Part 02 決着
あけましておめでとうございます! 今年も何卒よろしくお願いいたします!
「がっ……はぁっ……!」
太刀が叩きつけられた瞬間、意識が消し飛びそうになる激痛がベルを襲い、肩から胸にかけて深紅の血が迸る。立て続けに冴はベルの体を全力で壁めがけて放り投げた。轟音を立て、ベルは岩壁に叩きつけられた。
『オノレ、オノレ……何だ、この『敗北感』は……?』
アラストールは息を荒くしながら呻く。
『冴、早くこの堕天使にトドメを刺すのだ!』
だが、冴は動こうとしない。
「私は……私は……ただあきらちゃんが側にいてくれればよかっただけなの……他の誰も、傷つけたくなかったのよ……」
譫言のように何かをぶつぶつと呟く冴。その体は震えていた。
『どうした! 言う事を聞け! ええい! 所詮は人間か! こうなったら、お前の力を全て使い果たしてでも、こいつらを皆殺しにぃっ!』
アラストールが叫ぶと、冴の体を取り巻くオーラが一層強くなった。冴の瞳が妖しく光る。どうやらアラストールは冴の体を強引に乗っ取り、一気に片を付ける気のようだ。
「『まずは、お前からだ! 宵乃宮の巫女ぉぉぉっ!』」
アラストールは叫び、結界の中で戦いを見守っている雪姫の元へ飛んだ。
そして、手にした太刀で結界を滅多斬りにし始めた。斬りつけられる度に結界が弱まっていく。だが、雪姫は身じろぎ一つせずに堂々と構えている。
その時、リズがゆっくりと身を起こした。その視線は雪姫に向いていた。結界の中で佇む雪姫の姿は、ベルが倒れない限り、その中は安全……そう言った姉の言葉を信じて待つ妹――そう映った。
その信頼に応える手伝いをするっス!
そう決意したリズは痛みを堪え、四肢に力を込めて踏ん張り、地面を蹴った。
『やめろっスーーっ!』
横合いからリズがその体躯を活かして弾丸のような体当たりを繰り出し、その体を吹き飛ばした。
「リズちゃん! 大丈夫なんですか!?」
雪姫が驚きを露わに叫ぶ。リズは右側の頭で頷いてみせる。
『死ぬほど痛いっスっけどね! でも、あの人に憑りついている悪魔の力が弱まったおかげで、治癒力も戻ってきたっス!』
見ると、リズの体にできていた傷は全快とは言いがたいが先程よりも塞がってきている。
『さーて、頭のお礼はさせてもらうっスよ!』
リズは素早く側面に回り込み、その横腹に食らいついた。
「あああああっ!」
プレス機の如き力を持つ強靱な顎から繰り出される噛みつきに冴は体を仰け反らせて絶叫する。確かな手応えを感じたリズは口の端を吊り上げ、さらに顎の力を強める。その時――
「リズちゃん! ダメです!」
雪姫の叫びが届いた。
『雪姫ちゃん!?』
冴に噛みついていない中央の頭が雪姫に尋ねる。
「今の冴お姉様は、ただの人です! アラストールは、お姉様を操っているだけなんです!」
リズは息を飲み、そろそろと牙を緩めつつ冴を見た。すると、そこには痛みに悶え苦しむ冴の姿があった。身に纏っている着物は裂け、胴体部分から血が滲みだし、紅い染みとなってじわじわと漆黒の着物を染め上げていく。
「痛い痛い痛い! 痛いぃっ! あ、アラストール……どうして?」
すると、アラストールはグッグッと歪んだ笑い声を発しながら答えた。
『グググ……久々に良い器を見つけたと思っていたが、所詮はニンゲンか。堕天使の戯れ言に踊らされて我との同調を乱すとは。最早お前に用はない。我にその命と精神力を捧げ、操り人形としてこいつら共々華々しく散るがいい』
何の感情もこもっていないアラストールの声に冴の顔色が蒼白に変わっていく。
「い、嫌! こんな形で死ぬのは嫌ぁっ! 助けて、あきらちゃん!」
弟の名を呼びながら泣き叫ぶ冴。
「下衆がっ!」
ベルが舌打ちをし、アラストールめがけて火球を投擲する。だがアラストールは冴の体を動かし、腕で火球を防御させた。
バンという火球の破裂音と共に、冴の腕は黒く焼け焦げ、見るも無惨な様相を呈していた。
「いやぁあああっ! 熱い! 熱いぃっ!」
冴は最早絶叫といっていいほどの悲鳴を上げて地面を転がる。
「……痛い……苦しい……これが、私が今までにやってきた事の報いなの……?」
涙を流しながら苦悶の声を上げる冴。
『そうだ。弟に近付く者を、手段も選ばずに悉く排除していった報いだ。まさに因果応報ではないか』
アラストールが嘲笑する。冴は涙を流しながら何もかも諦めたような表情をした。
「……そう。私はここで死ぬのね。でも、いいの。これが、私が今まで犯してきた罪への償いになるのならば……」
そして、冴が目を閉じたその時――
「駄目ですっ!」
雪姫のよく通る声が響いた。ベルとリズ、冴の視線が一斉に彼女に集中する。雪姫は大きく息を吸い込み、思いの丈を吐き出した。
「冴お姉様が死んだとして、本当に今までやってきた事の償いになるんですか? それは間違いです! 生きて、罪と向き合って下さい。それに、貴女が死んだら、賀が……玲さんが悲しむんです。たった一人の、弟さんが! だから、冴お姉様……生きて下さい!」
雪姫の言葉に、冴はハッとした。そして、自らに言い聞かせるように何事か呟き始めた。
「……そうよ。確かに私はたくさん取り返しがつかない事をしてきた……でも、ここで死んだってそれは許されない。生きて、生き抜いて罪と向き合わないと。そして、あきらちゃんに謝りたい。話がしたい。今度こそあの子を、優しく抱き締めてあげたい……!」
『愚かな。お前はここで死ぬのだ!』
アラストールが嘲笑する。だが、
「それはどうかな?」
『お前の勝手な都合を他人に押しつけるなっス!』
一人と一匹の堕天使が叫び、冴に肉薄する。しかしアラストールの余裕は消えない。
『無駄だ。我にはお前達の力を封じる力があるという事を忘れたか!』
叫び、アラストールは弱体化の波動を放つ。しかし、何も起こらない。
『何だ、これは!? 何故力が使えぬ!? ……そうか、冴! お前の仕業かっ!』
アラストールの怒声が響く。すると、冴ははっきりとした意志を宿した瞳をベルとリズに向け、叫んだ。
「お願い! 堕天使達よ! 自分が望んで受け入れたのに、その始末を任せるのは、勝手な願いかも知れませんわ。でも……お願いっ! 私が押さえている間に、アラストールを……悪魔を討って!」
『おのれ、ニンゲン風情が我を押さえられると思うな!』
「きゃああぁっ!」
冴が苦しそうに身を捩らせる。そして、彼女は太刀を構えて突進してきた。どうやら再び意識をアラストールに乗っ取られたらしい。しかし――
『うおおおっ!』
リズが渾身の体当たりを放ち、冴を吹き飛ばす。冴の体は地面に叩きつけられ、転がっていく。
『先輩! まだあの人は必死に悪魔を押さえつけてくれているっス! きっとこれが最初で最後のチャンスっスよ!』
その言葉を聞き、ベルは覚悟を決めた表情でリズに呼びかけた。
「リズ、無理を承知で頼みがある!」
するとリズは中央の頭を下げ、ニッと笑った。
『わかってるっス。皆まで言わないでっス。先輩は何か考えがあるんスよね? そして私はそれを実行するまでの間にあいつを食い止めていればいいんスね?』
「……すまない」
謝るベルに、リズは首を軽く横に振った。
『謝らないで下さいっス! 多少の無茶は、承知の上っス!』
リズは一声吠えると、冴に飛びかかった。アラストールは冴の体を操って必死に抵抗するが、冴が必死に押さえつけているため、その動きは緩慢だった。リズもできるだけ冴を傷つけないよう細心の注意を払いながら、攻撃を行っている。
リズが時間を稼いでくれている間にベルは脳をフル回転させ、冴を助ける方法を考えていた。
(強すぎる攻撃は奴を冴ごと消し飛ばしてしまう……かといって弱すぎる攻撃は意味がない……だったら、冴に憑りついているあいつを引きはがすだけの、最小にして最大の攻撃をすれば……!)
その時、ベルの脳裏に閃光が走った。
(……そうか! その手があった! ぶっつけ本番だが、やるしかない!)
決心するや否や、ベルはベルは己の体を巡る魔力に調整を加えていく。ややあって、その調整は完了した。
「リズ! そいつを釘付けにしろ!」
『了解っス!』
するとリズは二つの頭を器用に動かし、冴の体を両側からくわえ込んで動きを封じた。
『離せ! 離せぇっ!』
アラストールは叫び、必死に拘束から逃れようとするが、リズはできるだけ力をこめて、かつ冴の体を極力傷つけないよう絶妙な力加減で彼女を押さえつけている。
「はああああっ……!」
そして、ベルが溜め込んでいた力を解放すると共に、その体から炎が噴き上がり始める。
ベルは地面を蹴ると、冴へと突進する。距離が詰まっていくにつれ、ベル自体が燃え盛る炎へと変わっていき、やがてそれは巨大な炎で象られたベルへと変じた。
リズが冴の拘束を解き、飛び退く。直後、巨大な炎が瞬く間に冴を覆い尽くした。
「『ぐおおおっ! やめろ! やめろぉぉっ!』」
炎となったベルの中でアラストールは絶叫し、冴の体で激しく暴れる。
『今からお前を叩き出してやる!』
そして彼女は燃え盛りながら冴の体を包み込み、じわじわとその体へ吸い込まれるように消えていく。やがて炎は完全に冴に吸い込まれた。すると、冴の手から太刀が消え、さらに激しく暴れていた彼女の動きがぴたりと止まり、その場にくずおれた。
『せ、先輩……?』
息を荒らげてへばっていたリズがのそりと体を起こし、呟く。すると――
『てめーッ! さっさとあの世に行きやがれぇぇぇぇ! このクソがあああぁぁ!』
常軌を逸したベルの叫びと共に、激しい炎が冴の体から噴き上がった。そして、その叫びは冴の内部から響いてくるようだった。冴――正確には彼女に憑りついていたアラストールは炎に巻かれながら絶叫する。
『ガアアアァッ! ヤメロ! ヤメロォォォッ!』
直後、おぞましい絶叫を上げる黒い靄のようなものが冴の体から噴き出した。炎と靄は取っ組み合うように混ざり合いつつ、どんどんその密度を増していった。
『いつまでもこの世にへばりついてんじゃあねぇぇーーーーッ! こらぁぁぁーーッ!』
再びベルの絶叫が轟く。
直後、炎が巻きつくように靄を拘束したかと思うと、燃え盛る巨大な爪の形を成し、靄を切り裂き、抉る。炎の爪が振るわれる度に、靄はどんどん焼かれて小さくなっていく。
そして、未練がましく冴にへばりつく靄を引きはがし、トドメとばかりに勢いよく放り捨てた。
『――やった!』
リズが確信めいた声で吠える。何が起こったのかリズにはわかっていた。
ベルは自らの体を霊体と炎の融合体に変え、冴に憑依したのだ。そしてその炎を以て彼女の中に巣くっていたアラストールを引きずりだし、焼き尽くしたのだ。強力な魔力と、それを御するための精密なコントロールが必要な離れ業だったが、ベルはやり遂げたのだ。
一方アラストールを引きはがされた冴はふらつきながらも立っていたが、
「あきら……ちゃん……」
消え入りそうな声で一言呟くと、その場に倒れた。それを見た靄状のアラストールは苦々しい口調で呟いた。
『グ……グ……ここまでか……! だが消えるわけにはいかん! 新たな依り代を見つけなくては……!』
アラストールはそう呟き、その場からそそくさと逃げようとする。
「させるか! ……ぐっ」
ベルが追いかけようとするが、先程のダメージと魔力の急激な消費、何よりアラストールが放った弱体化の波動が堪えているらしく、その場に膝をついてしまった。リズも必死に立ち上がろうとするが、ダメージのせいで体に力が入らないようだ。
アラストールは逃げきれる事を確信したかのように、歪んだ口元をさらに歪めた。その時――
ガキィッ!
鎖が軋むような音が響いた。ベルがハッとして顔を上げると、そこには四方八方から伸びた、青く光る鎖によって空中に拘束されたアラストールの姿があった。
『何だ、これは!? まさか、闇御津羽の力か……!?』
アラストールは魔力の波動を全方位に放ってもがくが、鎖はびくともしない。
いまよ、べる、りず――。
脳裏に誰かの声が響く。
『な、何なんスか今の声は!?』
驚くリズの声に、ベルは全身の力を振り絞る。
「何だっていい! 奴にとどめを刺すチャンスだ! リズ、やるぞ!」
ベルの声を合図に、二人は動いた。ベルは魔力を集中して両手に巨大な火球を生成、リズは二つの口にありったけの炎を溜め、同時に放った。
火球と火炎はアラストールに直撃し、凄まじい爆発に包まれた。爆煙が晴れた後には、鎖と、そしてアラストールの姿は跡形もなかった。
それを見た二人は同時にへたりこんだ。リズの姿が三つ首の魔獣から黒髪の少女の姿に戻っていく。彼女は左即頭部から激しく出血していた。おそらく、左側の頭を負傷したせいだろう。
「やった……んスか?」
「わからん、確かな手応えはあったが……それに、奴の気配は完全に消えている。それよりもリズ、お前はあいつを拾ってこい。ベルは雪姫の無事を確かめてくる」
「了解っス」
リズは頷くと立ち上がり、ふらつきながらも冴の元へ歩いていく。ベルも傷ついた体に鞭打ち、雪姫の元へ向かった。
「ベル姉様、なんて酷い怪我……」
雪姫が目尻に涙を溜めながら呟く。
「泣くな、雪姫。可愛い顔が台無しだぞ? 本当に、無事でよかった……」
ベルは微笑むと、雪姫の手をそっと握った。
「先輩、この人、大丈夫っスか?」
そこへ、リズが倒れていた冴を背負って戻ってきた。ベルはすぐに冴の側に寄り、精査する。見る見るうちにその顔が深刻な物に変わっていく。
「……何て事だ。アラストールが最後に暴れたせいで、冴の体を巡る生命エネルギーが大きく乱されてしまっている。体の傷は癒えているが、その内部――生命力と精神力がごっそり持っていかれてしまっている……これではもう、助からない」
ベルが力なく呟き、首を横に振った。雪姫の顔が絶望の色に染まっていく。
「そ、んな……」
そこまで呟いた直後、雪姫は倒れた。
桜月りま様 うろな町の森に住んでみた、ちょっと緩い少女のお話より ユキちゃん、冴さん、お借りしております!




