第四話 「母親」 その②
その知らせは、突然だった。そしてその仕打ちは、あんまりだった。
「ちょっ……!?痛い痛いいたい!!きついッ!キツイッ!!」
「はいはいじっとしててねっ」
「奥菜さん、それだと絞めすぎでは?深矩くんの腕、鬱血してますよ」
どこから取り出したのか、パイプ椅子に深矩が麻紐できつく縛られていた。変身状態の奥菜がきつく縛っているために、深矩の腕に紐がぐんぐん食い込んでいる。このままだと腕の先が壊死しかねないので、奥菜はやむなく紐を緩めることにした。
「いやー加減が難しいねっ!」
「そもそもなんで俺、縛られてるんだ!?」
「しょうがないでしょー?≪デオキメラ≫出ちゃったんだから。」
数分前、部屋の中に突然警報音が鳴り響いた。すると事務所のテーブルから光が立ち上り、3Dホログラムでマップが示されたのだ。
通信デバイスPMSにも使われている“プロジェクションビューア”は、あくまでも平面的な画面が空間に映し出されるものだが、このテーブルから立ち上がった映像は、より立体的だった。
実は平面を作り出す方が難しいので、テーブルの方が一昔前の技術ということになるのだが、地形まで把握できる分、敵の出現場所を表示するにはこちらの方が適している。
「≪デオキメラ≫って、あの怪物のことだろ!?そんなにポンポン出るのか!?」
「出るよーどんどん出るよー。だから早く止めに行かないとねっ!」
「奥菜さん、調整はそのくらいに。ボクたちも早く行きますよ。」
らじゃあ、と元気よく返事をした奥菜は、トールと二人、部屋を出て行った。残された深矩は椅子に縛られたまま、身動きが取れない。正確に言えば動けはするのだが、両手両足が結ばれた状態なので自由はない。下手に暴れたりすれば、椅子ごと倒れてしまい危険だろう。
『話は後でね津野くん。私も行くから。』
「八百神さんも?ちょっとまっ――切れた。」
通信相手を失ったPMSタブレットは、光を失ってスリープモードへと移行する。これが通話スリープならば声に反応して再起動するのだが、残念ながら通信は終了しており、本体ごと休止してしまっているようだ。
「うそだろ……」
深矩は一人、呆然とするほかなかった。
一方の≪騎士≫たちは、屋上へ駆けあがると屋根伝いに現場へ急行する。彼らを中心に思考誘導波が発せられているため、人々は屋根の上を見ることは少ない。空を見上げようとしても、“なんとなく嫌な予感がして”目をそむけてしまうのだ。
「このエッグは便利なんだけどさっ、空間転移装置くらい作ってくれないかなっ?」
「あはは、もうすっかり超技術に毒されてますね。このスーツのパワーだけでも十分すごいというのに。」
「それはそうだけど、通信機能くらい付けてもよくない?」
「全く、高望みしすぎです!ちなみに裏技ですけど、ヘッドセット付けたまま変身すると通信はできるんですよ?」
「えー!なにそれっ!知らなかった!」
ピョンピョンと飛び跳ねながら、風よりも早く疾走しながら、しかし舌も噛まずに平然と会話をする二人。簡単そうに見えて、その実ハイレベルの運動神経を要求されているはずなのに、だ。建物の高さは一様ではなく、屋根伝いに進む行為そのものにもかなりの神経を使う。ましてビル群が近づいて来れば、その高低差はかなりのものになってしまう。前後の位置関係、高低、速度、タイミング、全てを見切らねば到底できない芸当なのだ。
「さて、そろそろですかね。割と近い場所で助かりました!」
彼らがやってきたのはリニア路線の高架下、人通りの少ない小道であった。
リニアは通常橋げたが柱で支えられる構造になっているのだが、その場所だけは変わっていて、柱が外からは見えず、まるでとても長い一階建ての建物の上にレールが載っているような構造になっていた。そのためリニア路線の向こう側の景色が見通せない。街を分断する壁、と形容してもよいだろう。
一階部分は飲食店などのテナントが間借りできるスペースだが、入り口はレールを挟んで反対の側。
つまり、表通りから見たとき≪騎士≫のいる位置が裏手となる。
リニアのそばにはハイウェイも通っており、二つの高架が重なって影を落としている。ただ、ハイウェイは表通りの上を通過するように作られているため、裏通りに当たるこちら側には伸びていない。表の方が裏よりも暗く感じる、不思議な場所だ。
竜都の中央部にほど近く、近くに大きな公園やショッピングモールもある場所なのに、一歩道を外れるだけで人の密度が減ってしまう、そんな場所。それは道の構造上、車のドライバーがあまり選択しない場所だからでもある。怪物がこのような場所で発生してくれたのは不幸中の幸いか。
いや、幸いなことなどない。デオキメラが発生するということは、実はイコール犠牲者はゼロではないということなのだ。いくら風の速さで移動できる≪騎士≫でも、到着までに出た犠牲はどうしようもない。毎回一人二人で済んでいるのが奇跡。杜陸高校の事件で多数の被害者が出たのは、≪騎士≫にとっても衝撃的な出来事だったと言える。
今回も、多分に漏れず、惨劇の起きた後であった。
「うわ……っ。これは酷いね。」
奥菜が目にしたのは、一人の男性のバラバラ死体であった。
ただ解体されていたのではない。首は地面に転がり、腕はリニアの路線の高架にぶら下がり、胴体は壁面に叩きつけられて張り付いている。脚は無く、代わりに胴体から先に何かが引きずられたような跡があって、表通りへの連絡通路、高架下のトンネル部分へと続いている。
覗き込むとそこでは、恐竜のような生き物が絶賛お食事中なのであった。
「あの位置、ちょっとまずいですね。表からも見えそうです。」
「おっけ。こっちへ誘導しようかっ」
奥菜がひょいと“恐竜”の前に姿を見せて、わざとらしく「おーい」と声をかける。“恐竜”は奥菜のピンク色の姿が視界に入ると、興味を獲物から奥菜へと移したようで、振り返って彼女を見つめていた。
「やーいやーい、こっちへこいよぉ~」
耳の横で掌をひらひらとさせながら相手を挑発。
そして次の瞬間、怪物はものすごい速度で奥菜のわきを通過して、彼女の背後の建物の壁に激突した。怪物が自ら動いたのではない。表通りから現れた何者かに、思いっきり蹴飛ばされたのだ。
「人間食ってんじゃねぇよ、化け物が!!」
そこには青いアーマーの少年。顔は見えないが肩で息をしているためずいぶん急いで走ってきたと見える。
「あん?どうしたんだ先輩?固まっちゃって。」
ブルーはトンネル部からゆっくり奥菜に歩み寄る。その体は固まってしまってピクリとも動いていない。先ほど怪物を挑発した姿勢のままだ。
「い……いやね、き、きゅうにとととんできた、から、び、びっくりしちゃって」
「もー、しょうがねえなあ先輩は!ほら、気を張ってくれよ!」
そういって笑いながら奥菜のお尻の部分を思い切り叩いた。
「ひゃんっ!?」
驚いて飛び上がる奥菜。ちょっと恥ずかしかったのか、片手でお尻をさすりながらブルーに抗議をする。
「こらっ!ブルー、セクハラだぞっ!」
「いや別にいいじゃんか……。ほら、オレのも触っていいからさ!」
「いや、それ誰得っ!?」
「じゃあ、ボクが代わりに触ってあげましょうか?」
「……てめぇ蹴っ飛ばすぞトオォォル!」
冗談です、とヘコヘコしながら後ずさりするトール。どうやらこのブルーの少年にはかなわない、といった様子である。
そんな三人の目の前で、先ほどの“恐竜”がゆらりと立ち上がった。先刻激突した壁はどうやらマンションの一部のようで、植え込み部分に怪物の血しぶきの跡があった。
振り返り、≪騎士≫をにらみつける怪物。見れば見るほど恐竜にそっくりだ。
それも、すばしっこく動き回るドロマエオサウルス科の恐竜──有名どころではヴェロキラプトルやデイノニクス──を思わせる容姿。
まっすぐにすらりと伸びた硬そうな尾、肉食の鳥類を思わせる長い吻と鋭い目つき。腕や足には鋭い爪が、なんと一つの腕・一つの足だけで10本以上生えていた。つまり、四肢あわせて40を超える爪があることになる。切り裂かれたらひとたまりもないだろう。
サイズは全長5メートルほど。ただしこれは尻尾まで込みの長さなので、体高でいえば2メートル強、といったところ。≪デオキメラ≫としてはかなり小型な部類になる。
「ね、ねえ!なんかおかしいよ!?」
奥菜が、何かに気づいた。“恐竜”の背後、何か丸い物体が揺れているのだ。
「見てっ!植え込みのところ!なんかいる!!」
「あれは……卵でしょうか。壁にぶち当たった時に産み落としたようですね。嫌な予感がします。」
トールの嫌な予感というのは、大抵当たる。他の面子はそれを知っているので、できればトールの口からその台詞を聞きたくはなかった。
「今のうちに、卵を破壊した方が良さそうです!ブルー!親個体の方、行けますか!?」
「もちろんだグリーン!――化け物、オレの、メイスを、食らいやがれ!!」
手にした棒状の装置を振りかぶり、思い切り振り回すと同時に武器を展開。光の粒子がまるで液体か何かのように噴出し、集まってメイスを形成する。
完成したての武器は、まだ仄かに光を残していた。その光が残影のごとく尾を引きながらブルーの攻撃は繰り出される。2度、3度メイスを振り回すも、そのすべては卵にヒットせず、恐竜の爪に阻まれた。
「こいつ、不意打ち以外は効かないのか!?」
かなりのスピードで連撃を放ったはずなのだが、全て見切られた。
「チッ……!しかもボクの進路を塞ぐように立ち回ってます!」
「だったらわたしが卵を撃つッ!!」
刹那、奥菜の殺気を感じたのか恐竜は狙いを奥菜に変えて跳躍、上から爪を突き立てる。奥菜は慌てて銃を変形し、近接モードにてこれを防ぐ。
恐竜は防御された反動を利用して背後へ跳ね、さらに卵の破壊を狙っていた男性陣二人を襲撃した。恐るべき反射神経と俊敏さ、狡猾さである。――間違いなくコイツは苦戦すると、誰もが感じた。
さらに不幸は続く。恐竜の背後、卵のように見えたものから、もう一体の恐竜が現れたのである。卵のサイズは直径1メートルほどしかなかったのに、即座に驚異的な成長スピードでその体を全長2メートル級まで膨らませた。孵化を確認してから、≪騎士≫が改めて武器を構えなおすまでの数秒の間に、だ。
「成長がめちゃくちゃ早いぞ!」
「何こいつ、増えるなんて聞いてないしっ!?」
驚愕。思っていたよりも厄介な敵、そして、戦慄。≪仮面の騎士≫結成以来の大ピンチの足音は、もうすぐそばまで来ていたのだ。
ひたっ……。
静かな、しかし確実に何かの気配を感じ、グリーンが振り返る。するとそこには、恐竜が2匹、人間の女性をくわえて立っていたのである。サイズは2メートル級、卵からかえった幼竜と同じサイズだ。
「こいつ――ッ!!卵を、そこら中に産んでやがったのか!!!!!」
騎士は3人、敵は4体。数の上の有利すらも消えた、最悪の状況の到来であった。
◇ ◇ ◇
結論から言えば、ミッドガルデ本社でのインタビューは何の身にもならなかった。
何も知らない、の一点張りなのである。それが何かを隠しているようなそぶりなら記者の勘が働いて何かを追及できたかもしれないが、まことクリーンな印象だけを植え付けられた。
「いやー、当初ね、わが社にも問い合わせが多かったんですよ。
怪物って聞いて、なぜかミッドガルデの研究施設が頭に浮かんだ人が多いようでして。」
双佳のインタビューに答えた開発局長は、苦笑いしながら頬をかく。そのしぐさが息子のクセに似ていて、双佳はなぜかむっとしたのだが、インタビューの内容には関係がないため気を取り直して質問に移る。
「それで、どのような対応を?」
「まず、なぜそう思ったのかを相手の方にしっかり確認しました。
すると、多くの方が“製薬会社なのだから、怪しい実験をしていてもおかしくない”っておっしゃるんですよね。」
「そういった極秘の研究はしていないと?」
「いや、してますよ。企業ですから、利益を追求するのは当然です。動物実験なんかも当然行いますね。」
実にあっけらかんと、そう言った。
「ただ、ラットやマウス、アホロートルなど小動物が中心で、サルに薬品を試す際も薬効がほぼ認められてから手続きを踏んで行います。なので特にやましいことはないですし、隠すことでもないのですよ。」
「なるほど。その説明で、お客さんには納得してもらえたのですか?」
「納得していただけたかどうかはわかりません。ただ、ご理解はいただけていると思います。」
――こんな調子で、人の良さそうな開発局長は淡々と質問に答えていったのだ。そこに裏の意図など微塵も感じさせない、そんな応答であった。もし彼が裏で事件の意図をひいているのだとすれば、それは相当な役者である。記者である双佳の経験と勘が、彼はシロだと告げていた。
(少なくとも、彼はね。)
たった一人のインタビューだけで全てを決めつけるほど、双佳は愚かではない。記事を書くにあたっては綿密な裏付け調査が必要で、そのためには何か月もかけることがザラにある。
多くの時間を割いた結果、何も疑うところがない、となった経験も過去にあった。それならそれでよいのである。一応記事にはなるし、今度は違うベクトルから事件を探るだけだ。
(今度は同じ製薬部門のOBにでもアポを取ってみるか。それとも、別の切り口を探す……?)
ミッドガルデ本社ビルの入口前、白い人工大理石のタイルを張られた階段を歩きながら、双佳は手帳をめくった。今日は午後から警察関係者への取材も控えている。そろそろ昼食にしようか、と手ごろな喫茶店を探して歩き始めた。
正午の竜都は相変わらずの曇り空。
本格的に雨が降り出すことは結局なく、降ってはすぐ止んでの繰り返し。今は、風が吹くと遠くから運ばれてきたであろう雨粒が少し混じる程度である。こういう雨が双佳の最も嫌うところではあるのだが、曇り空とはいえ昼近くになって多少気温が上がってきたのか、朝ほどの不快感はない。むしろ少しの移動のために傘をさす方が面倒なので、これはこれでありがたかった。願わくば晴れ間が欲しいところだが、それは贅沢だろう。
ミッドガルデ本社付近は研究施設かオフィスビルが多く立ち並んでいる。少し通りから外れれば、昼時のサラリーマン御用達のチェーン店が多く見られる。が、双佳はできるだけ落ち着いた店が良いと考え、少し足を延ばしてリニアの駅の裏へと回ることにした。
駅裏は、表とは異なりオフィスビルが少ない。代わりに商業私鉄が多く並ぶのだが、一画に大きな公園があり、周囲は比較的静かな雰囲気になっているのだ。
「いらっしゃいませ」
カラン、と扉を開けると、そこは小洒落た内装の喫茶店だった。
夜はバーをやっているらしく、カウンター上にはワインやシャンパンのボトルが、また、多くのグラスも逆さに並んでいた。間接照明の薄暗い店内にはポップミュージックをジャズアレンジしたBGM。双佳の好む空間であった。
特にカウンターに座ることもなく、奥のボックス席に腰掛ける。ウエイトレスの女性がメニューと水を持ってくると、双佳は特に何も考えることなく一番上の「おすすめランチ」を注文した。
「お飲み物は何になさいますか?」
「コーヒーを。ブラックで構わないから。」
「かしこまりました。」
やはりコーヒーはブラックに限る。あの深いコクを砂糖でかき消してしまうのはナンセンスだ。
息子の深矩もブラック派だが、奴はただの格好つけだと双佳は考えている。あんな飲み始めの、コーヒーの旨味も渋味もわからないような子供にブラックの良さがわかってたまるか、と内心では思っている。
先に運ばれてきたコーヒーを少し口に含みながら、手帳を開いて今日の話を整理する。
今後誰と話をするか。どのように記事を書くか。できれば杜陸高校の生徒にも話を聞いてみたいのだが、他の大手マスコミからの取材に疲れ切っている子供たちに、思い出したくもない話をするのは忍びない。もう少し落ち着いてからの方が良いだろう、と考えるが、話をすること自体は避けられないとも思っている。
――双佳は、冷静な人物だった。息子もその一端を受け継いでいるのだが、まだ経験が足りない。母親である彼女の踏んできた場数、積んできたキャリアに比べれば、たかが16才。何ができよう。
気が付けば息子のことに気が回っていることに彼女自身が気づき、ふふっと口が緩んだ。
(親バカだなぁ……)
夫を亡くしてから10年、もう少しで11年になる。女手一つで息子を育て上げた彼女の、深い愛情。今回の記事もきっと、息子がかかわっているからこそここまで真剣になれるのだろう。
「―――?」
ふと、視界の端に白い影が見えた気がして、双佳はカウンターの方を見る。しかしそこには何もなく、ただ店のスタッフが調理をしている姿がカウンター越しに見えるだけだった。気のせいか、と視線を落とす。
「サラダでございます。」
前菜がやってきたので、双佳は手帳を閉じてフォークに手を伸ばす。そのころにはもう、白い影のことなどすっかり忘れていた。
メインキャラクターの名前とか、街の名前には共通のモデルがあります。
また、竜都自体は東海地方の都市のどこかをイメージしてます。
一つの街ではなく、いろいろな街のミックスですね。




