第十章 〜かけがえのない温もり〜
夏休みも残りが少なく、終わりが見え始めている。
バイトの日やみんなで遊ぶ日、坂城さんと電話したり、もちろんデートする日もあって、今年の夏は充実した時間を過ごせている。
それもあってか、今までで一番時間が経つのがあっという間だった。
彼女と出会ってから、俺の世界は大きく変わったのだと、事あるごとに認識させられる。
その日は特に予定も無く、俺は家で夏休みの課題の残りを片付けていた。
「あとは……これだけか」
流石に疲れが出てきて、独り言が漏れる。
とはいえ時間を決めて集中して出来たので、もうすぐ終えられそうだ。前にだらだらやって、全く進まなかったので進歩したと思う。
ようやく終わる……と思っていると、机に置いたスマホが振動した。
「今度のお祭り、一緒に行きませんか?」
送り主はもちろん坂城さんだ。彼女からのデートの誘いに、疲れが一気に癒される。
「誘ってくれてありがとう。ぜひ」
こうして夏祭りデートが決まった。
それだけで、今日はどこかつまらなかった世界が色づいた。
祭りの日、俺と坂城さんは早めに待ち合わせた。
祭りに向かう前に、行かなければならない場所があるからだ。
ちなみに今日家を出る時、この間根掘り葉掘り訊いてきた母が、
「坂城さんによろしくね」
と背中をポンと叩いて言ってきた。
振り返ると、ニヤニヤと笑う母。
俺は今日帰ったら、また質問攻めになるのを悟った。
駅で待っていると、彼女を見つけた。
目が合うと彼女は微笑んで、小走りでこちらへやってくる。
「お待たせ! また私の方が遅いや……ごめんね……」
「俺もさっき着いたところだから、全然大丈夫。今日は誘ってくれてありがとう」
「お祭り、久しぶりに行きたかったんだ!」
「今日は楽しみだね! 立花くん」
「うん、俺も楽しみにしてた」
こうして待ち合わせた俺たちは、移動を開始した。
「立花くんは、何色が似合うかなぁ?」
「うーん……黒とか青とかかなぁ? 無難だけど……」
「黒似合いそう! 私は白か水色にしようかな」
「坂城さんは、どっちも似合いそうだね」
「どっちがいい?」
「うーん……強いていうなら白?」
「私も白かなって思ってたの! じゃあ、とりあえず白で探してみるね」
彼女は、俺の希望を笑顔で受け入れてくれる。
彼女なら本当に何色でも似合いそうだし、色々見てみたいが、白は特別似合いそうだなぁ……。想像を膨らませつつ、目的地へ向かった。
駅から十分ほど歩いたところに、目的地はあった。
店頭には浴衣を着たマネキンが立ち並んでいる。
そう、俺たちは浴衣をレンタルしにやってきた。
店内に入ると、店員さんに案内され早速プランの説明を受ける。
料金は浴衣の種類によって変動するようで、二万円以上するものや、五、六千円程度のもの等、選ぶのに困るほどの数が用意されていた。
「いっぱいあるね……!」
「うん、思ったよりも多いね」
二人して浴衣の種類の多さに驚いた。ここまで多いとは……。
価格が低いものから高いものまで、幅広い取り扱いがあるが、安めの価格帯でも作りはしっかりしており、自分の気に入ったものを選んでよさそうだ。
このお店では学割も用意されており、比較的費用を抑えられそうだ。学生の身としては大変ありがたい。
「立花くん、どれにするか決まった?」
「うーん、俺はこの――」
慌てて彼女が話を止める。手をバタバタとさせていて、かわいい。
「待って! お互い何にしたか教えないで、後で着付けしてもらってから見よ?」
「ごめん、わかった。楽しみだね」
「うん! ありがとう!」
彼女がどんな浴衣を選ぶのか、期待で胸が膨らんだ。
その後、俺たち二人はそれぞれ浴衣を選び、着付けをしてもらっていた。
これも料金の中に含まれたサービスで、かなり良心的だ。
俺は先に着付けが終わり、坂城さんを待った。
彼女はヘアセットもしてもらうとのことだったので、もう少しかかるだろう。
普段と違う彼女が沢山見られると思って、ドキドキは上限なく増していく。
浴衣のレンタルをしよう、と提案してくれたのは坂城さんの方だ。
彼女は、自分の浴衣はあるにはあるらしいが、小さい時のものらしく、サイズが小さくて今着られるものは持っていないとのことだった。
俺の方も浴衣を持っていなかったのでそれを伝えると、レンタルしようという流れになって今に至る。
二人で調べて決めたこのお店は、浴衣を着付けまでしてくれるだけでなく、履き物や巾着袋風のバッグといった小物まで貸し出してくれるので、自分達で用意するものは少なく、お店に来るだけでいいので大変楽だ。
普段しない格好、彼女の浴衣姿へのワクワクで落ち着かないまま、ソワソワとして待っていると、着付けを終えた坂城さんが出てきた。
その美しさに、目が離せなくなる。
彼女は、白地に薄い青で大輪の花が描かれた浴衣を着ていた。
髪は後ろでお団子にまとめられており、いつもとはまた違った種類の上品な印象を受ける。
白に近い淡い青色の髪と、浴衣がこれ以上ないくらいマッチしていて、あれこれ想像した姿を軽く超えてきた。
どんな格好でも、自分のものにしてしまう彼女の美しさに圧倒されてしまう。
「どうかな? 似合ってる……?」
何も言わない俺を見て、彼女が不安そうに尋ねてくる。
彼女には、正直な気持ちを伝えたいので、頑張って目を逸らさないように言う。
「うん……すごくキレイです……」
すると、俺の返答を聞いた彼女の顔にも笑顔の花が咲いて、嬉しそうに言った。
「ありがとう! 立花くんも黒似合ってて、かっこいい!」
結局俺は、黒地に目を凝らさないと見えないくらい薄い青でラインが入った浴衣を選んだ。
全体にもっと目立つ模様が入ったものもあったが、自分には似合う気がしなくて無難なものに落ち着いた。
無難すぎたかもと思っていたのもあり、彼女に褒められるとは思っていなかったので、顔の熱が一段と上がった。
お店を出た俺たちは、祭り会場に向かって歩いていた。
「ちょっと歩き辛いね、大丈夫?」
履き慣れない下駄にそう感じて、彼女の方へ目をやる。
「大丈夫、ありがとう。でもお互い慣れてないだろうから、ゆっくり歩こうね」
笑顔でそう言う彼女が温かくて、歩き辛さなんてどうでもよくなった。
祭り会場に着くと、多くの人で賑わっていた。
太鼓や笛の音が聞こえ、独特の雰囲気を纏った空間に、一瞬にしてここは違う世界なのだと思わされる。
辺りを行き交う人々の喧騒も、祭りに来た感じがして心地良かった。
大きな通りには沢山の屋台が立ち並んでおり、どのお店も活気に満ち溢れている。
「坂城さん、何か食べたいものとかある?」
色々な食べ物を売っているお店を見ていたら、それを美味しそうに食べる彼女が脳裏に浮かんだ。
「うーん、たこ焼きとわたあめが食べたい!」
「わかった、買いに行こう」
「やったぁ」
彼女は子どもっぽく嬉しそうに笑う。かわいい彼女の希望を叶える為、それぞれお店に買いに行った。
戦利品を手に入れた俺たちは、大通りから少し離れたところにあるベンチに座った。
「じゃあ食べよっか」
そう言って坂城さんは、たこ焼きの乗った容器を手に取り、箸で一つ摘む。
「はい、あーん」
開けた口に、彼女がたこ焼きが入れてくる。
彼女はフーフーと熱を冷ましてから、食べさせてくれた。彼女の優しさを感じつつ味わったたこ焼きは、やはり恥ずかしさで味が少ししかわからなかったが、それでも充分美味しかった。
美味しい? と訊いてくる彼女に俺は頷く。
「私も食べたい!」
彼女にそう言われて、俺はたこ焼きを箸で摘み、差し出した。
「あーん……」
「フーフーしてくれないの……?」
しょんぼりとした彼女の表情は、いつもより少し幼く見える。
そんなに熱く無かったけど、俺は彼女の期待に応えるべく、フーフーとたこ焼きを冷ましてから再び彼女の前に差し出した。
パクッと食べると、空色の瞳が輝いた。
「美味しいね!」
笑顔でそう言う彼女が、浴衣姿なのも相まってか、いつもと比にならないくらいかわいかった。
たこ焼きを食べ終えると、彼女はわたあめに手を伸ばした。
キャラクターものの袋から、わたあめを取り出して口に入れる。
「懐かしい味だなぁ、お祭りって感じだね」
そう言ってもう一口食べた後、彼女はわたあめをこちらに差し出して、食べさせてくれた。
食事を終えた俺たちは大通りに戻り、屋台を見て歩いた。
スーパーボールすくいに熱中する坂城さんは、かわいいよりもかっこいいが勝っていた。
手先が器用だとか、少しでも良いところを見せようと思ったのに、坂城さんは五個取れたのに対して、俺は三個しか取れなかった。
「これでお揃いだね」
彼女は自分の袋から一個取り出して、俺の袋に入れてくれた。
かわいい、かっこいい、優しい、その全てを持つ彼女の魅力に、俺の頭は彼女の事しか考えられなくなっていた。
その後も屋台を見ながら歩いていると、人混みの中に見知った顔が見えた。
彼女も同じく気づいたようで、俺の方を見て言う。
「あれって……莉子と鶴見くん……?」
人混みをかき分け、二人を追いかける。
人の流れに乗るしかなく、スピードを上げる事も出来ないので、見失わないようにするので精一杯だ。
「あの二人って、付き合ってるのかな……?」
深本さんと鶴見が行った方向へ歩いていると、坂城さんが呟くように言った。
「どうだろう……鶴見からは何も聞いてないけど……」
「私も、莉子からは何も聞いてないなぁ……」
そんな確認をしつつ、俺たちは二人を追った。
一瞬見失ってしまったが、そのまま大通りを進んでいると、少し先の方に深本さんの姿を発見した。
並んで歩いていたはずの鶴見の姿は確認できない。
深本さんは、道の端っこに寄って立ち止まっているようだ。鶴見を待っているんだろうか。
俺たちが深本さんに見つからないように、距離を取って見ていると、
「あれ? 悠斗? 坂城さん?」
「鶴見!?」
「おー、やっぱそうだ。二人とも浴衣似合ってるなぁ!」
後ろから追跡対象に声をかけられてしまい、俺と坂城さんは固まった。
「深本さんも来てるからさ、こっちこっち」
俺たちの様子を気にする素振りもなく、鶴見はもう一人の追跡対象の元へと案内を始めた。
「雫香と立花くんじゃーん! 二人とも似合ってるー!」
「めっちゃ偶然だねー! 会えて嬉しいー!」
「てか雫香かわいすぎー! 立花くんもいいねー! 写真撮っていい? てかみんなで撮ろ? 私たちは普通の格好だけどー」
会うなりテンションマックスの深本さんに圧倒されていると、坂城さんが口を開いた。
「莉子、その後ろの子は……?」
「あー! ごめんごめんー!」
そう言って深本さんは、彼女の後ろに隠れるように立っていた子を前へと移動させる。
「弟の涼介って言うのー! 来年小学生でー。ほら涼介、ご挨拶してー?」
深本さんに言われて、涼介くんが呟く。
「こんばんは……」
そう一言だけ言うと、恥ずかしいのか、また深本さんの後ろに隠れてしまった。
「ごめんねー、この子恥ずかしがり屋でねー」
すると一連の流れを見ていた鶴見が、深本さんに近寄った。
「これ、頼まれたやつ。食べさせてあげて」
「そうだったー! 鶴見くんありがとー!」
鶴見が持っていた焼きそばを受け取った深本さんは、近くにあったベンチに涼介くんを座らせ、涼介くんが焼きそばを食べるのを見守っている。
色々と状況が飲み込めないでいる俺と坂城さんを見かねて、鶴見が説明を始めてくれた。
鶴見は深本さんに頼まれて、一緒に祭りに来たという。
元々祭りに行きたがっていた涼介くんを連れて行く為、深本さんとお母さんの三人で来るはずだったらしいのだが……。
どうやらお母さんは、先日ギックリ腰になってしまい、来れなくなってしまったという。
深本さん一人でもよかったのだが、人も多いし、誰か一緒に居てくれたら安心、ということで鶴見に声をかけたという話だ。
「てな訳で、俺はヘルプに来たって事」
そう言って鶴見は、深本さんと涼介くんの方へ視線を向ける。
「そういう事ー! 男の子が居てくれたら安心だし、鶴見くんには本当に感謝してますー!」
深本さんが鶴見に向かって手を合わせて言う。
「俺も祭り来たかったし! 一人だと浮くから助かった!」
「そう言ってもらえると助かるー!」
そんなやり取りをする二人を見て、会わないうちになんか仲良くなったなぁ……と思った。
「オッケー! 撮れたー! 後で送るねー!」
涼介くんも入れた五人で写真撮ると、深本さんは満足そうな表情になる。
「そしたらー……あんまり邪魔しちゃ悪いしー、鶴見くん行こうかー」
「あ、確かに……悠斗、坂城さん、また!」
そう言って深本さんと鶴見は、涼介くんを間に挟んで、三人で手を繋いで去っていった。
「何だか、家族みたいだったね」
そう呟いた坂城さんは、友人達を姿が見えなくなるまで優しい表情で見送っていた。
「ここからで花火見えるかな?」
大通りから一本奥の道に入り、階段を少し登ったところにある開けたスペースで、俺たちは花火が打ち上がるのを待っていた。
「うん、多分見えると思う」
坂城さんにそう返した俺の頭の中は、別の事でいっぱいだった。
彼女と手を繋ぎたい。
付き合うきっかけになったあの日、男性から彼女を助けた時。
海に行った時も、手を繋ぐことはあったけど。
そういうんじゃなく……。
好きだから、ちゃんと手を繋ぎたい。
別に深本さん達が手を繋いでいたから、それに触発されて、っていう訳じゃない。向こうは涼介くんが居たし……。
彼女と過ごしている内に、思ったよりよく笑うところや幸せそうにご飯を食べるところ。そっけないなんて事はない、人に寄り添ってくれる優しさ、付き合って話すまで気づけていなかった魅力を知った。
知れば知るほど、益々彼女の事を好きになっていって、彼女に触れたい、その温もりを感じたいという想いが強くなっていた。
俺がこんな事を言っていいのか、拒絶されたらどうしよう。
でも、それを心の内に仕舞って、本心を言えないまま後悔したくない。
これまで一緒に過ごしてきた時間で、彼女はきっと受け入れてくれるとわかっているはずなのに、心の中で葛藤する。
ウジウジと悩み抜いた末、俺は自分の信念に従うことにした。
「坂城さん! あの……」
優しくこちらを見つめる彼女と、なんとか目を合わせる。
恥ずかしくても目を逸らさないようにして、胸の内を打ち明ける。
「手を繋いでもいいですか……?」
勇気を振り絞ってそう言った俺に、彼女は一瞬驚いた後、優しく微笑んだ。
「うん……! ずっと待ってたよ……?」
俺は、そう言って差し出された彼女の手を握った。
打ち上げられた花火の音と同じと錯覚するくらい、心臓の鼓動が大きかったような気がした。
俺たちは花火を見終えると、祭りを後にして、浴衣を返却しにお店へと歩いた。もちろん手は繋いで。
触れ合う指から感じられる彼女の温かさに、ドキドキが止まらない。
「やっと、手繋げたね」
少し恥ずかしそうに言った彼女がかわいくて、顔の熱が引かない。
「うん……」
「ずっと繋ぎたかったんだ……」
「私も……恥ずかしいけど、心がポカポカするね」
幸せすぎて、頭がフワフワとして思考が鈍っている。
坂城さんがどんな顔をしているのか気になったけど、恥ずかしくて彼女の方を見たくても見れなかった。
でも今は、彼女に必要とされている存在なのだと、そう思えて、ただそれだけで嬉しかった。
その後俺たちはお店に着き、浴衣やレンタルさせてもらった小物類を返却し、着替えて帰路についた。
駅から坂城さんの家への帰り道も、手は繋がれたまま並んで歩く。
「もう少し、こうしてたい。お願い……」
今まで通り、駅でお別れかと思っていると彼女はそう言って、初めて家まで送らせてくれる事になった。
しかし駅から十分もしないうちに、彼女の家に着いてしまった。
この時間がずっと続けばいいのにと思っていたので、一瞬だった。
「ありがとう……送ってくれて」
俺の目を見つめて、彼女は感謝の言葉を口にする。
「こちらこそ、ありがとう。誘ってくれて嬉しかった」
そう返すと、彼女の手がするりと抜けていく。名残惜しいが時間が来てしまったみたいだ。
門を通り抜け、扉の前に立った彼女が振り返る。
「バイバイ」
恥ずかしいのか、小さく手を振りながらそう呟いて、彼女は家に吸い込まれていく。
俺はしばらく閉まった扉を見つめたまま、その場で立ち尽くしながら、幸せを噛み締めてから帰った。
食べさせてくれた時、心が満たされた。
手を繋ごうと言われた時、心が飛び跳ねた。
繋いでみれば、安心して心が温かくなった。
最近彼と過ごしていると、安心感とは別の感情が大きくなっているのを感じる。
それは、彼と付き合うきっかけになったものとは違う感情。
他の誰でもない彼だから、胸が苦しくなってしまう。
それでも、彼じゃないと満たされないのだ。
彼が私に与えてくれるものは、もはや一つのものだけではなくなっていた。
自分でその気持ちを認識すると、彼と付き合ってよかったと思うと同時に、罪悪感も押し寄せてくる。
いつか私の心を伝えなければ、そう思いながらも今日の幸せな時間が頭に浮かんで、向かい合うべき現実から目を背けてしまった。