#3 鉄塊の番犬
谷底の空気は変わらず重苦しかった。湿った岩肌に染みついた苔の匂い、冷えた空気に混ざる鉄と油の残り香。空は相変わらず裂け目のように細く、上から差し込む光も地表には届ききらない。まるで地の底そのものが、外界と断絶されているような閉塞感があった。
クロウはエリスの額の発光に導かれながら、足元に注意して歩を進めていた。
「で、エリス。俺たち……この方向に進んでて、本当に出口に近づいてるのか?」
クロウは疑うような目でエリスの発光体を見つめながら尋ねた。
「はい。先ほどまでの地形から推測するに、ここの地形は都市構造体の地下水路および維持管理用通路と類似しています。私の記録データと照合したところ、この谷はかつてのインフラ層の一部に接続している可能性が高いです」
「……つまり、通路ってことか?」
「正確には、重力排水層と物資搬送軌道の交差点付近に該当する構造体の崩落ルートです。地上へつながる旧制御塔の残骸が、この先の断層のさらに上部に存在すると考えられます」
「…………」
クロウは沈黙した。
「理解できましたか?」
「いや、できてねぇ。だが、要するに“登れる出口があるかもしれない”ってことだな」
「はい。言い換えると、その通りです」
エリスの声には微かに笑いを含んでいるようにも感じられたが、気のせいかもしれない。
「まぁ、信じるしかねえな。道案内頼むぞ」
「お任せください。私の視覚センサーと地形解析アルゴリズムは、かつて多数の地上任務で有効性が証明されています」
「また難しいことを……。ま、もう後には引けねぇしな」
苔と泥に覆われた瓦礫の斜面は滑りやすく、ほんのわずかな油断で転落する危険があった。
時折、岩を踏むブーツの音が小さく反響する。
谷の奥へ向かう道中、崩れたコンクリートの壁に手を添えながら、クロウは不意に立ち止まった。
「確かに、これは自然にできたものじゃなさそうだな」
谷というより、何かの地下施設の遺構。そう思わせる風景が周囲に広がっていた。柱のような残骸、朽ちた電線、埋もれた金属の輪郭。
沈黙が痛いほど続く中、ふとエリスが言った。
「この先、約二十メートル。反応源の座標に到達します」
「……警戒は?」
「動力反応は不安定ですが、未だ稼働中です。敵対性は未知」
「“未知”ってのが一番タチ悪いんだよ……」
クロウはぼやきながら、ナイフを抜いて逆手に握り直した。
「警戒の意味では“高”に等しいと判断されることもあります」
「だったら最初からそう言え」
「ご期待に沿えるよう努力します」
さらりと返され、クロウは鼻を鳴らした。
やがて、瓦礫の隙間を抜けた先に、それは姿を現した。
巨大な鉄塊。傾きかけた輸送コンテナだった。
かつては都市間輸送用に使われていた装甲型コンテナ。今は装甲板がひしゃげ、ところどころが崩れ落ちている。接合部からは冷却剤のような白い蒸気が漏れ出し、足元には破損した工具や部品が散乱していた。
コンテナの脇には、何かが倒れていた。
いや――倒れていた“ように見えた”ものが、突如として跳ね起きた。
ガキィィンッ!
甲高い金属音が谷底に響き渡る。クロウは即座に身を低くし、コンテナの陰へと滑り込んだ。
現れたのは、四脚型の機械。煤けた外殻、むき出しの関節。赤く濁ったセンサーが不規則に明滅していた。
「旧型のスナップガード。軍用護衛機の残骸です。機体識別コードは抹消済み。暴走個体の可能性が高いです」
「そいつの分析より、どうすれば倒せるかを教えろ」
「背部の冷却制御ユニットと、左後脚の制動装置が露出しています。いずれも損傷あり。狙えば機能停止が見込まれます」
クロウはナイフを強く握り直した。簡単に近づけるような相手ではない。
スナップガードが低くうなり、次の瞬間、地面を蹴った。
突進――その速さに、空気が鳴った。
クロウはすんでのところで横に飛び退き、転がるように着地。背後でコンテナの壁が砕け散り、金属片が四方に飛び散った。
鋭い熱が頬をかすめる。かすり傷。しかし、油断は一瞬も許されない。
「もう一度くるぞ……」
クロウは呼吸を整える。スナップガードは脚を軋ませながら方向転換し、地を鳴らして突進の構えを取っていた。
敵の動作にあわせて、クロウは足元の石を蹴る。飛んだ石がセンサーに当たる。その一瞬、スナップガードの動きが鈍る。
「今だ!」
全力で駆ける。敵の懐に飛び込み、左後脚の関節部に狙いを定める。
ナイフが滑り込む。金属が裂け、火花が飛んだ。スナップガードの動きが乱れた。
だが、それでも倒れない。脚を引きずりながらも、振り返り、爪を振り下ろしてくる。
クロウは身を低くして滑り込み、背後へ回り込んだ。背中の装甲、その継ぎ目を目指してナイフを突き立てる。
ブシュッ、と冷却剤が噴き出す。霧状の白煙がクロウの視界を包み、瞬時に周囲の温度が下がった。
「機体反応、急速低下。追撃を」
エリスの声が届く。
クロウは姿勢を保ったまま、もう一度、ナイフを突き入れた。
金属が振動し、異音を響かせながら、スナップガードはその場で大きくのけぞった。
数秒の沈黙。
やがて、脚が崩れ、体が傾き、全体がゆっくりと倒れていった。
落下音が鈍く、谷底の空気に沈んで消えた。
クロウは荒く息を吐き、手の中のナイフを見下ろす。刃の先には焦げた金属片と、粘性のある黒い液体が付着していた。
不意に、勝利の安堵とは別の感情が胸に湧き上がる。恐怖でも後悔でもない。ただ、静かな苛立ちだ。
「……やれやれ。あのサイズで護衛用とか、昔の連中は何を守ってたんだ」
「安全保障という概念には、時に過剰が必要とされます」
「皮肉か?」
「いえ。過去データの引用です」
クロウは無言でナイフを岩に擦り、付着物を拭った。
「この残骸、使えるか?」
「バッテリー、冷却液、駆動部品の一部が再利用可能です。簡易パックへの抽出を推奨」
「どれがどれかわからん!」
クロウはしゃがみこみ、コンパクトツールを取り出した。エリスの説明を聞きながら分解しながら、金属の奥に視線を落とす。ここで得られる資源は、今後の生存に直結する。
霧の中で機械の残骸に手を伸ばす――そんな奇妙な作業が、今の彼にとって“日常”だった。
ふと、背後に気配を感じて振り返るが、何もいない。ただ、風も吹かないこの谷底で、霧だけがゆっくりと漂っていた。
「この静けさ……逆に気持ち悪いな」
「機械反応、生体反応は半径百メートル圏内にありません。ですが、音響解析により、不規則な地響きが周期的に記録されています」
「つまり、まだ何かいる」
「断言はできませんが、可能性は高いです」
クロウは立ち上がり、エリスを見下ろした。金属の頭。だが、その瞳は人間のように光を宿している。
その目が、まるで“先を見据えている”ように見えた。
「……じゃあ、先に進むか。俺ら、今んとこ二人しかいないんだしな」
「はい、パートナー」
エリスが淡く返す。
クロウはナイフを鞘に納め、谷底の奥へと歩き出した。
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