ振り返って深矩を見た。ニヤリと笑いながら軽く手を挙げて挨拶をする。その“ニヤリ”の正体が、本人からすれば“にこり”のつもりだということには流石に深矩も気づかない。どのように反応すればよいのかわからず、深矩は苦笑いを作ることしかできなかった。
その後もクラスの点呼が続いていく。深矩はふと、左隣の生徒の存在が気にかかった。今まで全く意識していなかったが、よく考えれば一言も挨拶できていない。もし向こうがこちらを見ていたなら会釈ぐらいはしておこうと思い、窓際に着席している女子生徒に目を向けた。
(――あっ……)
その刹那、深矩の心臓がトクンと跳ねる。
ツヤのある赤い髪は、前髪と耳ぎわのあたりがわずかに長めのショートボブ。ほんの少しだけ太さのある眉、柔らかそうな唇、小ぶりな鼻。琥珀色の瞳はわずかに閉じられ、物憂げな表情。
パーツ一つ一つが特徴的でもあり、同時にとても整った顔立ちは間違いなく美少女と呼べるレベルである。スレンダーな体つきは彼女の雰囲気も相まって一見弱々しく見えるが、決して華奢というわけでもない。
窓の外を眺める彼女が輝いて見えたのは、小春日和の日差しを受けてだけのことではなく、きっと深矩の脳内フィルターによる作用も大きかっただろう。
一瞬見とれてしまった深矩であったが、少女がこちらを一瞥した時に目が合ってしまい、はっと我に返る。慌てて視線をそらすも、逆に少女の方は深矩を観察するように半目で見つめ続けていた。
「な、何……?」
小声で深矩が隣の少女に問いかける。
しばらくの間、何かもの言いたげにしていた少女は、
「―――。」
と、口をかすかに動かした。声は聞こえなかった。
おや、と思う深矩であったが、少女はそれ以上のアクションを取ることはなかったのでコンタクトは諦める。彼女も深矩に対して興味を失ったのか、それとも初めから興味などなかったのか、窓の外へ視線を移してしまった。物憂げな表情で風景に没頭する少女の態度に、深矩は幾ばくかの違和感を覚える。
(なんだろう、この感じ。)
深矩は何度も転校を経験しているが、初対面でこのような反応を示した者はいなかった。みんな大なり小なり転校生に対して興味を抱くのが普通だ。彼女にはそれが全く見られなかったのだ。
ほかの生徒たちは、仁や明日菜も含め、こちらの様子が気になっているようだ。前方の列に座っているオレンジ髪の男はわざわざ振り返ってまでニヤニヤ、いやニコニコと笑っている。
「こら!神楽くん、そんなに津野くんに興味あるのー?話しかけるなら後でね。」
「ハッ!先生、すいませんっス!」
そんな教室内がくすくすと笑いに包まれるような場面でも、窓際の少女の表情は変わらず、まるで視線は外の風景にしばりつけられているかのよう。
教師による点呼は続いているが、彼女の名前はなかなか呼ばれない。その名を知ることができたのは、クラスで一番最後の点呼の時。
「八百神 あさみさーん。」
少女は少し顔を上げ
「はい。」
と短く、かつはっきりとした声で返事をしたのだった。
――――――
――――
――
ホームルームが一通り終了すると、クラスメイト数人が深矩のもとへやってきた。メンバーは近くの席の仁と明日菜、それからテツの3人だ。
「よろしく、津野くん。」
「ああ、よろしく大河くん。」
深矩が仁の苗字を呼んだので、「おっ」と周りが驚きの表情を見せた。既に名前を把握していたからだ。それは点呼のすぐ後だからだが、それでもすぐに名前を憶えてくれたことに対して、仁はうれしさを覚える。当然、他の面子も自分の名前を覚えているのか確かめたくなるものだ。
「俺のことは覚えてくれたか!?」
「神楽くんだよね。なんかムードメーカーって感じがしたから忘れないようにしないと、と思って」
「おうよ!わかってんじゃん!」
クラスの雰囲気に溶け込むにはリーダー格と仲良くするのが一番だ。深矩はそのことをよくわかっている。
「じゃあ、あたしは誰でしょう?」
次に明日菜が自分の名前を質問してみた。深矩はこれも難なく答える。すると明日菜は嬉しさのあまり、深矩の手を取ってブンブンと上下に振った。
「きゃー!津野くんすごいね!私のことは、明日菜って呼んで!あたし自分の苗字嫌いだからさ」
「ああ、よろしく、明日菜さん」
「さん付けかー……」
初対面で呼び捨てはなかなかハードルが高いと思うのだが、明日菜は不服そうであった。少しの思案の後、悪戯っぽく微笑んだ明日菜は、深矩の腕を取ってそっと抱き寄せた。深矩の右の二の腕あたりに、この世のものとは思えないほど心地よい感触。
「じゃあ、津野くんとは早く仲良くならないとねー?」
「ちょっ!?明日菜さん!?」
「おいおい明日菜!つ、津野くんが困ってるだろ!?」
なぜか深矩と共に仁も慌てていた。椅子から立ち上がると明日菜の腕をつかみ、引きはがそうとする。無理やり離そうとするものだから、わずかに明日菜の膨らんだ部分に触れてしまった。焦って手を引っ込める仁に、明日菜がジト目で睨む。
「ちょっとー。人のおっぱいに触るなんてサイテー」
「じゃあ津野くんはどうしていいんだよ!?」
「あたしが当ててる分には良いの!」
とんでもない理屈であった。
「じゃあ、俺にもそれやってくれよ!」
テツが空気を読まず、能天気に頼む。そんな彼に対し、明日菜は一言だけ言っておきたいことがあった。
「死ね」
「――ひどくね!?」
この間、深矩はどうしていいものかわからず、顔を真っ赤にしてあたふたしているのみ。だれかこの状況から救い出してほしいと祈るだけであった。
「あ、あの……明日菜さん。そろそろ離してもらえると精神衛生的に助かるんだけど」
「ごめんごめん!ちょっと冗談が過ぎたね!」
明日菜は素直に謝る。ぺこりと頭を下げた後、これ以上ないくらいの笑顔を深矩に向けた。とびきりの表情は、彼女の金髪とも相まって太陽のように眩しかった。
深矩は思う。明日菜は決して美人タイプではないが、男子から人気が高いのではないかと。
まず第一に距離感が近い。精神的な距離でなく物理的な距離が、だ。人間には他人との間にスペースを開けておかないと心理的に落ち着かなくなる性質があるのだが、この距離感のことをパーソナルエリアという。他者がこのエリアに入ると不快に感じることが多い。しかし、それが年頃の異性だとなると意味合いが変わってくる。特に明日菜のようにプロポーション抜群の女子ならなおさらだ。性的魅力のある相手にボディータッチを連発されれば、健全な男子高校生ならば生唾ものだろう。
第二に、彼女の表情が非常に豊かなことだ。ころころと変わる表情は見る者を飽きさせない。どこか人間的魅力にあふれていると言える。あるいは感情が顔に全部出てしまうタイプとも表現できるかもしれない。行動の前に思考が漏れてしまう。
今も何か企んでいるようで、今度は仁の方へと体を近づけた。息がかかるのではないかというくらいの距離まで顔を近づける。
「だから!明日菜はいっつも距離感おかしいんだって!」
「いやー、仁の反応っていちいち面白くてさ!津野くんも、同じ属性っぽいよねー」
「属性って何のこと?」
深矩は尋ねる。
「なんかね、ドMっぽい。“巻き込まれ体質”って言うのかな、“いじられキャラ”の方が近いかも」
「転校初日から嫌なカテゴライズされたな……」
ため息をつく深矩の背中をテツが叩く。驚いた深矩の肩に腕をかけ、
「ドンマイ!」
ニヤリと笑った。にっこりのつもりなんだろう。
「こらー、テツジンコンビ with アスナ!津野くんに聞きたいことがあるのはわかるけど、そろそろ始業式だから講堂へ移動しなさーい!!」
担任教師が話の流れをぶった切った。時間を見ると始業式の始まる9時の5分前。他の生徒たちはすでに行動への移動を開始していた。まだ話し足りなそうなテツを見止めた教師は、
「テツジン、あんまり転校生困らせるようなことするなよー?」
と、一言釘を刺してから、先へ移動を開始した生徒たちの元へ小走りで駆け寄って先導を始めるのだった。
「テツジン、って大河くんと神楽くんのことだよな?」
「そうそう。テツと仁だからね。コイツらそうやって一括りにされるくらい、厄介な二人組として有名ってわけ。」
「そんなに厄介者かな?俺たち」
「少なくともテツはトラブルメイカーだと思うよ。僕はどちらかというとなだめ役なんだけどなぁ……」
苦言を呈する二人に、明日菜は笑いながら答えた。
「うそうそ、肝心なところは二人で悪ノリするんだから!津野くんもあまり巻き込まれないようにね!」
「肝に銘じときます」
深矩も移動のために席を立ちあがる。
「講堂まで一緒に行こうか、津野くん」
「道すがらいろいろ案内してやるからな!ついでに覚えとけよ!」
「もう、そんな時間無いでしょ?早くいくよ」
3人と一緒に教室を出ていく深矩。初日からここまで良くしてくれる人と出会えて、幸先のよさを感じるのだった。
◇ ◇ ◇
『――校長先生、ありがとうございました。続いて教頭――』
『――ありがとうございました。では、最後に生徒会長の千橋 奥菜さん、お願いします』
「さあさあみんなっ!生徒会長のありがたいお話だよっ!」
(ざわ… ざわ…)
『静粛にお願いします』
「あー、えと、冬休みは無事に乗り切りましたか?お年玉もらった?勉強も、もちろんしたよねっ?」
「それから妙な≪噂≫が立っているようだけど、真偽はともかくとして、最近は怪しい事件が多いので一人で出歩かないようにしましょうね!……では、3学期は短いですが、悔いの残らないように学校生活を送ってください。以上っ!」
6/27 大幅改稿。
7/16 さらに改稿。だんだん読みやすくなっているはずです。