奥州「占術の国」-胡乱気銅山
「くそっ! 小娘が!」
同時刻。奥州陸奥の所、胡乱気銅山最深部――。
長身の男。そしてまだ十代半ばといった風貌の少年が二人で焚火を囲んでいた。否、囲んでいた、という表現とは少し異なる。正確には焚火の前に座っているのは少年だけで、長身の男は怒り狂って洞窟内部の岩肌を蹴り飛ばしていた。
「落ち着いてください。蛇さん」
烏蛇の乱れ蹴りで埃や砂が宙を舞う。少年は焚き火の炎で焼いている骨付き肉を、砂が掛からないようずらして焼き直し始めた。
「黙れ! 虫けら! これが落ち着いていられるか! 許されません、許されませんよ……私に偽物を掴ませてコケにするなど、決して許されたことではありませんよ!」
「まあ良かったじゃないですか。郷に戻る前に『褥』が偽物だと分かったんだ。野兎一匹仕留められず、かつ偽物を掴まされたとなっちゃあオジキだって黙っちゃないでしょう。いくら蛇さんだってただじゃ済まされないでしょう」
「うっ……」
長身の男――、烏郷の衆の幹部。八羽の烏蛇は言葉に詰まった。
烏蛇の脳裏に一人の黒い老獪の姿が浮かぶ。少年の言ったオジキという人物――、八羽の長にして烏郷の衆を束ねる統帥。『烏天狗』の姿が浮かび上がったのだ。
「しかしまあ、どうしてこうも悪いことが続くのですかね。どうやら、兎良が逃げ込んだのは、かの『絶対剣客』萌堂法衣の屋敷のようです」
「萌堂? …元日本四天王」
黒い老獪の姿を思い浮かべ、一種の恐怖と落ち着きを取り戻した烏蛇は、ようやく焚火の前に腰を落ち着けた。
「ええ。僕の親愛なる部下たちから伝え聞いた情報ですので間違いありませんが、今回ばかりは間違いであって欲しいですね。貴方から逃れた後、どうやら兎良は居合山と呼ばれる結界の張った神山にて倒れたそうです。そこを萌堂法衣に助けられた」
少年は薪をくべて、炎の灯りを調節した。燃え盛る焚き火から火の粉が舞う。
「萌堂法衣――、穏やかではないな。そして居合山ですか。聞いたことがないが結界となると厄介だな……」
少年は自分の背丈ほどの大きさの瓢箪の栓を抜いて、片手でそれをラッパ飲みした。
「ぷはっー。ええ、しかもその結界が飛び切り上等。かの北王、今又允康の結界です」
北王・今又允康。その名を聞いた烏蛇の眉間が一層険しくなる。
「今又? 何たってそんな名の知れぬ山にそんな大物の術が」
「これは憶測に過ぎないのですが……。先の大戦で天山朝廷側についていた外様大名の今又が、何故、何の咎めもなしに今もこうして奥州の地を直轄しているのでしょう?」
烏蛇は暫く思案した後、ああ、そういうことですか。と組んでいた腕を解いて呟いた。
「その結界の存在意義は、外部からの侵入を防ぐことではなく、かつての危険人物・萌堂法衣を幽閉するため」
「御名答。そういうことです。あくまで僕の憶測……否、想像ですがね」
いや、その想像はおそらく正しいだろう。そう口には出さず、烏蛇は揺らぐ黙って炎を見つめた。
「しかしまあ、どうしたものですかね。今又並みの結界となると貝殿にお出馬願うか……。それともオジキに……」
「いや、それはない。貝は今九州に居る。例え急いたとしてもここまでだと半日以上掛かってしまう。それに天狗様に出てこられたら、私だけでなく、この奥州全土が火の海だ」
「ですね。ですがどうしましょう。私たちだけではその結界は打ち破れません。まあ、ある条件を満たせば山には簡単に侵入ることが出来るみたいなんですが」
「ある条件とは何だ?」
「正確にはある条件を満たさなければ、山に侵入ることは容易いのです」
条件を満たさない。それはつまり、何か特別なことをせずとも、何か特異な物を持たずとも、入山は出来るということだ。
「どうやら萌堂には弟子が居て、その弟子は自由に山を行き来しているようです」
勿体付けた言い方しやがって。烏蛇は舌打ちをして少年に訊いた。
「その弟子とやらは、何故自由に山を行き来出来るのだ」
「何、カンタンなことですよ」
「カンタン?」
再び少年は瓢箪を持ち上げてラッパ飲みをした。
「そうです。カンタンです。その弟子だけでない、ここいらの農民は遍く、その居合山に出入りしているようです」
どういうことだ? ますます分からない。烏蛇の脳裏に多くの疑問符が浮かび上がっていた。その表情を見た少年はクスクスと草が揺れるように小さく笑う。
「勿体つけるな!」
「失礼。では正解をば。……居合山の結界は得物……つまりは武器を持った人間の侵入を拒む。というものなのです」
鍬や鎌なんかは持っていけないそうですが。と少年は続けた。
「得物を拒む。なるほどな……。得物を持った人間を拒む神山か。だから兎良はすんなりその結界を抜けることが出来た。何故なら奴はあの時、私との戦いでクナイの付いた袴を脱がされていた、まさしく丸裸状態だったから。そしてあの女、萌堂法衣はその存在自体が刃みたいなものだから、居合山を出られない。というわけか」
「そうですね。だからもし蛇さんが山に侵入ると言うならば、そのお腰につけたご自慢の『抜殻』は置いていかなければなりません。しかももし萌堂が兎良を匿っているようなら、戦闘は避けられません。元はといえ四天王。得物なしとはいえ萌堂法会。萌堂と相対した時、得物がないとなると、流石の蛇殿と言えただでは済まされないでしょう」
「悔しいがその通りだな。私とて、この美しい肢体を傷付けることは厭う」
「傷で済まされれば良いのですが。最悪、足の一本や二本や三本、覚悟しなければいけないかもしれません」
「ッチ!」
烏蛇は焚火で焼いていた骨付き肉を手に取り、強引に奥歯で引きちぎった。
「ククク……まあ最悪。最悪の場合だ。或いは最高の場合か。まあそれこそ、貴方にとっては蛇足ですかね」
くべてあった焚き火から勢いよく火の粉が散る。
「……生意気ですね。私を愚弄するなど許されないぞ。烏郷の衆史上最年少で八羽になったからといって調子に乗るなよ……。小僧」
「おや、やりますか? 良いですよ。兼ねてから貴方の抜殻には興味があったんですよ。良いでしょう。ここらで年季の差が実力でないことを証明してあげましょう。僕の親愛なる部下たちも久しく人肉を食らっていない」
飢えているんですよ。僕も、部下たちも。そう言って少年は再び瓢箪に手を掛けた。
暫くの間、焚火を囲んで両者は見合った。
「……いや、辞めだ」
先に鞘から手を下ろしたのは烏蛇だった。
「おや? 賢明ですね」
「この狭い洞窟で私の長刀は不利だ。負けはしないだろうが、私の美学に反する」
「ふーん。……流石は八羽の中で最も狡猾な男と呼ばれるだけはありますね。自身の適正と状況判断に優れている。極めて懸命だ。ここは僕もその狡猾さに見習って、喉仏まで押し寄せた殺意を飲み込むとしましょう」
少年は瓢箪の栓から手を離した。
「……で? どうするのです。まさか本当に丸腰のまま行くつもりはないでしょう」
「なに。今、貴様の台詞から良い考えが浮かんだ」
「は?」
「クククク……見ていろよ。野兎。この烏蛇様をコケにしたこと、ただでは済まないということを……。許されません。許されませんよー!」
二人の男を照らす焚火の炎は、洞窟の入り口から吹く風に煽られ、岩肌に映る大小二人の影が揺らす。
その風の吹く方、洞窟の入り口付近には、屈強な山賊たちの死骸が無数に横たわっていた。
その死骸からは骨と肉がまるごと抉り取られていた。