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Part 09 水炎対話

「ん……」

 ベルが最初に感じたのは、唇に何かが触れた感触だった。

 目を開ける事はできなかったが、その感触には覚えがあった。

 それは、かつて自分が統哉と契約を交わす際に、接吻を交わした時と同じ感触だった。

 そこでベルは、自分が今、誰かにキスをされている事に気付いた。

 唇越しに伝わってくる、相手が自分を好いているという感情。それがベルの心を満たしていく。

(……ああ、最期にこんな素敵な夢が見られるとはな。ならば、最後の一瞬まで堪能させてもらうとしよう)

 目を開ける事はできず、体を動かす事はできなかったが、唇を動かす事はできた。その柔らかく、甘美な感触に、ベルの唇はもっとその感触を味わおうと動いてしまう。

 唇をそっと開き、相手の下唇を啄む。すると、相手もそれに応えるようにベルの唇全体を優しく啄み返してくる。相手の口が開く度に自分の口腔内に吹き込んでくる吐息が、ベルの脳を甘く痺れさせる。

(……ああ、幸せ……)

 ベルは、言いようのない幸福感に包まれていた。おそらく、相手の目には自分の幸せに蕩けた顔が映っている事だろう。

 と、その時不意に相手の唇が離れた。

(え……?)

 突然与えられていた幸せな刺激が止み、ベルは焦った。唇を動かしてみるが、それは空を噛むだけだった。

 もっと欲しい。もっと自分に接吻を与えてほしい。その思いがベルに言葉を紡がせた。


「……や、やだ……やめないでくれ……もっと、もっとぉ……」


 ベルの口から思わず、甘えるようでいて、そして切なげな声が出てしまう。すると――


「もー、べるってばあまえんぼうさんなんだからぁ」


 と、聞き覚えのある女性の声がした。

(……………………え?)

 そこで、ベルは現状の異変に気が付いた。

(……待て。ベルは死んだのではなかったか? そして今自分が見ているのは死後の夢のはずだ。それに、今の声は……雪姫? 雪姫なのか?)

 朦朧とする意識の中で必死に頭を働かせるベル。すると、その疑問に答えるかのように、再び少女の声がした。

「せいかいだけど、ちがうかなー。ほら、めをあけてみて」

 声に促され、ベルはそっと目を開けていく。そこには――


「おっはー」


 純真無垢な微笑みを浮かべ、自分の側に跪く雪姫の姿があった。

「うわああああっ!?」

 ベルは素っ頓狂な悲鳴を上げながら飛び起きると、その場からバックステップで雪姫から距離を開けた。

「ゆ、ゆゆゆ雪姫!? どうしてここに!? ――なっ!? それにここはどこだ!?」

 ベルが辺りを見渡しながら叫ぶ。彼女と雪姫は今、綺麗に磨かれた一枚岩の上に向かい合って立っており、その周囲は水に囲まれ、遠くでは篝火のような火が点々と燃えている。すると、雪姫は微笑んで答えた。

「ここは、ユキとべるの心がまじわったはざまの世界。この世界の時間はと~ってもゆっくりしてるから、い~っぱいおしゃべりできるよー」

「お、お喋りってそんな事を……む?」

 雪姫に何か言いかけたベルはそこで、目の前に立つ違和感に気付く。その違和感は口調と、そして彼女が放つ圧倒的な力の気配。

「雪姫」が「雪姫」ではない事に気付くや否や、ベルは即座に身構えた。

「……誰だ、お前は? 雪姫の姿をしているが、その内面は、雪姫とはまるで違う…………そう、まるで『神』だ。何者だ、お前は?」

 ベルの超感覚は、目の前に立つ雪姫から放たれる浮き世離れした気高さと、神々しい力の気配を感じ取っていた。

 すると、「雪姫」は首を傾げて言った。


「わたしは、『かみ』、らしいよー」


「…………は?」

 突然のカミングアウトにベルはあんぐりと口を開けるしかできなかった。そんな彼女をよそに、雪姫の姿をした「神」は首を傾げながら話し続ける。

「でも、何をもって、かみなのかしらね? じっさい、じぶんじゃわかんないのよねー」

「……だが、お前から感じるその力はベルと似ている所はあるが、その強さは比べ物にならない。まさに『神』の力ではないか?」

 警戒を解こうとしないベルの指摘に「神」はどこか冷めた表情をして言った。

「でもさ。使うモノがじゃあくだと、じゃしんってよばれるから、かみなんてロクなものじゃないよねー」

「む……」

 その言葉にベルは思案する。言われてみれば、確かにそういう見方もある。力というものは、使い方次第で善にも悪にもなる。それは、神であれ人であれ同じ事。そして、ベル自身にもあてはまる。

 その時、「神」が思い出したように言った。

「そういえば、あなたは、だてんし・べりある。で、あのわんこみたいな子は、だてんし・なべりうすね」

「……何故ベルとリズの真名を知っている? そして、改めて問う。お前は、一体何者なのだ?」

 一瞬で真名を看破された事にベルは驚愕し、尋ねる。しかし「神」はそんな事など気にしていないという感じで頬を膨らませた。

「せっかくきずをなおしてあげて、すっからかんになったべるの力をもとどおりにしてあげたのに、そう構えないでくれる? やりにくいったらありゃしないわ」

「……傷を、治した?」

「あらあら、気付いてなかったの? 今の自分をよく見てみなさいな」

「何を……これは!?」

「神」に指摘され、ベルは相手を警戒しつつも自分の状態を精査し、そして驚愕に目を見開いた。

 ほぼ全身にわたっていた無数の傷、そして肩から胸にかけて走っていた大きな袈裟斬りの傷はまるで最初からなかったかのように綺麗さっぱりなくなっていた。さらに、二度の死闘により枯渇していた魔力が、大幅に回復している事にベルはさらに驚愕した。

「ふふ~、今頃きっと、りずが顔を真っ赤にしているかしら」

「何? どうしてそこでリズが出てくるんだ?」

「ん~? ひみつ~」

 雪姫の姿でけらけらと笑う「神」に、ベルは妙な違和感を覚えながらも口を開いた。

「……いや、話を元に戻そう。いい加減にお前が何者なのかはっきりしてもらおうか? 名を名乗れ」

 すると「神」はいかにも面倒くさそうな顔をした。

「え~? 名前~? めんどくさいな~」

「名前も言えんのか、神のくせに。それとも、ベルのような堕天使に名乗る名はないと言うのか」

 あからさまに不機嫌な口調で、ベルは雪姫の姿をした「神」を睨む。

 すると「神」は肩を竦めた。

「そんなんじゃないけど。なまえとかぞくせのふーしゅーでしょ? それに、撞榊厳魂(つきさかきいつみたま)天疎向津(あまさかるむかつ)姫命(ひめ)、覚えられるの? 瀬織津姫(せおりつひめ)とか闇御津羽(くらみづは)とか、よんでいたら『ちゅーにびょー』よ? 他にも……」

「ああああもういい! とりあえず名前が長い! 長すぎる!」

 ベルは大声で「神」の言葉を遮った。

「というかお前、このベルに喧嘩を売っているのか!? それに、中二病って神が言うか普通!? ……あーっ! もういい、面倒だ! ベルはこれからお前を、その名の一つ、『くらみづは』から、ミズハ……よし、水羽と呼ぶ! 異論は認めないからな!」

「だ、だてんしになまえつけられたっ! でも……イイ、気に入ったのっ」

 全身で喜びを表す雪姫の姿をした「神」――水羽。

「気に入ったのか!? ほぼ適当な名前だぞ!?」

 ベルの半ば悲鳴じみた声も、水羽は特に気にしていないようだった。

「巫女のきにいった者がつけてくれたし、な、に、よ、り……」

「……何より?」

 ベルが尋ねると、水羽は明るい声で答えた。

「おぼえやすいのがいいわぁ~♪ だいたいいままでの、ほんにんすら舌かみそうな名前ってどぉーおもう、べる?」

「む……確かに、自分の名前が言いにくいと不便極まりないな」

 水羽の言葉にベルは思わず納得してしまっていた。彼女の頭の中には、かの有名な寿限無の名前が浮かんでいた。ベル自身、寿限無のフルネームを韻んじるのに舌を何度も噛んだ覚えがある。

 すると、水羽は何かを思い出したかのようにポンと手を打った。

「そうそう、べる。だいじな事だからもう一回言うけど、からだ、治しておいたわ。まだ死ぬべきでないタマシイだから、それができたし」

「いきなりだな……だが、本当にベルの傷が綺麗さっぱり消えている。胸の傷なんて初めからなかったかのようだ。感謝する、水羽」

 すると、何故か水羽は少し怒ったように語調を厳しくした。

「でも『ちーと』ではないから。わたしの『ちゆ』は『血から』なの。巫女のいのち、けずるの」

「何だと……? ではまさか、今のベルは雪姫の命をもらって生きているというのか?」

 ベルが驚きを隠せない様子で尋ねる。水羽は神妙に頷き、続ける。

「そう。だから血は『さんぶんのに』しか、かいふくさせてない。あとはじぶんで、なんとかして」

「三分の二?」

「べるの死なないギリギリ。これで死んだら、うんの尽き、よ」

 人間より耐性、回復力があるとはいえ、人間を基本に考えれば三分の一、堕天使も体内を巡る血液の三分の一を失うと死の危険に曝される。

 この水羽という自称「神」はそのギリギリのラインまでベルの体を回復させた。が、ギリギリであって助かるかは自分次第だと言って笑っていた。

 仕方あるまい、雪姫の命を少しでも削るまいとする故だろうと、ベルは溜息と共に納得した。

「わかった。では帰ったら、鉄分補給に勤しむとしよう」

「タンパク、ビタミンB1、ビタミンB2もひつようよ。ぞーけつ作用があるしじみとか、ギョカイ類やマメもおすすめ!」

「お前は栄養士か!?」

 すかさずベルがツッコむと、水羽は雪姫と同じ仕草で首を傾げてみせた。

「水羽だって。なまえつけたの、もうわすれた?」

「お、お前は……」

 ベルは拳を握り、わなわなと震えた。それは怒りではなく、格の違う相手にどう接すればいいのかわからないもどかしさからくる震えだった。すると、水羽は柔和な笑みを浮かべて言った。

「まーまー落ち着いて。べるには、命懸けで巫女を助けてもらった大きなかりがあるし、わたしもお手伝いしてあげる」

「手伝い?」

 ベルが怪訝な顔をして尋ねる。すると水羽は自信ありげに豊満な胸を張り、

「べるがさがしている本の手がかりが見つかるように、わたしが、えーと……あ、あるてま? をはっておいてあげる!」

「アンテナ、だろ。何だ、その究極の攻撃魔法みたいな言い方は……」

 即座にツッコむベル。どうも自分はこいつと対峙していると非常に疲れる。まるで一年三六五日エキセントリックな言動をしているルーシーと話しているようだ。そう思わずにはいられなかった彼女であった。

「でも、べるの捜し物って放っておいたらたいへんなんでしょ? わたしの力だったら、今のべる以上に探せると思うんだー」

「……確かに。今のベルの力では、戦う事で精一杯だ」

 ベルは思案する。フルパワーのベルならば、どんなに巧みに隠れていようと即座に目当ての物を探しだし、跡形もなく焼き尽くす事など造作もないだろう。だが、今のベルでは魔力を戦闘面に割り振るだけで力の大半を消費してしまうという事を痛感していた。

(背に腹は代えられない、か)

 ややあって、ベルは頷いた。

「……わかった。苦労をかけるが、協力を頼む」

 すると水羽はにっこりと笑った。

「まっかせといてー♪ それに、がきてくれるとおもうんだぁ」

「兄? お前、兄がいるのか?」

 聞きなれない単語にベルは首を傾げた。

「そう、わたしの兄。あの人はうろなの森が好きだから、きっとべる達の力になってくれると思うんだー。あの人には、わたしから伝えておくねー」

「は、はあ……」

 何だか勝手に話を進められ、ベルは曖昧な返事を返すしかなかった。

「でも……」

 と、急に水羽の声が怒気を含んだものになった。

「どうしても、許せない事があるなー」

「な、何だ?」

 ベルが聞き返すと、水羽はベルを睨みつける。その迫力にベルは思わず後ずさってしまう。そして水羽は睨んだまま尋ねた。

「バス停と、ユキの心の中とで、うそ、ついたよね? 自分に呪いが解けるかどうかわからないのに、呪いを解くって言ったことと、小角を前にして、自分は大丈夫だなんて意地張っちゃって。あのときのべるは、もうまともにたたかえるかどうかも怪しいところだったでしょ? 今回はどうにかなったけど、もしあれでべるが死んだらユキは、そしてべるの事を心配しているみんなはどう思うかしら? 残された者の気持ちを、考えているの?」

「……っ」

 鋭い指摘に、ベルはぐうの音も出なかった。雪姫を安心させるためとはいえ、嘘をついてしまった事は事実だった。そして、もし自分が失敗した時の事を全く考えなかった事を恥じた。大きな罪悪感を感じたベルは思わず俯いてしまうが、すぐにその事を詫びようと顔を上げた。

「べ、ベルは――」

 そして、顔を上げたベルが見た光景は、笑顔を浮かべた水羽が拳を後ろに構え、目にも留まらぬスピードで接近しているものだった。

「そぉい!」

 水羽が気の抜けたかけ声を発すると同時に、強烈な右フックがベルの右頬を打ち抜いた。一瞬の間の後、衝撃が走り、ベルの体から一切の力が抜けた。

「……お、まえ……」

 ベルは精一杯の力を振り絞って水羽を睨もうとした。しかし、それより早くベルの体は地面に倒れた。

「ユキを助けてくれたこともあるし、いっぱつでゆるしてあげる。今は、ゆっくりおやすみなさい」

 それが、ベルの聞いた最後の言葉だった。

「……さてさて、それじゃかえろっかなぁ~♪」

 ベルが気を失った事を確かめた水羽は軽い口調でそう言うと、倒れているベルの体をぞんざいに脇へと担ぎ、

「くふふ、なに言ってもべる。セカンドキスはもらったからね」

 そう彼女に告げ、その場からふっと消えた。

桜月りま様 うろな町の森に住んでみた、ちょっと緩い少女のお話より 雪姫ちゃん、闇御津羽さん、その「お兄さん」、お借りいたしました!


ここで、ベルによって闇御津羽さんに「水羽」という名前が付けられました。これから水羽さんをよろしくお願いいたします^^

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