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極秘戦隊マスクトナイツ  作者: 筆折作家No.8
第一章 コトノハジメ
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第四話 「母親」 その③

 ≪仮面の騎士≫の事務所内で、深矩しんくはひたすらもがいていた。パイプ椅子にヒモで縛り付けられ、身動きが取れない状態なのだ。


 ひとつだけ幸運といえるのは、縛り付けた奥菜おくなの力の加減が下手くそだったこと。はじめは強く絞めすぎ、後に調整をしていたのだが、今度は逆に緩め過ぎていたのだ。なのであと少しで右手首の拘束くらいは何とかなりそうなのだった。


 深矩は思う、せめて、せめて腕の一本でも自由になったのなら――。


「ぐあ――ッ!」


 深矩が無理に体をひねって拘束から逃れようとした瞬間、パイプ椅子が大きく傾き、そのまま地面に倒れてしまった。その際に右の肩を床面にひどく打ち付けてしまい、鈍い痛みに悶絶する。頭を打たなかっただけマシだったのだろうが。


(ちくしょー、なんでこんな目に合わなきゃいけないんだ!)


 今日この日は、深矩にとっては災難な一日であった。どの程度災難かというと、ベクトルは全然違うが、1週間前の学校襲撃事件に匹敵するくらい災難だ。たった半日、まだ半日しか経っていない間に絞め落とされ、拉致され、監禁・拘束。


 そして現時点で最も重大な問題が、


「といれに、いきたい……」


朝飲んだコーヒーの利尿作用との戦いであった。


 最悪のタイミング。こんなところで股間の堤防が決壊してしまえば、きっと帰ってきた≪仮面の騎士マスクトナイツ≫のメンバーにもその姿を見られてしまう。その中には同年代の女の子まで混じっているというのだから、想定される最悪の状況になった場合は末代までの恥となろう。


「くっそおおおお!!限界だああああ!!」

「……何してるの、津野くん。」


 それは救いの声。

深矩が恐る恐る目線を上にやると、そこには淡いグレーのカーディガンにチェックのスカート、琥珀色の瞳を半目に開き、じっと深矩を見つめている赤髪の少女が立っているのだった。


「うそ……八百神やおがみ、さん?」


 深矩は姿勢的に下からスカートをのぞき込むような形になっており、その中身が見えそうになったので慌てて目をそらした。


「わざわざ目を背けなくてもキュロットのインナーはいてるから大丈夫だよ。」

「そういう問題じゃなくて!……八百神さん、なんでここにいるの。」

「言ったでしょ、“私も行く”って。」

「それは、現場へって話じゃなかったの?」

「いいえ、私は後方支援要員だから、実際に戦闘が始まると役立たずなの。

彼らのやりやすい環境を整えるのが私の役目。

今回は私のいた位置よりも、みんなの方が近くにいたから出番なし。」


 そう言うとあさみは深矩のもとに近寄り、椅子を起こして結び目を解き始める。

するりと麻紐が外れる感触がして右手が自由になった。続いて深矩の左手を解放すると、あさみは彼に指示を出す。


「私が右足をやるから、左は自分でやって。」

「わかった。」


 あさみの指示に同意し、左足の紐を解こうと手を伸ばす。すると、なぜかあさみの手と触れ合ってしまう。二人が同じ方向に取りかかろうとしてしまったのだ。顔も心なしか、近い。


「違う、そっちじゃ――言い方が悪かった、私から見て左だから、あなたの右足ね。」

「あ、ああ!ご、ごごめん!!」


 至近距離で目が合った瞬間、深矩の心臓は口から飛び出してしまうのではないかというくらい大きく跳ねた。深矩は顔を赤らめながら、慌てて右足の紐に取り掛かる。


 学校の、あの惨劇の現場で不可抗力にも押し倒してしまった時は胸のトキメキなど感じている余裕はなかった。だが今は目が合っただけで鼓動が早くなってしまうことに、深矩は自分自身でも驚き、戸惑っている。目の前にいるのが自分のタイプの女の子だと強く意識してしまう。


 顔を真っ赤にして焦っている深矩を見たあさみは、くすりと笑って、


「へんなひと。」


とつぶやいた。


 ほのかに微笑んだあさみの表情を見て、深矩は思わず手元がくるってしまう。解こうと思っていたのに逆に絞めなおしてしまう頓珍漢とんちんかんっぷりを披露することになり、今度は気恥ずかしさで顔が赤くなってしまった。こうして時間はかかったものの、深矩の拘束は完全に解除されたのだった。


 無理な姿勢を取り続けていたからだろうか、節々が痛む。深矩は大きく伸びをすると久々の解放感を満喫する。


「いやー、助かったよ。ありがとう。」

Noノー problemプロブレム、問題ない。」


 あさみの英語交じりの言葉を聞き、深矩はなにか思い出したように尋ねる。


「今のなんか聞き覚えあるんだけど、ひょっとして昔の番組のセリフ?」

Yourユア guessゲス isイズ rightライト、その通りだよ。ジオファイターズのイエロー、デューン=ロックのパロディ。」

「ひょっとして、ジオファイターズ好きなの?」

「この街であの番組を嫌いな人は多分いないよ。なんていったって、あの番組のロケ地はこの竜都。撮影にも全面協力したのだから。」


 深矩もジオファイターズが好きだった。子供のころ、よく思い出せないが見ていた記憶はある。しかしその撮影が竜都で行われていたとは知らなかった。


「中でも私はかなりのファンだと自負してる。

だからこそ、≪仮面の騎士マスクトナイツ≫のメンバーにもなりたかった。……ずっと、追いかけていたんだ、憧れのヒーローの姿を。」


 あさみは口元だけ笑顔を作りながら、目は何やら悲しそうだった。そのちぐはぐな表情に、心を透かして見ることはできない。深矩は何か違和感を覚えも、それを口に出せずにいる。


「なんで、辛そうな顔をするの?」


 深矩がやっと絞り出したセリフ。だがその一言であさみの表情は少し緩んだ。


「まあ、これはみんなが帰ってきてから実演して見せるつもりだけど、私が後方支援に徹しているのは理由があるの。」

「そう、なのか。」

「鍛えてはいるんだけど、実戦では役に立たないんだよ。」

「それはどういうこと?」

「端的に言えば変身システムについてなんだけど、詳しく説明している時間はないから、後にしよう。」


 時間がないとはどういうことなのか。これから何をするつもりなのか、深矩はあさみの真意を量りかねずにいた。


「とにかく、一度現場を見てみるといい。今からみんなのところへ一緒に行く。」

「え!?ちょっとまって、現場を見るって、俺も戦場に行くってこと?」

「だって、その方が手っ取り早い。

……あなたが関わろうとしているのはどんな集団なのか、それに関わったことであなたがどうなるか見極めるためにも。」

「俺が、どう向き合うのか――?」

「そう。百聞は一見にしかず。津野くんはきっと理屈で説明しても納得しないタイプでしょう?特別に、見せてあげる。」


 それは深矩にとって願ってもないことなのだが、戦闘の現場に行くということは再びあの怪物にあいまみえることでもあり、そこには危険が伴う。あさみが言いたいのは、≪仮面の騎士マスクトナイツ≫についての詳細を知りたければそれなりのリスクを負え、ということなのだ。


「先輩を尾行してた時点である程度覚悟はできているはず。あのまま無視していれば、今後は怪物に出くわすこともなかったかもしれない。正体を探るってことはリスクに首を突っ込んだというのと同義だもの。」

「それは……。」

「知りたいなら付いてきて。逃げたいなら逃げればいい。……選んで津野くん。――いや、選びなさい、津野 深矩。」


 しばし迷いを見せた深矩に、あさみは「そして」と言葉を紡ぐ。


「どちらを選んでも、今後は私の監視対象だ。」


 かなり強い語気を孕んだ言葉。威圧感。ある種恐怖をも感じさせるような“静かな圧力”を、あさみは放っている。深矩の中で、この八百神あさみという少女の印象ががらりと変わる。


――単なる可憐な少女ではなかった。

――この少女は≪騎士ナイツ≫のなかでも最も強い意志を持っているのだ、と。


奥菜やトールとは違う。この≪仮面の騎士マスクトナイツ≫の中で、最も真剣、最も真摯なのは彼女だろう。そして、彼女の問いかけには本気の意思をもって返答せねばなるまい。生半可な気持ちで応対するのは、彼女に対して失礼でしかないからだ。


「わかった。見せてもらうよ、この目で。

この街に何が起きているのか、これからどうすべきなのかを見つけるために。」


 まっすぐに、あさみの目を見て言った。深矩の気持ちはあさみにうまく伝わったようで、彼女は軽くこくりと頷いて、行き先を示す。


「……そう。じゃあ、移動しましょう。場所はそこのマップで確認したよね?」


 テーブルから湧出した3Dホログラムマップには、敵の現在位置と≪騎士ナイツ≫たちの位置が示されている。どこからどうやって位置情報を得ているのかはわからないが、正確、かつ詳細にその推移が見て取れる。


「おっけ、把握した。」


 深矩はそういって扉の方へ足を踏み出した。が、すぐに立ち止まってあさみの方へと振り返る。忘れてはならない重大な案件が、彼にはあるのだ。


「……ごめん、その前にトイレを借りてもいいかな?」




 ◇ ◇ ◇



「ちょっと、なに今の!!危ないなぁ!」

「それよりさっきの女の子の方見た!?すごかったよ!」

「はぁ?女の子なんていたっけ?」



 深矩とあさみは小雨降る竜都の街を全速力で走っていた。


騎士ナイツ≫のように屋根伝いに走ることなど深矩には不可能なので、街中を全速力で走り抜ける。人ごみの中、わずかな隙間を見つけて縫うように動く。


 隙間がないなら、「ちょっと通して!」などと声をかけて人波を割る。一度も立ち止まらず、またぶつかりそうになりながらも極力ブレーキをかけないように走っているつもりなのだが、それでもあさみの脚に追いつけない。


 やがて人の密度が減ってくると、あさみの動きがようやく見える位置にまでやってきた。正しくは深矩が群衆を抜けてくるまであさみが待ってくれていたのだが。


「ねえ、ちょ、ちょっと待って……はぁ……八百神さん、はぁ、足速すぎだよ。」

「柵があろうと池があろうと、なるべく直線を意識して動いているから。

津野くんも練習すればできるようになるよ。」


 あさみも深矩同様に変身せず、生身の状態で走っている。

それでも深矩が追い付けないのは、“フリーランニング”だとか“パルクール”と呼ばれる技術を使っているからだ。地図上に引いたラインからできる限り外れないように直線軌道を走る。少々の壁や2階程度の高さなら、そのまま跳び越えてしまう。ケガをしないように慣性力を利用して受け身を取りながら進むのだ。あさみはすぐできる、というが一朝一夕で身に付くような技術ではない。


「ここから先は人通りが減るはずだから。」


 二人は雑居ビルから人の多いエリアを走り抜け、大きな公園のそばまでやってきた。ハイウェイの高架とローカルリニアの路線とがクロスしているそこは、それらの巨大な橋状の構造物によって生み出された影の中にあり、とても暗い。


 リニアの路線は一階部分が飲食店になっているのが見え、その上を路線が走っている。それが横方向に長く続いているため路線の向こう側を見通すことはできない。まさに壁のような印象である。


「確かに、妙に人通りが少ないな……」


 暗くとも飲食店が立ち並ぶようなエリアであるため、普段なら人の足が途切れることはないはずだ。

たとえそれが雨の日だっとしてもだ。遠くの方を見れば、人々がこのエリアを避けるように、無意識に遠回りしていることがわかるだろう。深矩はまだ知りえないことだが、これこそが思考誘導の成果である。


「現場はあの路線の向こう側。……もう休憩はいいでしょ?行こう。」

「待ってよ、八百神さん!」

「ここから先は“レッド”と呼びなさい。――えっと、暫定“ブラック”。」


 即興でコードネームをブラックと定められた深矩に文句を言う暇を与えず、あさみは走り出す。高架の向こう側へと抜けるトンネル部を目指して。深矩はろくに休ませても貰えず、へとへとになりながらあさみの背中を追った。


 あさみが道路の中央分離帯の柵を跳び越える。反対側へと着地すると同時に地面を蹴って衝撃を回転力に変える。体ごと受け身を取って、その回転力を今度はダッシュ力へと変えて前へと進む。


 深矩もあさみの後に続いているため、目の前に中央分離帯が現れる。彼女の真似をして、思い切って跳躍してみる。体は分離帯を飛び越し、あさみの見よう見まねではあるが受け身を取ることにも成功した。なんだ、自分にもできるじゃん、などと油断したのであろうか、再び走り出そうとしたときに足がもつれて派手に転んでしまった。


「……へたっぴ。」


 あさみの冷ややかな視線に唇を噛みながら、深矩は体勢を立て直して走り始めた。



 やがて二人は現場へと到着した。


 深矩は血の臭いというものを嗅いだことは無い。推理小説などで“鉄臭い”などと形容されることもあるが、実際にどのような臭いなのかはわからないのだった。学校襲撃事件の時は、大量の血にまみれ倒れ伏すクラスメイトの姿を見てはいたが、その時は体が興奮状態、もしくは倒錯状態に陥っていたために臭いにまで気が向かなかった。


 しかし、今回の事件ではその臭いをまざまざと体感させられることになった。高架下のトンネル部分には、風があまり吹き抜けなかったからであろう、臭いが充満していたのだ。“鉄の臭い”?そんな生易しいものではない。立ち込めているのは腐臭だ。殺害されて間もないため腐敗などしていないのだが、確かに何かが腐ったような酷い臭いがする。


「うわ……なんだよこれ。」


 深矩は思わず鼻のあたりを手で覆ってしまう。それでも臭いは途切れることなく彼の鼻腔を刺激し続けた。どうしようもなく襲ってくる吐き気。


「被害者は内臓までやられたんだね。腸や胆のう、膀胱ぼうこうなんかが傷つくとこんな感じで臭うの。」

「そんな解説はいらないから!」


 深矩たちの目の前には、人間の下半身のようなものが転がっている。血の跡が奥から続いていたので、向こうには他のパーツが落ちているのだと想像できる。


 また、それとは別に女性の死体。完全に事切れている様子の女性の腹部は、少しばかり大きくなっているのを見て取ることができる。妊娠していたのだ、この人は。妊娠から半年過ぎ、というところだろうか。死体は二つだが失われた命は二つではない。


 えげつない状況、まじまじとは見たくないような光景。だがどうしても目に入ってしまうのは女性の体に刻まれた動物の噛み痕のような傷である。


「動物型の≪デオキメラ≫?いや、でもこれは……」


 あさみが死体(足)に近づこうとすると、

「ギヤウッ!!!グヤゥ!!!!」

と、何かの生き物の吠えるような音がトンネル内に鳴り響いた。


 身構えるあさみと深矩。その目の前に、


「ちっくしょおおおお、こいつ、いい加減にしやがれえええ!!!」


“恐竜”の強烈なタックルを武器のメイスで受け止たブルーが、その勢いを抑えきれずに後退させられて来た。


 アスファルトの地面をがりがりと削りながらも、恐竜の勢いをを止めることができない。少しでも力を抜けば、そのまま押し倒されてしまうだろう。


「ブラック!!ここは危ないから少し下がって!!」


 あさみはそういうと、腰のホルスターに取り付けてあった棒のような装置を取り出した。一本でなく、二本。


「“ツインソード”!!」


 あさみが強く念じるように瞳を閉じる。すると間髪入れずに光の粒子が展開、二振りの刀が出現した。左が短刀、右は長刀である。あさみはその武器を上段に構えると、ブルーを攻撃している体長5メートルほどの恐竜に向かって突撃。その爪だらけの腕へと斬りかかった。


「はあああああああああああッ!!」

「ギャアアウゥゥ!!!」


 刀は二本とも爪の生えていない上腕部にヒットする。しかし、恐竜は驚異的な反応速度で後ろへ跳躍、結局刀は皮膚を浅く裂いただけに終わった。


「ありがとなレッド!!助かったぜ!!」

「問題ない。」

「――ところでアイツはなんなんだよ。」


 ブルーは首の動きで深矩の方を指し示す。


「後で説明する、今は放っておいて。――来るよ。」


 恐竜が再び跳躍、長い爪を左右から振り下ろしながら、ブルーとあさみの両方を狙っていた。その攻撃を短刀だけで受け流そうとしたあさみだったが、受けきれずに弾かれる。弾かれたその衝撃を、移動の際と同じく空中で体をひねることで回転力に変換、地面に転がってダメージを分散させた。


 トンネルの手前、表通り側からその光景を眺めている深矩は、目の前で起きている現象について理解が及ばず、フリーズ状態に陥っていた。学校の時とは違う、俯瞰ではなく同一視点から見る戦い。こんなものに巻き込まれては、ひとたまりもない。


 しかも、敵は一体ではなかった。二回りほどサイズの小さな個体が3匹、計4匹の恐竜たちがそれぞれ別の≪騎士ナイツ≫と戦っているのだ。


(こんなものが、この街で繰り広げられてたっていうのか――!!!)


 深矩の体ががくがくと震え始める。これは、自分が関わって良い次元の話ではないと、ここに来てやっと悟ったのだ。油のような汗が額に浮かぶ。滝のように噴き出たそれにより、背中までしっとりと濡れる。

 このままでは自分自身も否応なしに戦いに巻き込まれる危険があると、深矩は感じていた。ここに来て自分自身の行動は軽率であったと悟る。


 言われた通り、奥菜の存在に気づいても関わらなければよかったのだ。無視すればよかったのだ。


 深矩が奥菜の尾行を始めたとき、ある程度の覚悟を決めたつもりでいたのだろうが、それはただの好奇心が見せた偽りの覚悟。結局、世の不条理に対して噛みつくことしかできない、子供の振る舞いでしかなかった。


 もしくはあさみが戦場へ連れていくと言い出した時、断るべきであった。自分にはそこまでの危険を背負う覚悟はないと、突っぱねて以後関わらないように生きればよかったのだ。


「くそ……っ、なんでだ!逃げ、たい……でも……」


 だが深矩が今苛まれている想い、それは恐怖心と後悔だけではない。こんな状況でさえちっぽけなプライドが顔をのぞかせているのだ。せっかく連れてきてもらった戦場、自分が首を突っ込もうとしていたのはこうなのだと敢えて見せてくれているのに、きちんと見届けなくてはどうするのだ、という感情。逃げ出してしまいたい、けれど最後まで確かめたいという葛藤が深矩を襲う。


「ちくしょう、怖えぇよ。怖い……ッ!」


 こうしてあさみの目論見通り・・・・・、深矩の心は、あっさりと折れた。



 ◇ ◇ ◇



 食事を終えた津野つの 双佳そうかは、次なる目的地に行こうと店を出た。先ほどのはなかなかに良い店であった。次は息子もつれて来よう、などと考えたのか、手帳を開いて店の名前をメモする。


 手帳をバッグへとしまい、公園脇の通りを歩き始めた双佳は、顔を上げると何かの違和感に気づく。きょろきょろとあたりを見回し、その違和感の正体に気づくと、今度は恐怖に顔を青ざめる。


「人が……いない!」


 ここは竜都の中心部、時間はまだ昼過ぎだというのに、人が少ないどころか、“いない”などとあり得るものか。異常を感知した双佳は逃げ出すようにその場を離れる。


 走って、走って、走り続けて、気が付いた時には場所もわからぬ路地裏に迷い込んでいた。


「どうして!?私、駅に向かって走ったはずなのに!!」


 何が起きているのか、双佳にはもはや理解不能であった。それなりに人生経験も積んできた、それなりに修羅場もくぐった。でもこんな体験は初めてだった。


コ コ ハ 危 険 ダ 、 逃 ゲ ナ サ イ ―― 


頭の中でアラームが鳴り響くが、もうそこからどうやったら通りに出られるのかも覚えていなかった。


な ん だ こ れ は 、 な ん な の だ 。


「――ほほぅ、貴様か?何やら妾たちのことを嗅ぎまわっているヤツというのは。」


 子供のような声が聞こえた瞬間、双佳の意識はブラックアウトした。



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