Part 04 白き世界へ【うろ夏の陣:裏】
ベルが雪姫の胸に右腕を突き刺した瞬間、辺りを眩い光が包み込み、リズは思わず目を覆った。やがて光が収まり、リズがそろそろと二人を見ると、リズは鋭く息を飲んだ。
そこには、左腕で雪姫の体をしっかりと抱き止め、右腕を彼女の胸に突き立てたベルの姿だった。
ベルの輝く右腕は第一関節の手前まで胸に溶け込んでいる。
彼女の双眸は見開かれ、そこにある真紅の瞳は爛々と輝いている。彼女は目を開けているが、何も見てはいなかった。いや、リズの想像とは遙かに遠いどこかを見つめているようでもあった。
それは、どこか奇妙でいて、そして神秘的な光景だった。
リズがその光景に見入っていると――
(りず、ユキのチョーカーを、けがしていない手ににぎらせて)
リズの精神に何かが語りかけてきた。リズはその声が誰の物なのかを気にするより早く、チョーカーを外して雪姫の手に握らせた。そして――
「――頑張れ」
リズの口から言葉が紡ぎ出される。
「頑張れ、先輩、雪姫ちゃん。頑張れ、頑張れ……」
雪姫の手を握ったまま、祈るような口振りで、リズは励ましの言葉を発し続ける。
まるで、それが自分にできる唯一の事であると信じるかのように。
雪姫の胸に右腕を突き立てた瞬間、ベルの腕を伝い、意識が――正確に言えばその「精神」は雪姫の中へと引き込まれた。
突然の高速落下に驚きつつも、ベルはすぐに背中から炎の翼を生やし、バランスをとりながら落下していく。
辺りを見ると、そこは深い縦穴のような空間で、ベルはただ一人その空間を下へ、下へと落ちていく。
(雪姫、待っていろ! 必ずお前を救ってみせる!)
ベルがそう心で呼びかけた時、突然目の前の闇がぼやけてきた。
(……何だ?)
ベルは気が付くと、森にある雪姫の家に立っていた。彼女はそこから自分の視点で目の前の光景を眺めていた。
そして、ベルの視線には前鬼と名乗った、帽子をかぶった男が雪姫の顎を、もう一人の後鬼という女が、雪姫の髪を掴んで、顔を上に向けさせていた。そして、それを見つめる醜悪な老人の姿。
(誰だ……こいつは? しかし、こいつからはドス黒いものを感じる……)
ベルが目の前の光景を見つめていた時だった。
『……宵乃宮人柱の巫女』
老人がそう呟いた瞬間、彼は雪姫に唇を重ねた。雪姫は必死に抵抗しようとするが、男女に押さえ込まれていて抵抗する事ができない。
『や、めて』
雪姫の瞳から涙がこぼれる。ベルの瞳が驚愕に見開かれる。
無理矢理奪われる雪姫の唇。乾いた老人の唇に柔らかい乙女のそれが侵されるなど、どうして……ありえない、あってはならない、こんな事は!
その思いが溢れ、ベルは思わず叫んでいた。
「やめろっ!」
そう叫ぶと、その光景は湯気が掻き消されるかのように闇へと消えた。
気が付くと、次にベルの視界には、自分が先程までいた、森の地下にある石舞台に横たえられた雪姫と、一組の男女、そして目の前には、あの醜悪な老人の姿が映っていた。
老人は再び雪姫の唇に己の唇を重ねる。
二度に渡るその行為に、最早ベルは叫ぶ事もできずに呆然とそれを眺めた。
『降りるがいい』
老人が言うと同時に雪姫の体が大きくのけぞった。
『だめ、だめ、これはぁ、だめ……やめ、て。嫌、入って来ないでぇっ』
すると、雪姫の目が見開かれ、右の額からはめきめきと紅い角が生え始める。
『痛……いよぅ』
雪姫の頬を、血の涙が伝う。
ワンピースはいつの間にか巫女装束へと変わり、その襟合わせは死に前となっていた。
『あらぁ、最後まで抵抗するから、苦しいのよ』
『これで『鬼』が宿ったのか?』
男女が話している中、雪姫は起きあがった。
そして鬼と化した雪姫は、妖怪を屠る者と化した。何もかも奪われて、親友を傷付け、与えられたモノをおもちゃとして殺し、嬉しげに血を浴びる。
その衝撃的な光景を目の当たりにしたベルは目を見開いたまま、瞬きすらできずにその光景を見つめるしかできなかった。
さらに情景は移り変わる。今度はどこかの洞穴のようだ。
雪姫は前鬼と楽しそうに話をしている。その時――
『だってお前は……まあいい。小角様の力は絶対だ、だがもし元に戻ったら……』
男が突然巫女服をはだけさせて、雪姫にのしかかる。
『呪ってやるからな。ちょうど攫う時に俺の刃で傷付けた跡がこの辺にある。今は治っているけどな』
前鬼が左の首筋に鋭い歯を立てる。
『痛っ!』
雪姫が顔をしかめる。しかし傷口はすぐに塞がっていく。
『何なの? 前鬼お兄様ぁ』
前鬼は首筋に舌を這わせ、そこに残った雪姫の血を嘗め上げる。雪姫はそれを嫌がり、暴れる。
彼女は爪を伸ばして振り回し、彼の頬を浅く傷つけた。そのまま急所を狙うが、すぐに気付かれて払い落とされ、完全に組み伏せられた。
『今は喰おうって言うわけじゃないんだ、まあ、喰うって言えば喰うのか。普通の人間だと大抵犯す前に死んじまうからな。でも鬼を宿せるお前の体なら十分……楽しめる』
『何か、嫌ですっ』
『抵抗しても無駄だ。鬼としての力は俺が上だ。ふ、人間の肌は柔らかいな。俺の子を孕め。巫女と鬼だとどんな子が出来るか楽しみだな』
その時、ベルの超感覚は前鬼という者の舌から、雪姫の柔肌に忌まわしき「呪い」が焼き付く瞬間を捉えた。
そこでビジョンは掻き消える。そしてベルは今自分が垣間見たビジョンが雪姫の「過去」そして「記憶」である事を理解した。堕天使であるベルでも、「過去」や「記憶」を書き換える事ができない事に、彼女は爪が掌に食い込むほどに拳を固く握り締めた。
「…………」
その光景を見ている事しかできないベルは歯が砕けるほど歯ぎしりした。彼女の中でどす黒い怒りが燃え上がり、それは大火事のように広がっていく。
ビジョンは切り替わり、無邪気な笑みを浮かべ、虫を集めて作った漆黒の刃でヒトではない者達を斬り伏せる雪姫の姿。
そして、その内面で傷つけたくないのに傷つける事を強要され涙する雪姫の姿。
その陰で、凄まじい飢えに苛まれながらも自我があるうちに己の命を絶とうと必死に自らの体を傷つける雪姫。
だが、鬼と化している雪姫の体はその傷をすぐに埋めてしまう。鬼の中で必死に抵抗している雪姫は自分の命が絶てず、悲しみの涙を流す。そして、それは鬼の意志に押し流されてしまう。
それきりビジョンは映らなくなった。そして、ビジョンから伝わってくる雪姫の悲しみ、無念さといった負の感情が精神体となっているベルへ、洪水のような質量と勢いをもってダイレクトに伝わってくる。
その悲しみの感情に押し流されそうになるのを必死に堪えながら、ベルは精神を入れ直した。
「……くっ……そうか、これが雪姫を苦しめていた記憶か。雪姫、辛かったよな……苦しかったよな……だが、終わりにしてやる……この、ベリアルがっ!」
そしてベルは闇の中をただ落ちていく。その姿はまるで、地表へと堕ちる流星のようであった。
ふと、ベルは右腕に目をやる。ネジを突き立て、雪姫の持っていたネジと彼女の力、そして自分の力が併さってできた白い腕は、普通の腕に戻っていた。しかし、腕から伝わってくる力の鼓動はとても力強かった。
しかし肉体は先の戦闘でダメージを受けたままだった。肩から胸にかけて袈裟斬りに斬られた傷が走り、真紅のゴスドレスは所々が破けていたが、あまり力の低下を感じなかった。
「くふふ」
ベルは思わず笑みをこぼした。まるで、雪姫が側にいて自分を励ましてくれている気がしたからだ。
その時、ベルの視界の端に何かがちらりと映り込んだ。
(……雪?)
ベルがそう思った瞬間、それは数を増し、ベルの側を高速で通り過ぎていく。
ふと、それが頬に当たる。冷たい。そう思った瞬間、それは溶けて消えてしまった。
雪。
ベルはそう直感した。あの子の名前にある雪。あの子の髪と同じ色をした雪。
そんな事を考えていると、目の前に白い光が見えてきた。そしてそれが雪の降り積もった地面だとわかった瞬間、ベルは身を翻して勢いよく着地した。
「ここがあの子の精神世界か。しかし、この場所は……?」
地面に降り立ったベルは辺りを見回した。どこかで見た情景。すると、ベルの脳裏にここと一致する情景が浮かんだ。
「そうか。ここはうろなの……雪姫が生まれた森、か。この場所が深層心理とは、あの子らしいな」
そう呟いていると、ベルの超感覚が何かを捉えた。雪姫の存在と、それに迫る邪悪な気配。
(……雪姫が、危ない!)
ベルは思い立つや否や、炎の翼を広げ、雪姫の元へと一直線に飛翔した。
ベルは雪姫の気配をたどって猛スピードで飛翔していた。やがて、雪の中に埋もれるようにして倒れている雪姫の姿と、彼女に迫る、あの不気味な老人の姿が映った。
「雪姫っ!」
ベルはそれを見るや否や、反射的に火球を投げつけた。老人はそれを見て、舌打ちをしながら飛び退いた。その隙にベルは雪姫の側に着地し、彼女を抱き起こした。
「雪姫、しっかりしろ! 雪姫!」
ベルが数度呼びかけると、焦点が合っていなかった雪姫の瞳がゆっくりと焦点を結び、そしてベルを見てか細い声を上げた。
「ベル姉さ、ま?」
「雪姫! 大丈夫か。さあ、ベルの後ろに隠れていろ! お前の中に巣食っている奴を焼き尽くすまで!」
「どういう、事ですか……?」
その時、横合いから不気味な声が響いた。
「先に拾われてしまったか。まあ良い。遅かれ早かれ、その力は我の物となる」
その声に、ベルは激しい怒りを宿した瞳で相手を睨む。一方、雪姫は目の前に立つ老人を見て、はっとして唇を押さえた。
「お主の唇は柔らかだったの」
老人の嘲るような声に、雪姫は震えだした。
「お、小角……様」
震えながら老人の名を呼ぶ雪姫に、ベルは叱咤するかのように強い口調で語りかける。
「雪姫! そんな奴の事を『様』などと付ける必要はない!」
ベルの力強い言葉に雪姫はハッとし、彼女に尋ねた。
「こ、ここはどこなのですか? ベル姉様」
「簡単に言うならば、お前の精神世界、もしくは呪いが作り出した亜空間といったところだな」
ベルの言葉に、雪姫は鋭く息を飲んで驚いている。ベルは警戒しつつ、相手の出方を窺っている。
呪いの匂いは間違いなくこの老人から発されている、だが先程呪いを焼き付けていたのは『前鬼』と呼ばれた若い男だった。訝しみながらも、
「ベルはお前の呪いを解くためここに入り込んだ。そして、こいつこそが、お前を苦しめる元凶だ! まさか、雪姫に呪いをかけた上、その内部に巣くっていたとはな!」
ベルの叫びに、小角は笑った。
「巫女の体から搾り取る力は、まさに甘露だ。この力があれば、我は現世へ戻る事ができる。小娘、邪魔をするでないわ」
その返事を聞いて、やはり何かしらで小角が呪いに噛んでいるのは間違いないとみる。
ただそうすると、まだ他にも居憑いているというのか……雪姫、さすがに優良物件過ぎるだろう? と心で突っ込みながら、まずはこいつを退治すべきだと狙いを定める。
「……胸糞悪い。雪姫の生命力を搾り取って生きているだけのお前など、蛆虫にも劣るカスだ」
「くくく、口だけは達者だな、小娘。さあ、巫女よ。我にその力を」
小角が枯れ木のような手を差し出す。すると、雪姫はベルの前へと飛び出すと、小角に懇願した。
「止めて下さい、もうあの時の様に奪ったり傷つけたりしないで下さい。お願いです」
「それなら巫女よ、我に全てを捧げよ」
「そうしたら止めてくれますか? ベル姉様を、そして町を、人を……傷つけないで」
「よかろう。今、欲しいのは黄泉と現世を繋ぐ、その巫女の力だ」
雪姫はフラフラとした足取りで役小角の元へ行こうする。しかし、ベルがすかさず割って入った。
「馬鹿な事を言うな! お前の目的は雪姫を喰いつくし、現世へ戻ってヒトを、町を、果ては国をも支配する気だろう!」
その言葉に小角は暗い微笑みを浮かべた。それを見た雪姫はビクッと身を引いた。すぐにベルは雪姫の体を自分に引き寄せる。
「いいか、必ず勝つ。だからお前は安心してそこで見てい……どうした? 雪姫?」
何かを探すように周囲を見渡している雪姫に、ベルは声をかけた。
「誰かの声がします、悲しい声が……もしかしたら冴お姉様かもしれません」
「声? あの女の?」
雪姫に言われ、ベルは意識を遠くまで走らせた。すると、微かだが確かに、少女の泣き声が聞こえた。そして雪姫はその声が冴のものであるという。
どうして彼女の声が聞こえるのかはわからないが、雪姫は彼女を助けたいようだ。
「……雪姫、お前はあの女を助けたいか?」
ベルの問いかけに雪姫ははっきりと頷いた。
それを見たベルは力強く頷き返し、雪姫の手を取り、泣き声のする方向へ彼女を押し出した。
「雪姫、こいつはベルが引き受ける! お前はあの女の所へ行け! 救いたいのだろう、あの女を!」
「でも、ベル姉様……!」
「ベルを信じろ! 大丈夫だ、問題ない!」
「……はい、信じています。ベル姉様!」
雪姫も、先程思念に乗せて伝えてきた言葉で返す。そして、ベルの目を見て言った。
「ベル姉様、必ず、無事に戻ると約束して下さい!」
「雪姫、お前もだ。気をつけろ、お前はヒトの言葉を信用し過ぎる。さあ、行け!」
「わかりました!」
雪が舞い散る中、雪姫は走り出した。それを見送ったベルはふっと自嘲気味に笑った。
(――それでいい、雪姫。お前は人を信用しすぎる。このベルの『嘘』すら信じてしまうのだからな。だが、この場にお前がいないのは幸いだ……この戦いをお前に見せるのは酷すぎる。だが、ベルは必ず勝つ。そして、『嘘』を『本当』にしてみせる!)
その時、雪姫の後を役小角が追おうとするのが目に入った。
「逃がしはせん!」
「それはベルのセリフだ!」
ベルはすかさず相手の進路に回り込みつつ強烈な回し蹴りを叩き込み、その体を吹き飛ばす。蹴りの直撃を受けた小角は数メートル吹き飛ばされたが、老人とは思えない身のこなしで体勢を立て直した。小角はベルを睨み付ける。
「おのれ小娘、我の邪魔をするか」
「お前の相手はベルがすると言っただろう! ……お前、ほ、本当に雪姫の……乙女の唇を奪ったのか!」
その言葉に小角はニタリと笑い、唇を舐めた。その仕草に女としての嫌悪感と怒りが沸き上がるのをベルは感じた。
「幻であってほしかったというのに……やはり許せん、神や仏が許してもベルが許さん!」
叫ぶと同時に、ベルは力を解き放った。
桜月りま様 うろな町の森に住んでみた、ちょっと緩い少女のお話より 雪姫ちゃん、冴さんを、
三衣 千月様 うろな天狗の仮面の秘密より 役小角、前鬼、後鬼、お借りいたしました!
【うろ夏の陣:裏】のタグ付けは三衣様の許可を受けております。




