天から迫る白い影
レイバルは、ハンドルを握りながらぶっきらぼうに言った。
「名前は」
既に道路はアスファルトでなくなって久しい。ネオメトロシティは地下にできた街だ。よって、道路はすべて高架上にある立体型、ちょうど現代でいう高速道路のような外観になっている。材質は鋼鉄製の巨大ハニカム構造をブロックにして継ぎ合わせたものだ。なぜハニカム構造なのか。それは内部にwifi通信機器や巨大空気清浄機を余すこと無く収納することで、地下世界の限りあるスペースを有効活用するためだ。もっともレイバル自身、そんなものに世話になったような感覚など無い。興味もないのだ。
「アニー・ブランドン」
「アニーか。いいか。今からお前を国境のゲートから放り出す」
冷酷な言葉だった。アニーはわめきはしなかったが、血でまみれたトランクへと視線を落としてから、窓の外を見た。綺羅星のごとく輝くビルの光。その光一つ一つが、このネオメトロシティが眠らない証拠だ。ある者は何のために生きているのか分からぬほどの過労働を強いられ、ある者はそんな労働者が生涯掴めぬほどの金を一晩で使いきらんと狂乱の宴へ赴く。その光がまたたくごとに、金が生まれ金が消え、時が消え命が失われる。
「どういう理由があるか俺は知らん。聞きたくもない。だが、お前がここにいちゃならん事は分かる」
「お金なら出します!」
アニーはポケットからクレジット素子を取り出す。ミラー越しに見える寿子の額面表示ディスプレイには『一億クレジット』という文字が、低ビットでまたたいていた。一億。今日運んだ心臓は三百万クレジットになった。それからマスターへの手数料として二百十万円差し引かれ、残りの九十万を三等分。つまり三十万クレジットがレイバルの取り分だった。それと比べればまさに破格、人生を変えられるような金だ。
「断る」
「どうしてですか!」
ほとんど泣きそうな声で、アニーは叫んだ。理解できぬのだろう。だがレイバルは紙の金以外は受け取らない。そういう流儀で生きてきた。そして流儀を貫くものは、救われると信じている。
「あんななりふり構わず殺しにくる連中だ。とても一人じゃ対抗できない」
「でも……このトランクが」
「中身を知っているのか」
アニーは右手でごしごし顔を拭うと、少しだけ鼻の頭に赤みがさした顔をあげた。まるで捨てられた子犬だ。
「大事なものなんです。お母様から託されて、お父様の元にもっていくようにって……でも、お母様は……」
声はだんだん小さくなっていった。聞かずとも『お母様』の運命はわかったような気がした。恐らく、このアニーを追う連中に殺されたのだろう。
「お父様は、この国の生体科学研究所にいらっしゃるんです。だから……」
「そこに届けに来いと。無茶な話だ」
「お父様が困ってるなら仕方がありません。お母様の研究の成果が、すべて入っているんですから」
「言うなよ」
レイバルはまっすぐに前を見つめていた。青色REDの淡い光が、後ろへ吹き飛んでゆく。道路標識が後ろへ。青色REDのランプ。ランプ。ランプの上に──影。人影。白い影。幻覚か、と思った瞬間、それは後ろへ吹き飛んでゆく。
「言いません。でも、私このまま帰るわけにはいかないんで……」
「伏せろ!」
ぐい、とレイバルがアニーの頭を押し込んだ! その瞬間、愛車の屋根から二箇所でっぱりが生えた! 衝撃によりタイヤがきゅ、きゅ、と苦しげな声を上げ、黄色いおんぼろ車は人のない道路を蛇行! 咄嗟にレイバルは腰のホルスターからリボルバーを抜き、即座に発砲! 二発目、三発目! 手応えなし。間違いなく侵入者だ!
「ねーえ、レイバル。酷いじゃない」
楽しげな声が、レイバルの恐怖心をひやりと撫でた。大いに聞き覚えのある声だ。
「ドライブなら私も連れてってよ?」
「悪いが、助手席は埋まってる。降りてくれ、メイ」
返事の代わりに、後部座席側の屋根から轟音! 蛍光青色REDの淡い光がスリットから奔る、細く白い腕! 続けざまにまるで紙を裂くような気軽さで大穴を広げると、するりと女は滑りこんできた。全身白いスーツに蛍光グリーンの派手な髪の毛。つば広の白い帽子には銀色の飾りをつけている。メイ・リーだ!
「後部座席なら文句無いでしょ、ロリコンさん」
チュイン、という甲高い機械動作音と共に、メイ・リーは右手人差し指と中指を合わせ、レイバルの首に押し付けた。彼女との付き合いは長い。どうすれば彼女の変形型内蔵サイバネ兵器が作動するか、など手に取るように分かる。下手なことを言えば、彼女は即座に指の先から高出力のレーザーを打ち出し、首の血管を撃ちぬくだろう。いや、頭かもしれない。彼女のグリッド・スキャニングをもってすれば、意図的に脳の一部分を損傷し脳死状態にせさしめ、あわよくばレイバル自身を『商品』とすることすらありうる!
「お前が動くってことは、相当金を積まれたな」
「格安よ。すぐ動けるフリーランスってのが私しかいなかったみたいでね。でも舐められてんのよ。クライアントは私兵集団でカタをつけたかったみたいで、本当は私みたいなフリーランスは雇いたくなかったみたい。相当買い叩かれたわ」
アニーは、涙を目の端に溜めながら、メイの青く淡い瞳を見た。チュイン。左の指を容赦なく眉間に当て、目を愉悦に歪ませた。
「でもま、一緒にいるなら都合がいいわ。同時に殺って、そのトランクとやらも回収。ごめんね、レイバル。こんな体じゃなければ、一発アンタとは寝てみたかったんだけど……」
「細胞です」
アニーは呟いた。ぴくり、とメイは眉をひそめる。何を言い出すつもりなのか。
「アンタ、なに言って……」
「万能細胞です。このトランクの中身は。詳しくはわからないんですけど」
レイバルは、思わず笑った。大したタマだ。頭も切れる。やがて彼の笑いは大きくなり、ハンドルを左手で叩きながら大声で笑った。メイには、事の次第がよく分かっていないようで、ただただ困惑するばかりだ。
「な、何よ。このガキ何言ってんのよ」
「ペラペラ喋り過ぎなんだよ、メイ。お前、仕事から降りられなくなったぜ」
一瞬理解できない、と困惑の表情を浮かべたままだったメイは、ようやくレイバルが何を言いたいのかを理解。白い帽子につけていた銀色の飾りを引きちぎり、右手指からレーザーを照射! 一気にケミカルな煙になって飾りは消滅!
「クライアントへ信用のリスクヘッジのために、仕事は帽子の飾りに仕込んだ立体映像記録装置で完全に録画。モードを切り替えれば、秘匿回線で直接クライアントへライブ配信できる。お前が俺と一緒に、このトランクの中身を知った瞬間もな。お前らしくもないミスだぜ、メイ」
メイは脱力し、どっかと後部座席にもたれかかった。顔を手で覆い、蛍光グリーンの髪をかきあげる。笑っていた。諦観と絶望混じりの暗い笑み。
「最悪。私のキャリア、台無しじゃない」
「俺たちゃ死体に群がるクズだぜ。お前はシメ屋、俺は棺桶屋。キャリアもクソもないさ」
しばらく、メイは沈黙していた。
先ほどの会話が聞かれていたのなら、クライアントとやらの私兵集団がまた動き出すまで少々タイムロスがあるだろう。しかし、手段は変えざるを得ない。このままメイ・リー伝いに居場所がバレれば、行き先に待ちぶせられることも考えられる。
「アニー、メイ。捕まってな」
シフトレバーを落とし、クラッチを踏みながらタイヤロックさせ、誰もいない道路をさらにおんぼろになった愛車はドリフトした。そう、別の手段だ。
「メイ。お前仕事受けるか」
「誰のよ。言っとくけど、そのガキのお守りならアンタで十分でしょう」
「アニーです! 名前があるんですから、名前で呼んで下さい! 失礼ですよ!」
「るっさいわね! 乳臭いガキがいっちょ前に文句たれてんじゃないわよ」
メイは不機嫌そのままに、電子タバコを取り出し咥える。チョコレートの香りが広がり、メイの補助電子頭脳と、唯一生身である生体脳を幾分か落ち着かせた。
「で、仕事って誰の」
「アニーのだ。見せてやれ、さっきの素子。渡すなよ」
彼女は頷き、メイの前に先ほど見せた一億クレジットの素子を突き出した。チョコレートの香りを漂わせながら、メイは青い瞳を濁らせていたが、がばっと起き上がり見た! サイバネ・アイが起動し、その素子が本物である事を即座に確認!
「い、一億ですってえ? マジ?」
「マジだ。お前の取り分は四分の一、それでも二千五百万。この地下でも十年は遊んで暮らせる額だ。いや、外に出りゃ一生遊んで暮らせるだろ」
メイは素子に手を伸ばそうとしたが、すぐにアニーは手を引っ込めた。思案する。元より気に食わない仕事だった。クライアントからは舐められているし、このまますごすご引き下がったとて、相手が執心しているトランクの中身を知ってしまった事実は変えられない。処分されるだろう。手を逃れたとて、一文無し同然で地下を出てどうなるというのか。このままならもはや八方塞がりだ。
「わかったわよ。受ける。でも、アンタ計算間違ってない?」
メイはチョコレートの水蒸気を吐き出しつつ、屋根の鉄板を強引に鉄板を引き伸ばし塞ぎつつ言った。彼女の電子タバコは、元々補助電子頭脳にタバコを吸った際と同等の化学信号を送るものであり、水蒸気は雰囲気作り、味は生体脳を併用している者の嗜好のためのものだ。そんなまがい物でも、メイのケミカルな冷静さを取り戻させるのには十分なのである。
「四分の一って何よ。私とアンタで二等分じゃないの」
「正直、人出が足りない。ここは、俺達の流儀で行こう」
レイバルはハンドルを強く握り、アクセルを強く踏み込んだ。時間は無いが、人材にはあてがある。後は仕事に乗るかどうかだ。