ラジオの声
ラジオの向こうから、声が滑り込んできた。抑揚のない、それでいて何かの熱を孕んだ声だった。たまたま手を止めていた僕は、ほんの数秒間、その声に引き込まれた。
「よく、好きなことを語る人っているじゃん。あれ、周りにとってはすごくつまんないんだよね。たんに、ウザいだけでしょう。エンターテイメントとしては、好きでないものを語らないといけないというか。そこらへん、難しいんだけど」
文化人、と番組紹介では言っていた。何の文化かは知らない。けれど、その言葉には、奇妙な説得力があった。好きなことを語ることの、あのうすら寒い居心地の悪さを、彼はなぜ知っているのだろう。僕がどんな顔をして、自分の好きなものを語っていたのか。なぜ、あの時、皆が少しずつ沈黙していったのか。
好きなものを語るとき、人は目の奥を曇らせていく。興奮と自己陶酔の境目で、声だけが大きくなって、相手の顔が見えなくなる。それを知っている人間は、きっと何かをあきらめた人間だ。あきらめるとは、もしかしたら成熟することかもしれない。成熟とはつまり、他人に話しかける能力のことだ。
「嫌いなものを語る方が、まだ救いがある」
ラジオの向こうで、誰かが同意のように笑った。スタジオの笑い声はいつも、不気味なほどに予定調和で、それなのに時々、心の奥をかすめていく。
僕は、ラジオを切ることができなかった。声の正体が、僕自身の影をなぞっている気がしたからだ。あの人も、かつて好きなものを語っていたのだろうか。そして、あるとき気づいたのかもしれない。人は、他人の好きなものに、さして興味を持たないという真実に。
気がつけば、夕暮れだった。カーテンの隙間から、いつのまにかオレンジ色の光が差し込んでいた。音のない部屋で、ラジオだけが僕に語り続けていた。
「そういう意味では、世界は、好きなものを語ることを許さない。いや、語ってもいいけど、それが通じるなんて思わないことだね」
笑い声。僕はもう一度、ダイヤルを回してみた。違う周波数の声を求めて。けれど、どの声も、どこかで似ていた。世界がひとつの同意の中で構成されているとしたら、僕はそのどこにも居場所がなかった。