お兄ちゃんの……バカ
友達からもらったと言っていた映画のチケットは、みおりが自分で買ったものだった。そして、昨日あいつがご機嫌だったのは、昨日そのチケットが届いたから。つまり、みおりはあの映画を本気で楽しみにしていた。
ここからは俺の推測だが、母さんの言った、勉強のお礼とは多分、俺がみおりに勉強を教えていることだろう。だから俺を誘った、いつものお礼の意味を込めて。
でも俺は、映画のあらすじすら知らず、ポップコーン買いに行って、優希と喋ってあいつを一人にして、映画が始まる前も上映中も終わったあとも優希とばっか話して、あいつをほったらかしにして。
「最低だ……」
みおりからの返事はまだない、それでも俺はノックし続けた。その時
「お兄ちゃんの……バカ」
背後から聞こえた声に振り向くと、顔をしかめたみおりが立っていた。
「怖かったんだよ……ずっと、待ってたのに……お兄ちゃんの大バカ!」
「え……?」
その場に座り込んだみおりを、俺はただ見つめていた。
あのあと、俺の部屋に場所を移した。俺が自分の非を認め、謝ると、みおりはなぜかもっと不機嫌になった。
「やっぱりわかってない、お兄ちゃんのバカ」
「え、ど、どうして?」
「私……一人で列に並んでる時、ガラの悪い男のグループに声かけられたの」
みおりは珍しく、震えていた。
「すごく怖かった、腕、掴まれたりして、怖くて……お兄ちゃんなら、こいつらくらい大丈夫だって思ったから、お兄ちゃんが来ればって……」
俺を睨みつけ、みおりは怒鳴った。
「なのに、お兄ちゃんは来なかった! しかも遅れた上に優希ちゃんと仲良く話し込んで……私をほったらかしにして! 私……本当に……怖かったのに……」
俺は拳を握りしめた。怒りで声が出なかった。みおりをそんな目にあわせた奴らに、なにより自分自身に。
俺の無言をどう受け取ったのか、みおりは急に顔を明るくしてなんでもないように話しはじめた。
「まぁいいよ、お兄ちゃんが悪いわけじゃないし、私が勝手に期待してただけだし、一人で並ぶって言ったの私だし、全部私が……」
みおりの言葉は、続かなかった。
俺がみおりを引き寄せ、抱きしめたから。
これ以上、聞いてられなかった。みおりが無理してるのが、わかったから。
「ごめん、みおり……ごめん」
「…………セクハラだよ、お兄ちゃん。私達もう、子供じゃないんだから」
「……ごめん」
「謝るなら、離してよ」
「……ごめん」
「……お兄ちゃん、そればっか」
フッと、みおりが力を抜いた。そのまま、身体を預けてくる。
その軽い身体を、俺は抱きしめ直した。
「本当にごめん、俺、なんでもするから」
「本当に?」
「本当に、なんでもする」
「本当に本当?」
「ああ」
俺の肩に頭を乗せたまま、みおりは、ふふっと笑った。
「じゃあ、今から買い物、付き合って」
「え、いいけど、もう3時だぞ? 明日の方がいいんじゃないか?」
俺は抱擁を解いて、みおりを見た。みおりの顔は、すっかり、いつものみおりに戻っていた。
「いいの! ほら、早く行くよ」
勢いよく立ち上がったみおりは、俺の腕を掴んで立たせると、自分の部屋に戻って、身仕度を始めた、ドアの向こうは見えないから、確信はないが。
とにかく、俺も身仕度を急いだ。
ホットドッグを片手に、みおりと駅前を歩く、ちなみにホットドッグは奢らされた。みおりも昼御飯は食べてなかったらしい。
俺より少し遅く、みおりがホットドッグを食べ終えた頃、目的の店についたらしく、みおりが立ち止まった。
「ここか?」
「うん、早く入ろう」
みおりに手を引かれ、明らかに女性服専門のファッションショップに入った。中には案の定、女物の服やアクセサリーから下着まで揃っていた。
正直、男にはかなりつらい店だ。居心地わるくて仕方ない。
「お兄ちゃん、なにぼさっとしてるの? こっちこっち」
「わ、ちょっと、引っ張るなよ」
みおりが俺を連れてきたのは、アクセサリーのコーナーだった。
「お兄ちゃん、お金ある?」
「まぁ、多少」
「じゃあ、アクセサリー、なんでもいいから1つ買って」
「ええっ!」
みおりはジト目で俺を睨み、声のトーンを落として言った。
「なんでもするって、言ったよね?」
「か、買い物に付き合うだけじゃ……」
「そんな訳ないでしょ、早く選んで」
「お、俺が選ぶのか?」
「当たり前でしょ」
ほら、早く。とみおりにせかされ、俺はまぶしいくらいにキラキラした女物のアクセサリーとにらめっこを開始した。
10分ほど悩みに悩んで、俺はシルバーのブレスレットを選んだ。かわいいけど、ちょっと落ち着いた感じが、みおりに似合うと思った。
「これなんて……どうだ?」
「プッ、あはははっ」
「わ、笑うことないだろ」
「だって、それ選びそうだなって、ずっと思ってたんだもん」
あはははっ! と、嬉しそうに笑うみおりに、なんだか怒る気もなくなった俺は、近くにあったレジでさっさと会計を済ませた。プレゼント用のラッピングをするか訊かれたが、丁重にお断りした。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、お兄ちゃん」
笑顔で紙袋を胸に抱くみおりに、不覚にも心拍数を上げてしまった。あわてて首を振って、頭を落ち着かせる。
「つ、次はどこ行くんだ?」
「今日はこれで十分だよ。帰ろ?」
首を傾げたみおりに、おう、と返事をしつつ、俺はぼんやりこんなことを考えていた。。
――また寄り道して帰ろうかな。
今度は、みおりと一緒に。