Part 04 紅白入浴
「二人共、お風呂準備できたから入ってー」
二人が話し込んでいる所に、部屋の戸を開けた葉子が顔を出す。風呂という言葉にベルが反応した。
「風呂? 葉子、ベルに言ってくれれば自分が沸かしたのに」
「ふふふ、しばらく滞在するとはいえ、初日からお客様の力を借りるのは申し訳ないわ。ベルちゃん、風呂場に案内するからいらっしゃい。それとユキさん、ベルちゃんと一緒にお風呂に入っちゃいなさい」
「――っ!」
すると、その言葉に雪姫は体を強張らせた。
「わ、私はいつもの小さい風呂でいいです」
「もう入れてしまったんだし、遠慮しないの」
二人のやりとりを見ていて、雪姫の様子を訝しんだベルが声をかける。
「……雪姫? どうしたんだ? 具合でも悪いのか?」
「……い、いえ、大丈夫ですっ」
「……?」
何かをごまかすように首を振る雪姫に、ベルは首を傾げた。
その後、葉子の案内で通されたのは一般家庭にある風呂場ではなく、銭湯ほどの大きさはある大浴場だった。
「……おいおい、こんなに大きな風呂場、ベル達だけで使っていいのか?」
目を丸くしながら尋ねるベルに、葉子は笑った。
「普段は大仕事があった時にしか使わないんだけど、今日は特別! ユキさんにいいお友達ができた記念に、ここ使っていいわよ。二人共、裸の付き合いを通してもっと仲良くなりなさいな」
葉子の言葉に、ベルは申し訳ないという顔をした。
「葉子、すまない。急に押しかけた上にこんなに大きな風呂まで使わせてもらって」
そんなベルに、葉子は笑って答えた。
「ベルちゃん、あなたは私達が招待したお客さんなのよ? 私達が、そしてユキさんが気に入った人なら、自分の土地の中では最高の友情ともてなしを与えないといけないでしょう?」
葉子の心からの言葉に、ベルは胸を打たれた。
「……ありがとう、葉子。では、ありがたく使わせてもらうよ」
「ええ。二人共、どうぞごゆっくり。あ、上がったら私に声をかけてね。後片づけは私達でやるから」
そう言うと葉子はその場を後にした。
(……なんて気持ちのいい人間だろうか、ここの者達は。これが以前ルーシーが言っていた、日本人の奥ゆかしさというものなのだろうか)
葉子が去った後、ベルは日本人の奥ゆかしさを噛みしめつつ、手早く服を脱ぎ、ツインテールに束ねていた髪を解き、生まれたままの姿になった。
ふと見ると、何故か雪姫は服を脱ぐのを躊躇っているようだ。その様子を心配したベルがその体を隠す事なく、雪姫に声をかけた。
「雪姫、本当に大丈夫か? 何だか顔色が悪くなってきてるぞ?」
「だ、大丈夫ですっ」
ベルの問いかけに雪姫はしばらく固まっていたが、やがて思い切ったように服を脱いで裸になった。
「なっ……!?」
次の瞬間、ベルは絶句した。
雪姫のプロポーションは同年代の女子と比べても数段上だった。特にベルの目を引いたのは、その小柄な体には似つかわしくない、豊満な、胸。
(ルーシー以上……いや、それ以上はある……だと……)
すかさず分析するベル。そこで彼女が思い浮かべたのは、ピンク色の髪が特徴で、おっとりとしていてやけにナイスバディな自分の同輩だった。
(おっぱいなんてあっても苦労するよべるべる~。すっごく肩凝っちゃうよ~)
おっとりとした口調で、悪気はないのにベルのコンプレックスをえぐる彼女の声が脳裏に響いた。
(……あいつほどはないようだが、とにかくけしからん。何故世界という奴はこうまで理不尽なのだ!?)
「……ベル姉様? どうかしたんですか?」
絶句するベルを見て、雪姫が首を傾げる。その声にベルは我に返ると、気恥ずかしさからか雪姫から目を逸らし、ボソッと呟いた。
「い、いや、最近の女子は発育がいいのだなって思っただけだよ」
ベルの呟きに、雪姫があわてて弁解する。
「い、いえ、いい事ばかりじゃないですよ? いつもちょうどいいと思って買った服が、すぐに胸の辺りだけでキツくなって、せっかくのお気に入りが着られなくなってしまうんです。それに、特に胸が大きいと肩が凝るんです。いい事なんかないですよ」
ぐさっ。
ベルのハートを、聖者が刺した槍で貫かれたような衝撃が走った。
「……ベル姉様? 具合でも悪いんですか?」
「……いや、大丈夫だ。ただちょっと自分の無力さを思い知っただけだ」
「?」
ベルの発言に雪姫が首を傾げたその時だった。
「痛っ……!」
突如、雪姫が顔をしかめて首筋を押さえた。
「雪姫、どうしたんだ?」
「っ!? べ、ベル姉様、大丈夫です!」
雪姫の異変に、ベルが彼女に近付く。
「首が痛むのか? 見せてみろ」
「だ、ダメですっ!」
雪姫は頑なに首筋を押さえて離そうとしない。
「雪姫!」
ベルが少し語気を強めると、雪姫の手から力が一瞬抜ける。その瞬間を見逃さずにベルは首筋を押さえていた手をひっぺがした。
そして、首筋にあったものを見たベルは目を見開き、鋭く息を飲んだ。
「――これは」
雪姫の首筋には刃物のようなもので切られたと思われる、痛々しい一筋の傷があったからだ。雪姫は「見られてしまった」と言いたげに沈痛な表情をしている。
「……これはひどい。一体どうしたらこんな傷が……それに、先程の葉子の口振りから察するに、この傷の事は誰にも話していないな? 首にこんな傷があるのを知っているなら出会って間もない他人であるベルに一緒に風呂に入るよう勧めないものな」
ベルの指摘に、雪姫はゆっくりと頷いた。そして、長い沈黙がその場を支配する。やがて、その沈黙を破ったのは雪姫だった。
「――ベル姉様、私、前に、何かが入ってきた事があるんです」
「入ってきた?」
奇妙な言い回しにベルが首を傾げる。
「いえ、入れられた――その言い方の方が正しいかもしれません。この傷はそんな事をしたヒト達に抵抗した時についた傷なんですけど、それらは親友のおかげで治りました。でも、この傷だけはどうしても治らないんです」
「…………っ」
絶句するベルに、雪姫は自嘲するような笑みを浮かべると、言葉を紡いだ。
「その時の記憶は曖昧なんですが、私はこの手で、たくさんの命を傷つけ、奪った事ははっきりと覚えています。その中には、私の親友も……」
「雪姫……」
「だから私は、この傷こそ罪の象徴なんだと思います。私が、犯してしまった償いようのない、大きな罪の……」
雪姫の言葉がどんどん尻すぼみになっていく。その時――
「おりゃ」
むぎゅ。
「ひゃあぁんっ!?」
雪姫は飛び上がらんばかりに驚き、素っ頓狂な声を上げた。何故ならば、ベルが雪姫の豊満な胸を背後から鷲掴みにしたからだ。
「べべべベル姉様!? いきなり何をするんですか!?」
即座に振り向き、顔を真っ赤にして困惑した叫び声を上げる雪姫。すすとベルはおどけたように笑い、
「ん? いや、すまん。触ってみたいという欲求を抑えきれず、つい触ってしまった」
「よ、欲求って!」
身も蓋もない言葉に雪姫が反論しようとする。するとベルは背後から雪姫を抱きしめるようにしながら、彼女を安心させるような微笑みを浮かべて言葉を紡いだ。
「……雪姫。言うのが辛いなら無理に言わなくてもいいんだぞ? また心の準備が整った時にでも話してくれればいいんだ」
「ベル……姉様……」
ベルの優しい言葉に、雪姫の声が震える。
「辛かったよな。なのに、よくベルに話してくれた。ありがとう」
ベルが抱き締める力を少し強める。
「……なぜだかわからないんですが、ベル姉様にならば話してもいいって思ったんです。それに、ベル姉様に話したら何だか楽になりました」
「ああ。ベルでよかったら、いつでも話を聞き、力になる。安心してくれ」
「ありがとう、ございます。ところでベル姉様……」
「なんだ?」
「……そろそろ、胸から手を離して下さい……」
「やだ。ここまで大きいと妬ましいや羨ましいを通り越してもっと触りたくなる」
むにゅむにゅむにゅ。
「はひゃっ!? やっ、ベルねえ……らめえぇぇぇっ!」
脱衣所に雪姫のあられもない悲鳴が響く。こうして、ベルは数分もの間たっぷりと雪姫の胸の触り心地を堪能したのであった。
「……ベル姉様、触りすぎです」
雪姫が頬をぷくーっと膨らませながらベルに抗議する。
先程までの暗く、重苦しい雰囲気はどこへやら。大浴場に足を踏み入れたベルと雪姫は洗い場に隣合って座り、談笑していた。
「いや、すまなかった。しかし雪姫、その胸は自信を持っていいぞ」
「あ、ありがとうございます?」
二人は先程から椅子に座り、こんな感じの奇妙な会話を繰り広げていた。ひとしきり話した後、ベルは雪姫に声をかけた。
「雪姫、よかったらベルが背中や髪を洗おうか?」
「え? で、でも……」
「遠慮するな」
ベルはボディソープのボトルを手に取って立ち上がるとそっと雪姫の背後に回った。
「それじゃあ洗うからな。首に触れないようにはするが、もし痛んだらすぐに言ってくれ」
「はい」
ベルはボディソープを手に出すと、掌で伸ばし、泡立てていく。そして、そっと雪姫の背中に触れた。
「いいか雪姫。他人の背中を洗う際はタオルよりも掌でやるのがいいんだ。背中の皮膚は結構デリケートだから、タオルでゴシゴシやると皮膚が傷つく」
雪姫の背中を洗いつつ、ベルが説明する。
「はい、ベル姉様」
雪姫は背中を向けながらもきちんと返事をした。
「しかし、雪姫の肌は本当に白いな」
雪姫の背中を流しながらベルは感嘆の声を上げた。
「その名に相応しく、まさに雪のようだ。それに、髪もここまで綺麗な純白は見た事がない」
「で、でもベル姉様の髪もとっても綺麗です。なんだか普通の赤毛とは違う気がします」
「くふふ、これでもれっきとした地毛だぞ?」
仲のいい姉妹のように会話を弾ませる紅と白の少女。その間にベルは雪姫の背中と髪を洗い終えた。
「よし、おしまいだ」
ベルが満足そうに頷く。すると、雪姫が振り向いてベルに声をかけた。
「ベル姉様、今度は私に姉様の背中と髪を洗わせて下さい」
その言葉にベルは笑って答えた。
「わかった。それじゃあお願いするよ」
そしてベルは椅子に座る。すると――
「えいっ」
ふにゅ。
「……」
突然、雪姫の腕が背後から伸び、ベルの胸をすぽっと覆ってしまった。
「ゆ、雪姫。何をしてるんだ?」
突然の出来事にベルは歯切れの悪い口調で雪姫に顔を向ける。すると雪姫は悪戯っぽく笑って言った。
「えへへ、さっきはいっぱい触られちゃいましたから、お返しです」
そう言いながら、雪姫はベルの胸を揉む。が――
ふにゅ、ふにゅ。
「…………」
「…………」
何だか段々妙な空気になってきた。そして、ベルが口を開いた。
「……雪姫、楽しいか?」
「……え、えーと」
「ベルのこの平坦な胸を揉んで楽しいか?」
「え、えーと、大丈夫ですよベル姉様。ちゃんと膨らんでます! まだまだこれからですよ!」
ぐさっ、ぐさっ。
ベルのハートを聖人が刺した槍で二度貫くような衝撃が襲った。
「べ、ベル姉様?」
突然力が抜けたかのようにがっくりとうなだれるベルに、雪姫が声をかける。
「……いや、大丈夫だ。己の限界というものを思い知っただけだ」
「? え、えーと、それじゃあ洗わせていただきます」
雪姫はそう言うと、少しの泡にしたシャンプーを混ぜつつ、界面活性剤と髪、水を馴染ませ、泡を立てる準備をする。
それから髪を濡らした所で、適量のシャンプーを掌でふんわりと泡立て、頭皮を洗っていく。
「良い泡立ちだな」
ベルの上機嫌な言葉に雪姫の声も弾む。
「初めに馴染ませているので、泡立ちやすいのです」
そう言って雪姫はベルの髪を優しく指の腹で洗い、手で取れるだけの泡を取り除いた後に、シャンプーを流してトリートメントをつける。
シャンプーやトリートメント特有のいい香りがベルの鼻孔をくすぐる。
そして、雪姫はベルの燃え立つような髪をまとめ上げた。
「馴染む間に背中洗いますね」
そう言うと雪姫は、泡立てたボディソープで背中を掌で洗いにかかる。その時――
ちょん。
「っ……ちょ、ちょっと待て」
背中に感じた感触にベルは上擦った声を上げた。
「え?」
「何かえらく……」
「もしかして、これ……ですか?」
ちょん、つ、つつー……。
「ふぁ……や、何……ふふふ、ははははっ」
雪姫の指の動きはまるで、泡を絵の具に、ベルの背中をキャンバスに見立てて、泡を指で置いていくような動きだった。
絵を描くかのような繊細なタッチでいて、愛撫するかのような動きに、ベルは飛び跳ねるように身を逸らしてしまう。
「ふぁっ……雪姫っ! 何、遊んでいるんだっ……ああああんっ!」
つい、ベルの口から艶めかしい矯声が上がってしまう。彼女の体はすっかりドMモードへと切り換わってしまっていた。
「あ、すみません、つい……」
ただならぬベルの様子に、雪姫は指使いを止めて普通に洗いだした。すると――
「雪姫……」
「はい?」
「……も……もう少しやってもいいんだぞ?」
頬を赤らめ、ベルは雪姫に流し目を送ってそれとなくもう一度やってくれるよう懇願する。
「は?」
「いやいや、何でもない」
(さあ来い雪姫! 持ちかけておいてのキャンセルは『やってくれ』という前フリだと相場が決まっているもの! さあ、あの時の絶妙な指使いを今一度……!)
期待を胸に、ベルはその時を待つ。しかし、
「流しますねー」
そう言って、肩からシャワーをかける雪姫。
がーん。
ベルの背後にそんな擬音がでかでかと浮かんだ。
そしてベルは雪姫に小さな声で、
「ほ、放置か、放置なのか、雪姫……」
と、寂しそうに答えた。
「はい」
雪姫がそう答えると、音が聞こえそうな勢いで振り返り、
「な、なんだとっ」
思わず目を見開いてしまったベルに、雪姫は何て事ない顔で答えた。
「え、背中の泡を流してから、髪のコンデショナーを流しますね。こうやって五分くらい放置しておくと、いつもより柔らかくなりますよ。ただ寝癖が付きやすくなりますけれど……どうしたんですか?」
「そっちか、いや、いいのだ、気にするな」
(くっ、この娘、かなりの天然だ……! それでいて、絶妙なテクニックの持ち主でもある……! 雪姫、恐ろしい子……!)
心の中で、間違った方向に雪姫を誉めるベルであった。
それからベルは雪姫に背中を流してもらい、髪もしっかりすすいだ上で綺麗にタオルで上げ、雪姫と一緒に湯船へ浸かった。
「なあ、雪姫……」
「何ですか?」
「さ、さっきは何をやったのだ?」
「さっき?」
ベルの問いかけに、何の事かわからない様子で首を傾げる雪姫。
「その、ベルの背中で何かやらなかったかと」
「ええと、泡が絵具に見えてしまって。こう……」
「ひゃ……」
雪姫が湯の中で手を泳がせた途端、ベルはまたあられもない声を上げそうになってしまう。
(な、何だ、これは……!? あぁあんっ! まるで強い炭酸泉のような刺激が……! ピリッとするというか、強い炭酸ジュースに全身を浸したような感覚が……!? ふあぁんっ! ……この全身を襲う絶妙な刺激、たまらない……っ! は、はうぅっ……!)
今までに感じた事のない感覚に、ベルは暫く身を竦め、僅かに身震いしながら息を止める。しばらくそうしていたが、やがて体から力が抜け、何かを堪える様に頬を染めながら口を開いた。
「……いい、実にいいな。いや……そういう事か、雪姫は絵を描く、その時に意識する事もなく、とても集中する。それが絵の具の水分を揺らし、美しさに反映するのか……しかしイイ……」
首を傾げる雪姫をよそに、ベルは雪姫の手腕(?)に深い感銘を受けながら、彼女とじゃれあったり他愛のない話をしながら入浴を楽しんだのだった。
しかし、湯船に浸かりながらベルの中では一つの懸念があった。
それは、常人の目にはまったくわからないもの。しかしベルは堕天使特有の超感覚でそれを見抜いていた。
雪姫の首筋にあった傷から毒のように溢れてくる、どす黒い念を。
(間違いない。あの傷はただの傷ではない。呪いの類だ。しかし、どうして雪姫にあのような呪いが……?)
ベルはふうと溜息をつきつつ、今後の事に頭を巡らせていた。
(呪いがかかった詳しい経緯はわからないが、あのままでは命に関わるかもしれない。呪いに関してはベルよりもルーシーの方が詳しいからあいつに聞いてみるか。あいつなら呪いの種類やその解呪方法について詳しいだろうからな)
そう結論付け、ベルは目を閉じた。
(……しかし、もう一度やってくれないものか、さっきのアレ……あれは、いいものだ……)
そして、彼女の頭の中は再び残念な思考へと切り替わっていったのであった。
桜月りま様 うろな町の森に住んでみた、ちょっと緩い少女のお話より ユキちゃん、葉子さん、お借りいたしました!