Part 01 穏やかな外出
「ん……」
ベルは窓から差し込んでくる朝日に目を開けた。布団からゆっくりと体を起こし、大きく伸びをする。時刻は午前七時過ぎ。昨夜はしゃぎすぎたせいか寝過ごしてしまったらしい。もう今の時間は鷹槍達の鍛錬も終わっているだろう。
そしてベルは日差しをちらりと見て、「今日も暑くなりそうだな」と一人ごちた。
それから立ち上がってベッドで眠っている雪姫の元へと歩み寄る。今日は比較的顔色はいいようだ。規則的な寝息を立ててよく眠っている雪姫を見て、ベルは安堵の溜息をついた。
「ふむ、念のため今日は少し雪姫の様子を見守りつつ、捜し物をしようか。さて……」
ベルは寝間着から動きやすい半袖シャツとハーフパンツに着替え、台所へ向かった。
「あらおはよう、ベルちゃん」
「おはよう、葉子」
にこやかに挨拶してくる葉子に、ベルもにこやかに挨拶を返した。
「いやー、ゆうべは楽しかったわ! テントで寝るなんてご無沙汰だったし、リズちゃんといっぱいお話できて本当に充実した時間だったわ!」
子供のようにはしゃぐ葉子を見て、ベルは微笑んだ。
「そうか。それは何よりだ。後でリズにも言ってやってくれ。きっと喜ぶぞ……そういえば、リズは?」
「ああ、リズちゃんならまだ寝てるわ。とても気持ちよさそうに眠っていたから起こさないできちゃった」
「ふむ。しかしそろそろ自分達の朝飯を用意する時間だろう? あいつにも手伝ってもらおう。あいつにも料理の心得はある」
「じゃあ、お願いできるかしら?」
「ああ」
ベルは頷き、庭へと向かった。
庭に出ると、朝日が照りつけベルは思わず目を細めた。そして、リズが寝ているテントへと近付く。
「おいリズ、朝だぞ。起きて朝飯の準備を手伝え」
ベルが声をかけると、中で何かが動く気配がした。すると、テント入り口のファスナーが下ろされ、下ろした艶やかな黒髪をボサボサにしたリズが出迎えた。ちなみに寝相は寝袋の中で犬のそれと同じくうつ伏せになって両腕を顎の下で交差させているという、常人ならばまず筋肉痛になる事間違いなしなものだった。
そしてリズはもぞもぞと寝袋から這い出しつつ、大口を開けて大欠伸をすると、眠たげな橙色の瞳を擦った。ちなみに寝間着はタンクトップにハーフパンツという非常にラフな格好だった。付け加えると、ブラはしていない。決して大きいとは言えないが、それなりに膨らんだ双丘がタンクトップの隙間から覗いていた。
「……あふぁ~……ああ、ベル先輩、おはようっス~……」
「おはようリズ。よく眠れたか?」
「ふぁい……そういや葉子さんは?」
「とっくに起きて朝飯の支度に取りかかる所だ。リズ、手伝え。お前の炎は精密なコントロールができないが、アウトドア生活で培った材料の下拵えはできるよな?」
するとリズは猫がやるような伸びをしたかと思うと、パッと起き上がった。
「モチのロンっス! アウトドア生活で培ったワイルド料理スキル、お見せするっスよ!」
「よし、じゃあ顔洗ってこい」
「了解っス!」
リズはすぐに着替えをすませ、寝癖でしっちゃかめっちゃかになっている髪を気合でまっすぐに整え、ポニーテールに纏めると母屋へ向かって弾丸のように突っ込んでいった。
「やれやれ」
ベルは苦笑し、その後を追った。
それから堕天使達は朝食の準備を手伝った。リズが器用な包丁捌きを見せて野菜を刻み、ベルが自慢の火力で料理を加熱、魚を焼く。
あっと言う間に、食卓には白飯、黄金色の卵焼き、味噌汁、焼き鮭、ほうれん草のお浸し、トマト、そして葉子お手製の野菜ジュースが揃っていた。
トマトをはじめ、野菜ジュースに使われた一部の野菜は前田家の家庭菜園にて朝摘みされたもので鮮度は抜群だ。
二人の手際の良さに葉子は感心するばかりだった。
「流石ね、ベルちゃん、リズちゃん! 本当に二人共いいお嫁さんになれるわよ!」
「お、お嫁さん……はうぅ……」
「よ、葉子さん! 誉めたって何も出ないっスよ! 今度何か山の幸でも持ってくるっス!」
と、照れる二人を見て、葉子はただ穏やかに笑うだけだった。
それから雪姫も起きてきて、居間にて三人揃っての朝食が始まった。
「雪姫、今日は何か予定はあるのか?」
朝食の最中、鮭をほぐして口に運びながらベルは雪姫に尋ねた。
「えーと、今日は森の家で絵を描こうと思います」
その言葉を聞いたベルは頷いた。
「よし、わかった。ベルも付き合おう」
「ええっ!? で、でもベル姉様には捜し物が……」
「何、昼までだ。雪姫、今日は顔色はよさそうだが無理は禁物だ。昼頃になったらここへ戻る。いいか?」
「は、はい、わかりました。よろしくお願いします」
すると、三杯目のご飯をおかわりしたリズが手を挙げた。
「はいはーい! 私もご一緒するっスよー! 雪姫ちゃんの絵、見てみたいっス!」
「……だそうだ。雪姫、リズも連れてっていいか?」
「もちろんです。リズちゃん、よろしくお願いしますね」
「ワンッ!」
心底嬉しそうに吠えるリズ。
「ふふっ、女の子だけの食卓というのも新鮮なものねー」
食卓に座ったベル、リズ、そして雪姫を見た葉子が微笑む。
すると、そこに足音が響き、全員の視線が一斉にそちらに向く。
「……ふん」
そこに立っていた人物を見るや否や、リズが鼻を鳴らしあからさまに嫌そうな顔をした。
「……おはよう」
入り口に立っていた人物――賀川がぎこちなく笑って挨拶する。
「おはよう、賀川」
「………………おはようっス」
「お、おはようございます」
と、三者三様の反応を返した。ただしリズは賀川から漂う血の臭いに過敏に反応し、彼をじっと睨みつけている。
リズの鋭い視線に気圧されつつも、賀川は口を開いた。
「ユキさん、今日の予定は?」
「え、っと。今日はベル姉様とリズちゃんと森の家で絵を……」
すると、賀川は雪姫から目を離し、ベルに視線を送った。その視線は真剣なものだった。
「その役、俺に代わってくれるかな。ベルさん、やる事もあるだろう?」
「お前こそ仕事があるのではないか、賀川……」
「今日は休みを取った。こないだユキさんとの約束をすっぽかしたからね。ベルさんに出会った日に。埋め合わせがしたいんだ。ただ、森に行く前に寄りたい所があるけれど。いいかな、ユキさん」
「ちょ、先輩が良いとは言ってな……」
「リズ、座ってろ」
「……わう」
吠えるリズを押さえてベルは含み笑いを浮かべて尋ねた。
「雪姫を任せるのは良いが、森に行く前にどこへ行く気だ? くふふ……」
そんなベルに賀川は困ったように笑いながら答えた。
「面白い事はないと思うけれど。そこまではついてくるかい、ベルさん?」
「ああ、面白い物が見れそうだ。くふふ……」
好事家のような笑みを浮かべるベルに、賀川は肩を竦めた。
「何もないって言ってるのに。じゃ、三十分後に」
そこまで言って、賀川は台所へ食事を受け取りに行った。その背に雪姫が戸惑ったような声をかけた。
「わ、私、行くって言っていないんですけど」
「雪姫、デートの邪魔はせんから大丈夫だ」
しれっと言うベルに雪姫が顔を赤くして反論する。
「ベル姉様っ! そんなんじゃないですよ。賀川さんは……」
「そうっスよ、邪なあいつに雪姫ちゃんを任せたくないっス!」
「リズちゃん、か、賀川さんは邪じゃないですよ、変わっているだけで」
「充分っス!」
話が盛り上がってきたリズと雪姫をベルが諫める。
「二人共、そこまでだ。ほら、出かける支度をするぞ」
「はい」
「了解っス! 葉子さん、ごちそうさまでしたっス!」
「片付けはやっておくから支度しなさい。そこの三人さん」
葉子が声をかけると、三人はそれぞれ礼を言い、支度へ動き始めた。そして、後片付けをしようとした葉子はテーブルの上を見て溜息をついた。
「……やっぱりユキさん、ほとんど食べてないわね……」
葉子は雪姫が座っていた席に残っていた、ほとんど手がつけられていない朝食と半分だけ飲まれた野菜ジュースを見て深刻そうに呟いた。
それからベルとリズ、そして雪姫は賀川が運転する車に乗ってうろなの町を走っていた。ベルが助手席に座り、リズと雪姫は後部座席に座っている。
リズと雪姫は通り過ぎる車のナンバーを暗算で足し算したり、ジャンケンをしたりと、遠足のバスの中ような雰囲気だった。
ベルはそんな微笑ましい光景をフロントミラー越しに見ながら笑みをこぼした。
「……ベルさん、ありがとう」
突然、前を向いて車を運転している賀川がベルに礼を言った。
「……どうした、急に?」
ベルは前を向いたままそっと尋ねる。
「あそこまで、俺に真っ直ぐな怒りをぶつけてくれたのはベルさんが初めてだよ。ベルさんがあそこまで怒りをぶつけてくれなかったら、俺は過去に縛られたまま前に進む事ができなかった。
俺、もう逃げないよ。何があろうと、誰が来ようと、ユキさんは俺が守ってみせる。でも、命は懸けない。彼女を守って、俺自身も死なないようにする。
そして、絶対に彼女を人柱になんてさせない。彼女の愛を、歪んだ欲望の道具に使わせない。俺の手は既に血塗れだけど、ユキさんを守るためなら俺は命を奪う事も厭わないよ」
「賀川……」
ベルが目を丸くし、賀川の方を向く。賀川は運転中なので前を向いたままだが、引き締まった顔で続ける。
「だから、俺は今日ユキさんに『覚悟』を示す。ベルさん、立ち合ってくれるかい?」
賀川の問いかけにベルは力強く頷いた。
「……もちろんだ。お前の『覚悟』とやら、見せてもらおう」
「ありがとう。そしてよろしく頼むね、ベルさん」
少しの間を置き、ベルは賀川に声をかけた。
「賀川」
「ん?」
「いい面構えになったな。昨日とはまるで別人だよ」
「ふふ、惚れるなよ?」
悪戯っぽく笑う賀川にベルも悪戯っぽい笑みを返す。
「くふふ、誰が。それに、お前の愛は雪姫だけのものだ。それを忘れるなよ?」
そう答えたベルに、賀川は顔を赤くし、「そうだな」と嬉しそうに呟いた。
それからは、雪姫とリズの楽しそうな声だけが車内に響いていた。
桜月りま様 うろな町の森に住んでみた、ちょっと緩い少女のお話より ユキちゃん、葉子さん、賀川さん、お借りいたしました!




