回るカウンター
「さて、お子様は退場した。ということで宿行くぞ」
「部屋あるんですか?」
「なんとかなるだろう」
そんな会話をしながら飯坂温泉に向かう。市内から三十分ぐらいで到着するその温泉は、震災前まではこんなに簡単に予約など取れなかった。今は大晦日だと言うのに人影もまばらだった。
「昔きたときは、こんなじゃなかったのに…」
と杏香は今更ながら深刻な影響に眉をひそめる。
「俺たちが来て泊ったって触れ歩いたらきっとファンが押しかけてくる。心配いらない」
この男はどれだけ俺様なんだろう。神崎怜司何様?!である。自分の商品価値を知らないのと知りすぎていてふんぞり返るのとどちらがましなんだろう。
横田が予約した旅館は、出来て十五年ほどの高級が売りの隠れ宿だった。一人一泊五万以上取るが、部屋は三室続きで広々しているし、料理にも定評がある。何よりも中学生以下お断りという静寂重視の完全に大人向けの宿で、一日に数組しか客を取らないのでプライバシーも十分確保できる。芸能人が泊るのにはうってつけの宿だった。
「いくら神崎怜司が泊ったからと言っても、このレベルの宿にファンが詰めかけるってことはないんじゃないの?」
と、しらけた顔で杏香は言う。
「飯坂に俺たちが泊ったってことが大事なんだ。どの宿か、なんてどうでもいいさ」
「まあ、そういう意味ならその通りかもね」
温泉宿お約束の和服の女将に迎えられて、三人は旅館の中に入った。杏香は聞きしにまさる豪華な設備になんだか落ち着かないような気分になる。
神崎は顔色一つ変えない。きっと昔からこんなところにばかり泊っていたのだろう。
「あー、なんか俺場違いな感じがする~」
と横田も嘆いてくれたお陰で杏香はなんとか肩の力を抜くことが出来た。そりゃそうだよね、一介のサラリーマンが出入りできる場所じゃない。
「これなら雑魚寝しなくて済みますね。」
三つ続いた部屋に独りずつ割り振っても大丈夫そうだったが、神崎と横田が一番大きな部屋を二人で使い、続き間を杏香が使うことになった。
「三人枕を並べた方が俺たちは安心なんだけどな」
と言った神崎に直球で座布団をぶつけた。冗談じゃない、であった。
遅い時間の到着にもかかわらず、宿は食事を用意して待っていてくれた。
神崎怜司の名前はもちろんのことながら、彼らが何をしに来たかもよく知っている。福島のために来てくれたのだ、と思えば計り知れない歓迎ムードは当然といえば当然だった。
「ごゆっくり召し上がってくださいね。ご要望があれば何でもおっしゃってください」
婉然と微笑みながら女将に傅かれて、横田は赤くなっている。
「お飲み物は?」
「冷酒を下さい。出来れば名倉山を…」
と、杏香が懐かしい銘柄をつげてみると、女将は嬉しそうに答えた。
「かしこまりました。ちょうど大吟醸が冷えております」
甘い酒が多い福島にしてはすっきりと飲みやすい銘柄で、なかなか東京近辺には出てこない。せっかく福島に来たのだから、こういう酒を飲まなくては…と杏香は力説して横田と神崎に勧める。
「いきなり日本酒って…飲んべえだったのか、お前」
と神崎が驚いている。
悪かったわね。女も二十六にもなると蟒蛇化するのよ。なんて居直りはさすがにしない。
「寒いんだから日本酒に決まってます」
「まあそうだな、料理も日本酒向きだし」
「そうそう、今日の再会を祝してまずは乾杯しましょう!」
横田がそう言って杯を上げる。私としては再会したくなかったぞ…と思うものの、突っぱねるのはあまりに大人げない。クリスタルのグラスを軽くあわせてぐっと干した。
「あー…おいしーい…」
くーーっと唸りそうになったが、それをやったらおやじである。それはもう横田に任せてさっそく料理に箸をのばした。
二人が三人増えるという連絡は直前になされたはずなのに、さすがは名旅館、動じることなく三人分の料理を誂えた。お見事である。
「いや、今日は良い日だ!チャリティーは大成功だし、伊沢さんは見つかるし、次のツアーは決まるし」
横田はご機嫌である。
何が良い日だよ…私にしてみれば、喜ばしいのは最初の一つだけじゃないか。しかもツアー決まったって、チャリティーなんだから実入りはゼロだ。
「コンサートそのものはチャリティーでも、会場で売ったCDやらDVDは俺たちの収入になる。まるっきり持ち出しってわけでもない」
一風呂浴びて、浴衣に着替えた神崎が説明をする。なんだ、それで簡単に全国ツアーなんて言ったのか…大人って全くずるいよな。
「え…そうなの…」
「そうなの。それに、どうせすぐにまた新しいCDを出すし…」
「横田さん、私はツアーはやると言ったけどCDまで出すとは言ってませんよ」
「伊沢さん、そんな冷たいこといわないで、稼がせてくれよ~」
「お断りです。戸川企画が儲かっても儲からなくても私には関係ありません」
「神崎さん助けて~!」
「ま、そんな話はまたゆっくりでいいじゃないか。とりあえず呑もう」
ここできっぱり断られたら却ってマイナスだと踏んだらしい神崎が話を畳んで、それ以後ニューアルバムの話が出ることはなかった。贅沢な料理と酒を大はしゃぎで楽しみ、一番に潰れたのは横田だった。
「あーあ…マネージャーが一番に潰れるってどうなの?」
杏香は呆れて、いびきをかいて転がっている横田を見たが、神崎はすっかり慣れているのか平然としている。
「まあ、普段はもうちょっと持つんだが、今日はいろいろあったし、ダブルヘッダーだから疲れたんだろう」
「大いびきで潰れたまんま年越し?寝覚め悪そう」
時計を見ると、あと一時間たらずで年が明ける。そういえば、例の国民的番組は今年はどっちが勝ったのだろう。
「テレビつけて良いですか?」
「珍しいな、テレビなんて見たいのか?」
普段なら神崎の映像を切りたくて、つけもしないテレビであったが、本人が目の前にいるのだからそんな努力は虚しいばかりだ。
「どっちが勝ったか気になって」
「今年は赤だろ。」
「根拠は?」
「俺が出てないし」
「凄い自信ですね…」
俺様男を放置して、テレビのスイッチを入れる。つけた途端目に入ったのは、デジタル時計のようにカウントされ続ける数字だった。
チャンネルを確かめるとF放送をネットワークで抱える中央局で、急遽中継車をF放送本局に走らせたらしい。
「何これ?」
しばらく見守っているうちに、数字は八千を超えた。大晦日である、減っていく数字は見慣れたものであるがどんどん増えていく数字というのはあまり見ない。
「この数字は現在行われている、東日本大震災震災孤児助成基金への募金振り込み件数です。口座への振り込みとF放送を訪れて募金した人数の合計ですが、今夜行われたチャリティーライブの直後からものすごい勢いで増え続けております!この数字が一万件を超えれば、神崎怜司・行方史枝のユニットライブ開催が決定いたします。今も放送局前に設置された募金箱の前に長蛇の列が出来ております。あと少しで一万件です。皆さんも是非ご協力下さい!」
「…大騒ぎだな」
さすがの神崎も驚いている。二・三日で…と甲斐は言っていたが、それどころではない。
今夜中に突破しそうな勢いである。みんないったい大晦日に何をやっているんだ…。
もっとお静かに家で除夜の鐘でも聞いていろよ…と杏香は頭を抱えたくなった。もう歌合戦の勝者がどっちだったかなんてどうでもいい。多分、視聴率もがた落ちだろう。気の毒なことである。
「というわけでチャリティーライブは決定だ。会場押さえないとな」
嬉しそうな神崎がまた新しい瓶の口を切っている。確か三本目の四合瓶…この男こそ蟒蛇じゃないのか…。顔色も変わっていない、飲んだ酒がもったいない…。そう思う自分も大して酔ってはいないことを棚上げして杏香はまた画面に目を戻す。
年越し参りがてら立ち寄りました、といった感じの若者が募金箱にお金を落とす。また一つ『正』の字が完成する。募金箱を持つ係員が一礼して、次の若者がまた同じ行為をする。
いったいあの係員はいつ解放されるのだろう。そして解放されるまでに何度頭を下げるのだろう…。
言い出しっぺは自分なのだが、こうやってみているとずいぶん酷なことを言ったと申し訳なくなってしまった。うーむ、と唸りながら見ていた画面が、また変わって、除夜の鐘を映し出した。年明けだ。
「あけましておめでとうございます。」
黙っているのも何なので、一応神崎に頭を下げる。
「あけましておめでとう。今年もよろしく」
とあちらも座り直して頭を下げた。
「というよりも、今年こそよろしく、だな。行方不明はこれきりにしてくれ」
「あー…それ…」
「ライブは多分半年以上かかる。準備やら移動やら含めたらもっとになるだろう。とにかく、もう逃がさないからな」
「終わるまで、ね」
チャリティーライブ限定だということを強調する杏香に神崎はことさら嫌な顔をした。