破かれたファンレター
僕は、あまりにも共感してしまったのだ。あのラジオ番組「ラジオの声」に。あの文化人の、少し斜に構えたようでいて、どこか誠実な声に。だから、僕はどうしようもなく、ハガキを書きたくなってしまった。感想というより、それはもう、ほとんど告白に近い。番組に対してというより、あの“声”に対する恋文のようだった。
――あの夜、僕は、あなたの声に救われた気がしました。
書きながら、これはヤバい、と思っていた。恥ずかしいとか、そういう種類の羞恥ではなく、「これを送ること自体が、あの人の言葉を否定してしまう」という、妙な自責だった。なぜなら、番組で彼は言っていたじゃないか。「ほんとうの好きっていうのは、語ってはいけないものだ」と。僕は、まさにその“語ってはいけない好き”を、封筒に入れて、郵便ポストへと運ぼうとしていたのだ。
だから、書き終えたあと、ふと我に返って、ハガキを手にとって、そして、ビリビリに破いた。
破りながら、「これじゃあ!相手にとって、ウザいだけじゃないか!」と、誰に聞かせるでもなく叫んだ。エンターテイメントの場に、熱愛を送りつけるなんて、あまりに自分勝手じゃないか。おそらく彼がもっとも嫌う行為だっただろう。僕は、それをやろうとしていた。いや、寸前で踏みとどまったのだから、まだ救いはあるのかもしれないけれど。
破かれたハガキの断片が、机の上に積み重なっていた。文面の一部が、まだ読める。
「僕は、あの夜、ひとつの……」
その続きを、僕は覚えていた。書いたばかりだから当然だ。でも、もうそれを言葉に戻すことはできない。文字は破かれて、文脈は壊れた。けれど、それでも、不思議と、心の中では、あのハガキがいまも生きていた。
好きは、言葉にしないことで、かえって深くなるのかもしれない。
あるいは、その残骸の中でだけ、静かに成長し続ける何かがあるのかもしれない。
僕は、紙片をそっと掻き集めて、引き出しの奥にしまった。捨てることもできず、かといって残しておくことにも意味があるのかわからなかったが、ただ、それが“僕の好き”の唯一の形なのだと思った。