第16章:森の女と復讐
森の空気は樹々の間を進むにつれて重くなっていった。木漏れ日が落ち葉の絨毯に長く影を描く。アレックス、エミ、アリアは静かに歩み、感覚を研ぎ澄ませていた。彼らは近隣の村々を恐怖に陥れている神秘的な女性を追っていた。ある者はその女性が触れたものをすべて粉砕すると言い、また別の者は彼女の目が凶光を放つと噂した。いずれにせよ、彼女を見つけて止めるのが使命だった。
アリアはいつものように冒険への期待に胸を膨らませていた。状況の深刻さにもかかわらず、その瞳には好奇心と興奮が光っていた。
「“彼女がどんな力を持っているのか待ちきれないよ!すごいバトルになるって聞いたんだ!”」と前方を見つめて笑顔で言った。
それに対してエミは憂いを帯びた表情で歩いていた。見た目は冷静だったが、体は緊張に包まれていた。
「“アリア…状況を甘く見るな。あの女性が起こした破壊は尋常じゃない。魔力も侮れない……”」と周囲を見回しながら声を潜めた。「“十分に気をつけないと。”」
アレックスはエミの緊張に気づきながら横目で見つめていた。魔法については詳しくないが、仲間の直感を信じるようになっていた。エミが不安がっているのなら、それだけで警戒すべきだ。
彼らが進むにつれ、女性の痕跡がはっきりしてきた。足跡、木々に残された奇妙な刻印、道端に散らばる粉砕された物の欠片。森の静寂は彼らの足音だけが割っていた。空気は濁り、呼吸が重くなっていた。
突然、うっすらと赤い光が漂った。遠くで光が閃き、瞬く間にその女性が現れた。
――彼女だ。
その場の空気が凍りつくような圧倒的な気配。髪は長く黒く滝のように流れ、目は超常の光を湛えている。そして何より、彼女から放たれる磁力がエミを束縛したかのようだった。
エミは普段の冷静さを失い、一瞬、立ちすくんだ。恐怖ではない。その顔には抗えない魅力が宿っていた。女性は柔らかく微笑み、エミはその笑みに戸惑いを隠せなかった。
「……“あなたたちは誰?”」女性は静かながらも威圧的な声で口を開いた。まるで既に彼らのことを知っているかのように。
アリアはエミを見つめるそのまなざしに気づき、軽く眉をひそめた。嫉妬ともいえる感情が胸を刺す。しかし、彼女は沈黙を守り、警戒を強めた。
そのとき、女性は視線をアレックスへ移した。その瞬間、温かさを湛えていた表情が氷のように変わった。軽蔑と憎悪が滲む目つきに。
「……“あなたは…あの者の一味?”」と低く言葉を投げかけた。目はアレックスに向けられている。
アレックスは混乱しながら答えようとした。
「“な…何を言ってるんだ…?”」と言いかけたその時、女性が素早く動いた。信じられない速さでアレックスの腕を掴むと、不意に地面から引き剥がし、魔力のような力で彼を森の奥へと連れ去った。
「“アレックス!”」アリアが叫び、一歩踏み出そうとしたが、エミが肩に手をかけて止めた。
—「彼女を追うわけにはいかない。危険すぎる……でも、追わなきゃ」
エミは小声で囁いた。その目には強い決意が宿っていた。心配はしていたが、慎重に前に進むしかないことは分かっていた。
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女はやがて木々の間に隠された洞窟へと辿り着いた。そこが彼女の隠れ家だった。中の空気は冷たく湿っていたが、彼女はまったく気にした様子を見せなかった。
アレックスを荒々しく地面に投げ出すと、近くの岩に腰を下ろし、じっと彼を見つめた。
「……お前は一体、何者なんだ?」
アレックスはまだ混乱しながら問いかけた。あまりにも急な展開に頭が追いついていなかった。
女はしばらく無言のまま彼を見つめ、それから不気味なほど静かに話し始めた。
「私は騙されたの。ある男……英雄だと思っていた人に“救ってやる”と言われて。信じてしまった。
でも――あの男は私を、男たちの集団に売ったの。
彼らは私を……玩具のように扱った。
逃げ出せたとき、私は誓った。
すべての男に復讐するって。彼らは、あの男と同じだから。」
その声は最後で震えた。心の奥底から湧き上がる傷の深さを露わにしていた。
アレックスは衝撃を受けながらも、どこか違和感を覚えた。その女性の中に渦巻く怒りと悲しみは確かに本物だ。だが、それだけではない――彼女の物語には、何かが隠されていると感じた。
そのとき、女の背後に小さな影が現れた。十歳にも満たない少女。無垢な瞳でアレックスを見つめていた。
「この人、誰?」
少女は不思議そうに尋ねた。
アレックスは穏やかに微笑み、安心させようとした。
「大丈夫だよ、怖がらなくていい」
そう言いながらも、胸の奥に不安が湧き上がっていた。彼女は何も理解していない。この状況の重さも――姉の絶望も。
少女は一歩近づこうとしたが、女性が手を挙げて静かに制止した。
「リナ、彼に近づかないで。離れていなさい」
「でも……悪い人には見えないよ……」
リナは目を伏せ、少し寂しそうに呟いた。
「それが奴らのやり口よ」
女はアレックスを睨みつけながら吐き捨てた。
「優しい言葉と笑顔で近づいて……気づいたときには、もう遅いの」
アレックスはすぐには答えなかった。手足はまだ拘束されたままだが、頭は働き続けていた。この女性――その中にある激しい憎悪と、少女に向けた強い保護本能。その矛盾は、彼女が「怪物」ではなく「壊れた存在」なのではと感じさせた。
「俺は……あの男じゃない」
ついにアレックスは口を開いた。
「誰に裏切られたのか知らない。でも俺は違う。
少なくとも、彼と同じじゃない」
女は乾いた、そして笑みとは言えない笑い声をもらした。
「……そんな言葉、何度聞いたか。“自分は違う”って。
でも結局、牙を剥くのよ。みんな、同じ」
「……じゃあ、俺を殺すのか?」
アレックスは静かに、しかし確かに問いかけた。
「この子の目の前で?
復讐の名のもとに、彼女に“正義は憎しみから生まれる”と教えるのか?」
その言葉に、女は沈黙した。
目が一瞬、揺れた。そして彼女は急に少女の方を振り返った。
「中に入りなさい。言ったでしょ、見るなって」
リナは躊躇しながらも、最後にアレックスを一目見て、洞窟の奥へと姿を消した。
二人きりになると、女はアレックスに一歩、また一歩と近づいてきた。
もう手が届きそうな距離だった。
彼女の瞳には、もはや怒りではなく――深い絶望が宿っていた。
「……彼女だけが、私に残されたすべて。
唯一の“良きもの”なの。
もし……もし、誰かが彼女を傷つけたら――
私はこの世界ごと、焼き尽くしてやるわ」
「なぜ、俺がそんなことをすると?」
アレックスは真剣に問い返した。
「俺は戦うために来たわけじゃない。
ただ、巻き込まれただけだ」
女は何も答えなかった。ただ一つ、無言のままアレックスの腕を乱暴に掴み、洞窟の奥へと引きずっていった。
通路は狭く、暗く、やがて彼らは一つの部屋に辿り着いた。
そこは、錆びた金属と絡まる根で作られた即席の牢屋だった。
彼女は何の言葉もなく、アレックスをその中に突き飛ばし、重い石の扉を閉めた。
「――お前の嘘がうまくいくように祈ったほうがいい」
冷たく言い放って、彼女は去っていった。
数分後、廊下に複数の足音が響き始めた。次々と女性たちが外室へ入ってくる。かすかな焚き火の明かりに照らされた部屋には、十人ほどの女性が揃っていた。衣服は擦り切れている者、苔むした軽装鎧や革の装束を纏う者もいる。しかし、全員に共通しているのは過酷な過去を物語る痕跡だった:傷痕、火傷、そして肉体以上に深い痛みを残す傷跡がその身体に刻まれていた。
「――これが囚人か?」
一人の年長女性が問いかけた。片目に眼帯をつけ、背中には槍を背負っている。
「ええ」
拘束した女性が答えた。「森で見つけました。単独ではなかった。二人の少女と一緒にいた。紫髪の子と、黒髪で金色の瞳の子です」
その言葉に、アレックスは格子棒にしがみつくように立ち上がった。
「それは本当です!私は害を与えるためにここにいるわけではない!EMIとAriaと一緒に来たんです。アルアリック公国とシェンセン公国の間で貴族に対する襲撃報告を調査するよう命じられて――!」
その言葉に、場内にざわめきが広がる。何人かが身構え、拳を握ったまま沈黙する。あの眼帯の女性が口を開く。
「――で、あなたは私たちを狩るために森へ来たと?」
「違います!」
アレックスは声を荒げた。「聞いてください。命令は調査であって、処刑ではない。…本当に事実かすら確認されていなかった。男性貴族や商人を狙う“男狩り”の報告があっただけだ!幼馴染のEMIと公国の戦士であるAriaと共に来た。傷つけるつもりなど、全くありません」
女性たちは黙ってアレックスを見つめる。疑い深い表情、または怒りを押し殺している者もいた。その中の一人、若い顔立ちだが瞳の奥が冷めた女性が一歩前に出た。
「――あなたは本当にそこまでされていて、なおも無実を主張するつもり?」
「いますぐに、彼女たちと話させてください!」
アレックスは懇願した。「私たちは敵ではありません!」
しかし、眼帯の女性は首を横に振った。
「いいえ。私たちはこれまでに幾度も騙されてきた。二度と同じ過ちを繰り返さない。もし彼女たちが現れたら…同じく捕らえる。ただし、お前は――」
彼女は一瞬、他の女性を見回しながら続けた。
「…お前は見せしめにする」
若い女性が声を震わせて問いかける。
「――どういうことですか?」
別の女性が割って入ってきた。
「ここにいさせるわけにはいかない。少女たちには見せられない。もう問いかけ始めてる」
眼帯の女性が宣言した。
「――なら今夜。新月の夜に儀式を行う。お前の魂を森が裁く。お前の血がおびえている者たちを鎮めるだろう」
アレックスは後ずさった。震える声で叫ぶ。
「――これは大きな過ちです!」
しかし、誰も耳を貸さなかった。女性たちは一人また一人と部屋を出ていき、最後に残されたのは、彼を捕らえたあの女性だけだった。彼女は長い間、アレックスを見つめ続けた。その表情からは怒りが消え、切ない深い悲しみだけが顔に沈んでいた。
「――もし嘘をついているなら、私たちはそれを知るだろう。だが本当なら――ここに来たお前が間違いだったことを残念に思うわ」
その瞬間、空気が変わった。洞窟の中に轟音が響き渡る。
突如として、男たちが乱入してきた。戦闘の訓練を過ぎたかのような荒々しい風貌の傭兵たち。皮革と鋼の鎧に身を包み、冷笑しながら部屋を見渡していた。
傭兵のリーダーが嘲笑交じりに言い放った。
「――「男に復讐」だって?また別の男を捕まえて復讐しようってのか?滑稽だな」
彼らはアレックスを指差して嘲りながら見下した。
捕らえた女性の顔からは怒りが沸き起こったが、彼らが近付くと魔法の障壁がその女性を守った。傭兵たちはその阻止に笑い声をあげた。
「――お前の魔術は通用しない。俺たちは無敵だからな」
リーダーは冷酷な笑みを浮かべた。
リーダーはアレックスの鎧の公国章に目をとめ、少し表情を変えた。
「――おお、これはいい。価値ある獲物がいるようだ。報酬が出るかもしれんな」
そう言って、彼を他の傭兵とともにさらに拘束し始めた。
拘束されたアレックスはただ一つを思った。
EMIとAriaは――来てくれるだろうか。
傭兵たちは女たちを押しのけ、縛り、檻に入れるように振る舞った。 笑いながら。怒鳴りながら。破壊しながら。そこには秩序ではなく、蹂躙だけがあった。
あの眼帯女性の声が割れて響いた。
「――卑怯者たちめ!魔法を封じ込めているからって…まともに相対しろ!」
しかし、その声は嘲笑で返された。
「――俺たちは勝つことを楽しむ。フェアには戦わない」
と傭兵の一人は嘲りながら、寝返り返して噛みついた女性の手を容赦なく押さえつけた。
アレックスは地面に倒れたまま頭を上げ、隠れた少女を探したが見つけられなかった。しかし、その視線は確かに反応を捉えていた。
アレックスは力なく叫ぶ。
「――金や取引目的のためだって?それでも間違っている!この場所にあるのはただの暴力じゃない!」
傭兵のリーダーはゆっくりと膝まずき、アレックスの顎を乱暴に上げて睨みつけた。
「――貴族の少年よ……お前の公爵はお前の身代金にいくら払うと思っている?」
アレックスは冷ややかな眼差しを返した。
「――お前の”死体価格”より安いだろうな」
その言葉が終わると同時に、リーダーが激しく平手打ちをくれた。唇から血が零れ落ちたが、アレックスの表情は変わらなかった。あと少し、耐え抜かなければと思った。
森の奥深く、洞窟からそう遠くない場所で、EMIは息を呑んだ。魔力の乱れを感じ取ったのだ。髪端が震える。
「――感じたか?」
Ariaは槍を構え、目を見開いた。
「――ええ…」
EMIは答えた。瞳が金色に輝いていた。
「今、魔力抑制の印が発動された。これは彼女にできることじゃない……誰かがいる」
「――もう捕まったのか?」
Ariaが声をひそめて問う。
「もしまだなら、今や捕まった。他の何より、急がなきゃ」
二人は木々の間を影のように駆け抜けた。
洞窟内では、少女リナが布幕の後ろに隠れていた。姉が封じ込まれ、他の女性たちが傭兵に捕らえられる様子を見ていた。笑い声に交じる怒号――その混乱の中で、少女は静かに、しかし確実に世界の残酷さを学んでいた。
アレックスは地面に這いながらも顔を上げた。まだ縛られているが、視線は確かに反応を捉えていた。この子が――生き延びなければならない。
「――お前ら!」
彼は低く叫んだ。声がかすれていた。
「――本当に金目当てか?わかってないな!ここにいるのはただの暴力じゃない!」
傭兵リーダーは含み笑いをしながら答えたが、次の命令を出して、洞窟中央に巨大な火の台を組み始めた。それは"儀式"の準備だった。
その瞬間、洞窟の入り口を冷たい風が吹き抜けた。




