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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。

いつか、花が枯れるまで。

作者: にとずみ
掲載日:2026/03/07

 幼馴染である日向子への恋愛感情を自覚したのは、彼女から好きな人ができたと相談を受けた去年の冬のことだった。


 生徒会の先輩で、仕事以外でもいつも誰かを助けている優しい人。すごい人だなあと憧れていただけなのが、いつの間にかそういう感情に変わっていた。ぽつぽつと、幸せそうに語る日向子の顔を眺めながら。あぁ、私はこの子のことを好きだったんだなと遅過ぎる恋心の自覚と失恋をした。


「損することもたくさんあるのに、それでも人を助けられる立場にいるんだから助けるべきなんだって、それが立場のある人間の義務なんだって。頑固な人なんだ。それで、最近ね、支えてあげたいなって、もっとあたしのことを頼ってほしいな、あたしじゃない人を頼りにするのは嫌だなって思うようになって……その、あの、あのね。向日葵、恋ってこういうのなのかな?」


 真っ赤な顔で、そんなことを言う日向子を見たら。たった今自覚した私の恋も失恋もどうでもよくなってしまって。応援するべきなんだ。私のこれは、無かったことにするべきなんだと。苦いクッキーを碌に噛まずに紅茶で流し込んで、喉に痛みを感じながらどうでもよさそうな顔を作ってみせた。


「私はあんたじゃないんだから、私にはわからないわよ。あんたが恋だって思いたいなら恋なんじゃないの?」

「じゃ、じゃあ……恋なんだって言ったら。向日葵は応援してくれる?」

「そりゃ小学校からの付き合いだもの。叶ったら祝ってやるし破れたら、まぁ……カラオケくらいは付き合ってあげるわ」

「な、なんか手伝ってくれたりとか……」

「相談くらいは乗ってあげるけど、手伝いはしないわよ。なんなら私にそいつの名前と顔教えない方が良いわ。あんたのこと話しちゃうかもしれないから」

「向日葵はあたしの敵なの、味方なの!?」


 顔も名前も知りたくなくて、冗談っぽく意地悪を言ってしまったことを少しだけ後悔している。知っておけば八つ当たりをしてやることもできたし、どういう人だったのか私の視点で知ることもできたのにと。


「敵にも味方にもなるわよ。青春なんて、そっちのが面白そうだと思ったら邪魔するものでしょ」

「そういうのが許されるのはお話の中だけだよ、もう……」


 拗ねたように頬を膨らませる日向子が可愛くて、意地悪を言うことに夢中になってしまったことを。そうすることで胸の奥で渦巻く重たい何かを忘れようとしたことを。自分の感情と、きちんと向き合わなかったことを。


「――でも、うん。そうだね。向日葵にも言えないかも。まだ、誰なのか教える勇気無いな」

「生徒会役員一人ずつ指差して確認取っても良いのよ」

「そんな怖いことしないでよ……。それに、してもわかんないと思うよ」

「なに、卒業生? それとも空想上の存在?」

「どっちも違うけど、向日葵にもわかんないと思う。でも、いつか言うね」


 この時、日向子に何を隠しているのか問わなかったことを。喧嘩になってでも問い質して、寄り添おうとしなかったことを。いつまでも後悔している。きっと過去に戻れても、私は何一つとして正しい方向へ導くことはできないのだろうとわかっているけれど。それでも、何かできたはずなのにと。いつまでも後悔している。


「いつかって言うと、十年くらい先になりそうね」

「あはは、そうかも。それくらいしたら、勇気も出るかな」

「何の勇気よ」

「いろいろだよ」


 普段は子供っぽいところがある彼女が、少しだけ大人びた表情と声でそう言ったことを。それに何も返せなかったことを、いつまでも。




 二度目に失恋したのは、初恋を諦め切れていなかったことを自覚したのは。日向子の恋が一歩進んだと知った春のことだった。


 今日はこういう話をした、いついつにどこどこへ誘おうと思っている。そんな相談を何度も受けて、それなりに真剣に助言して応援して。それでも日向子の想い人が誰なのかは知らないまま、一年経とうとした頃だったか。もしかしたらカラオケ誘うかもと何気なく言われて、告白をするのだろうなと察してどう慰めようかと数日考えて、名前だけでも聞いて殴りに行くかと結論付けた次の日だったと思う。


「――あのね、向日葵。あたし、告白したよ。返事は待ってほしいって言われちゃったけど、告白できたんだ」


 やり切ったような顔で言う日向子を見て、私は今でもこの子のことが好きなんだなと自覚して。けれど、この子が好きなのは私ではないことも自覚した。


「そう。カラオケ予約する?」

「一年先でも予約できるかな?」

「遠過ぎるって文句言われそうね。告白の返事としても」


 誤魔化されているだけなのではないか、遊ばれているのではないか。思ったけれど口にしなかったのは、日向子はむしろ私よりそういうことに鋭い人間だと知っていたから。そして、なんとなくだけれど。きっとこの恋は叶うのだろうと諦めて(信じて)いたからだと思う。日向子は幸せになるべき良い子で、私ではない誰かが幸せにしてくれる。私にその資格は無いけれど、応援して見守ることはできる。そういうふうに考えるようになっていたから。



 胸の奥でぐるぐると渦巻く、重たく真っ黒な感情を。それに従ってしまうか、きちんと向き合って名前を付けていたら。何度も何度も、そう思う。




 ――――三度目は。三度目の恋心の自覚は。きっと死ぬまで更新されないだろう、人生で最大の後悔は。夏を過ぎて、秋を迎えたばかりの頃のこと。


 三年生の修学旅行先で事件があって、うちの生徒が巻き込まれたらしいと担任から報せを受けた時。日向子が顔を青くして誰が巻き込まれたのかと担任に詰め寄ったあの時に。帰ってきた三年生から必死に誰かを探す日向子の姿を見たあの時に。生徒総会で生徒会の役員が何人か足りないと気付いた時。日向子が三年生数人を殴って謹慎処分を受けたと知った時。いくつも積み重ねて、私はやっと。今までの、全てを間違えてきたことに気が付いた。



 日向子の想い人が、死んだのだ。事件に巻き込まれて、殺された。あの子の恋が、叶わなくなってしまった。それを理解した時、私は何も考えることができなかった。どうしてそうなったのかを考えたくなくて、これからどうすればよいのかも考えるのが怖くて。何も考えられなくなった。



 あれから、一週間が経った。日向子の恋が叶わなくなったことを知った日から。胸の奥底で、黒く重たい何かが無視できない程に大きくなって苦しみを感じるようになってから。今も吐き気を感じながら、私は日向子の家のインターホンを押す。


「…………久し振り、って程じゃないか。一週間会わなかっただけだもんね。あ、でも、向日葵と一週間も会わないなんて今まで無かったよね」


 一週間振りに会った日向子は、少しやつれて見えた。目元を腫らしているし隈もある、ずっと泣いていたのだろうし眠れていないのだろう。理解したうえで、部屋に招かれた後もなんでもないような顔を作ってみせる。私に求められているのはこれのはずだから。私の役割は、これなのだから。


「あんた、スマホ没収でもされたの? 何送っても返事どころか既読も付かないんだもの」

「……あ、電源切ってそのままだった。ちょっと待って」


 電源ボタンを押して数秒、起動したスマートフォンからぽんぽんと間の抜けた音が何度も響く。今まで届かなかった通知が一斉に届き始めたのだろう。その内数件は私のもので、けれど他の通知に押し流されて日向子は気付けないだろう。


「私のはプリント持ってくとか生徒会の人から様子聞いてって言われたとかそんなんばっかりだから、あんま気にしなくていいわよ」

「あはは、ほんとにそういうのばっかだ。あ、そうだ。貸した小説の感想文まだ送ってくれてないよね。締め切り三日前くらいだったと思うけどなあ」

「……わざわざ私のを探さなくていいし、謹慎処分の期間分延ばしなさいよ。明けるまで送らないから」

「そろそろ泣き疲れたし、向日葵の感想読みたかったんだけどなあ?」

「知らないわよ。読書なり映画なり暇潰しはたくさんあったでしょ。それより、反省文は書き終えたの?」

「お母さんすら言わなかったことを言うね、向日葵は。……ちゃんと書いたよ。悪いのはあたしだって、わかってるから」


 泣き疲れた。悪いのはあたし。日向子から聞くとは思っていなかった言葉だ。私の知っている日向子ならそんな弱音は吐かなかった。それだけ弱っているという事なのか、私が日向子を理解していないだけなのか。何を言うべきか考えていると、日向子の方が先に口を開いた。


「だからさ、来週の月曜からは学校行くよ。……ね、向日葵。今日、暇?」

「今日の私の予定は溜まりに溜まったプリントを渡しつつあんたが元気か見て、生徒会のやつらにぶつける嫌味の材料を探すことよ」

「みんな良い人だからやめてあげてほしいなあ……。お母さんが許してくれたらさ、ちょっとお出掛けに付き合ってよ。行きたいとこがあるんだ」


 少し、返事を迷ってしまった。まだ謹慎中なんだから家にいなさいよと言うべきだけれど、今の日向子は放っておいたら一人で何処かへ行ってしまいそうで怖かった。


 ……誰かに見られた場合が面倒だけれど、適当な言い訳を並べるのは得意な方だ。今は一緒にいた方が良いはず。日向子のお母さんの説得は……私からした方が良いか。


「今月シフト少なかったから贅沢はできないわよ」

「奢るよ。向日葵と一緒に行きたいんだ」

「自分の分くらいは払えるわよ。はぁ、まるでナンパね……もういいわ、外で待ってるから着替えなさいよ」

「やった! お化粧もちゃんとしたいから、けっこう待たせるかも!」

「あんまり遅いとおばさんにあることないこと吹き込んでから帰るわよ」

「待って待って、ちゃんと急ぐから!」


 騒ぐ日向子を置いて部屋を出ると、ずっと抑えていた溜息が漏れた。とはいえ、まだ日向子の外出許可を貰うという仕事が残っているので、気を緩めるわけにはいかない。


 一緒に行きたい。その言葉は、本当に私に向けて良いものなのか。そう考えて、私が期待する意味のものではないのだろうなと考え直した。そもそも、今はそんなことを考えるべきではない。


 そう。考えるべきではないんだ。ずっと目を背けてきたくせに、今更この胸の奥にある感情に意味を与えようだなんて。従ってしまおうだなんて、許されてはいけないんだ。私のこれは、永遠に封じ込めておかなければならないものだ。






 日向子との付き合いは、小学校二年生から九年近くになる。何度か喧嘩をしたし、良いところも悪いところもよく知っている。恋愛感情を自覚してからはどうして好きになったのか、どこが好きなのかを理解しようと考えることもあったから。家族を除けば、私が一番に日向子を理解しているはずだ。


 先輩とやらはどうだったのかは、私にはわからないけれど。知ろうとしなかったから張り合うこともできなかった。そういう意味でも、やはり私は負けているのだろう。選ばれなかった、というよりも選ばれる努力をしていなかったんだ。



 最初に日向子を《《そういう意味で》》好きになったのは、いつだったろう。中学校に入る前か、入ってすぐくらいのことだったと思う。きちんと覚えていられないくらいに曖昧で、些細な切っ掛けだった。


 いつだったか、自分の名前があまり好きではないと。そういう話をした時だったと思う。もう少しお洒落な名前が良かったとか、誰々さんの名前が羨ましいとか。そういう、どうでもいい話をした時のことだった。



『――――そうかなあ。あたしは向日葵って名前、好きだけどな。だってほら、お花の名前だし。素敵な花言葉多いじゃん。あ、花言葉って知ってる? 色とか本数とかで色んな種類があるんだよ! ……それに、ほら。あたしはお日様のあるところで、向日葵はそこに咲くお花。ずっと一緒って感じで良いじゃん。親友って感じする! でしょ?』


 そんな、なんでもない言葉だったと思う。本当にただそれだけなんだ。名前を褒められた、親友だと言われた。ただそれだけで。私の名前を褒めるその表情と声だけで。私は、あの子に惚れてしまった。あの時は自覚が無かったけれど。今思えば、あれが最初の切っ掛けなんだ。


 私が日向子に恋心を抱いたのは、きっと。そんな、人から見ればくだらない言葉が切っ掛けなんだ。それを、ずっと引き摺って生きているんだ。




 久々の外出だからか妙に気合いの入った服装に化粧をしてきた日向子と共に電車とバスに合わせて一時間程揺られ、それから十数分黙々と歩いて。そうして辿り着いたのは、海水浴場だった。つい一月前まではたくさんの人で賑わっていたのだろう砂浜も、今はほとんど人気が無い。今日は秋にしては随分と寒いからというのも、あるのだろうけれど。


「――やっと着いた! いやあ、秋になると海も全然人いないんだねえ! いや、金曜日の夕方っていうのもあるんだろうけどさ」

「ちょっと、海入るのはやめなさいよあんた!」

「入らないよー!」


 目をきらきらと輝かせた日向子が、海へと向かって駆けてゆく。波が迫ってきたところで少し冷静になったのか、海へ入ることはなかったけれど。


「あのまま入るつもりかと思って焦ったわよ」

「あはは、ちょっと考えたんだけど冷たそうでやめた。一応着替えは持ってきたんだけどね」

「遊ぶつもりだったの……?」

「そりゃあさ、折角向日葵と海まで来たんだもん。遊びたいでしょ」

「それなら、……謹慎明けて、もっと暖かい日にしなさいよ。それと、朝からじゃないと買い物も碌にできないわ」

「それもそうだねえ……そうだ、お土産も買いたかったんだ。もうお店閉まっちゃってるかな」

「でしょうね」


 なんでもないような会話を続けながら、今のは少しよくなかったなと日向子に気付かれないように自省した。一週間振りに日向子の顔を見られて、元気そうだと思って気が緩んでいた。この子がどうして謹慎を受けているのか、一瞬でも忘れてしまっていた。言ってはいけないことを、言おうとした。


 先輩と行きなさいよ、だなんて。こうなる前だってずっと言わなかったのに。言おうとすら思わなかったのに。いなくなった後にそんなことを言いそうになるなんて。



 修学旅行先で起きた事件の詳細は、噂話という形で私の耳にも届いていた。刃物を持った男が生徒数人を殺傷。その後警察の到着前に持っていた刃物で首を切り自害。その中に生徒会の役員も何人かいたと聞いている。正確な数や名前までは、知りたいと思えなかったから聞いていないけれど。



「……ここ、ね。先輩と来る約束してたんだ」


 海と沈む夕陽を眺めながら、日向子がそう言葉にしたのには少し驚いた。私から切り出されでもしなければ言わないだろうと思っていたし、私はその話をするつもりはなかったから。


「ここからもうちょっと歩くんだけどね、年末に水族館ができるんだって。先輩、クラゲが好きだったんだ。一緒に見に行きましょうよって誘って、約束して……楽しみにしてたんだ」


 ぽつぽつと、夕陽に顔を照らされながら。日向子は先輩との思い出を話し始めた。私がずっと知ろうとしなかった、日向子の好きな人との思い出を。



 猫が好きで、家に猫が二匹いるらしい。写真と動画を見せてもらったけれど、あまり懐かれてはいないようなのがちょっと面白かった。


 クラゲや深海魚が好きで、あまり可愛くないと周囲には秘密にしている人だった。偶然知って水族館に誘えた時は、恥ずかしくない趣味だから他の人と話しても良いと思うと励ましたけれど、秘密を共有できたのは嬉しかった。


 困っている人を放っておけない人だった。みんなが感謝をしてくれるわけでもなくて、損することだって多かったのに。それでも立場があるならやるべきなんだって言って聞かない人だった。器用な人だからだいたいなんでも上手くやれて、だから全部一人で背負い込もうとするのが心配だった。


 何度も、何度も手伝って支えていたつもりだったけど。結局、一度も自分から頼ってくれることはなかった。本当に、全部一人でやれてしまう人だった。



 幸せだった思い出を噛み締めるように。遺された悲しみに耐えるように。泣いているのか笑っているのかわからない表情で、日向子は話し続ける。私はただ、黙って聞くことしかできなかった。


「みんなを庇おうとしたんだって、先輩。包丁持った男の人がわあって叫びながら突っ込んできてるの見たらさ、動けなくなっちゃう人もいるでしょ。多分、あたしもそうなるんだろうな。先輩ね、動けなくなった人をみんなの方に突き飛ばして、連れてけって言ったんだって。それで、男の人に向かっていって」


 そこから先は、言葉にはならなかった。嗚咽が聞こえる。顔を見れば、日向子はぽろぽろと涙を流し泣いていた。何かを言うべきだと思うのに、私は何も言葉が浮かばないまま。


「突き飛ばされた人ね、生徒会の先輩なんだ。事件のショックで学校来れなくなっちゃって、あたしもしばらく顔見れてない。それとね、先輩に連れてけって言われた人も知ってるんだ。風紀委員なんだけど、先輩の幼馴染でね。よく顔出してたから、知ってるんだ」


 三年生が数人、休学しているらしいことは私も知っていた。その中に生徒会の役員が含まれていることも。ただ、やはり詳細までは知ろうと思っていなかったから。日向子がその話をすると、思わなかったから、驚いた。いや、正確には。嫌な予感がしてきた、というべきかもしれない。


 話を始めてから、日向子はずっと昏い瞳と声をしている。これから日向子が話す内容を、私は受け止めきれるのか。受け止められなかった時、日向子はどうなってしまうのか。考えるのが恐ろしかった。


 ……これも、日向子への自分の感情に向き合ってこなかった罰なのだろう。そう考えれば、無理にでも受け止めるしかないけれど。


「あたし、ね。バスから出てくる人の中に先輩がいないって気付いてから。ううん、もっと前だ。三年生が事件に巻き込まれたって聞いた時から、ずっと頭の中が真っ白で。それで、知ってる三年生全員に声掛けてね。誰も、何も教えてくれなくて」


 しばらく人と話していなかったからだろう、息を切らした日向子が言葉を止めた瞬間、遠くから船の汽笛が聞こえた。呼吸を整えている日向子を見て、少し考える。もし、日向子の話を止めようと思うなら今が最後のチャンスだ。そう思いながら、私はただ黙って日向子の言葉の続きを待った。止める資格なんて無いのだから。


「……答えてくれたのはね、先輩の幼馴染だったんだ。最初からあの人に聞けば良かったんだろうけど、あたしも怖くて避けてたんだ。でも、結局ちゃんと答えてくれたのはあの人だけだった」


 そう言って、日向子は深く息を吐き出した。それは、深呼吸というよりも、腹の底にある怒りをできるだけ遠くへ飛ばそうとしているような、苛立ちを感じるもので。


「――先輩は、殺されたんだって。病院に着く前に、死んだんだって。そう聞いた時、殴っちゃったんだ。生徒会のみんなが止めようとしてくれたんだけど、暴れてね、お前が死ねば良かったんだって、あの人に最低なこと言っちゃった」


 先輩に怒られちゃうな。そう言って笑う日向子の声は、からからと乾いて聞こえた。


「ねえ、向日葵。向日葵はさ、恋をしたことある?」

「……どうかしらね。あまり考えたことは無いわ」

「そっか。すごく辛いよ。おすすめしない。こんな気持ちになるなら一生知らないままが良かったなあ」


 あんたが恋を知らないままでいたら、私はいつまでも失恋を知らずにいられたのかな。言葉にしてはいけないことを考えた。どうでもいいことだ。それよりも、否定しなければいけないことがある。

 

 顔を赤くしながら先輩の話をする日向子は可愛かった。好きな人に振り向いてほしいと努力する日向子は、綺麗だった。


 あれは、あれだけはきっと、否定してはいけないものだ。日向子にだって、否定させてはいけないもののはずだ。


「多分ね、先輩はあたしの告白を断るつもりだったと思うんだ。無理なこと言ってるってわかってたし、それでも良かった。一回ちゃんとふられたらさ、向日葵と喉が枯れるまでカラオケして、それで吹っ切って先輩のことは諦めて……そうするつもりだったんだ。心の準備、できてたんだよ。なのにさ」


 日向子と目が合った。夕陽に照らされてなお昏い瞳が私を見詰めていた。ぽろぽろと涙を流しながら、睨むように私を見ている。けれど、視線の先にいるのは私ではないのだろう。


「もう、先輩の声は聞けないんだ。あたしの告白に、返事は返ってこないんだ。こんなのってないよ。こんな形で終わりたくないよ……もう、やだよ!」


 それは、心からの叫びなのだろう。ずっと誰にも言えなかった怒りと悲しみなのだろう。私にはただ、黙って受け止めることしかできないけれど。



 不意に、日向子が海へ向かって歩き出した。私は隣に並んで歩き……日向子の表情を見て、腕を掴もうと手を伸ばした。するりと抜けた日向子は、ばしゃばしゃと水音を立て、海深くへと足を進めてゆく。


 嫌な予感がした。いや、もう確信に変わっていた。下手に刺激をしないように、落ち着いた声と言葉を意識しなければ。


「……海で遊ぶには遅い時期でしょ。それにあんた、靴履いたままよ。気持ち悪くないの?」


 考えた通りに話し掛けたつもりだけれど、実際にそうできていたかはわからない。自覚は無いけれど、震えていたかもしれない。


 日向子は、死のうとしている。このまま歩いて海に沈んで、死のうとしている。今更になって、それに気付いた。昼間なら人が見ていたかもしれないけれど、今はまるで人がいない。止められるのは私だけだ。


「あはは、けっこう気持ち悪いね。でも、慣れたらそうでもなくなるかも?」

「ふざけてないで、戻ってきなさい。波ってけっこう怖いのよ、本当に戻れなくなる」

「うん、戻れなくなっちゃえば……先輩に会えるかなって」


 日向子は先輩の後を追おうとしている。それは言われる前から察することができた。では、理由は? どう声を掛けるのが正解? 考えろ。考えないと手遅れになる。



 そう。手遅れになる。きっと私は、日向子のように想い人の後を追うことはできない。だからきっと、ここで日向子を死なせれば一生後悔に苛まれるだろう。そんなのは御免だ。それに……生きていれば、日向子はまた恋を見付けられるかもしれない。幸せになれるかもしれない。その為に、その為なら。


 今、日向子を傷付けることになっても。いつかまた、私が日向子に失恋をすることになっても。私には、言わなければいけないことがある。



「……あんたが自殺したとして。先輩とやらと同じところに逝けるのかしらね?」


 今最も、日向子が言われたくないであろうことを。私には言葉にする義務がある。日向子への感情と向き合ってこなかった罰として、私が言わなければならないんだ。


「天国とか地獄とか、なんなら幽霊ってのも正直私は信じてないわよ。でも、あるとするならよ。人を守って死んだ先輩とやらは天国に逝くんでしょうね? 自殺はどうかしら? 私が閻魔大王なら地獄に送るわね。だいたい、好きな人が死んじゃって寂しいから後を追いましたなんてやつが天国に逝けるなら今頃溢れてるわよ」

「……じゃあ、あたしはどうすれば良いの?」

「知らないわよ、私は神でも天使でもないもの。いいかしら、今から綺麗事を言うわよ。きっとあんたの好きな先輩とやらも言ったであろう綺麗事を聞かせてあげるわ」


 できるだけ意地悪く言葉にして、日向子を睨み付ける。日向子も私を睨んでいる。このまま殴り掛かりに来てくれると楽だったのだけれど、そこまで怒らせはできなかったか。


 私は、綺麗事は嫌いだ。綺麗事だけを口と耳にして生きていけるのは一部の特別な人達だけで、他の大半は現実を見なければならない。現実は辛く苦しい。それこそ、自殺を選んでしまう人がいるくらいに。


 それでも、今は。綺麗事が必要だ。日向子の惚れた人は、そういう人だったのだろうから。


「精一杯生きて、思い出作ってから病気かなんかで死になさいよ。それで、あの世で返事を聞けば良いじゃない。輪廻ってやつがあるにしても、うん十年くらいは待ってくれるでしょ」

「……なに、それ」


 日向子がくすりと笑った。けれどそれは、絆されたわけでもなければ納得したわけでもないものだ。


「……日向子。あんたが今どんな想いなのか私はわからない。けれど、何が怖いのかはわかるわよ」

「……死ぬのは怖くないよ」

「今は勢いで動いてるものね。別に、そこをとやかく言うつもりは無いわ。そうね……死ぬより怖いものがあるんでしょうって言ったら、あんたも認めてくれるかしら」


 日向子が驚いたように、息を呑むのが見えた。今だ。今なら日向子を刺激せずに近付ける。


 一歩、海の中へ踏み込んだ。靴を脱げば良かったと後悔した。足が気持ち悪い。帰ったら磯臭いと怒られることになる。


「……向日葵は、あたしをよく見てるんだね」

「長い付き合いだもの。それで、当たりかどうか確かめても良いかしら?」

「…………ううん、どうせ当たってるよ。向日葵が外すわけないもん。自分の口で言いたい。言わせて」

「なら、どうぞ。聞いてあげる」


 二歩、より深く。日向子は腰まで海に浸かっている。あの服、お気に入りだったはずなのに。いや、だからか。一番可愛い姿で死にたかったのか。今日のお洒落は、全部その為に。



「あたし、ね――うん。怖いんだ。大人になっていく中で、先輩のことを忘れちゃうのが。他の誰かを好きになって、もしかしたら両想いで。そうやって幸せになれた時、先輩を忘れちゃうのが。ずっと幸せになれなくて、それもこれも先輩のせいだって思っちゃうのが。怖いんだよ。この恋を忘れるのも、呪いにするのも嫌なんだよ」


 やっと引き出せた日向子の本音は、私の知る日向子らしいもので少し安心した。この子はやはり私の好きな日向子なのだと、そう思うことができた。


 日向子は、優しくて強い子だ。きっといつか幸せになれる。その時も好きだった人のことを忘れはしないだろう。幸せになれなかったとしても、きっと誰も恨まない。私はそう信じている。


 だから、後は。支えるだけなのだ。日向子がまたいつか恋をできるように、幸せになれるように。親友として、私が。



 三歩、四歩。何歩も踏み込んで、ようやく肩を掴める距離まで追い付けた。制服がびしょ濡れだ。クリーニングに出さないと。後で文句を言ってやる。昼ご飯か何か奢らせてやる。その為にも、ここで死なせるわけにはいかないんだ。


「ねえ、向日葵。今日のあたし、可愛かった?」

「えぇ。入水自殺するのが勿体無いくらいには」

「あはは……ありがと。向日葵が褒めてくれるの、珍しいね」

「今にも死にそうなやつを前にすれば、私だってなけなしの優しさを振り絞るわよ」


 嘘を吐いた。日向子が可愛いなんて、ずっと当たり前だと思っていた。言う必要が無いことで、怖くて言えないことでもあった。可愛いと素直に言葉にして、自分の胸の奥にある感情と向き合いたくなかったんだ。


「あたし……やっぱり死にたいよ。でも、多分この気持ちもすぐに消えちゃうんだろうなってわかるんだ。ただ死にたいだけなら、もっと早く簡単にできたんだ。なんでだろうね、向日葵が来てくれた時、今日だって思ったんだ。向日葵なら、って……あたし、向日葵にどうしてほしかったんだろう」

「殺してくれるかも、とでも思ったんじゃない? それか、あんたの自殺を手伝ってくれるかも、なんて」

「…………そう、なのかも。本当に、ごめん。あたし、最低だ」


 そろそろ危ないと思って腕を引くと、抵抗も無く抱き寄せることができた。出るわよと声を掛ければ、小さく頷いて足を進めてくれる。とりあえず、自殺は防げた。とりあえず、ではあるけれど。



 本当のところは、どうなのだろう。日向子は私に何を求めて海へ誘ったのだろう。少し考えて、やめた。真実がどうであるかはさておき、きっと私に止めてほしかったのだと思うことにする。これを言葉にすると酷く傷付けそうだから、言葉にはしないけれど。



「反省してるなら、もう馬鹿な真似はやめなさいよ。言っておくけど、私あんたが思ってるより心弱いのよ。目の前で自殺されたら気が動転してそのまま後を追うかもしれないわ」

「それは……嫌だよ。向日葵には死んでほしくない」

「それじゃ、自殺はもう無しね。辛くなったらすぐ相談しなさい。あんた溜め込むからこんな馬鹿やるのよ」

「ぅ、はい……ごめんなさい」


 素直なのは良いことだ。日向子がもう少し捻くれた人間だったら、説得は難航していただろう。もっと言えば、私は日向子に恋をしないし自殺を止めもしなかったかもしれない。捻くれ者は嫌いなのだ。同族嫌悪だろう。



 もしも、逆の立場だったとして。日向子はどうしたのだろう。少し考えて、答えはすぐに出た。日向子なら、私であろうと他の誰かであろうと助けるだろう。彼女が惚れている先輩のように。顔も名前も知らないけれど、きっとお似合いだったのだろう。



「……心底からむかつく野郎だわ。やっぱり一回顔見て嫌味言っとくんだった」

「先輩のこと?」

「えぇ。どんな男だったか知らないけどね、今日の私には死人にだって文句言う資格があると思うわ。鞄にジャージ入ってたかしら……?」

「えっと、先輩は……いや、えっと。あの、制服は、ごめん。クリーニング代出すから」

「そんなことより口裏合わせ考えるわよ。馬鹿正直にあんたが自殺しようとしてそれを止める為にこうなりましただなんて言ったらもっと面倒事になるんだから」

「ほ、本当にごめん……」


 しょぼしょぼとしながら謝る日向子を引っ張って海を出て、砂浜に放置されていた鞄へ駆け寄った。少し波が当たって濡れたようだけれど、中身は無事そうだ。残念ながらジャージが無いことも確認できた。どこかでとりあえずの着替えを買うか、諦めてずぶ濡れのまま家へ帰るか。雨でも振ってくれれば見た目の言い訳もできたのだろうけれど、今日は朝からずっと快晴だ。


「日向子、あんたこの辺で服売ってるところ知らない?」


 そう問いながら振り返ると、日向子はまた涙を流していた。その内我慢できなくなったのか、わんわんと声を上げて泣き出した。折角綺麗にできていた化粧は、もう跡形も無い。


「……タオル貸してあげるから、落ち着きなさいよ。私達、今不審者よ。このままだと本気で通報されるわ」

「ご、ごめん……ごめん……」

「謝ってばっかりね、あんた」

「うう、ぐすっ……ごめん……」

「いいわよ、もう。あんたが謝らなきゃいけないのは生徒会の連中でしょ。それと、教師に墓の場所教えてもらえないか確認取りなさいよ。忘れたくないとか言うんなら墓参りは欠かせないでしょ」


 それで、いつか新しい恋を見付けられたなら。しっかりと墓前で別れを告げればいい。これは、ちょっとした意地悪だ。いつか、日向子には私が必要無くなるだろうから。その時一緒に捨てられてほしいだなんて、最低で最悪な意地悪だ。






「……ねえ、向日葵。いつかね、あたしの好きな人の話を聞いてほしいんだ」


 結局着替えを諦め、寒さと周囲の視線に苛まれながらバスと電車を乗り継ぎ地元駅へ辿り着いた後。日向子と並んで夜道を歩いていると唐突に日向子がそう言った。まだ先輩とやらの話を聞かないといけないのか、と少しでも思ってしまったのはやはり私が捻くれた人間だからだろう。


「別に、今歩きながらでも聞くわよ」

「それは、その……今更なんだけど、勇気が出なくて。でも、向日葵にはちゃんと知ってほしいと思ってるんだ」

「勇気ね……まぁ、いいわ。あ、でも墓参りはしないわよ。あっちだって困るでしょ」

「うん、そうだね……。本当は、向日葵にも先輩と会ってほしかったけど。きっと、すごく仲良くなれたと思うんだ」

「……どうかしらね」


 それは、それだけは日向子の勘違いだ。私はきっと、日向子の言う先輩とは仲良くなれなかっただろう。日向子の話を信じるなら眩しくなる程の良い人だったのだろうけれど、私にはそういう人は日向子だけで充分だ。それに、好きな人の好きな人、だなんて。実際に顔を見れば嫌味しか口にできなくなるだろう。だから顔も名前も知らないで済むようにし続けたのだ。


 きっと嫌っていた。憎んでいた。だからこそ、日向子を幸せにできる人だったのだろうと理解もしている。私はその人の代わりにはなれないのだと、諦めている。



「――まぁ、次は会わせなさいよ。あんたの見る目が確かか、私が確かめてあげる」

「次か……次を、考えても良いんだよね。ううん、考えないといけないんだよ、ね」

「私が先輩なら早く次を探しなと遺言を遺すわね。まぁ、一年くらいは引き摺っても良いんじゃないかしら? それくらいは引き摺ってもらえた方が私なら嬉しいわね」

「あはは……うん。向日葵がそう言うなら、先輩もそう言うんだろうな」


 それは、わからないけれど。私のこれだって、いざ自分が死ぬとなった時同じことを言えるかはわからない。一生自分だけを想っていてほしいと呪うのか、自分なんか忘れて幸せになってほしいと願うのか。その時にならないと、誰にもわからないだろう。


 ただ、私は。好きな人は呪いたくないと今は思っている。誰にも呪われてほしくないと、願っている。顔も名前も知らない日向子の想い人が本当に良い人だったなら、日向子を呪いはしないだろう。そう勝手に思っているだけだ。



 私は、私自身を呪うのだ。私だけを、呪い殺すのだ。いつまでも私の好きな日向子でいられるように、私は、私を。



「――――あんたのことは、ずっと見ていてあげるから。またやらかさないか不安だし。一応幼馴染だからね、ちゃんと幸せになってほしいじゃない」

「……なんだか、名前通りっていうか。花言葉みたいなこと言うね?」

「花言葉には興味無いから知らないけれど、名は体を表すってやつかもしれないわね。嫌なら私の心配が要らないようになって」

「それは、うん。努力するけど。……でも、そっか。向日葵は、あたしの前からいなくならないんだよね。ずっと、見ていてくれるんだよね」

「案外、ぱっとやめるかもしれないけれど」

「ええ、やだよ!? ちゃんとずっと一緒にいて!」

「どうかしらね」


 なんでもないように話しながら、一つ嘘を吐いた。向日葵の花言葉なら、知っている。自分の名前なのだ、調べもすれば言われもする。小説やドラマでもそれなりに出てくる。知らないわけがない。


 向日葵に限ったものではないけれど、花言葉には本数で変わるものもある。日向子は知っているだろうか。私が四と七と九十九が好きだと言ったら、あんたはどう思うのかな。気持ち悪いわよね。だから、絶対に言わないけれど。



 日向子、あんたが好きよ。言わないし、言えないけれど、一生あんたを愛するつもりなの。私の名前を良い名前だと初めて褒めてくれたあんたには、幸せに生きてほしい。だから、お願いよ日向子。いつか、あんたが本当の幸せを掴んだら。




 ――――とびっきりの笑顔で、私の恋を終わらせて(殺して)

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