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八国巡  作者: 微睡沢泥眠
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奥州「占術の国」-萌堂屋敷-肆

翌朝。

「おはよう、お師匠さん」

「おはよう、兎良ちゃん」

午前8時。居合山の一日はいつも通り始まった。ただ1つ、迷い混んだ兎良という存在を除いてーー。


庭の草花には蜜を吸いに来た蝶や蜂が飛び交っていた。

「お師匠さん。語裏はどうしたの?」

顔を洗った兎良は手拭いで顔を拭きながら法衣に訪ねた。

「あいつは修行中だよ。語裏のことが気になるのかい?」

法衣は離れから薪を持ち出し、屋敷の台所へ運ぼうとしているところだった。

「……いや、別に。でもあいつがどんな仙術を使うのかは気になるわね。あ、手伝うわ」

「おや。ありがとう。兎良ちゃん」

「で、あいつ。語裏ってあんなんでも今又允康公の息子なんでしょ? 奥州を統べる今又氏の術がどんなものなのかは、一度見ておきたいってのはあるわ」

「おう。兎良ちゃん、あいつの出自を聞いたのかい。だが残念。あいつが行っている修行は仙術の修行なんかじゃない。ましてや占術でも呪術でも神術でも、剣術でも武術でもない」

「えっ、じゃああいつの修行って一体何なの? 腐っても父親は名高い仙術使い。にも関わらず行っている修行が仙術でないって、じゃあ何なの?」

「フフ、それを話すにはまず語裏が私の元を訪れた15年前のこと――、居合山の門扉を叩いた時分から……いや、50年前の第二次天内戦争の直後のことから語るべきなのかもねぇ」


昨日三人の男女が鍋を囲んだ囲炉裏には、現在抜け忍の少女。出自不明、年齢不詳の兎良が座っていた。

その対面にはかつての日本四天王。萌堂法衣があぐらを掻いて煙草を蒸しながら座っている。

「度重なる激甚災害とそれに伴う国内朝廷の暴政に端を発した第二次天内戦争が終結した後、どちらかと言うと敗残した天山朝廷側だったわたしゃ、畿内朝廷に特級危険人物認定を受けた。お上はそんなわたしを殺そうとしたが、わたしも腐っても日本四天王だった。彼奴らが送る刺客を悉く返り討ちにしてやったさ。とうとう私の討伐を諦めた畿内朝廷は、私を幽閉することでてめえらの立場と安寧を守ろうと考えた。そして同じく天内朝廷側で冷遇されていた私の友人。外様大名の奥州・今又氏に待遇改善を条件に私の幽閉を命じ、当時の占術の国の当主。語裏の父の允康は私をこの居合山に誘き出し、自身の仙術を用いて結界を張った。そうさ、この結界は外敵の侵入を防ぐためのものではなく、わたしを監禁する為のものなのさ。だから結界というよりも巨大な監獄といった方が言い得て妙かもしれないねぇ。この結界は獲物を持った人間の侵入及び外出を許さない。お茶会と言う名目で允康に呼ばれた時、私は帯刀していなかった。約束の居合山の頂に立った時にはもう遅い。允康は下山し、麓から一族総出で結界を張り、かつて剣豪と謡われ、刀を手にすれば敵う者なしと恐れられた私は、田舎の山奥で丸腰のまま閉じ込められちまったのさ。まあ獲物を持った外敵や刺客が侵入出来なかった分、そんな刀なんて必要はなかったからね。私も丁度、人を殺めることに飽き飽きしていたところだ。剣士を辞める良い切っ掛けになったと思うよ。でもね。山はそれを許さなかった。いくら外側から敵が来なくとも、内側に潜む敵。つまり猛獣どもは私の立場や実力などお構いなしに襲い掛かってきた。あの時はてめえの弱さを実感したね。なんせ、刀が無ければ野犬一匹打ちのめすのに半日も掛かっちまうんだから。ましてや群れで来られると最早相手にならない。逃げの一手だったよ。情けなかったねぇ」

「お師匠さんの昔話は純粋に面白いけど、でもそれがあいつの修行と何の関係があるの? 今の話だとかつて剣豪と恐れられていたお師匠さんにあいつが剣術を学んでいるという流れだけれど、さっきお師匠さんは剣術の修行でもないと言ったわ。それにそもそもこの山には獲物は持ち込めないってことなんでしょ? じゃあ何なのよ。あいつの修行ってのは」

「まあまあそう急くなよ。兎良ちゃん。ちゃあんと話は繋がるんだ。続けるよ? で、獣一匹に苦労する、そんな情けない私が編み出した護身術――、それが今、語裏が行っている修行。不撰剣法だ」

「フセンケンポウ?」

「そうさ。剣を撰ばず戦う方法。それが不撰剣法だ」

「剣を撰ばない。と、言うのはクナイや槍、木刀なんかでも戦うってこと? でもそれって何か普通じゃない? 剣がないから他の獲物に頼るなんて、至極当然の発想だわ」

「フフフ、そうさね。それにこの山には刀だけじゃない。木刀や竹刀すら持ち込めないんだ。だからそういった武器を使うのではなくてね……まあ分かりやすく言うと」

そういって萌堂法衣は立ち上がり、持っていた煙草を軽く、宙に向かって弧を描くようにして振った」

「お師匠さん、何を……」

兎良の目の前のいろりの中に何かが落ちた。その衝撃でいろ利の中にあった煙が舞い上がる。

兎良はその煙を手で遮り、いろりの中を覗いた。

「へ、蛇!?」

そこには真っ二つに割れた黒蛇の残骸があった。横ではなく、細長い蛇の肢体を縦に割れている。まるで刀傷のようだ。

「どうやらこれはアンタの元お友達の使い魔みたいだねぇ。どうやらここがバレちまってるようだ。ま、獲物を持っている限り侵入できないんだから安心なさい」

「そうね。そ、それでお師匠さん。今、お師匠さんは何をしたの?」

「なあに。簡単なことさ。刀を振って天井に張り付いて、私らの女子談義に耳を立てていたこの蛇を狩ってやったのさ」

「女子談義て……。でも刀を振ってって、いったいどういうこと? 私にはお師匠さんが煙草を宙に向かって振ったようにしか見えなかったんだけど」

「そうだよ。だから、それが不撰剣法なんだよ兎良ちゃん。剣を使わず、剣に頼らず、剣を撰ばず、戦う流派」

兎良はとっさに言葉が出てこなかった。今、自分の目の前で起こった小さな殺生にではない。その殺し方の凄みとそれを会得するまでの眼前の老婆の苦労を推し量ったが故だ。

確かにこれは仙術でもなければ剣術でもない。これは殺人術だ。

兎良も幼い時分から忍の集団に身を寄せ、様々な殺法は見てきたが、これは異常の類に入る。

剣を使わず、剣に頼らず、剣を撰ばず、戦う流派。しかしそれが嘘であるということが、嘘でなくとも建前であるということが兎良には直感的に分かった。かつての剣豪が獣の如き弱い敵から、自身の身を守るというためだけに新たな護身術を会得するわけがない。彼女ほどの者なら剣を使わずとも、素手だけで野犬や狼など返り討ちに出来るはずだ。

彼女。萌堂法衣が不撰剣法を編み出した本当の理由――。

剣に頼らず、剣を撰ばず、戦う流派。それは建前。

本当のところ、この人は飢えていたんだ。戦場の香りに、鉄臭い血に、そして何より殺戮の衝動に枯渇していた。

不撰剣法は護身術などではない。これは――殺法だ。

「手に持ったものは、例え煙草だろうと獲物となってしまう、全く新しい形の流派……」

「そうさね。まあ全く新しいってほどでもないけどね。何でもカイラギ海賊団の中には、これと似たような剣法を持つ武人がいるらしいからね」

「カイラギ。確か、大戦直後の混乱に乗じて畿内朝廷直轄地帯の四国を奪った海賊集団」

「そうそう。いやまあ別段、参考にしたわけではないから、新しいといえば新しいんだけどね」

萌堂法衣は殺した蛇の死骸を片す。

「でもそれが、その不撰剣法があいつの修行とどう関係あるの? 語裏に流れる血は腐っても大八洲日本を代表する呪い師の血でしょ。ならすべき修行は不撰剣法でなく、仙術や神術、呪術なんじゃないの? いやそもそもそんな崇高な血が流れているのなら、何故こんな山に――あっ」

「いいんだよ。わたしだって別にこの山に思い入れがあるわけじゃあないからね。語裏が呪術を鍛錬せず、こんな山で新興の剣法を修行している理由はね……まあそうさね、それはあいつに直接、見せてもらうといいよ。あいつの仙術を」

これ以上は喋りつかれた。そう言って老婆は庭に出て行った。


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