エピローグ:もふもふと蒸気とパンの香り
春の風が吹く早朝、リュミエール村の工房には、かすかに甘い香りが漂っていた。
薪のオーブンから立ちのぼる蒸気と、こんがりと焼き上がったパンの香ばしさ。厨房では、葵がエプロン姿で焼きたてのパンケーキを皿に盛りつけていた。
「今日のはベリー入り。昨日、アルが勝手に摘んできたやつで作った」
「ふもっ!(うまいぞー!)」
アルが机の上をぴょんぴょんと跳ね回る。その頭には、いつもの三角布。最近では村の子どもたちから“シェフもふ”のあだ名で呼ばれている。
「おはよう。今日は薬草の整理があるの。朝食、もらっていい?」
ティナが静かに現れ、葵の隣に腰を下ろす。テーブルには、ベリーソースと蜂蜜、焼きたてのパン、そして温かいハーブティー。
何でもない、けれど特別な朝。
工房の窓からは、村の人々の姿が見える。
畑に向かう農夫。道具の修理に来る老夫婦。子どもたちはアルと追いかけっこをして、笑い声を上げている。
ふと、葵は設計ノートを開いた。
そこには、新しい道具のスケッチが描かれていた。
村の年配者のための“階段昇降補助機”。
小さな試作はすでに完成していて、今日から試験運用が始まる予定だった。
「道具屋って、終わりがないな」
「ええ。でも、だから楽しいんじゃない?」
ティナが笑う。アルがパンのかけらを咥えたまま、コトンと膝の上で寝息を立て始める。
それを見て、葵も笑った。
――今日も、いい一日になりそうだ。
そしてまた、ひとつ扉が開く。
道具屋《ユグド工房》に、新たな相談者がやってきた。
「すみません、“川の水をくむのが大変”って話を聞いたんですけど、何かいい道具ないですか?」
葵は立ち上がり、図面を取り出す。
「もちろん。お任せください。便利って、誰かが笑ってくれるってことだから」
アルが尻尾をふり、もふもふと机の上を転がっていく。
工房の煙突から、パンと蒸気の香りがまたひとつ、空へと昇っていった。
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