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八国巡  作者: 微睡沢泥眠
9/17

奥州「占術の国」-居合山 対烏蛇

降り注ぐ蛇の急襲から脱した二人は、襲われた山中より北に3㎞ほど進んだ深い森の中で声を潜めていた。

「動かないで」

「痛ッ!」

肉が噛み千切られた感覚がする。噛みついた1匹の蛇の牙は浅かった為、すぐにその場で取り外せたが、もう1匹の牙は深く刺さっており、仕方なく噛みつかせたまま兎良と語裏は逃げてきたのだ。

そのもう一匹の顎を開いて慎重に語裏の背中から取り除いた兎良は、そのまま蛇の頭部を踏み潰した。

「ごめんね……。きっとこいつの飼い主、私を追ってきた奴だ」

――ごめん。私のせいで。兎良は俯き、自身の失態と慢心を悔いた。

「気にするな。それよりお前は怪我してないのか?」

「何? 自分より他人の心配? つくづくお気楽な奴ね。私は大丈夫。あんた、ちょっと背中見せて」

そう言って兎良は語裏の背後へ回り込み、着物を脱がせて傷口を確認した。

傷口は全部で三つ見えた。二つは浅く噛んだ蛇の上顎とした下顎の傷。そしてもう一つの傷は深く牙を刺した蛇がそのまま肉を抉った後だ。

「酷い……」

「どうなってる?」

兎良は一度、傷口の状況をそのまま伝えることを躊躇ったが、隠していてもしょうがないのでそのまま伝えることにした。

「一つは軽傷。もう一つはごっそり肉が抉られてるわ」

「肉が……。そ、そうか。蛇の顎ってそんなに強靭なんだな、知らなかったよ」

語裏は無理に笑って見せたが、兎良はにこりともせず、あいつの蛇だからね。と呟いた。

「そういえばちょっと身体が痺れてきたな」

「きっと一匹目の浅かった方の蛇の毒ね。二匹目の蛇の毒は回る前に付近の肉をそのまま噛み千切られているから、毒が上手く機能してないみたい」

「エグイことを言うな」

「待ってて」

そう言うと兎良は懐から朱色の木の実を取り出し、口に含んで租借を始めた。

「何やってるんだ?」

首だけ振り返った語裏が尋ねる。

「これは毒消しの実よ。ここまで逃げてくる途中に生えてたから摘み取ってきたの」

兎良は口の中で毒消しの実をもごもごと咀嚼しながら言った。

――いつの間に。語裏はその手際の良さに感服する。

「ホラ、前向いて」

言われた通りに前を向く語裏。すると語裏の背中に生温い感覚が走った。

「ぺっ!」

「おま、何を」

兎良は噛み砕いた木の実と自身の唾液を口内で混ぜ、傷が深い方へと吹き付けた。

「消毒よ。肉を抉られたとはいえ、まだこっちにも微量な毒が残っていた筈だから」

そう言うと兎良は有無を言わさず、今度は傷が浅い方へとしゃぶりついた。

「え、えー―!?」

じゅる、じゅる、じゅるる。と深い森とは不釣り合いに蠱惑的な音が響く。

「う、うううう兎良さん!? 何やってるんですか?」

困惑する語裏を尻目に、兎良は語裏の背中の傷から吸い出した血を勢いよく吐いた。

「黙ってて。――わ、私だってこんなことを好きでやってるわけじゃないんだから!」

再び毒消しの実を口に含み、租借してから、今度は舌で傷口を嘗め回し始めた。

少女特有の柔らかな唇が背に触れ、艶めかしく動く舌の感覚が敏感な背中を責める。

語裏はこれが応急処置の救護活動と分かっていてが、背中に伝わる少女の接吻に場違いな感情を抱き、赤面した。

「ちゅるー―、じゅる――じゅる。……と、よし。これで最悪の事態にはならないと思うわ」

「さ、最悪の事態って……?」

「アンタがこの蛇の毒で死ぬこと」

「そんなに猛毒なのか?!」

「ええ。私も何度か食らったことがあるけれど、治療が遅れる度に三途の川を見たわ」

ホラ。と兎良は自身の着物を捲り上げ、白い太ももにある二つの傷跡を語裏に見せた。だが語裏はその傷跡に一瞥くれると、すぐに目を逸らしてしまった。無理もない。今の語裏は背中をしゃぶられ、何とも言えない感情を催していたのだ。そこに来て少女の白く伸びる脚は少しばかり刺激が強すぎた。

「お前、よくそんな毒が回ってたのにここまで逃げてこられたな」

「どこ向いて喋ってんのよ。それに、これは逃げる途中に付けられた傷跡じゃないわ」

「は? じゃあいつ付けられたんだよ」

「これはまだ私が烏郷の衆に属していた時、あいつに悪戯で付けられたものよ」

「悪戯って――、一歩間違えれば死ぬほどの毒なんだろ!? と言うか、そいつお前の上役だろ?! 何考えてるんだ」

「しっ!」

兎良は興奮した語裏の口を手で塞いだ。

「馬鹿! 大きな声出さないでよ。見つかったらどうするの」

「ごめん……。でも、そいつどうゆう神経してるんだよ。自分の部下に普通そんなことするか?」

「別に。私たちの中ではこれくらいのこと、日常茶飯事よ。まあ、アンタたちには理解できない世界でしょうね。常人の感覚なら、忍なんてやっていられない」

語裏は言葉が出なかった。今、目の前にいる自分よりも4つも5つも年下の少女は、この世に生を受けてから、きっと自分には到底分からないような苦労を背負ってきたに違いない。上司に日常的に『悪戯』で殺されかける職場。そんな常軌を逸した光景に語裏は得体の知れない熱い憤慨を覚えた。

だがそれと同時にこの少女もまた、常人の感覚も微少ながら持ち合わせているのだと感じた。何故なら、『忍なんてやってられない』と言った少女の目はどこか儚げで、まるで自身にそう言い聞かせているように思えたからだ。語裏は少女、兎良の中に潜む、ある種の諦観と悲壮感を垣間見た気が下。

「……でもおかしいな」

「何がおかしいのよ?」

「昨日、兎良にも話したろ? この居合山に張られた結界の事を」

「確かそれのお陰で外敵がこないから安全。って話だったわね。……ああ、確かに普通に這入られちゃってるね」

「いや、別にこの山に入ること自体はカンタンなんだ」

「カンタン?」

語裏は結界が張られたこの居合山には、得物を持った人間は這入ることが出来ない筈だと言うことを兎良に伝えた。

「なるほど。つまりアンタが言いたいのは、どうして武器を持った私の元上役が、この山に這入れたのかってことね」

「うん」

「それこそカンタンよ。きっとあいつは丸腰でこの山に侵入した。そして山に這入ってから、得物を調達したの」

「どういうことだ?」

兎良は視線を下方に預けた。語裏もそれに倣って兎良の視線を辿る。そこには先ほど兎良が踏み潰した蛇の死骸があった。

「もしかして、こいつ?」

「そう。この山には野犬や兎、狼に熊だっている。そして勿論、蛇もね。言わなかったけど、さっきお師匠さんと屋敷の中で話してた時、お師匠さんが蛇を一匹仕留めたの。きっとそいつも、こいつと同じ主に操られていたのね」

「でも蛇を、しかもここまで獰猛にして操るなんてそんなこと……」

「出来るのよ。私が知っている烏郷の衆八羽の一人、烏蛇なら――」

その瞬間。二人へ数匹の蛇が藪の中から襲い掛かった。

だが今度は兎良がいち早く気が付いた為、手負いの語裏を抱えての回避に成功した。

「――うっ!」

しかし語裏を抱えて飛んだ為、兎良はバランスを崩し、着地に失敗する。二人はほぼ転ぶような形で地面に落ちた。

兎良は地面にぶつけた頭を摩りながら、顔だけ上げた。

――そしてばっちりと目があってしまった。

忍法『蛇睨み』の使い手、烏郷の衆八羽の一人、烏蛇と。

「いやあ、探しましたよ。まさか貴方如きにこの私が偽物を掴まされるとはね。全く、手間を掛けさせますね」

――身体が動かない。最悪だ。

兎良は眼前に立つ長身の男。烏蛇の腰に目をやった。そこにはいつも至極大切そうに帯刀されている長刀『抜殻ぬけがら』が無かった。どうやら語裏が言った結界の効果というのは本物らしい。

「兎良、こいつが……?」

隣で自分と同じく地面に頭をぶつけ、立ち上がろうとする語裏が聞いてきた。

――どうやら語裏は蛇睨みに掛かってはいないようだ。

「そうよ。……語裏。こいつの目を見ちゃダメ。こいつは視線を合わせた相手の動きを封じる忍法『蛇睨み』の使い手。私を追ってわざわざ奥州まで来た八羽の一人、『長蛇ちょうだの烏蛇』」

「別に貴方を追ってきたわけではありません。『しとね』を追ってきたのです。貴方を追う形になったのは結果的にそうなってしまったというだけのこと。……っと、これは失礼。そこの青年にまずは挨拶をば。私は天山朝廷直轄忍衆、烏郷の衆は幹部八羽が一人、『長蛇の烏蛇』です。以後、お見知りおきを」

「えっ、あっ、どうも。語裏って言います」

語裏は立ち上がり、姿勢を正して正面の烏蛇へお辞儀をした。

「馬鹿! 何律儀に挨拶してるのよ」

「フハハハハ! 結構、礼儀正しいことは美徳ですからね。出来ればその礼節さを、そこの小娘に教えてあげて欲しいものです。まあ最も、今最も教わるべきことは地獄への道筋でしょうが」

兎良の身体は依然として動かない。不幸にも今回は毒煙玉も所持していないので、先刻のように脱出を試みることが出来なかった。それにもし、毒煙玉があったとしても、毒煙玉の毒で痺れた身体のまま、語裏を背負って逃げることなど不可能だ。何よりあの時は事前に毒煙玉の解毒薬を口に含んでいたから出来た脱出方法なので、今、同じ手を使うことは出来ない。

最悪だ――。

兎良は状況を打破する方法を考えた。

「――語裏。アンタ、流石にもう動けるでしょ? 早くお師匠さんのところへ行って」

「お前はどうすんだ?」

「私は大丈夫。例えこいつに捕まったとしてもまた逃げ出して見せるから。元はと言えば私がアンタたちを巻き込んじゃったのが悪かったのよ。さ、早く行って」

「一人じゃ逃げねーぞ」

何馬鹿な事言ってるの。そう言いかけて、兎良は辞めた。隣に立つ語裏の横顔から、何を言っても無駄であるということを察したからだ。

「……そうだ! アンタ、呪術は!? 『醒奪の術』だっけ? あれ使ってあいつを眠らせてよ。出来るでしょ? いや『醒奪の術』じゃなくても良いわ。だってあれって私に見せるためにやった比較的軽めな術なんでしょ!? じゃあもっと凄くて強力な呪術でいいから、あいつやっつけちゃってよ!」

その問いかけに対し、語裏は固まってしまった。

「――きないんだ」

「は?」

兎良には語裏の言葉が上手く聞き取れなかった。

「出来ないんだ。呪術」

否、聞こえてはいたが耳を疑ったていた。

「で、出来ないって――。アンタ、現に私に術を掛けたじゃない? あれは何だったの!?」

「本当はあの時、兎良には『醒奪の術』なんて掛けちゃいない。お前はあの時、俺の術の発動が遅すぎて、退屈で寝てしまっただけだ」

「マジかよ」

兎良は自身が一瞬でも語裏にときめいてしまったことを大いに悔いた。

「そ、それでもアンタ、あの北王、今又允康の息子でしょ? 何か他にあるんじゃないの?」

「ほう。どこかで見た顔だと思ったら、貴方はあの允康公の倅でしたか。そういえば面影がある」

「しまった!」

兎良は自分の失言を悔いた。本人が自分にすら隠したがっていた出生を何も進んで敵方に教えてしまったのだ。

「アンタ、親父を知ってるのか」

一方、正体が露呈した語裏は意に介さず、烏蛇の目を見ぬよう、慎重に聞いた。

「貴方のお父様とは先の大戦の際に一度手合わせしてね。いやあ強かった。当時の私などまだ八羽になって間もなかったから、到底太刀打ちなど出来ませんでした。……惨めでしたよ。数百の手勢を率いていたのにも関わらず、貴方のお父様一人によって部隊は壊滅。無残に敗走したあの時の屈辱は今でも忘れません。……ふふ、しかしこれも何かの巡り合わせ。50年経った現代で、その仇敵の息子を殺す機会が出来るとはね」

「アンタ、結構若く見えるけど、一体いくつなんだ? 見たところ30代半ばって面構えだが」

「おや。知らないのですが。蛇は輪廻転生――、不老不死の象徴ですよ? 私はある時より老いず、劣らず、死なない身体の持ち主なのです」

死なないって――。語裏は言葉を詰まらせる。もしそれは本当だとしたら、兎良が言った『絶対に倒せない』という言葉の意味が大きく違ってくる。

「忍法『輪回脱皮りんかいだっぴ』よ」

兎良が呟く。

「輪回脱皮?」

「殺した人間の臓器を食らうことで、自身の内部に魂を備蓄することが出来る。禁忌の忍術」

「そんな術があるのか!?」

それはもう忍術の域を超えた神術や呪術といった類だ。語裏は言葉にこそ出さなかったものの、眼前に聳え立つ烏蛇にある種の畏怖の念を抱いた。

「ククク……その通り、ちなみに私は先ほど、貴方のお父様に『手勢が全滅させられた』と言いましたが、無論、私自身もその時に八回ほど殺されています」

「じゃあ。アンタはもうその時から『輪回脱皮』とやらを使えていたってことかよ。いやそもそも、敵は親父一人だったんだろ? ならどこから命の調達を……、まさか!」

「そう。そのまさかですよ」

烏蛇はにやりと笑う。

「私は部隊の半数がやられてしまった壊滅後、撤退を命じました。その際、幾人かの兵を殺して食らい、『輪回脱皮』を発動させた……くく、くはは、クハハハハハ!」

高笑いをする烏蛇に向かって兎良は侮蔑の眼差しを送り、下衆が。と呟いた。

「狂ってる。お前は仲間を殺すことに何の抵抗を覚えないのか!」

語裏は手を握りしめ、青筋を立てて烏蛇に向かって言い放った。

「仲間? ……ああ、兵の事ですか。まあそれは考え方というか優先順位の相違でしょう。私は客観的判断を降した。私には、このまま全員で逃げていてもいずれは追いつかれ、私も含めた部隊は全滅させられてしまうオチが見えていた。だから私はあの現場で当時、最も烏郷の衆へ貢献できる強力な戦力、即ち、私自らの救済に尽力した。貴方にとって理想の上官というのは、自身の犠牲を払ってでも部下を守るべき人物。という認識らしいが、私は違う。私はそうは思わない。そんな美徳を追い求めた思考回路では軍隊――、基、忍などやっていられない。きっと、私に食われた数十人の兵も同じ考えだったはずです」

「だからって、自分が助かるために他人を犠牲にすることに何の抵抗もないのかよ! 何の感情もないのかよ! 何の罪悪感も湧かないのかよ!」

そんな語裏の熱い言葉に対して烏蛇は首を傾げ、心底不思議そうな顔をして、何も。と答えた。

「何も感じませんねぇ。使える物が生き残り、使えない物が殺される。実に単純明快な自然の摂理じゃあないですか。では例えば貴方は天道虫が油虫を食らう姿を見て何か感じますか? 感じませんよね。食物連鎖を見て食らわれる側に感情移入することなどまずない。何故ならそれが自然の摂理であって、必然だからです」

「虫の捕食と人の生き死にを同列に語るんじゃねえ」

「おやおや。私と共に来たもう一人の八羽が聞いたら、憤慨しそうなセリフですね」

烏蛇は含みのある笑みをこぼした。

「もう一人の八羽って……まさか、あいつが来ているの?」

兎良が烏蛇に向かって問う。

「あいつ?」

語裏は話の流れが読めず、眉を歪ませて兎良と烏蛇の方を交互に見た。

「ええ。来ていますよ。貴方の兄弟子とも言えるあいつがね。何、心配せずとも貴方たちを殺すのは私の役目ですから、何の心配も要りませんよ。今はきっと萌堂法衣の足止めをしてくれている筈です。ひょっとしたら、足止めどころかトドメまでさしてしまっているかもしれませんが……」

「そんな、あいつが来ているとしたらお師匠さんが危ない……。ねえ! 語裏! 私のことはもういいから! こいつは私と私の持つ褥が目的なんだから、アンタはもういいよ! 早くお師匠さんのところに行ってこの山を出て! お願い!」

あいつ。兎良の想像するかつての兄弟子がこの山に来ているとなれば、萌堂法衣はただでは済まない。そうなる前に――。彼女は改めて語裏に懇願した。

だが兎良の願いに対して語裏は首を振る。

「さっきも言ったろ。俺は逃げない」

「ククク、結構。では大人しく私の餌食になりなさい!」

その時、半壊した瓢箪を背負った手負いの少年が烏蛇の隣に現れた。

「蛇さん。撤退です」

「何……!? お前、どうしたんだその傷は?」

右腕は有り得ない方向に曲がっており、腹部からは多量の出血。左腿の肉は抉られて骨が見えている。左腕に関しては肘から先が無かった。少年は常人ならば立っているのがやっとと言うほどの傷を負っていた。

少年の口から血反吐が飛び散る。

「あの、元日本四天王。流石は絶対剣客といったところですか。萌堂法衣。化物染みている」

「分かった。お前がそこまでやられたのだ。ここは大人しく撤退しよう。しかし萌堂め。婆になったとはいえ、その実力は衰え知らずというわけですか。しかし相手は得物は何も持っていなかったのだろう? 何故そんな相手にお前がここまで――」

「薪です」

何? と烏蛇。

「僕をここまで追い詰めたのは、ただの薪一本です」

「……馬鹿な!? お前とて腐っても八羽の一人なのだぞ? そのお前をここまで追い詰めた得物が薪一本だというのか!?」

「信じられない……」

驚嘆していたのは烏蛇だけでない。烏蛇の隣に立つ瓢箪の少年。その実力を知っている兎良もまた驚愕の表情をしていた。

「兎良。久しぶりだな。感動の再開を分かち合いところだが、すまない。今はお前と昔話と洒落込んでいる暇は無さそうだ」

「だ、誰がアンタなんかと」

「ふふ、相変わらず可愛くないね。まあいい。兎に角蛇さん。ここは一度撤退しましょう。この山には萌堂が居る限り、今の私たちに勝ち目はありません」

「口惜しいですが、分かりました。しかし萌堂の足止めはしてきたのでしょう?」

「……? はい。僕の親愛なる部下たちに足止めはさせていますが、もって30分といったところでしょうか。逃げるには十分な時間かと」

「よろしい。でしたらお前は先に撤退なさい。その傷では私の足手まといになる」

「先に? ……蛇さんは何を?」

「私はこいつらを仕留めて、褥を奪い返してからお前と合流します」

「蛇さん! そんなことをしてたら!」

「うるさい! このまま郷に帰った日には面目が立ちません! それに見なさい、今、兎良は私の蛇睨みで身動きが取れない。立っているのは今又允康公の倅、呪術の使えない出来損ないだけだ」

語裏の表情が歪む。

「この機を逃し、兎良にこの山に引き篭まれた日には、それこそ褥を奪い返す機会が無くなる!」

烏蛇の剣幕に少年は黙って頷いた。

「分かりました。では、くれぐれも制限時間を過ぎないよう、ご留意ください」

そう言って瓢箪の少年は、音もなく姿を消した。

「……さて。というわけで、お喋りの時間はここまでです。語裏君、と言ったかな? 私の邪魔をすると言うのならば、悪いが君にはここで死んでもらいます――!」

足元の雑草を勢いよく蹴った烏蛇が一気に間合いを詰めてくる。おおよそ人の視覚では認知出来ないほどの速さだったが、語裏はその高速移動を寸でのところで回避した。

烏蛇はその勢いのまま語裏の避けた後方にある樹木に突撃する。

「あぶねぇ!」

バリッ、と何かが割れるような音がした。語裏が振り返ると、そこにはあったはずの樹木が音を立てて崩れていた。

「運がいいですね」

樹木を切り落とした正体。それは烏蛇の口から飛び出た一本の得物だった。

「そんな……! あれは『抜殻』!? この山に得物は持ち込めない筈じゃ……」

烏蛇は、口から飛び出た刀の切っ先をつまみ、引きづりだした。烏蛇の体内から一気に一本の長刀が現れる。その長刀を右手に携え、長い舌をぺろりと回した。

「ええ、確かに抜殻を帯刀したままではこの山には這入れませんでした。ですから、呑み込んできたのです。抜殻を得物としてではなく、結界に食物として認知させた」

続いて烏蛇は口から長い鞘を吐き出し、左手にとって地面に放り投げた。

「ほー、そんな抜け道があったのか」

「感心している場合じゃないでしょ!」

兎良が語裏を叱責する。

烏蛇は抜殻を上段に構えた。

「ククク、その通り。感心するのはあの世に行ってからになさいー―!」

烏蛇が飛び跳ね、抜殻の刀身が語裏目掛けて振りかざされる。だが語裏は寸でのところで切っ先をかわし、身体を捻らせて烏蛇と間合いを取った。

「ぬう……一度ならずとも二度までも。運のいい奴だ。だが次でお終いです!」

しかし――。当たらない。語裏はその刀身の軌跡を完全に読み、全てかわす。

「嘘……」

兎良は心底驚いたような表情をしていた。

「そんな――。何故だ! 何故当たらない!」

烏蛇の振るう抜殻の刀身は虚空ばかりを切り裂いていく。肝心の語裏には皮膚どころか着物にすら届かない。

「カンタンなことだ」

「何?」

語裏は後方に飛び跳ね、一気に抜殻から距離を取った。

「アンタは忍法『輪回脱皮』やら『蛇睨み』やら、奇妙な術を使う専門家らしいが、その腕前を見る限り刀に至っては素人に毛が生えたようなもんだ」

烏蛇の表情は曇る。兎良は剣術の腕に至っては烏蛇が八羽の中でも『烏鮫』に次いで一、二位を争う腕であったことを思い出していた。その烏蛇を眼前に語裏は、毛が生えた程度。と言い放ったのだ。

「次にその長刀だが、確かに攻撃範囲が広く有利に見えるが、それを扱うアンタの腕に問題がる」

「何だと貴様! 言わせておけば――」

「あ、いや。これは腕前に問題があるとかそういう意味ではなく、まあ決して腕前が良いとは言い切れないんだが……。どうしたってそんな長刀を使えば、短刀に比べて使う筋肉量が多くなる。刀身の重さは勿論、空気抵抗や柄、鍔の重さもだ。だからそんな重い刀を使えば自ずと振るう腕の筋肉の動きが見えちまう。あとはその腕の筋肉に注視して、刀身の長さを計算しながら避けていれば、アンタご自慢の抜殻に俺の肉体が抉られることはまず無いってことだ」

「筋肉の動きを……!?」

「すごい――!」

烏蛇は一旦距離を取って構えを解いた。

「なるほど、なるほどねえ」

笑みを浮かべる烏蛇。

「伊達に萌堂法衣の下で暮らしているわけではないようですね」

「付け加えるなら、俺はアンタの腕を初めとする肉体の動きに注目しているから、アンタの目を見ることはない。だから『蛇睨み』とかいうふざけた術に掛かる心配もないんだ」

「蛇睨みが使えず、かつ抜殻も無効化される。まさに私にとって天敵というわけですか。だが——」

烏蛇が固まったまま身動きが取れない兎良に向かって猛進する。

「避けているだけでは、この娘を助けることは出来ないでしょう!」

「……っ!」

抜殻が兎良に向かって振り下ろされた。













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