Part 08 風前の灯
「先輩……雪姫ちゃん……」
体を引きずりながらも、二人の元へ戻ってきたリズ。その時、ベルと雪姫の間に生じていた力場が消滅した。
直後、ベルの体が見えない力に弾き飛ばされたかのように軽く吹き飛んだ。そのまま転がり、仰向けになって止まる。
先程まで絶え間なく輝いていた瞳は元に戻り、白く輝いていた右腕は元の肌色に戻っている。そして、その手の中には雪姫とベルの血に染まったネジがあった。
「先輩っ!」
慌ててリズが駆け寄ろうとするが、ベルが震える手を動かして雪姫を示したのを見て、すぐに雪姫の状態を確認しにかかった。
雪姫の胸に耳を当て、さらに呼吸をしているかどうかを確かめる。
すると、確かな心臓の鼓動と静かで安定している呼吸音が彼女の耳朶を打った。
今はまだ意識が戻らないが、この様子だとすぐに意識は戻るだろう。そして、またどこか緩い口調で自分の名を呼んでくれる。
そう確信した瞬間、言いようのない喜びにリズの体は打ち震えた。
生きている。自分の大切な友達が、生きている。
その事実をベルに伝えるため、リズは喜びも露わにして叫んだ。
「先輩! 雪姫ちゃんが生き返ったっス! 先輩が頑張ったから、雪姫ちゃんが生き返ったんス!」
「…………」
だが、ベルは答えない。仰向けに倒れたまま、ぼーっと洞窟の天井を見つめている。
「? 先輩? どうかしたんスか?」
リズが小首を傾げ、ベルの元へ近付いた瞬間、彼女の左肩からに胸にかけて一筋の赤い線が走った。それを皮切りに、白い腕と足、顔、ドレス、その下に隠された皮膚と、次々に赤い線が走り、そして、一斉に血を噴き出し始めた。
「先輩っ!?」
リズが血相を変えてベルの元へ駆け寄る。
あっという間にベルから流れ出た血は地面に倒れているベルを染め上げ、今や彼女の体は血の池に浮かぶ死体同然だった。
「ああああっ!? 先輩! 先輩ーっ!」
リズは叫びながらベルの体を抱えた。その体からはどんどん血が流れ、同時に熱が失われていくのをはっきりと感じ取ったリズの顔は一気に青ざめた。
特に肩から胸を走る傷と右腕は酷い有様で、前者は冴の振るった太刀で深々と斬られた傷が大口を開け、後者はネジの力と融合していた腕を雪のような純白とするなら、今の腕は鮮血の深紅という有様だった。
腕中の血管という血管から血が噴き出し、右腕を染め上げている。リズが軽く触れただけでも、その感触は水の抜けた皮袋同然だった。だが、ネジだけはしっかりと握って離さない。
その時、ほとんど聞き取れないほどに掠れた声で、ベルが声を発した。
「……く、ふふ……参ったな……先程の戦いで受けた肉体のダメージを引きずったまま、雪姫の精神世界……だな。そこで、呪いの大元と戦った時の傷が今になって一斉に具現化したらしい……あーあ、特に右腕はネジの力にベルの力を上乗せしすぎたな……もう、一生まともには動くまいて」
「先輩、ダメっス……喋ったら、ダメっス……」
涙目でベルの言葉を聞き取りながら、リズは首を横に振るしかできなかった。ベルは溜息と一緒に血を吐きながら続ける。
「……どうやら……精神的世界で限界以上の力を振るうというのは、魂をすり減らし、相当の負担をかけるらしいな……おかげで、堕天使の自己治癒力が全く働かない……目も、だんだん見えなくなってきている……」
「せ、先輩……あと少しだけ待って下さいっス。すぐに私が病院へ連れていくっスよ。病院で輸血して、治療してもらわないと……雪姫ちゃんだって、もう心配はないっスけど、念のために診てもらった方がいいっスよ……」
突然の事態に錯乱しつつあるリズが突拍子もない事を口走る。
「…………」
何か言葉を発しようとしたが、声が出ない。とうとうそれだけの力も出せなくなったらしい。仕方がないので心の中でツッコんでおく。
(……いや、この様で病院行ってみろ。警察が飛んでくるだろうが)
見当違いのツッコミを入れた矢先、額にドロリとした感覚が伝ったかと思うとベルの視界が深紅に塗り潰された。どうやら頭からの流血が目に入ったらしい。それを見たリズは更なるパニックに陥ったようだ。
「ああああ……先輩、雪姫ちゃんは助かったんスよ!? なのに今度は先輩が死ぬんスか!? わ、私はどうしたらいいんスか!?」
頭を抱え、目を白黒させながらくずおれるリズ。だがベルはもはや、自分の命に関心を持っていないようだった。残された時間で、取り留めもない事を考える。
(……ああ、そういえば依頼を達成できなかったな。まあ、いいか。今のベルにはもう、そんな事ができる力は残っていない)
今の彼女は、「妹」を助けられた事への達成感と充足感に満たされていた。
(……くふふ、『妹』を助けられたんだ。それでいいじゃないか……雪姫、今度こそ、賀川と幸せになるんだ、ぞ……)
「妹」に未来への励ましを送るや否や、ベルの体からすとんと力が抜けた。直後、彼女の脳裏を走馬燈が駆け抜ける。それは、自分にとって大切な者達だった。
この世界で縁を結んだ者達。自分にとっては親友であり、家族同然である七大罪の面々。そして、彼女達に囲まれて立つ一人の青年――。
(統……哉……)
走馬灯の中に彼の姿を見た時、ベルにはもう思い残す事はなかった。
(……さよならだ、統哉。お前の事、好きだったぞ)
ベルは薄れゆく意識の中で想い人に別れを告げた。その直後、ベルの意識は遥か遠くへ投げ出された。
桜月りま様 うろな町の森に住んでみた、ちょっと緩い少女のお話より 雪姫ちゃん、名前だけですが冴さん、お借りいたしました!




