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覆面歌手

「OK!完了です!」

 プロデューサーの声が響いて、スタジオ内が拍手であふれた。

 夏の盛りをまるまる使ったレコーディングがとうとう終わった。神崎怜司の宣言通り、二ヶ月での完成だった。全八曲のアルバムとしてはあり得ないスピードで…。

「あとはプロモーションビデオだけど…どうします?」

 どうにでもしてくれ、と投げ出したい。それが杏香の正直な思いだった。自分の姿が日本中に配信されるなんて悪夢だとしか言いようがない。

 どう贔屓目に見ても自分のビジュアルは中の下だ。顔もスタイルも「いけてない」。七難隠せるほど色白でもなく、さらさらロングヘアでもない。

 わざわざこの姿をさらして、イメージを下げる必要なんてあるんだろうか…。

 そうだよ…マイナス点は消してしまえばいい。


「そのプロモーション、神崎さんだけで良いんじゃないですか?」

 やっと終わったレコーディングの疲れで、杏香はスタジオの隅に座り込んで壁にもたれながら、縋るように横田に言った。

「どういう意味?」

 大ヒット間違いなしのアルバムを仕上げて上機嫌のプロデューサーが、事務員から歌姫に転生したかつての同僚のところにすっ飛んでくる。

「神崎さんのビジュアルがピカイチだってことは有名だし、今更マスコミ露出しても支障はないでしょう。不細工な私が足を引っ張る必要ないと思います。」

「自分で不細工って…」

「いいんです。解ってますから。せっかくのきれいなアルバムです。きれいなプロモーションビデオにした方が良い」

「でもこれは君と神崎さんのアルバムなんだぞ」

「神崎さんの割合の方が高いじゃないですか」


 確かに、神崎のソロが三曲、杏香が一曲。残りの四曲がデュオとなれば、杏香の言うこともまんざら嘘ではない。

 だが、このアルバムは『海の翳り』のためにものだ。アルバムタイトルもそれにしようとほぼ固まりかけている。

 そのプロモーションに杏香の姿が一切ないとしたら問題ではないか。

「それはだめだよ」

 切り捨てるように横田が言った。スタジオにいるスタッフ全員が賛同の頷きをする。

 確かに杏香のビジュアルはごく普通だ。事務員として働いていたときから、彼女のルックスが話題に上ったことなど一度もない。

 けれど、彼女が歌う姿は別格だった。杏香がマイクを持つ、あるいはピアノに指を置く。その瞬間に彼女の周りのオーラが変わる。雲の切れ間から差した日の光のような、一直線の明るさが彼女を包む。そして彼女が自分を楽器に変えた瞬間、その光は周囲に乱反射を始める。限りなく拡散して隅々まで照らすのだ。

 そんな歌い手は見たことがなかった。あの光のシャワーをどこまで映像が拾いきれるかわからない。でもやってみたい…スタッフならそう思って当然だった。


「ですよね?神崎さん」

 横田は神崎の意向を伺う。神崎は座り込んでいる杏香を見ている。歌わない彼女はまるで目立たない。そこに座っていても誰もが通り過ぎてしまうようなタイプである。だがひとたび歌い出したらそのオーラは凄まじい。きっと彼女は歌っている自分の姿なんて見たことがないのだろう。だからこんなことを言う。

「メーキングあるだろう?」

「もちろん」

 今回の制作はCDだが、いずれDVDにすることも考えている。メーキングを残しておくのは当たり前のことだった。今回も最初のスタジオ入りからずっと専任カメラマンがスタジオの様子を撮り続けている。

「見せてやれ」

 いつも俺たちが見ているものを自分の目で確かさせろ。そうすればプロモーションに

自分の姿を入れる意味がわかるはずだ。神崎の言わんとすることは簡単に横田に伝わった。


「凄い…」

 試写室の大スクリーンに映し出されたメーキングビデオは圧巻だった。

 実際に立ち会って目の前で見ていたはずのスタッフ達ですら言葉をなくした。カメラマンの腕もあるのだろうが、それ以上に杏香の歌う姿は余りにも映像価値が高かった。

 さらに神崎怜司。定評のあるルックスはカメラを通すと更に見事で、もしも彼がとんでもなく音痴だったとしても、このルックスだけでモデルでも何でもいけてしまうだろうと思うほどだった。

「どう?」

 厳しい顔をしたままの杏香に横田がすり寄る。何故こんなに厳しい顔をしているのか

わからない。まさしくスターのオーラを放つ自分が気に入らないのだろうか…。

「なるほどね…」

「ビジュアルに問題はないと思うが?」

 神崎は表情を緩めない杏香を見下ろして確認する。彼女が新たに撮影したくないというのなら、もういっそ、このメーキングをそのまま編集してプロモーションビデオに仕立てても良いぐらいだと思う。

「お断り。断固拒否。絶対に嫌だ!」

 この歌を埋もれさせることは出来ない。そういわれて自分なりに納得して歌ったのだ。

 それで十分だ。CDは完成する。『海の翳り』は世に出て行く。そのことと自分のビジュアルを外に出すこととは無関係だ。

「このアルバムの出来、どう思います?」

 杏香は、見下ろしてくる神崎をまっすぐに見返して聞いた。

「史上最高だ。これが売れなかったら俺は引退してもいい」

 彼は自信たっぷりに言い切った。続いて横田を見る杏香。なにかの人形のように、頷きを繰り返す横田。

「自信、あるんですよね?プロデューサーとしても?」

「ある。絶対に売れる、ビッグヒット間違いなしだ」

「じゃあ、宣伝なんていらないでしょう?プロモーションビデオもいりませんよね」

 その言葉を最後に杏香は試写室を出て行った。160㎝足らずの小さな体に男達には理解不能の怒りを満たせたまま。

「どうしたんだ…彼女?」

 スタッフはただ見送るしかなかった。


 自分が歌うとき、こんな感じになっていたのか。全然知らなかった…。

 杏香は、長年の疑問が解決したと思った。なぜ自分が歌うといじめられるのか、特に女子に毛嫌いされるのか…。

 目立ちすぎるのだ…彼女らの地位を脅かすほどに。歌いさえしなければさえないそこらの女の子にすぎない自分が、一端歌い出すとこんなにも目立つ存在になりうる。

 それは、クラスの女王様にしてみればものすごく目障りだろう。だからいじめる。歌わない彼女は取るに足らない存在で、簡単に踏みにじってしまえるから。

 そして自分は人前で歌うことを封印された。でもそれが今までの平和な生活を支えていたのだ。我ながら大したものだと素直に思う。歌っている自分を魅力的だと思えるぐらいの審美眼はある。

 だからこそ、その姿を世間に出したくない。これまで見てきた沢山のアーティストたち変わらぬ、あるいはより輝かしいオーラを持つ自分。あれを見られたら、私はこの世界から足を洗えなくなってしまう。

 神崎にも横田にも戸川にも決して漏らせない杏香の本心は一発屋狙いだ。『海の翳り』さえ世に出してしまえば、あとは消えてしまいたかった。

 あの曲だけが売れればいい。私の歌う姿はそれを妨げる。あからさまに「金になる」のだ。そんな存在を周りが放置してくれるはずがない。最早路線は覆面歌手だ。


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