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最期に私に会ったらしい。

作者: 小雨川蛙

 

 千恵は私の許嫁だった。


 心優しき女だった。

 泣いている者がいれば近づき慰めてやり、飢えているものがいれば自身の食事を差し出し、病で苦しむものがいれば最後まで寄り添う。

 そんな女だった。


 そんな女だからだろう。

 千恵は数え切れぬほどの者に慕われてた。


「千恵さまは最期、本当に穏やかな表情をして逝かれました」


 千恵と仲の良かった女中が言う。

 私の目から逃れるようにして千恵の写真の方を向きながら。

 ――それでも目をしっかりと閉じて。


「『あぁ。迎えに来てくれたのね。あなた。安心いたしました』……そう言って」


 女中の肩に私が手を置くと彼女の身体は跳ねんばかりに震えた。

 ぐいっと体をこちらへ向けさせた頃には女中は観念したかのように恐々と目を開いていた。


「答えろ」


 声は自分でも身震いするほどに飢えを感じさせる気寒さがあった。

 生と死の境を彷徨い続けた戦場にあってさえ、このような寒さに凍えたことはない。


「千恵は何故死んだ」

「病です。ご存知でしょう」


 そうだ。

 千恵は私が戦争に行く前から病を患っていた。

 帰れぬやもしれぬと伝えると千恵は微笑み私の背を抱いて言ってくれた。


『ご安心を。すぐに私も追います』


 私は帰ってこれた。

 しかし、千恵は旅立った。

 その事実は分かる。

 苦しくとも受け入れなければならない。


 だが。


「答えろ!」


 怒声に女中が悲鳴をあげた。

 もう片方の肩を空いていた手で掴み叫ぶ。


「千恵は誰の下へ行ったのだ!」



 *


 ――伝えきく千恵の末路。

 死期を悟り日々を過ごす。

 私からの便りもなく、既に全てを覚悟して、命を繋ぐ日々。


 それでも終わりがやってくる。

 今わの際。

 千恵は穏やかに口にしたという。


「あぁ。迎えに来てくれたのね。あなた。安心いたしました」


 それを最後に息を引き取った。


 最愛の女の死に様を。

 生き延びてしまった私は未だに受け入れることが出来ていない。

 そして、きっとこれからも――。


 *



 今年も線香のにおいがする。

 皺を増やし、肌をかさつかせながら、また一年歳を取る。

 千恵は誰かともう暮らしているのではないかと思いながら、それでも独りで歳を重ねる。


「あちらで千恵様も照れていることでしょう」


 毎年変わらぬ女中の言葉が響く。

 聞くことが出来るのもあと数年だろうか。


「いいえ。あきれているやもしれませんね。旦那様はあまりにも一途でしたから」


 針が回り、0を指す。

 不安が安堵へ変わるまであと何年――。

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