愚者たちの茶番劇の裏で私は大好きな幼馴染と結ばれる
王立フィロソフ学園の昼休み。
本来なら楽しい雑談の声が溢れるはずの食堂は、一瞬にして冷ややかな「法廷」へと変貌した。
……それはできるだけ短く終わらせるつもりだけれど。
「お黙りなさい! あなたの見苦しい言い訳など、誰が信じると言うの! いい加減に白状したらどうなの、セレスティン!」
食堂全体が静まり返る鋭い叱責。
それを放ったのは、この国の第一王女であり生徒会長も務めるディートリンドだった。
彼女の背後には、守られるようにして震える一人の美青年、メルヴィンがいる。
正直、男のクセに情けない、なんて思ってしまう。
対する公爵令息セレスティンは、周囲の好奇の視線に晒されながらも、背筋を真っ直ぐに伸ばしていた。ああ、そんな姿でさえ、あなたはなんて麗しいのかしら……。
これは始まりかけた断罪劇。
本来ならば公爵令息たるセレスティンが咎められることなど考えられない。
しかし、王族であり、第一王女でもあるディートリンドなら。いや、ディートリンド以外には不可能だろう。
だからこそ、ディートリンドは自分がやらねばならぬと気負っていたに違いない。
「殿下、私には覚えのないことです。何と言われようと、身に覚えのない罪を認めるわけにはまいりません」
セレスティンの声は凛としていたが、わずかに震えている。
婚約者であるディートリンドから、衆人環視の中で婚約者の浮気相手への嫌がらせを糾弾されているのだ。その屈辱は察するに余りある。
でもこれは必要な過程でもある。申し訳ないとは思うけれど、耐えてほしい。
「まだ白を切り通すつもり? メルヴィンの教科書を破り、階段から突き落とそうとした。その現場を、ここにいるカシアが目撃しているわよ! 無残に破られた教科書は私も見たわ!」
ディートリンドの隣で、私の従姉妹であるカシアが不機嫌そうに頷いた。目撃したということだろう。
まあ、そういう人だということは私――アナリスはよく知っているけれど。従姉妹だもの。
……それでも予想通りだったわ、カシア。恋に浮かれた王女の尻馬に乗って、公爵令息との婚約を解消させようなんて……絶対にあなたならやると思っていたの。ちょっと囁くだけで……。
でも、これ以上はもう、許さないわ。あとはセレスティンを守るだけ。
私は笑顔を消して、二人の間に割って入った。
「はい、そこまで。皆様、あまりにも冷静さを欠いてらっしゃいませんか?」
「アナリス! 貴女、何のつもりかしら?」
ディートリンドが私を射抜くような視線で睨む。
私はにっこりと、しかし一切の感情を排したビジネススマイルを返した。
「生徒会書記として、平穏な食堂を取り戻すためにございます、殿下。ご自覚はございませんか?」
そう言って、ぐるりと周囲を見回す。
ディートリンドも周囲を見て、舌打ちをしたそうな表情で唇を噛む。
どうやら食堂の平穏を乱しているということは理解できたらしい。
わざと衆人環視の中での大騒ぎにしたいということではないようだ。それでも、そうなる前に止まれない猪王女。
予想通りではあるけれど……やはりカシアごときにうまく乗せられてしまったか。
元々ディートリンドは激情しやすい方ではあるけれど、それは王族としてはあまりにも……軽い。
婚約者がいないのならディートリンドの侍女にならないかという私への誘いは断って正解だった。仕えて支えるだけの器とは思えない。もちろん、仕えたいなどと思ったこともないのだけれど。
「アナリス様……」
メルヴィンが不安げに私の名を呼ぶ。しかし、私にはそれが計算された演出にしか見えない。ただただ不快。
「……大変申し訳ありませんが、私はあなたに名を呼ぶことを許した覚えがございません。何度申し上げたらこのような基本を理解できるようになるのでしょうか? とても不思議です」
侯爵令嬢だというのに婚約者のいない私にとって、こんな男から親しく名前を呼ばれることなど許せるはずもない。はっきりと否定しておくことが大事だ。食堂にいる皆様によく聞こえるように。
……生徒会室で何度も繰り返したやりとりではあるけれど、皆様の前というのが重要。
「ちょっとアナリス。メルヴィンは……」
「カシアも静かにして下さい。今は、食堂を騒がしている皆様がご自身のなさっていることを自覚し、ここから退出なさることが先です」
「あなたがメルヴィンに言い返していたんじゃない……」
不満そうなカシアを無視して、私はディートリンドに向き合う。
「……殿下、どうしてもこちらで話さなければならないことでしょうか?」
「……いや、そうではない」
どうやら少しは冷静さを取り戻したらしい。
私としても、完全にディートリンドを破滅させたい訳ではなのだ。別室へ移ってくれればそれでいい。
「では、生徒会室へ移動致しましょう。食堂にいらっしゃる皆様は、どうかごゆっくりお食事なさっていて下さいませ」
私はゆっくりと食堂にいた皆様へカーテシーをすると、騒ぎを起こした一行を促して生徒会室へと移動した。
食堂にいた皆様も気になっているだろうけれど、いずれめでたい話として今日の結果をお知らせしたいと思う。ああ、そうなったのね、と……。
「さて、オプティム庶務。先生方は?」
「ああ、もうすぐいらっしゃるよ」
「何!? どうして先生方を!?」
「……殿下。学園内で起きた騒ぎです。先生方抜きで話すべきことではございません」
生徒会室へと先に向かってもらった庶務と私の会話に割り込んだディートリンドをたしなめる。
庶務のユーリヒ・オプティム伯爵令息はこちらの味方である。
ディートリンドが生徒会室にメルヴィンやカシアなど、生徒会役員ではない者を引き入れることで仕事にならないとユーリヒはずっと困っていたのだ。
彼らを排除できそうな機会を逃すつもりはないだろう。
そこでドアがノックされた。
「どうぞ」
ユーリヒの言葉でドアが開くと、生徒会担当のスミソニー先生と生徒指導担当のトロポリタ先生が入ってきた。その後ろには生徒会会計のヨゼフ・ワルサワー子爵令息もいる。
「……食堂で大騒ぎになりかけていたとワルサワー君からは聞いたが?」
「いったい何があった?」
「先生! 聞いて下さい。セレスティンがメルヴィンの教科書を破り、階段から突き落とそうとしたのです。その現場を、カシアが目撃しています!」
ディートリンドが正義は我にあり、という顔で断言する。愚かなことを。
「教科書を破られ、階段から突き落とされそうになったと?」
「目撃者もいるのか……」
ディートリンドの話を先生方も聞いて驚いている。
それはそうだ。
セレスティンは品行方正で優秀な公爵令息であり、生徒会副会長でもある。王族というだけで生徒会長になったディートリンドとは先生方の信頼度が違う。
驚いているポイントが違うということに、おそらくディートリンドは気づいていない。
「今日のことなのか?」
「それは……メルヴィン、いつなんだ?」
「……いつのことだね、ノキワウ君?」
ノキワウ子爵令息がメルヴィンである。
……いつ起きたことなのかも確認していないとは、さすがは激情しやすい王女。おそらく話を聞いただけで興奮してしまったのだろう。
「ええと……」
「昨日のことですわ!」
メルヴィンが言い淀んだところでカシアが答える。
「昨日? どちらの出来事も昨日だったのか?」
「はい!」
「なぜ……昨日のうちに我々に相談しなかったのだ?」
「それは……セレスティン様のご身分が、その……」
セレスティンの公爵令息という高い身分を、相談しなかったことの言い訳に使うカシア。
確かに伯爵令嬢であるカシアや子爵令息であるメルヴィンにはなかなか難しい相手ではあるのだけれど。
「だから私に相談があったのだ」
ディートリンドはそこで重々しくそう言った。誇らしげですら、ある。
……残念ながらそれはとても先生方に対して失礼な発言だ。ここまで残念な方がセレスティンの婚約者だったなんて。早く過去のものとしたい。
「……我々教師は身分によって態度を変えると?」
「いや、そういうことを言っている訳ではない。ただ、学生にとって身分差というものは大きいのだ」
「……まあ、いいでしょう。それで破られたという教科書はどれだ? 何の教科のものかね?」
「数学ですわ」
「その教科書なら……そこにあるはずだ」
ディートリンドの視線を追って、ヨゼフが生徒会長の執務机の上から破られた数学の教科書を持ってくる。
それをスミソニー先生が受け取る。
「……数学か。ノキワウ君はC組だから……」
「C組は昨日の3時間目が数学ですわ」
私はすぐに時間割を伝える。
私のクラスではないけれど、必要だろうと把握しておいた。
「3時間目か。ノキワウ君、昨日の3時間目の数学の時間はどうしたのだね? その時にはすでに破れていたのかい?」
「ええと……」
愚かなメルヴィンはおたおたとして答えられない。
先生方の目が厳しくなっていく。
「昨日の数学の授業の話だ。まさか、昨日のことも覚えていないのかい? 授業中に教科書が使えないのなら数学のルブール先生に相談するだろう、普通は?」
「あ、いえ……その時はまだ破れてはいませんでしたので……相談もしていません」
「そうか。それなら3時間目終了後の話だな。それで、昨日のいつ、破られていると気づいたのかね?」
「……放課後に……」
「放課後のいつだい?」
「ええと……帰る前に、かばんに入れようとした時です……」
「ふむ、そうするとだいたい16時くらいかね?」
「……そうだと思います」
メルヴィンがスミソニー先生の疑問に答えて、少し安心した表情になる。
しかし、すぐに生徒指導担当のトロポリタ先生から質問が飛ぶ。
「階段の話も昨日だと言ったな? いつだ? どこの階段だ?」
「ええと……」
またメルヴィンは言い淀んだ。
トロポリタ先生がメルヴィンの発言を待とうとするけれど、それをスミソニー先生が遮る。
「いや、トロポリタ先生、お待ちを」
「うん?」
「これ以上は……個別に聞き取りをした方がいいでしょう。これは重大な事件ですから。ねえ、王女殿下。そうではありませんか? これは重大な事件です」
トロポリタ先生を止めた上で、スミソニー先生はディートリンドの方を見た。
これは重大な事件だと強調して。
素晴らしい。狙い通りだわ。ありがとうございます、先生方。
「そうだ。これは重大な事件だ!」
ディートリンドは、まんまとスミソニー先生の思惑に乗せられてしまう。
……こういうところが王族として未熟な方なのだ。
私はディートリンドに冷たい視線を向けるのだった。
結論から言えば、セレスティンの冤罪はあっさりと晴れた。
生徒会室での先生方の態度は公平なものとは言えなかったけれど、それでも立場としてはセレスティン側だったので私としてはそこまで気にしていない。
昨日は午後からの全ての授業を中止して、全学生への聞き取り調査が行われる……はずだった。
しかし、普通に授業が行われた。
なぜか。
それはセレスティンに階段から突き落とされそうになったという時間と場所が、被害者のメルヴィンと目撃者のカシアで食い違ってしまったから。
事件が起きた場所が西階段と東階段で分かれた上に、起きた時間も放課後と昼休みで分かれたのだ。
事件の場所と時間が違うことを問い詰めると、しばらくしてメルヴィンの方からセレスティンを冤罪にかけようとしたという告白があったらしい。
しかも、カシアからそういう話を持ち掛けられたというおまけ付きで。
この二人を個別に分けて聞き取ろうとしたスミソニー先生の判断が正しかった。
生徒会室でもありありとこの二人を疑っているようだったので、そこは教師としての公平さに疑問を抱いてしまいそうなところではあるけれど……その気持ちはよく分かる。
あのメルヴィンの発言の様子を見て、彼を信じる気にはなれないだろうと思う。
メルヴィンを愛するディートリンドでもなければ。
そもそもセレスティンの信頼度は高い上に、犯行の動機があまりない。
むしろ生徒会室でのメルヴィンとカシアの態度に不満があったユーリヒやヨゼフ、そして私の方が疑わしいくらいである。
スミソニー先生も生徒会担当として、役員でもない二人が生徒会室に入り浸りだったことを不満に思っていたのだろう。
カシア・フルメアとメルヴィン・ノキワウは無期停学となり、しばらくは学園で姿を見ることはない。家庭学習を疎かにすればそのまま退学もあり得る。
今回のディートリンドのやらかしでセレスティンとの婚約は白紙となった。狙い通りに。
また、ディートリンドは隣国への留学が決定したため、生徒会長をセレスティンが引き継ぐことも決まった。
私が副会長を拝命したのは予定外だったけれど……セレスティンの隣に立てるのなら、まあ、受け入れるに決まっている。
紅茶の香りを楽しみながら、向かい側に座るセレスティンの笑顔を見つめる。
今日は婚約者としての初めてのお茶会である。
「……嬉しいですわ」
「そうだね、僕も嬉しいよ、やっと……アナリスの婚約者になれたのだから」
「そうですわね……長かったですもの……」
私とセレスティンは幼馴染だ。
いずれは婚約するのだろうと互いに思っていたのだけれど、そこに割り込んだのが王家だった。
王家はディートリンドに女王の資質がないと見極めてすぐ、降嫁先として公爵家を選び、王命を下したのである。
私とセレスティンの婚約について話し合おうとしていたところだったので、両家は慌てた。しかし、王命で押し通されてしまった。
……だから、このように面倒な罠を仕掛けなければならなかった。本当にここまで……長かったと思う。
メルヴィンという顔だけの男にディートリンドが惹かれてしまったという偶然に助けられた部分は大きかった。
気の合わない従姉妹の人生が少し暗いものになってしまったけれど、そのくらいは誤差だろう。
そもそもカシアは貴族社会でうまくやれるような性格ではないのだ。いっそメルヴィンと結婚させるという手もあるかもしれない。
でも、これでようやく……堂々とセレスティンの側にいられる。
私はテーブルの上のチョコレートケーキよりも甘い気持ちをセレスティンに向けつつ、心から穏やかに微笑むのだった。
相生蒼尉、勝手にバレンタイン短編祭りにお付き合い頂き、ありがとうございました。
これが最後の7作品目となります。
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