のっぺらぼうと迷コンビ
「話が違うぞ、スカベンジャー」
爆裂した通信機器を目のあたりにしながら、男はひどく不機嫌そうに言った。大きめのセル・フレームのメガネをかけ、口ひげを生やした四十がらみの男である。左側のレンズには、耐えず動き続けるグラフがうごめいている。右側は通常のレンズ。サイバー・グラスだ。そして黒皮の無線キーボードで絶えずなにかしら入力する様を見せながら、せわしなくその場を歩きまわった。
「いやその……私も彼女には手を焼いていまして」
優男の仮面を一切外すこと無く、マスターは笑顔で答えた。彼は両膝を床につけ、手を後頭部へ回したまま──黒服の男たちに銃をつきつけられている。先ほどまでは一介の斡旋業者だった彼は、今やこの連中にとって消してしまいたい『ゴミ』だ。
「ボス、どうします」
レーザー・ガンをこめかみにぐりぐり押し付けながら、黒服の一人が言った。
「やはり、もう一度回収部隊を編成しては」
「黙れ!」
ボスと呼ばれた男は、ヒステリックに喚いた。
「もう一度だと? それで、もう一度全員バラされるっていうのか? とんだ作戦だな。全く、惚れ惚れするよ!」
「あのう……」
喚くボスに対して、マスターが口を開くのは、ひとつの賭けに等しかった。彼は非常に短気だ。強盗と見られてもおかしくないような手口で店に押し入ると、腕の立つ殺し屋を紹介せよと言い放った。
マスターは、金になるならば何でもする仲介業者だ。死体回収業者であるスカベンジャー、臓器売買回収チーム、誘拐脅迫、そして殺し。しかし彼自身には組織の後ろ盾のようなものは無い。このネオメトロシティで『何らかの組織に属する』というのは、その組織の奴隷になることを指すからだ。彼はまさしく、闇ビジネスの元締めのような存在であった。
そしてそれは、数多の困難や危険に、裸一貫で晒される事を指す。彼はビジネスマンだ。そうした事態を見越していながら、何も対策をしないなどということはありえない。
ジョーカーは、最後までとっておく。切るのは、今だ。
ノックが繰り返されていた。喫茶やすらぎの入る雑居ビルは、マスターの持ち物だ。よって、彼の店以外は空室なのだ。今は深夜二時を回っている。こんな夜更けに、客など来ようはずがない。
「そろそろ、銃を外してはもらえませんか。どうも客が来たようですから」
「馬鹿な事を言うな。こんな時間に誰が来るもんか」
イラつくボスは、手の開いている黒服に顎をしゃくり、ドアを開けるように指示した。彼に、手で銃の形を作り、撃つポーズを示して。とにかく静かにさせろ、というのが、ボスの指示であった。
「脳みそぶちまけてやれ」
黒服はゆっくりと扉を開けた。彼の目の前に入ったのは、ソフト帽をかぶり、汚らしい赤茶けたコートに、血のようなマフラーを巻いた男が、そのまま頭を下げている姿だった。
「どーも」
「誰だてめえは。今店は休みなんだよ。帰んな」
男はゆっくりと顔を上げた。彼には顔が無かった。目も、口も、鼻も無い。全くののっぺらぼうだ。黒服はおもわず、ひっと小さく声を上げた。
「我輩の名前はフェイスレス。挨拶はとても大事だ。君の名前は?」
黒服は恐怖を打ち払うように、男ののっぺらぼうに銃を突きつけた! かすかに震える、レーザー・ガンの銃口が、わずかにかちかちと音を鳴らす。それは、黒服の感じた恐怖の表れであった。
「こ、この店は休みなんだよ! 分からねえのか!」
フェイスレスは突然、男の手を握った。銃を握っている手を、さらに握ったのだ。男の手は、みしみしと音を立てて──潰れた! ハンバーグの種と化し、マガジンと一体化した自分の手を見て、黒服は絶叫し後ろへ倒れる!
「吾輩は君の名前を聞いたのだ。挨拶は大事だぞ」
水が引くように、黒服たちは後ずさった。床に転がりながら、涙を流し混乱の声を上げる黒服! そんな彼の胸ぐらを少し持ち上げ、フェイスレスは穏やかさすら感じさせる声で続けた。
「吾輩の名前はフェイスレス。君に会えてとても嬉しいんだ。どうか君の名前を教えてほしい。お願いします(プリーズ)」
えぐえぐと涙を流し続ける男に、フェイスレスはのっぺらぼうの顔を向け続けた。彼は黒服の頬を張った。右、左。
「君の名前は?」
右、左。右、左。右、左。
「君の、名前は?」
「もういいよ、ミスタ・フェイスレス。来てくれて本当にありがとう。久し振りだね」
興味を失ったのか、フェイスレスは黒服の胸ぐらを離してやり、すっと立ち上がり、マスターに向かって深々とオジギをした。これはネオメトロシティでは既に廃れた、相手に敬意を表する意味を持つ由緒正しい挨拶だ。
「マスター・ジョーイ。お会いできてほんとうに嬉しいよ。その様じゃ、挨拶はできなさそうだね、お友達」
フェイスレスは残念そうに、無様な姿と化したマスターに向かって肩をすくめた。そこで初めて、彼はボスと、黒服たちに気づいた。彼は構わず、やはり深々と頭を下げお辞儀した。
「どうも、吾輩はフェイスレスと申します。あなた達にお会いできて、とても嬉しい。どうか、君たちの名前を教えてほしい」
ボスは一瞬言い淀んだ。言い淀んだ後、目線を部下たちに配った。珍しく意見が完全一致した彼らは、フェイスレスに向かってレーザー・ガンを照射! 人間なら、一瞬で消し炭になる量のレーザーだったが……フェイスレスは全くの無傷。コートが赤熱し、真っ赤に染まった以外は、微動だにしない。レーザーを吸収し、熱化処理して放熱する、特殊繊維で編み込まれた特別製のコートだ!
「ボス、悪いことは言わない。挨拶したほうがいい」
マスターは悪びれもせず言った。
「彼はとても寛大だ。友達でいる間はね。彼は決めかねている……今自分に向かってレーザーを放った君たちが、果たして『友達』だろうか、と」
ボスはマスターとフェイスレスを交互に見やった後──真っ先に頭を下げた。
「わ、私の名前はノーマン……ノーマンだ」
小汚い倉庫の中に、そのモニター・ルームはあった。
青く発光する、円形を象るように設置されたモニターには、株価指数、低所得者向け動画サイト、ガイノイド女優専門ポルノ・チャンネル、子供向けアニメ、バラエティ番組──様々な映像が映されていた。それを一望できる、小汚い倉庫には不似合いの椅子の上に、男は座っていた。
綿のシャツにぼろぼろのジーンズを履き、骨ばった手を大きく使ってジェスチャーしている。どことなく、右目だけが大きく見えるような、額の広い痩せた男であった。
「それで、俺は言ってやったのさ。うどんを食べるならフォークにしやがれ、このクソッタレめ! ってな! サイコーだろ!」
男──デレクは、高級回転椅子をくるくる回しながら、自分が見聞きしたジョークを、相棒に聞かせていた。もっともその相棒は、いつも全く反応しないのだが。
デレクと違って、相棒のボゥイは、刀傷だらけの浅黒い大男である。常に裸に先住民族めいた毛皮のベストを羽織り、底から覗く筋肉質の身体にもずたずたの刀傷。まるで岩をそのまま削りだしたかのような顔にも、鼻を真一文字に切り裂くような深い刀傷。腰には、物騒極まりない大鉈を下げている。まるで一人だけ古臭いインディアン・ファンタジーから出てきたような格好だ。
彼はデレクのしょうもないジョークにも、たくわえた黒い口髭をなでつけるだけで何の反応もしない。デレクもまた、彼にあまりリアクションを期待していない。これはこれで、結構仲の良いコンビだ。
「……車、来る」
「車ァ? おいおい相棒、ここはこの街の最下層地域だぜ。車なんて誰が……」
デレクが耳をそばだてると、確かにそのような音がする。エンジンの回転する音。まるで心臓が悲鳴をあげているような音だ。
「なあ、うち駐車場あったかな」
「無い」
デスクの上に散らばったリモコンを探り当て、デレクは監視カメラシステムにアクセスし、雑多なチャンネルを全て周囲の監視カメラ映像に切り替えた。黄色いおんぼろ車が、数台の監視カメラ映像を横切る。
「サツかな」
「サツ……戦うしか、ねえ」
ボゥイは大鉈を抜き、監視カメラを睨みつけた。エンジンの音は近づいてきている──いや、もう聞こえる。まずい。デレクは焦った。彼はいわゆる非合法情報屋である。叩けばアレルギーになるほど、埃が出るような男だ。万が一にも捕まれば、人生三回分は懲役を食らうだろう!
「おい、ボゥイ! 俺の銃はどこにあるんだっけ!」
「知らねえ。俺は銃は好かねえ」
「んなこと言ってる場合じゃねぇだろう!」
デスクの下を引っ張りだし、ポルノ・ホログラフ装置やら、チューブ式ケミカルデリバリーの空容器やらをかき分ける。無い! 彼は頭を上げ、玄関脇に設置してある工具箱の中に入れたことを思い立った!
「あそこか!」
直後! 工具箱を踏み潰し、玄関の壁をぶち破って黄色いおんぼろ車が突入! 直後ドリフトしながら、デレクのオフィスを蹂躙! 片輪走行になりながら、とろとろとスピードを落とし、そのまま止まったかと思うと──宙に浮いた方の車体が戻った。その衝撃でエンジンルームが開き、エア・バッグが暴発! 挙句の果てにエンジンから黒い煙が噴出!
「おい!」
デレクが悲鳴に近い金切り声で叫んだ。
「なんて事してくれやがるんだ! こんな時のために、わざわざマイ・レーザーガンを買って、あそこに入れといたんだぞ! ふざけんな!」
げほげほ、と咳払いしながらのそのそと出てきた人物に、ボゥイは大鉈を向けた。黒髪の、可憐な少女だ。さすがのボゥイも眉を持ち上げ、大鉈を向けるのをやめた。
「すまん、デレク。失敗した」
その後から這い出てきたのは、黒髪のレイバルと白い女──メイ・リーであった。レイバルのそっけない謝罪は、たった今オフィスをぶっ壊されたデレクにとって、火に油を注ぐようなものであった。
「失敗したじゃねえよ! どうするんだこの大穴は! ふざけんなよ! ファック!」
「そう言うなよ。……デレク、お前二千五百万クレジットの大仕事があるって言ったら、受けるか? ボゥイにも同じ分だけ払う」
デレクはふらふらと高級回転椅子へと戻り、広い額に手のひらを押し付けながら、力なく言った。
「それは嬉しい申し出だがよ……お前駐車の練習しろよ」
レイバルはそんな彼に向かって、事も無げに言った。
「ブレーキがイカれたんだ。直してくれ」