Part 01 終章開幕
それは、夏が終わり、季節がゆっくりと秋へと切り替わる境目の日――八月三一日深夜の事。
季節が切り替わる事に思いを馳せながら眠りについていたベルは奇妙な感覚に目を覚ました。
「う……ん……? む、ここは……」
目の前に広がる光景に、ベルの眠気は吹き飛んでしまった。
ベルは今、綺麗に磨かれた一枚岩の上に立っており、その周囲は水に囲まれ、遠くでは篝火のような火が点々と燃えている。
その神秘的な光景にベルは見覚えがあった。それは、以前ベルが雪姫に宿る神――水羽によって生命力と魔力を与えられた時にいた場所であった。
「確かここは、『雪姫とベルの心が交わった狭間の世界』……だったか」
ベルが辺りを見渡しながらひとりごちた時――
「せいかーい」
もにゅもにゅ。
「いひゅあぁぁんっ!?」
気の抜けた声と共に平坦な胸を揉みしだかれ、ベルは飛び上がらんばかりに驚き、間抜けな悲鳴を上げてしまった。
「いいい、いきなり何をするんだ……水羽っ!」
顔を真っ赤にしながら振り返り、ニコニコと笑っている少女――水羽に怒鳴る。だがその顔は満更でもないようで、無意識の内に息が荒くなっていた。
水羽は以前と同じ雪姫の姿をしていたが、ベルは漂う雰囲気や内側から滲み出る魔力からそれを察知していた。
水羽は息を荒らげるベルにはお構いなしに、うーんと唸っている。
「うーん、やっぱりべるってばちいさいなぁ。ちゃんと食べてる?」
「う・ま・れ・つ・き・だ! そもそも一体何なんだ、お前は! ベルをわざわざこの世界へ引き込んだと思ったらセクハラするためか!?」
自分の身をかき抱きながら、ベルは水羽に叫ぶ。すると水羽は思い出したかのように手をぽんと打ち、言った。
「ああ~そうそう、それはどうでもいいのよ。じゅうような事じゃないわ」
「……お前が雪姫の姿をしていなかったら、ベルはお前の胸を揉みしだきまくっていたのだがな……!」
「ああ、わたしのもんでも、巫女のがおっきくなるだけだもんねぇ?」
「ただでさえ立派なのに、それがさらに立派になるというのか……! くっ……けしからん……けしからんぞ……!」
恨めしげな視線を水羽に送るベル。すると、水羽は突然ベルに尋ねた。
「べる、あれから調子はどう?」
「え? あ、ああ。おかげさまでもうほとんど回復したよ。お前と雪姫が分け与えてくれた生命力と魔力、そしてお前がアドバイスしてくれた血液を回復する食べ物と、そのアドバイスを元に葉子が作ってくれた料理のおかげでな」
そう言ってベルは両手の指先に小さな炎を灯し、それを空中に放つ。放たれた小さな炎は空中で一斉にぶつかり、合体し、大きな火球へ変化する。火球はそのままベルの手元へふわりと降下し、ベルはそれをそっと両手で押し潰すような動作をした。すると火球は紙風船が潰れるかの如くゆっくりと潰れ、火の粉となって虚空へと消えていった。
「どうだ?」
ベルの問いに水羽は満足そうに頷いた。
「うんうん、もう大丈夫そうね……べる……いえ、堕天使ベリアル。貴女に大切な話があるの」
「――っ!?」
突然少女の顔から毅然とした「神」の顔になった水羽にベルは一瞬気圧されつつも、水羽の持つ真紅の瞳をまっすぐ見つめる。
「何だ、大切な話とは?」
「ベルが探している本の行方を掴んだの」
「何だと! 一体どこに!?」
ベルが身を乗り出して叫ぶ。
「貴女とリズが巫女を追いかけて入った森の奥……木の洞を抜けた先にある滝にあるわ」
「あそこか……しかし、何故そんな所に……」
「貴女達が巫女を追いかけていった滝――あの場所は宵乃宮にとって聖地に近いの。だからあの場所には膨大な神力が集まっているのよ」
「確かにあの場所からはただならぬ力の気配を感じていたが……それがあの本とどういう関係がある?」
すると、水羽は真剣な表情で言葉を紡ぐ。
「ベル、これから言う事をよく聞いて。あの場所に本はあるけれど、それは今、別の何か強大な力を持つ者の手中にある」
「何だと? 誰かが本を見つけ、我が物にしたというのか?」
水羽は首を傾げる。
「さぁ? その辺を教えるのは面白くないからやめとくね」
「面白くないとかそんな問題かっ」
ツッコミながらも、神だからこその何がしかの「枷」があるのか、神だからこその真意があるのか、ともかく水羽の口から全てを伝えられないのだろうという事くらいは察しがついた。ベルも元々は神の元にいたので、神という者の考えがなかなか読めず、その内面で想像もつかない事を考えているというのは慣れていたからだ。
図れない神の考えを少しでも見透かそうとしたが、それを遮るように水羽は話を進めていく。
「でね? その者は本の力と融合し、凄まじい力を手にしているわ。そしてそれは今、滝に満ちている神力を吸収してどんどん力を増していっている。それこそ、この町はおろか、国を滅ぼしかねないほどに、ね。そしてそれはもうすぐ完全なる力を手にするわ」
「……」
水羽の言葉にベルは何も言えなかった。
「お願い、ベル……いえ、堕天使ベリアル。この町を守って。今、頼りにできるのは貴女なの。この町にいる戦う力を持つ者は皆、以前の戦いの傷が癒えていない。どうか、貴女の力で私の、いいえ、雪姫とこの地に住まう者が愛するこの町を守って……!」
深紅の瞳を僅かに揺らしながら水羽はベルに頭を下げた。ベルはしばらく考え込んでいたが、やがて――
「……誰に物を言っている?」
自信に満ちた表情でベルは顔を上げた。
「ベルは天界で二番目に創造され、かのルシフェルに次ぐ力を持つ者、七大罪、憤怒を司るベリアルだ! ベルならばやれる。いや、やってみせる!」
「う、うん」
ベルの強気な口調に水羽はきょとんとしている。するとベルはそれに、と一呼吸おいて続ける。
「はっきり言って、この町は本当にいい所だ。この町に来て、雪姫をはじめ多くの者達と触れ合い、その優しさや心の温かさに触れる事ができた。これほどまでに素晴らしい町が滅ぼされるのは、断じてあってはならない。だから、雪姫、水羽、この町に住まう者、そしてベルが愛するこの町を守る事を、ベリアルの名において誓おう」
力強い口調で宣言したベルに水羽は深く頭を下げた。
「……ありがとう、ベル」
水羽はいったん間を置き、続ける。
「それと、お願いがあるの。本を奪い返しに向かうのは今日の深夜にしてほしいの」
「何故だ?」
疑問を呈するベルに水羽は柔和な笑みを浮かべた。
「べすとたいみんぐ、だからよ。私がとっておきを使うための、ね」
「とっておき……?」
「そ、とっておき♪ ふふふ~」
いつの間にか普段のマイペースな雰囲気に戻っている水羽。相変わらず掴み所のない彼女の言動にベルは首を傾げるしかなかった。すると水羽はふぅと小さい溜息をついた。
「さ、はなしはおしまい~。今はゆっくりやすんでね。ばいば~い」
ひらひらと手を振りながら水羽はゆっくりと透き通るように消えていった。そして、周囲の情景もゆっくりと闇の中に溶けていった。
ふと、目が覚めた。ベルの視界にはすっかり見慣れた雪姫の部屋の天井が映っている。
「…………朝、か」
ひとりごちつつベルは体を起こし、大きく伸びをする。そしてベッドで眠っている雪姫の元に向かい、そっとその髪を撫でた。
「……雪姫、お前の愛するこの町はベルが守る。『姉』に任せておけ」
そう言うと、ベルは真剣な表情で、
「……今夜、だな。今夜、ケリをつける」
そっと一言だけ呟いた。
桜月りま様 うろな町の森に住んでみた、ちょっと緩い少女のお話より 水羽さん、名前だけですが雪姫ちゃん、
三衣 千月様 話題として、うろな夏の陣、お借りいたしました!




