獣夫、人妻。
おつまみ程度にどうぞ。
自然に光と闇を感じ、意識せずとも反応する黒い瞳は眩しさゆえに縦長の形を保っていた。
長い爪をメイドに丸く整えさせ自室を出る。あらかじめ呼ばれていた部屋へ向かう。
「当主は何をお考えか私には理解出来ぬ」
++++++++
人と獣が交わったのは遥か昔、今となっては純血である血筋は少ない。だが高貴なる血統を持つ獣人は人と同じように国に携わる権力を与えられている。例えるならば貴族における爵位である。
そして獣人の貴族の中で最も古く、長きに渡り純血を守ってきた名はドゥリューネ。公爵の地位を与えられ、王族たちと深い関わりのある彼らは今、一つの大きな問題を抱えている。
「ようやく来たか、ラーグ」
現当主は長子「ラーグ・ドゥリューネ」を呼びつけていた。
「何か御用ですか、当主」
「そう急ぐな、ラーグ。それに堅苦しく当主などと呼ぶでない。儂はお前の父であるのだから、今ぐらい父上と素直に言えばよい」
「では父上、何か御用ですか」
当主は笑みを浮かべながら垂れ下がった顎の肉を優雅に撫でる。威厳、貫禄、全てを含んだ笑みはどこか怪しい。
柔らかな革張りの椅子に腰深く座り、メイドからワインを受けとる当主はラーグにも飲めと促す。
「結構です。まだ仕事があるので」
「つれないのー、我が息子ながら頭が堅すぎる。どこで育てかたを間違ったか、もっと柔軟さが欲しいのー」
「わかりました。飲みます。で、御用は?」
ラーグは仕事に戻らねば明日の量が増えるだけであるから早くしてくれとワインを煽る。酒一杯では酔わないのが獣人だ。人よりも免疫力や病気には強い耐性がついている。
「はっきりと言おうではないか。儂はそろそろ隠居をしたい」
「は?」
「だから隠居したいんじゃ」
「今なんと?」
「お前のその虎耳は節穴か!儂、そろそろ隠居したいんじゃけどー!」
ピょコーンと耳と髭が立つ。
当主が隠居したい?
隠居ということは当主を辞める?
では、誰が後を継ぐのか。
普通は長子である自分が継ぐものだが、それはないだろう。いい年をして結婚もしていない一匹虎が公爵の地位を得ることはあり得ない。
「後を継ぐものは?」
「ラーグでよいじゃろ」
「でも、私には家庭がありません。子供が望めない当主などあり得ません」
「それは大丈夫だ。嫁ならもう手配した」
手配、もう自分の妻、嫁となる者を決めていただと。
ラーグは怒りを覚えたが、当主である父の命令は絶対である。幼い頃から身に染みているその考えを変えることは出来ない。
「確か、もう着いているはず」
「え?」
「お前の部屋に届けてある。さあ、行くが良いぞ。次期当主よ!」
「まだ当主になるとは言っておりません」
「なれ、そして部屋へ行け」
渋々頷いた後、当主の部屋から出て行く。あくまで冷静に、牙を剥き出したい気持ちを抑えて自室へ急いだ。
++++++++
自室の前には数人のメイドが立って自分を待っていた。
中には獣人しか雇わないドゥリューネ家にいないはずの人間のメイドが混ざっており、目を見開く。
まさかこの純血の虎の嫁が人間なわけがない。
「このメイドたちはどこの家の者だ」
「ラーグ様、彼女たちはレイデル家のメイドです」
「レイデル、レイデルとはあの人間のレイデル公爵か?」
「ええ、そうです」
してやられた。
父上が用意していた嫁は獣人ではなく人間、しかも人間の貴族で我が家と同じの公爵の地位を持つ者とは断ることが不可能に限りなく近い。
「ラーグ様、中で奥様がお待ちですよ」
「お、奥様…?」
メイドに促され、自室のドアノブを掴む。
普段から使っている部屋に入ることに、これほどまで緊張するものなのか。
肉球の間に少しばかり汗が滲む。
「入るぞ」
問うと中から小さく「はい」と女の声が聞こえる。
ドアを開くと自分が使っているベッドの上にちょこんと人間の女性が座っていた。
「ラーグ・ドゥリューネ様ですか?」
「そうですが、貴女はレイデル家の」
「グレア・レイデルです」
「グレアとお呼びしても?」
「はい」
そのまま彼女は俯いてしまった。
人と共存していると言っても、貴族社会では人間と獣人が接する機会はあまりなかった。
そのためラーグはグレアにどう話しかけてよいのかわからなかった。
どうせ父上が無理矢理に連れて来たのだろう。
グレアが自分や他の獣人に対して良い印象を持っていないことは充分にあり得る。
「…ですね」
「はい?」
「すみません。何でもないです」
開かれた口はすぐに閉じられてしまった。
ラーグはグレアの前に膝まずき、目線を合わせる。
「貴女が私の妻となることが不本意であり、望んでいないことはわかります。私も先ほど嫁を用意したなどと言われ混乱している最中ですから、どうか言いたいこたがあれば素直に言ってください」
「いえ、決して不本意ではないです」
「ではなぜ、その口で意思を示さないのですか」
「意思ですか。私はただ、ラーグ様は本当に虎さんなのだなと思って…すごく失礼ですよね。虎さんなんて」
グレアは頬をうっすらと赤く染めた。
「私、猫が、いえ、虎さんが好きなんです」
それは幼い子供のような告白である。
顔を両手で覆い、恥ずかしさと頬の赤みを消そうと深くグレアは息をした。
「だから、私、ラーグ様のお嫁さんになることは嬉しいんです」
その一言にラーグは胸を抑えた。
人間、種族の垣根を越えた恋愛は許されていると言えど、初対面で告白をされるとは想定外すぎる。
でも嫌ではない。
むしろ、この胸の高鳴りは自分がグレアな惹かれている証拠だ。
「このラーグ・ドゥリューネ、グレア・レイデル様を必ずや幸せにしてみせます」
すべすべとした人間特有の肌の見える小さな毛をとり、甲へと口づけをした。
++++++++
「人間と獣人の夫婦から生まれる子供はどっちかのー」
前当主ゲイル・ドゥリューネ公爵は仲睦まじい夫婦の姿を見て、孫はまだかと呟いた。
おしまい