Part 03 慕われし白
午後十二時半過ぎ。
二人は一組の夫婦を見かけた。腹部にはどことなくふっくらとした女性特有の、母性を漂わせる丸みがある事から、妊婦である事が察せられた。
その胸元には、何やら腹部が大きく膨らんだウサギのイラストが描かれた可愛らしいバッジが付いているのが見えた。
(雪姫の絵だ)
ベルはそう直感した。あの独特のタッチに加え、イラストから感じ取れた、暖かみといたわりの念。あれは間違いなく雪姫のものだった。
ベルはすぐに雪姫へ尋ねた。
「雪姫、あの妊婦が付けているバッジ、あれはお前が描いたものだな?」
ベルの問いに、雪姫はわかりましたか、と照れたように笑うと、イラストについて語り始めた。
あのバッジは、妊婦になったらつけるものであり、雪姫が何種類かデザインしたものの一つだという。
以前、雪姫が別の町で電車に乗っていた時、ある妊婦が電車に乗ると席に座っている人が寝たふりをしたりして席を譲らなかった事があった。
雪姫が「大丈夫ですか?」と声をかけると、その妊婦は「大丈夫、この子を気にかけてくれてありがとう」と言ったのだ。
それから少し話をしていると、
「私は妊婦でも悪阻も少なくて、元気だし席なんか良いの。でも本当に具合の悪い時、間違った対処をされないでしょう? でも無論、席を譲ってもらえたら嬉しくてずっと覚えてる程よ」
と、笑って言ったそうだ。それから雪姫はその時の話と、彼女の心を思いながらマークをデザインしたという。
そして、それが誰かの役に立っていると思うと嬉しくて、自分が生きている意味が少し見出せて、そして生きていて良いのだと思えて、心が温かくなると、嬉しそうに語っていた。
「――なるほどな」
ベルは神妙に頷き、
「お前らしいな、雪姫。他者からの思いやりにお前の思いやりを重ね、別の形として世へと送り出す……素晴らしい。本当に、お前は優しい子だな」
そう言って、雪姫に微笑んだ。その時――
「ユキ! ユキじゃないか!」
と、正面から雪姫を呼ぶ声がした。
二人を呼んだのは、その夫婦だった。男性の方は背が高いなかなかの好青年で、女性の方は長い黒髪が美しかったが、その背はベルと同じぐらい……いや、それよりも小さく見えるほど小柄だった。
二人の側には女の子が二人いて、ベルと雪姫を興味深そうに見つめていた。
「ユキ! えらく可愛い格好だな。賀川が見たら即座に襲いかかりそうだ」
「つ、司先生! もう、果穂先生と同じこと言わないでください」
司というらしい女性は雪姫と談笑しており、一方で男性は雪姫と司を交互に見比べながら何やらニヤニヤしている。
やがて男性はベルの姿を認めると雪姫に尋ねた。
「ユキちゃん、そちらの方はどなた?」
突然尋ねられ、雪姫は慌ててベルに謝った。
「あ、ベル姉様、放っておいてごめんなさい!」
「……いや、放置プレイも中々乙なものだ」
「「「え?」」」
三人から同時に間の抜けた声が上がる。つい、ドMモードが出てしまった。それをごまかすかのようにベルは雪姫に尋ねた。
「……何でもない。雪姫、紹介してくれないか?」
「そ、そうですね。こちらの人達は私の恩人で、うろな町の中学校で先生をしている、清水渉先生とその奥さんの司先生です。あと一緒にいる女の子はさっきの小林先生の娘さん達ですよ。
清水先生、司先生、こちらはベル姉様、しばらくうちに滞在されている方です」
司はベルの姿をおっかなびっくりながらに見ながらも、ベルに挨拶した。
「なるほど。し、清水司です。ユキと仲良くしていただいているみたいで」
「うむ。ベル・イグニスだ。気軽にベルと呼んでくれ。こちらこそ雪姫には世話になっている」
挨拶を返したベルの側では、小林夫妻の子供達(後で聞いたが果菜と美果という名前だった)がベルの頭に乗っているティアラを見てはしゃいでいる。
「ティアラきれー。お姫様みたーい」
「ちゅあらー」
「……あ、ああ。ありがとう」
子供二人にまとわりつかれ、ベルは困ったような笑みを浮かべる。その時――
ぐーー
誰かの腹の虫が盛大に音を立てた。
「あー、そろそろお腹が空きましたね。ちょうどARIKA出張店の前ですし、なんか食べましょうか?」
渉の提案に、司は同意した。
「ユキ、折角だしおごるぞ。ベルさんもいかがですか?」
「いいんですか?」
「かたじけない」
素直に頭を下げるベル。
「わたし、『ふわふわアメリカンドック』!」
「わたちも!」
「私は野菜入りスープでも飲むか。海! 『ふわふわアメリカンドック』二つと、『夏野菜のうまとろスープ』一つ頼む!!」
すると、海と呼ばれた女性が威勢のいい声を上げる。
「あいよ!! お、小梅っちに、ユキっちじゃねえか♪ 果菜ちゃんも昨日ぶりー。汐ー、お皿二枚とカップ一つ、取ってくれー」
汐と呼ばれた少女が元気よく応える。
「はいはーい。あ、司先生に、ユキお姉ちゃんだー♪ 司先生のお腹のキラキラ、二つに分かれてる! 双子ちゃんおめでとー」
「ありがとうな。ユキ達も好きなのを頼んでくれよ」
一連のやりとりを見ていたベルは目を丸くして驚いていた。
(……今の言葉、まさかあの子供、司のお腹の子の事を言ったのか? うーむ、うろな町には本当に不思議な奴が溢れているんだな)
そこまで考えた後、ベルは顔を赤らめた。そして、
「……お腹の音。くふふ……羞恥プレイ……」
と呟き、思わず笑いをこぼした。そしてその様子を、司がなんとも言えない表情で見つめていた。
「と、ところでベルさんは何を頼みます?」
気を取り直して司がベルに尋ねた。
「そうだな、ベルは――」
午後一時。
雪姫は一足先に食事を終えたがやはりあまり食べていなかった。
(雪姫……)
食事の傍ら、心配そうに雪姫を見るベル。すると、小林姉妹が雪姫に声をかけた。
「ウサ姉たん、絵描きさんなんだよね? さっき、澄兄ちゃんの所に『誰でも簡単♪スーパーお絵描きセット』があったから、一緒にお絵描きしよー」
「おえちゃきー」
いきなり声をかけられ、雪姫は驚いている。そして、司に許可を求めた。
「う、うさ姉たん? えっと、司先生いいんですかね?」
司は笑って頷いた。
「すまないが、連れて行ってやってくれないか? その子達、なんだかお前に懐いてるみたいだし」
「わ、分かりました。ベル姉様もすいません」
「気にするな。ベルはこの『大出血! ベリーレッドホワイトサンデー』を食べながら先生達に町の話を聞いておくよ」
「じゃあ、レッツゴー♪」
「ゴー」
「ち、ちょっと二人とも、待ってーー!」
二人に手を引かれ、雪姫は体育館へ引っ張られていった。
(くふふ、本当に雪姫は誰からも好かれているのだな。子供達からも、この二人からも)
そう思い、ベルはデザートをぱくつき、そして身震いした。
ちなみに彼女が食べているのは、ベリーと唐辛子をふんだんに使った、激辛かつ酸っぱくて赤いジェラートに、白くて甘ったるい練乳ソースやホイップクリームがこれでもかとぶっかけられた、罰ゲーム以外の何者でもないキワモノデザートであった。
ちなみに海曰く、これを頼んだのはベルが最初らしい。
渉と司が口をあんぐりと開けながらその様子を見ているのに対し、ベルはそれを全く意に介さず食べており、それどころか、
「この辛さと酸味、さらには甘味さえ舌を攻撃してくるアグレッシブさ、実にイイ! しかもこの赤い癖の強いジェラートを白く甘美なソースとクリームが浸食していく様は、まるでベルを雪姫が篭絡しているかのよう……イイ、すごくイイぞ、雪姫!!」
と他人が聞いたら色々な意味で終わる言葉を叫び、恍惚の表情をしている始末。
ベルが未知なる味覚に酔いしれていたその時、司が思いきったようにベルに尋ねた。
「ベルさん、ちょっといいですか?」
桜月りま様 うろな町の森に住んでみた、ちょっと緩い少女のお話より 引き続きユキちゃんを、
YL様 ”うろな町の教育を考える会” 業務日誌より 果菜ちゃんと美果ちゃん、清水先生、梅原先生、
小藍様 キラキラを探して〜うろな町散歩〜より 海さん、汐ちゃんをお借りいたしました!




