Part 03 迷える者に堕天使の激励を
「二人きりで話? ふーむ……」
鷹槍はベルと賀川を交互に見やると、軽く頷き、
「朝飯には遅れるなよ」
そう言い残して道場を出ていった。
賀川は汗をタオルで拭いた後、畳を目に沿って綺麗に掃除し始めた。ベルはその様子を静かに見つめている。掃除が一通り終わると、賀川はベルに向き直った。
「……さて、ベルさん。話って何だい?」
「まあ、とりあえず座れ」
ベルに促され、賀川は腰を下ろした。ベルも賀川の正面に腰を下ろし、胡座を組んだ。
そして息を吸い込み、強い口調で賀川に問いかけた。
「単刀直入に聞こう。賀川、お前は雪姫を愛しているのか?」
「ああ」
ベルの問いに賀川は間髪入れずに頷いた。ベルは数度頷き、言葉を紡いだ。
「……そうか。ならばベルからお前に頼みがある」
「何かな?」
するとベルは真剣な表情で賀川を見つめ、言葉を紡いだ。
「ベルは雪姫を守る剣や盾にはなれる。しかし、『心の拠り所』にはなれない。何故なら、あの子が本当に心の拠り所としているのはお前だからだ。だから、お前があの子の居場所となって彼女を守れ。あの子の事を、愛していると言うのならば」
ベルの言葉に、賀川は苦笑する。
「ベルさん? 君は何か勘違いしてるよ。ユキさんの心の拠り所や居場所が俺? はは、そんな事ありえないよ」
「……何だと?」
ベルの眉が吊り上がる。その口調には怒気がこもっていた。すると、賀川は自嘲するような笑みを浮かべた。
「彼女には、俺よりももっと相応しい人がいるよ。それがまだ誰かはわからないけどね。ただ、側にいる限り俺はユキさんを全力で守る。まあ、君ほど強くはないけどね。話した通り、俺は来月までうろなには戻れない。その間、ユキさんを頼むよ」
そう言って微笑む賀川に、ベルの中で何かが切れた。
「……けるな」
「え?」
「ふざけるな!」
ベルは叫ぶや否や弾丸の如き速度で賀川に飛びかかり、道着の襟を掴むとそのまま一気に押し倒した。
押し倒された賀川は何が起きたのかわからないという顔でベルを見つめている。
それにも構わず、ベルは感情をぶつける。
「……そうやって自分の気持ちをごまかして! お前があの子と真剣に向き合わず、逃げてばかりいるから、雪姫は、雪姫は――!」
――人ならざる者に心と体を奪われ、心を傷つけられ、望まずして多くの者を傷つけ、その事で泣いているんだ!
喉元まで、その言葉が出かかる。が、ベルはありったけの理性をかき集めて必死にそれを抑えた。襟を掴んでいる手はぶるぶると酷く震えている。だがこうしていないと、その言葉がいつ飛び出てもおかしくなかったからだ。
しばらくして、頭に上った血もゆるゆると下がってきたベルが賀川の顔を見ると、彼はやけに穏やかな表情でベルを見つめていた。
そして、彼の瞳に映った自分の顔を見ると、それはまるで鬼のように凄まじい形相をしていた。
「――チッ」
ベルは思わず舌打ちを一つすると襟から手を離した。
それを見た賀川はしばし逡巡した後、言葉を紡いだ。
「巫女の力を強化する、と言うか、俺はそういうオカルトは信じられないし、よくわからないけれど、彼女を『人柱』と言うモノに変える方法があるらしい」
「さっき聞いた、な」
息を荒らげながらベルは続きを促す。
「そう、彼女を有能な『人柱』に変えるには、彼女に愛を捧げ、彼女から愛を受けた者。その者を殺し、巫女を悲しみで満たすと良いそうだよ」
「それがどうした」
「彼女には恋をさせたくない。でもユキさん……あんな子だろ? いずれ誰かに恋をする。その時、俺はその誰かと彼女を守る為にココに居たいと……」
その言葉にベルは愕然とする。
「お、お前はその誰かになる気は……」
「ないよ」
即答する賀川。しばしの沈黙の後、賀川は続けた。
「なりたかったけどね、これを知る前だったんだ、彼女の唇を奪って愛を囁いたのは」
「何でそこで過去形なんだ」
「すまない、無責任な事は言えないんだ。だから、人柱にしない為には出来るだけ、ユキさんが恋するのは遅い方が良いってわかるだろう? 俺に有る未来は全部ユキさんに捧げる。それだけは誓う」
「お前は一体何なんだっ! 雪姫を、雪姫がそれじゃあ……」
ベルは思い切り賀川の胸倉を掴んで、三度ほど激しく揺さぶる。
「愛する者を奪おうとするものがいれば、逃げるな! 戦え! 戦って守ってみせろ! 未来を力づくで奪い取れ!」
「ありがとう」
「そこは違うだろう! 奪い取って見せると誓……」
「もしかして……好きな彼女の側に居れば押し倒したくもなるし、抱きしめたくなる。それでつい過剰に彼女を遠ざける事があるのを怒ってる? そういえば……君が『想い人』と結ばれるといいね」
「――っ!」
賀川の言葉に、ベルは思わず絶句した。
自分が統哉の事を想っているからこそ、ベルは雪姫の想いに共感し、その想いに応えようとしない賀川に怒っている。彼はそんなベルの態度や言葉から自分に想い人がいる事を見抜き、しれっと言い放ったのだ。
「何がそういえば、だ……チッ」
苦々しげに呟きつつベルは舌打ちを一つし、座り直した。
(……言ってくれるじゃないか。だったらベルも切り札を切らせてもらおう)
そしてベルはニヤリと笑った。
「なるほど。ベルは賀川の事を誤解していた」
いったん言葉を切り、ベルは言い放った。
「もっと頭がいいかと思ったが。お前はとんでもないアホなのだな」
「は?」
何故、そう言われたのかわからないと言いたげな賀川の呆けた顔に、したり顔で彼女は言葉を紡いだ。
「ユキの事を愛してると言いながら逃げるのは、お前に覚悟がないからだと思い込んでいた。しかし違う、お前には覚悟はある。もしもの時には女だろうが、格上だろうが、人殺しさえ厭わない覚悟がな。それは最初の一撃目でわかった」
「じゃあ……」
戸惑う賀川に、ベルはたたみかける。
「だがな。覚悟はあっても、根本が間違っているんだ」
「どういう事、ベルさん」
ベルの言わんとする事がわからないという顔をする賀川。
「お前はユキに人を出来るだけ愛さないようにしたいのだろうが、もう遅い」
「え?」
そして、ベルは切り札を切った。
「もう、彼女は愛を抱いているのだから」
「!」
賀川が明らかに動揺したのが見えた。彼は息を飲み、
「それは、誰かな」
と、震える声で尋ねる。長い沈黙の後、ベルは穏やかに告げた。
「…………………………だから、お前だ」
賀川はポカンとした後、微笑みを浮かべて言葉を返した。
「ベルさん、面白い冗談はいらないから、本当の事を教えてくれないか?」
「くどいっ! だから、何度も言っているだろう?」
叫ぶように言われ、賀川は何も言い返せない。するとベルは昨夜雪姫と話した事を賀川に伝える。
「誰もいない森の中、一人寂しく、母親も、頼るべきもない暮らしの中、誰が人里離れた森の家の扉を叩いた? 誰が彼女に声をかけた?」
「あ、そ、それは」
「お前だ、たった一人、お前だけが雪姫の側に居たんだ」
「ちょっと待ってくれ、ちょ……」
「雪姫はもう随分昔から、お前を好きになっていたんだ。本人の雪姫すら気づかぬ間に」
ベルは穏やかな口調で賀川を諭すように、だがはっきりと断言した。
「雪姫が好きなのはお前だ。だがお前は雪姫を避けただろう? それでどれだけあの子が……雪姫が、傷ついたか。賀川、お前はもうあの子に愛されているんだ、認めろ」
「…………なあ、それは、嫌われる方法、考えなきゃ、なのか?」
賀川の言葉に、ベルはもう自分を抑える事ができなかった。
「この……大馬鹿野郎っ!」
呟くや否や、ベルは胡座から膝立ちに体勢を変え、一気に拳を握る。そして即座に賀川に飛びかかり、彼の横っ面を強かに殴りつけた。咄嗟に手加減はしたものの、多少力が入りすぎてしまった。
賀川は思い切り殴り飛ばされ、畳に倒れ込んだ。
「何故、お前はそう見当外れな場所を守ろうとしているんだっ! お前が守りたいのは、本当に自分がいたいのはそんな何もない場所なのか!? 違うだろう! お前が本当に望んでいるのは、寒くて光や色のない世界ではなく、暖かくて光や色に満ちた世界じゃないのか!? 賀川、もっと自分に素直になれよっ!」
ベルは肩で息をしながら感情のままに叫ぶ。
「見当外れな、場所……」
畳に倒れ込んだままの賀川を見やり、ベルはゆっくりと立ち上がって後ろを向く。そして、深く息を吐いて気持ちを落ち着けると、ボソッと呟いた。
「……お前が外国へ行くというのならば、好きにするがいい。ただし、あの子の元へ帰らなかったその時は――」
言い終えないうちにベルは猛スピードで振り返ったかと思うと、再び賀川の襟を掴み、喉元めがけて勢いよく腕を突き出した。
だがその腕は髪の毛一本あるかないかの際どい距離で、爪の切っ先が喉を突くかという所で止められていた。そして――
「ベルは、お前を許さない」
烈火の如き怒りを双眸に宿し、低い声で言い放った。
そして、襟を放して立ち上がると道場の入り口へと足音もなく歩いていった。そしていったん立ち止まり、
「……逃げるな、賀川。敵からも、雪姫からも、そして、自分からも。あらゆるものから目を背けず、真正面から雪姫を……愛するヒトを守ってみせろ」
最後にそう言い残し、ベルはもう一度賀川を一瞥した後、その場を後にした。
「……よう」
道場を出て、階段を上った所で待ち受けていた鷹槍と遭遇した。それを見たベルはすぐに事情を察した。
「……聞いていたのか」
「すまねえな。どうしても気になってしまって、つい盗み聞きなんて馬鹿な真似をしちまった。どんな罰でも受ける所存だ」
「いや、いいんだ。顔を上げてくれ、鷹槍」
頭を下げる鷹槍に、ベルはそっと声をかけた。
「ベルは、昨日雪姫と話をして、あの子の賀川が『好き』という気持ちを見抜いた。そして、先程の話からも、賀川が雪姫の事を好いているのを知った。
だが、雪姫の家系やそれを狙う連中如きに後ろ向きな姿勢を取るばかりのあいつが許せなかった……それだけだよ」
すると、鷹槍はニッと笑った。
「だが、俺からも礼を言わせてくれ。あいつの背中を押してくれて、本当にありがとうな」
その言葉に、ベルは少しだけ顔を赤くし、「……ああ」と呟いた。
「そうだベル嬢ちゃん、ついでと言っちゃあなんだが、これを見てくれねえか?」
そう言って鷹槍はベルにポンと何かを渡した。
「……これは、ネジか?」
ベルが渡された物を見て首を傾げた。彼女の掌には、小さく、そして赤いネジがちょこんと乗っかっている。よく見てみるとそのネジは錆びているのではなく、元からこういう色をしているらしい。
「そう、ネジだ。俺にはただのネジにしか見えねえが、嬢ちゃんにはどう感じる?」
「どう感じる、とは? ベルには色が変わっている以外はただのネジにしか見えないが」
怪訝な顔をしてネジを眺めながらベルが尋ねる。
「これは刀流が作ったものなんだが、どうも俺にはあいつが一から作ったものには思えねえんだ。さらにこの前、これをユキがお守りにしたいって言い出してな、一つ渡したんだが何かあるんじゃないかって思ってな」
「……ふむ」
鷹槍の言葉を聞きながら手の中でネジを転がしているベル。その時――
「……ん?」
手の中で静電気が走ったような感覚を受け、ベルはすぐさま掌を見た。しかしそこにはネジがあるだけだった。
「ん? どうした?」
「……え? ああ、いや。何でもないよ。ちょっとこのネジの事を考えていただけだ」
鷹槍に問われ、ベルは考え事をしていたふりを装って答えた。
「……そうか、わかった。すまねえな、時間を取らせちまって」
「何、気にするな」
そう言ってベルはネジを鷹槍に返した。
「さて、もうちょっとしたら朝飯だ。ベル嬢ちゃん、ユキにも声をかけてくれ。ひょっとしたら、今日は多少は食ってくれるかもしれねえ」
「承知した」
ベルが答えると、鷹槍は一足先に戻っていった。
(……気のせい、だよな)
ベルは先程感じた奇妙な感覚をそう結論付け、雪姫を起こすために離れへ戻る事にした。
桜月りま様 うろな町の森に住んでみた、ちょっと緩い少女のお話より 賀川さん、タカさん、名前だけですが刀流さん、お借りしております。




