Part 01 手合わせ
「ん……?」
窓から差し込む朝日を受け、ベルは目を覚ました。
「朝、か」
一人ごちたベルはふと、ゆうべの事を思い出した。
自分の布団に潜り込んできた雪姫と色々な話をして意気投合し、気がつけば夜はかなり更け、眠ったのは大分遅くなった気がする。
(……そういえば、誰かとあそこまで話し込んだのは初めてだな。それも、『ヒト』と……ん?)
そこでベルは初めて、自分の頭が何か柔らかいものに包まれているのを感じた。
例えて言うなら、大きなマシュマロに頭を押しつけられているような、そんな感覚だった。
(……おかしい。この感触、一体なんなのだ?)
そう思ったベルが少し身をよじると――
「くぅ……くぅ……」
「…………」
可愛らしい寝息を立てている雪姫の顔がそこにあった。そこでベルはようやく事態を把握した。
(――ああ、そうか。ベルはどうやら、雪姫の抱き枕にされているらしいな)
そう。雪姫はベルを思い切り抱き締めながら眠っていたのだ。それも、ベルの顔面が雪姫の豊満な胸に押しつけられるような状態で。
(……というか普通、人をこうやって抱き枕にするか?)
ベルは苦笑しながら思う。同時に、ちょっぴり妬ましくも思った。
(……それにしても、やはりでかい。女であるベルですらここまで触り心地がいいと感じるのだからな。くう、その胸をちょっとでもいいからベルに分けてほしいものだ)
しかし、いくらそう願っても自分の胸はうんともすんとも言わない。現実は非情であった。
「……考えていても仕方ない。早く目も覚めた事だし、散歩にでも行くか」
一人ごち、ベルは雪姫を起こさないようそっと腕を外して布団から抜け出した。その時――
「……おかぁさぁん」
雪姫がとても寂しそうな声を出した。ベルがハッとして見ると、目尻には涙が溜まっていた。何やら悲しい夢を見ているようだ。
「……誰が母さんだ」
ベルは苦笑し、雪姫の前髪をそっと梳いてやりつつ、指で涙を拭った。
「大丈夫だ。ベルはここにいる。離れていても、ここにいるよ」
優しく耳元で囁いてやると、雪姫の表情が見る見るうちに安らいだものになっていく。
それを見たベルは安心したように息をつくと、動きやすい半袖シャツとハーフパンツに着替え、そっと離れを後にした。
時刻は午前五時過ぎ。ベルは少し歩いて母屋に入り、ゆっくりと木の床を踏みしめつつベルは考え事をしていた。
(あの子、普段は明るく振る舞っているが、その内面はとても脆い。下手をすると、すぐにでも壊れてしまいそうな危うさを感じる……)
そんな事を考えていると視線の先に、廊下を横切る賀川の姿があった。だが、その行く先には物置しかない。
「賀川……?」
その様子を不審に思ったベルは首を傾げた。
鷹槍の自宅の地下には小さな道場がある。
物置に隠し扉があり、それは家の地下へと続いている。その奥にある茶室を思わせる扉をくぐった先には、柔道の試合が一組できるほどの広さの空間が広がっていた。内部は割と頑丈に造られており、気温、湿度はちょうどよく感じるほど。天井は意外と高い。
壁には棒や竹刀が立てかけられており、奥には物置らしき部屋の扉が見える。
そして、道場の中央では道着姿の鷹槍と普段着の賀川が向かい合っていた。
本来ならば若い職人達も鍛錬に参加しているが、今日は全員泊まり込み作業のため誰もいない。
「それじゃあ始めるか、賀川の」
「はい。お願いします」
賀川が一礼する。すると――
「へえ、面白そうな事をやっているじゃないか。ベルも混ぜてもらおうか?」
賀川と鷹槍が反射的に道場の入り口を見やる。するとそこには壁に手をつき、新しい玩具を見つけた猫のような顔をしたベルの姿があった。
「……おいおい、ベル嬢ちゃんがどうしてここにいるんだ、賀川の? まさかお前が連れてきたのか?」
鷹槍が賀川を睨みつつ尋ねる。
「え? い、いや、俺は何も……」
しどろもどろな賀川とは対照的に、ベルはのほほんとした口調で答えた。
「なに、朝の散歩に行こうと起きたら賀川が気配を殺して物置に向かったのが見えたのでな。妙だと思って後をつけさせてもらったよ。まさか、こんな隠し部屋があったとはな。驚いたよ」
賀川はとても驚いた様子でベルを見つめている。
「ベルさん、一つ聞くけどユキさんは……」
「あの子ならよく眠っている。それに、ベルは起こさないようにそっと抜け出してきた」
それを聞くと、賀川は心の底からホッとしたように胸を撫で下ろした。鷹槍が気がかりそうな顔で言う。
「ベル嬢ちゃん、ここの事はユキには……」
「言いはしないよ。賀川の身のこなしから大体の事情は察せられた」
その言葉に、鷹槍も息をついた。
「……ありがとうよ。しかしベル嬢ちゃんよ。お前さん、どうするんだ? 見学ならまだしも、まさか俺達と組み手やるなんて言い出さないよな?」
「ん? そのまさかだが?」
しれっと答えたベルに二人は驚いた。
「べ、ベルさん? いくら冗談でもそれは笑えないよ?」
引きつった笑いを浮かべる賀川にベルは目を細め、不敵に笑った。
「冗談? 賀川よ、ベルはこう見えても武術の心得がある。なんなら、これでどうだ?」
ベルはそう言って正拳突きを交互に繰り出し、軽く飛び上がって空中での回し蹴り、着地するや否やバック転からのサマーソルトキックを繰り出した。
「……まあ、こんなのはちょっとしたものだな。どうだ二人共、納得したか?」
ふわりと降り立ったベルは息切れ一つせず、けろっとした顔で尋ねる。
「……ああ。どうだ、賀川の?」
「……はい。あの動き、素人ではありませんでした」
技のキレに、二人は彼女の言っている事が嘘ではないと直感した。
すると、鷹槍が賀川に耳打ちをし、何か一言か二言伝えている。しばらくして、鷹槍は声を上げた。
「よし、賀川の。今日の練習は予定変更だ。お前、ベル嬢ちゃんにいっちょもんでもらえ」
すると、賀川は泡を食ったような顔をした。
「ちょ、ちょっとタカさん? いきなり何を……」
「賀川の。いつも俺や若ぇのじゃ飽きるだろ。たまには、まったくもって勝手の違う相手と戦ってみな。ベル嬢ちゃん、こいつの相手を頼まれてくれるか?」
「いいとも」
「ええっ!?」
あっさりと承諾したベルに賀川が狼狽する。
無理もないだろう。いくら先程の動きが素人ではなかったとはいえ、目の前に立つのは半袖シャツにハーフパンツ、ついでに頭には寝癖がつきまくっているとても小柄な赤毛の少女なのだ。そんな彼女と組み手をしろなどと冗談もいい所だろう。
驚く賀川に、鷹槍さんは再度耳打ちする。すると賀川はどこか戸惑いと驚愕が混ざった表情を浮かべた。
そんな賀川をよそに、ベルと鷹槍は話を進めていく。
「さて、鷹槍、組み手のルールは?」
「ああ、武器なし、相手に重大な怪我さえ負わせなければ何でもありだ」
「何でもあり……くふふ、ベルにうってつけだな」
「何でもあり」という言葉を聞いたベルが獰猛な笑みを浮かべる。
しばらくして、二人は向かい合っていた。既に鷹槍によって試合開始の合図は出されている。
自然体で立つベルに対し、賀川は戸惑ったように棒立ちになっている。
「さあ賀川よ、どこからでも打ち込んでくるがいい」
ベルはキャッチボールでもするかのような軽い口調で賀川に呼びかける。
「で、でもベルさん、やっぱりよくないよ。こういうのは道着を着るとか、ちゃんと準備をして――」
何やらモゴモゴと言う賀川を見て、ベルは溜息をついた。
「――仕方ないな」
ベルがそう呟いた瞬間、彼女の姿が賀川の視界から消えた。
ダンッ!
次の瞬間、畳に叩きつけられた音と共に、賀川の体は倒れ伏していた。
「っ!?」
賀川の顔が驚愕に染まっている。何が起きたのかわからないという顔だ。
一方、別の角度から見ていた鷹槍には何が起きたのかわかっていた。
ベルは言葉を発した後、凄まじい足捌きで賀川の懐まで接近、何気ない動作で道着の裾を掴むと同時に、賀川の足に自分の足をひっかけ、一気に押し倒したのだ。
この瞬間、鷹槍はベルの認識を改めた。この娘は、超能力を使えるだけではなく、多くの場数を踏んできた者であると。
「立て。まだ終わりではないだろう? これが実戦なら、お前は最初の一撃で死に、さらに今の間に数回は死んでいるぞ」
賀川を見下ろしながら、ベルが声をかける。賀川はすかさず立ち上がり、構え直した。その目には真剣な光が宿っている。どうやら、目の前の少女が外見とは全く違うレベルの存在であると認識したらしい。
するとベルは、右腕をすっと突き出した。
「賀川、やるからには本気で来い。躊躇っていては、お前の大切な者は守れないぞ?」
そう言い放ち、ベルは手首のスナップを利かせて挑発した。
同時に、賀川は目をキッと細めつつ口を結び、畳を蹴って突進してきた。
(やはりな。ちょっと鎌をかけてみたが、賀川は雪姫の事になると我を忘れるらしい)
半身を引き、低い姿勢で向かってくる賀川を見ながらベルは考えていた。
昨夜の雪姫が語っていた賀川についての印象、先程見せた賀川の雪姫に対する反応、そして先程のベルの言葉に対する反応。
これらの証拠を付き合わせると、答えは一つだった。しかし、それを言うにはまだ早い。
一方賀川は真っ向からベルの腰を掬いにいく。ベルは即座に回避を選択し、隙間賀川が半身を引いている右、すなわちベルにとって左手側にある隙間を見つける。すぐ側は壁だが、ベルの体格なら悠々とすり抜けられる。
そう判断したベルがその横をすり抜けたか否かという時、ベルはガツンという音を聞いた。
ベルが違和感を感じた瞬間、頸椎に激痛が走った。賀川が擦れ違い様に竹刀の先でベルの首後ろを突いたのだ。
槍で突く要領で突き出された竹刀は、ベルの意識を激しく揺さぶった。体が前のめりに倒れ込む感覚がする。
「か、賀川っ!」
鷹槍の声がどこか遠くで聞こえる感覚がした。
(く、ふふ……そう来たか……今のは効いたぞ……)
ベルは己の体に気を入れ直し、倒れ込む勢いを利用し、片手で畳を叩く。そのまま空中で前転して、体を捩って賀川の方を向く。
そして、竹刀で突かれた頸椎を軽くさすり、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「なかなかエグイ手を使ってくる。普通の人間なら死んでいるな」
すると、横の鷹槍から怒号が飛んだ。
「賀川の、おめえ! 武器なし、相手に重大な怪我は負わせないと言ってあるだろうがよっ!」
すると賀川は軽く笑って答えた。
「ベルさんはそのくらいじゃ倒れないし、ある物を使わないで勝てるほど、俺は強くないんですよ」
「そうとも鷹槍。ベルはこの通り平気だぞ?」
そう言ってベルは軽く踊るようなステップを踏み、鷹槍に大丈夫だとアピールする。すると鷹槍は賀川がなおもベルの一挙一投足に注視しているのを見て、驚きを隠せないという声を上げた。
「……珍しい事もあるもんだ。賀川のがそこまで喰いつくとは。ベル嬢ちゃん――」
「皆まで言うな。ベルは構わない」
鷹槍の視線に、賀川の武器使用を認めるかどうかを問われたベルは、軽く答えた。
「武器ぐらいで優勢になるとは思ってないですけどね」
賀川はそう言って間合いを開けつつ、竹刀をベルの足下めがけて勢いよく投げつけた。
(ほほう、武器を捨てるか)
ベルが面白そうに笑いながら飛んで避けたのを見て、賀川は一気に間合いを詰め、着地の際に生じる僅かな隙を狙って足払いをかける。
しかしベルは空中から低い位置の賀川めがけて拳骨を叩きつけようとする。賀川はそれを右手で払い、すかさず左手で上段突きを出しかけかと思いきや、急に上段蹴りへと切り替えた。フェイントだ。
しかしベルは凄まじい反応速度でそれに対応し、蹴りを防いだ。
賀川はそれを防がれたのが癪だったのか舌打ちをし、急いで態勢を立て直す。だがそれを許すほどベルは甘くない。
「そんな間があるか!」
すかさず右フックを賀川の脇腹に打ち込む。
ベルの拳が賀川の脇腹に沈むが、彼は踏み止まった。
そこにベルは追い打ちとばかりに次々に拳を繰り出す。賀川はそれを必死に防ぎ、いなしていたが突如腰を低く下げたかと思うと、アッパーを放ってきた。
(くふふ、そう来たか)
ベルがにやりと笑うのを見て、賀川は瞬時に顔面をガードし、カウンターとばかりに膝蹴りを打ち込む。
あまりの衝撃に賀川は数歩後ずさったが、しっかりと立っている。
「身長が低いのはリーチの差になるから不利に思うけど、意外に攻めにくいね」
どこか軽い口調で賀川は足下に落ちていた竹刀を拾い上げた。
それに対してベルは少し笑った。
賀川はそのまま竹刀で彼女の肩辺りを狙って打ち込みにかかる。
(見え見えだ)
ベルは勢い良く振るわれた竹刀を軽く素手で受け止める。直後、賀川の指から何かが放たれ、ベルの額にペンッと当たって弾けた。
「……何?」
ベルが呟くや否や、賀川が下段蹴りをしかける。それを軽くかわすが、ベルは先程の現象に疑問を抱かずにはいられなかった。
「これですよ」
すると、賀川の指が再び動き、彼女に向けて「それ」を弾き出した。
今度は「それ」がはっきり見えた。彼女は左手で「それ」を受け止める。
「――輪ゴムだと?」
「はい、ただの輪ゴムです」
賀川がニヤリと笑う。
(なるほど、考えたな。輪ゴムは眉間に当たるとヒトは反射的に一瞬目を閉じてしまう。それは堕天使とて同じ……そこを突いてくるとはな。しかし……)
ベルは不敵に笑った。
「それがもし本物の銃で、相手がヒトならお前の勝ちかもしれないが……」
呟き、目に見えない程のスピードでベルは賀川に駆け寄りつつ、右手を動かした。一瞬遅れて彼の眉間にパシンと何かが弾ける。
「ってぇ……」
「くふふ」
ベルは、たった今、受け止めたゴムを打ち返したのだ。堕天使の力で放たれた輪ゴムの衝撃はかなりのものだ。賀川は思わず目をつぶってしまい、そこに隙が生まれた。
「賀川よ、甘いぞっ!」
ベルの声に、賀川は半歩身を引いて身構える。同時にベルは強烈な踏み込みから正拳突きを放つ。彼女の拳が生む衝撃に吹き飛ばされたが、直撃は免れたらしい。
すると賀川は聴覚だけでベルとの間合いを図り、竹刀を叩きつけた。
(面白い、普通の人間にできる芸当じゃないな……だが!)
ベルはニヤリと笑い、壁にかかっていた木刀を掴み取り、竹刀を受け止める。
そのまま竹刀を弾き返した後、がら空きの胴を打つ。手応えから急所は避けられたようだが、確かにダメージがあった。
しかし賀川も負けてはいない。床に転がった竹刀を手探りで見つけると、まるで見えているかのようにベルの手の甲を打ち、木刀を落とさせた。握りが甘かったせいか賀川も竹刀も取り落とした。
そこでやっと、賀川の視界も戻ったようだ。すぐにベル間合いから離れ、息を整える。
それから二人はニッと笑い合い、激しい技の応酬を始めた。
「なあ、賀川」
しばらく打ち合いを続け、賀川の放った渾身の上段突きをひらりとかわしたベルが突然尋ねた。
「何だよ?」
苛立ったように賀川が尋ねる。
「お前は、雪姫の事が好きなのか?」
賀川が放った下段蹴りに迷いが生じたのを、ベルは見逃さなかった。同時に、蹴りをバックステップでかわす。
「どうしていきなりそんな事を!?」
賀川が正拳突きを放つ。それをベルは手刀で迎撃しつつ、言葉を紡いだ。
「ゆうべ、雪姫と色々話したんだ。お互いの事、そして、お前の事をな」
「!?」
賀川の顔が驚愕に彩られる。二人はいったん攻撃の応酬を止め、向き合った。
「そしてお前のその反応……お前もあの子の事を好きなのだろう?」
その言葉に、賀川は苦笑する。
「……ああ。俺は確かにユキさんが好きだよ。でも、俺が彼女とくっついても、彼女の人生の足枷にしかならないよ。まあ、俺とユキさんがくっつくなんてあり得ないけど」
賀川の笑みが、苦笑から自嘲じみたものに変わった。同時に、攻撃の応酬が再開される。
「だからこそ、俺はユキさんをつかず離れずの距離から守ろうと思う。いずれ彼女にできる人も一緒に……」
賀川の回し蹴りをベルは上体を反らせて回避した。
「お前は、嘘をついている」
そして、ベルが鋭い声を発する。
「嘘?」
賀川は自嘲気味な笑いを浮かべたまま言葉を返す。すると、ベルは言葉に怒気を含ませて詰問した。
「あの子が好きならば、お前は何故あの子を手に入れようとしない? 受け入れようとしない? その腕の中へ抱き止めてやらない!? 必要としている時にどうして側にいてやらない!? どうして、あの子を守ってやらない!?」
語気は後になるにつれどんどん激しくなり、それに同調するかのようにベルの攻撃も激しくなっていく。正拳突き、回し蹴り、裏拳、足払い。嵐のような速さで様々な技が繰り出され、賀川は防戦一方だ。むしろ、ベルの攻撃は防御の上からでも強烈な手応えを賀川に与えていた。
「賀川、答えろ! お前はあの子の唇まで奪ったというのに、お前のその態度はなんだ! 一人の娘の心を弄んで、それが楽しいか!」
「――なんだって?」
ベルの最後の言葉に鷹槍が色をなした。
「べ、ベルさん!」
賀川が慌てたように拳を繰り出す。しかしベルはそれを掴むと堕天使の握力で万力のように握り締める。賀川の顔が苦痛に歪む。
そして、ベルは賀川の鳩尾にボディブローを一度放ち、決定的な一言を言い放った。
「はっきり言ってやる。お前は、あの子から、いや、自分を含むあらゆるものから逃げているだけだ。全てから逃げ続けている腰抜けのお前が、あの子を守るだと? 戯れ言をぬかすなっ!」
「――っ!」
賀川の目が見開かれる。直後、ベルのアッパーが賀川の顎を打ち抜いた。
「……ベルさん、本気を出してないだろ」
畳に仰向けに倒れつつ、認めたくないという感じで賀川が呟いた。
「そうでもないさ。最後だけは少しだけ本気が出た」
軽く伸びをしつつ、平然とベルが答える。そんなベルに賀川はあの自嘲するような笑みを浮かべた。
「ベルさんは、強いな。俺なんかより」
「違う」
賀川の言葉を、ベルは即座に否定した。
「ただ、ベルは常に『覚悟』を決めて動いているだけだ。戦うという『覚悟』、討たれる『覚悟』、そして、守るという『覚悟』だ。今のお前には、それが見えない」
「…………」
ベルの言葉を、賀川は歯を食いしばりながら聞いている。
「……あー、取り込み中の所すまねえ。ちょっといいか?」
すると、成り行きを見守っていた鷹槍が二人の元へ歩み寄ってきた。そして、
「ベル嬢ちゃん、無理を承知で頼みがある」
突如、鷹槍が正座してベルに向き合った。
「――なんだ?」
その表情からただ事ではない事を悟ったベルは正座して鷹槍に向かい合い、尋ねた。
そして、鷹槍は頭を深々と下げ、こう言った。
「ここにいる間だけでいい。雪姫を、守ってやってくれ」
桜月りま様 うろな町の森に住んでみた、ちょっと緩い少女のお話より ユキちゃん、賀川さん、タカさん、お借りいたしました!