第五室 作家さんと幸せの言葉
黒原さんsideなので今回は短いです。
頭がボーっとしていてまるで熱に浮かされているみたいな、夢見心地なような。おかしいよね、まだ春なのに夏のような暑さを感じるの。
「さて、黒原さん着いたよ」
唐突な彼の声に現実へと引き戻される。まるで心ここにあらずだったつい私は驚いてしまった。視線と傘を上にあげれば黒い髪の青年がこちらに静かな顔を向けている。その瞳には侮蔑の色は無く、ただただ柔らかいブラウンの瞳が私の姿を映す。
まるで夢の中を見るような道すがらの果てに、目の前には『一服軒』掘り込まれた看板が掛けられた喫茶店があった。
永遠に続かのように思われた道だったけど、あっさり着いてしまったことに思わず呟きが、ため息のように零れてしまう。
カランコロン
私の呟きが聞こえたかそうでないかは分からないけど、彼はまるで何時も通っている店のようにそのドアを手にかけ開く。店から微かに漏れ出してくるのは、染みついたコーヒーの香りと木漏れ日の様なアコーティックギターの音色。そして、私たちを出迎えるのは・・・
「いらっしゃいませ」
イートインコートと白髪交じりの黒髪がよく似合う、男性にも物怖じせず仕事をこなす渋い壮年の女性だった。
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目の前の男性・・・逆水さんはコーヒーを啜りながら、イチゴのタルトをフォークで切り分けて食べる。ただそれだけなのにとても様になるのは男性だからだろうか?私は心のメモに彼の仕草を書き記し、自分もチョコレートケーキを頬張る。しっかりとした、けれど諄くないカカオの苦みが良いアクセントになっていて、ついついコーヒーに手を伸ばしてしまう。何でもない午後のティータイムに私は幸福に満ちる。何故だろうか?男性と・・・いや、逆水さんとだから?
けれどこの疑問よりも先に、この幸せを感じるたびに、私は思う。彼は無理してないだろうか、こんな醜い欲望だらけの私と一緒にいて辛くはないのか?と。彼の優しい瞳を見るとこの疑問も薄れるが、そう思わずにはいられない。
私の汚い場所を見て、彼は無理をしてい・・・
コトリ
ティーカップを置いた逆水さんは不安に揺れる私の瞳を捕える。しかし、私は・・・罪悪感で目をそらした。
「俺は、黒原さんと一緒にお茶をするのはとても楽しいですよ」
心の中を覗かれた気分になり、彼に視線を合わせる。その瞳には欺きや嘲笑の色は無く、ただ純粋に私の目を映す。無理している様子は無く、自然な微笑が私の目に映る。
「私・・・は・・・」
「そりゃ、人間誰しも欲望を持って当たり前ですよ」
「当たり・・・まえ?」
「俺だって人並みに欲はあります。人様に迷惑をかけないんだったらその欲は掃き出しても良いと思うんです」
けど、私はあなたに不快な思いをさせた・・・
「だって・・・私・・・あなたに迷惑を・・・」
「俺はそうは思ってませんよ」
「え・・・」
「寧ろ、黒原さんの意外な一面が見れたと思っています」
言葉を口に出し、笑顔を向ける逆水さん。その言葉は本心からだと出た言葉だと理解したと同時に顔が熱くなる。けれど、次の彼の言葉で驚かされる。
「そして、分かりました・・・黒原さんがスランプの訳が」
「えっ・・・」
「確かに表現は豊かですし、読んでいてとても面白い。ですが、殻に籠っています」
「殻・・・」
その言葉にピンと来ない私は彼の次の言葉を待つ。
「綺麗な物語や表現で、自分に対して取り繕っている。だから黒原さんは自分で納得いかなかったのではないですか?」
「それ・・・は・・・」
「もっと、自分を出してもいいんです。自分の書きたいことやりたいことをもっと表に出しましょう」
そうかもしれない。私は、読者の反応、編集部の反応、そして何より私自身の印象を気にして殻を被っていたのかもしれない。だから納得いかなかったんだ、だから私の中の本心が叫んでいたんだ。もっと自分自身を曝け出していい、逆水さんの言葉に私の背中は優しくけれど力強く押された気がした。でも、その前に、少し不安がある。それは・・・
「私の・・・書きたい事を書いた小説を・・・読んで・・・くれますか?」
目の前の読者がきちんと読んでくれるだろうか・・・?
けれど、この人だから帰ってくる言葉はきっと決まっていると思う。
「ああ、楽しみにしているよ」
ああ、やっぱりね。でもね、例え予想していたとしても、この言葉だけで、たとえ逆水さんでなくても読者のこの言葉だけで。
私は小説を書いていて一番、幸せなんだ。今さら・・・そんな事に気が付いたんだ。
短すぎたので、前回の話と合体させようかと思いましたが大事な場面ですので、短いですが投稿しました。その分、次回更新は早くなると思います。
次回、第四荘のエピローグ。そして倉庫を挟みまして第五荘に移りたいと思います。




