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異世界恋愛の本棚

聖女は追放をお望みです!

作者: 出口もぐら
掲載日:2026/03/13


「今日も疲れたわ……。早く帰って眠りたい……」


 人気のない廊下でそっと呟くのは、口癖になっている言葉。私の口から出た声は掠れていた。


 奉仕の精神は尊く、聖女は奉仕たれ。癒やしの力を授かった聖女たる者、その精神は高尚たれ。

 教会の教えは全てだと、信じて疑わなかった。



 * * * 

 

 荘厳(そうごん)な教会の一角。私は今日も、そこで癒やしの祈りを捧げる。

 神父様に案内されたのは、病に侵された人々の元。彼は大胆な笑みを浮かべながら、口を開く。


「聖女シャリア、こちらの()()()()()癒やしの祈りを。彼らは教会へ過大な寄付をして下さった。その恩義に報いるべきだ」

「はい、神父様」


 私の名を呼びつけ、癒やしの祈りを施すよう促した。私はただ従うだけ。

 役目を終えた後には、口々に放たれる言葉がある。


「大聖女様の代行だ。光栄に思いなさい。これが終わったら、大聖女様の言いつけが――」

「殿下がお呼びだ。なんでも、ご学友が剣の稽古で怪我をされたそうで――。大聖女様? 彼女にそのようなことをさせる訳にもいかないだろう!」


 あちらこちらに連れ回されては、癒やしの力を酷使される。それは私の()()

 もちろん、癒やしの力といっても無尽蔵ではない。疲労するし、体力も消耗する。使い過ぎれば、意識を失うこともある。


 また別の日。貴族の別邸に呼ばれていた私は、ようやく帰路についていた。こうして貴族の軽傷を優先し、民の重病は後回しにされる理不尽さに、胸が締め付けられる毎日。


 ふと通りがかったのは廊下に飾られた大きな鏡。それに映る私の顔は疲労が浮かび、目元には隈ができてくぼんでいる。唇はひび割れて、血色が悪い。


(酷い顔ね……)


 疲れを隠すこともせず、重い溜め息をついた――。


 ◇


 ようやく教会の宿舎に辿り着いたのは、すっかり夜更けの頃。暗がりに蝋燭の灯りがぼんやりと浮かぶ。

 すると、教会の廊下で神父様たちの囁きが耳に届いた。私は疲労で重たい体を引きずっていた足をぴたりと止める。


「隣国の聖女が悪事を働き、国外追放の処罰を受けたらしい……」

「なんと! 嘆かわしい……」

「なんでも、教会の教えに反したようで――」


 徐々に遠のいていく会話。私は茫然とその場に佇む。先ほど耳にした言葉が脳内を巡っていた。


(追放……? それって、()()ってこと……?)


 その言葉は私にもたらされた希望のようだった。戦慄(わなな)く唇が決意を口にする。


「もう耐えられない……。 追放されて自由になるわ! 追放されれば、この無休労働から解放される……!」


 誰もいない廊下に私の声が響いた。慌てて誰もないことを確認し、そっと胸を撫で下ろす。


(追放されるには、処罰されるような「悪事」を行わなければならない……ってことよね? そうだ、戒律を破るのよ……!)


 教会の教え。そう――、それは率直に言うと、貴族を最優先に癒やしを行うこと。それも多額の寄付を行った貴族はどんなに軽症でも、聖女を呼び寄せることができる、というもの。もちろん、私のような()()聖女は休みのない奉仕だ。


 それを破るとなれば、身分に関係なく、病で苦しむ人々に癒やしを施すということ。


(大丈夫、私ならできる……!)


 根拠のない自信が湧いてくる。疲労と過労によって、私の思考は正常ではなかったようだ。


(私の追放計画。準備段階は、護衛騎士のガルヴィン様に勘づかれないようにしないと――。準備が終われば、彼に戒律違反を密告してもらって――)


 頭の中で、順序立てて計画を練って行くと、そこで登場したのは護衛騎士のガルヴィン様。彼は寡黙な上、滅多に表情を変えることがない。私の第一印象は、規律を守ることに厳しい方。


 私のような()()聖女には護衛騎士が一名、配属される。――護衛騎士という名の監視役だ。教会の教えを遵守するように、お役目を担っているという。


 新たな決意を胸に、私の追放計画は幕を開けた――。



 * * * 


 追放のための情報収集と、前準備を終えた後。早速、足を運んだのは下町。

 下級聖女にも、食事の時間というのは自由にとることを許されている。その時間を利用するのだ。


(こっそり抜け出して来たつもりで、怪しい動きをすれば……。ガルヴィン様は追いかけて来るはず……!)


 そっと振り返れば、そこに佇むのはガルヴィン様。――ここまでは計画通り。

 しかし、相変わらず彼は寡黙なようで、教会を抜け出した私を追及する素振りをみせない。


 それはそうと、下町を選んだのは巡回のとき、目にした光景が忘れられなかったから。


 私は裏路地を行く。ガルヴィン様は何も言わず、私の後に続いた。


 辿り着いたのは、とうの昔に閉鎖され、廃れた診療所跡地。診療所自体は使い物にならないため、屋内へ繋がる階段に腰を下ろす。ガルヴィン様は何も言わず、近くに佇むだけ。


 すると――、すぐに待ち人がやってくる。路地の曲がり角から、ひょっこりと顔を覗かせたのは、下町の子どもたちだ。彼らはとにかくやんちゃで、すぐに怪我をする。――中には、胸に重い病気を抱えている子もいる。


 僅かな時間ではあるものの。そうした子どもたちに癒やしの祈りを捧げるのが、私の日課となりつつあった。


 癒やしの祈りを終えた私は、少年の頭を無造作に撫でた。彼の膝に視線を落とし、擦りむいた傷が綺麗に治っていることを確かめる。

 

「痛いの、我慢しちゃ駄目だよ!」

「うん。分かったよ、お姉ちゃん」


 このやんちゃな少年は意外と素直に私のいうことを聞くもので。私の胸の中で、憎たらしさと子どもらしい可愛さがせめぎ合う。

 真っ直ぐな視線を向けられたとき、そこでふと抱いた既視感。


(あれ……? 昔も、こんなことなかったっけ……?)


 記憶を辿っていると、背後から唐突に声が掛けられる。


「どうかしたのか?」

「えっ……、いいえ。何でもないです……」


 慌てて振り返れば、そこに佇むのはガルヴィン様。彼は私が少年の傷を癒すところを目にしたはずだ。しかし、ガルヴィン様の表情は戒律違反を咎めるような厳しいものではなく――。


(心配、しれくれたの……?)


 ガルヴィン様は眉を下げて、そっと私の様子を(うかが)うような素振りをして見せたのだ。困惑する私を余所に、彼は何事もないと分かるとすぐさま姿勢を正した。それは護衛騎士としての振る舞い。

 

 すると、癒やしの祈りを眺めていた少女が、嬉しそうに声を上げた。


「お姉ちゃん、大聖女様みたいだね!」

「そんなことないわ。大聖女様はもっと大変なお役目があるもの」


 私は困ったように微笑んだ。

 ――聖女の頂点である、大聖女様。聖女の鏡と言わしめる彼女とは比べものにならないほど、私は自分のことで精一杯な人間なのだ。


(違うわ、全ては追放のため! 戒律を破れば、処罰されるはずだもの。これでガルヴィン様は司教様に戒律違反を密告してくれるはず――!)


 ――私の期待とは裏腹に。いくら経てども、戒律違反を糾弾する通達は訪れなかった。

 考えられるのは、ガルヴィン様が私の戒律違反を黙認していること。ただ、その理由はいくら考えても分からなかった。


 ◇


 すっかり、下町に馴染んだ頃。診療所跡地には交流を重ねた下町の皆が集まるようになっていた。

 彼らは癒やしの祈りを終えた私に、感謝の言葉と労いの言葉を掛けてくれる。中には、果物や干し肉といったお裾分けをしてくれる人もいた。


「シャリアちゃん。今日もありがとうねえ」

「とんでもないです」

「聞いたよ? なんでも、薬草に興味があるんだって?」

「はい。昔、学んでいたんですけど……。今はこの通り、聖女のお役目ですっかり遠のいてしまって……」


 いつの間にか、薬草への興味を誰かに溢していたようだ。それは人に初めて話す、私の過去。

 私の話を聞いて、おばさんは残念そうに眉を下げた。


「そうかい、残念だねえ。そう言えば、魔物が苦手な香りを放つ薬草というのもあるんだよ」

「へえ……!」

「良かったら、病に祈りを捧げてもらっているお礼に伝えてもいいかい? きっと、役に立つよ」

「是非、お願いします!」


 勢いよく答えた私に、彼女は大きく頷いた。

 しかし――、話に夢中になるあまり、私たちに近付く人影に気付かなかったようだ。


「なにをしていたのかね?」

「司教様……」


 突然、司教様が現れる。――下町と言えど、人が集まりすぎたのだ。そうすれば、戒律違反に目を光らせている司教様がいてもおかしくはない。


 私は咄嗟に、おばさんに目配せをして、ここを去るように促す。ガルヴィン様も私の意を汲んでくれたようで、皆に立ち去るように促していた。

 振り返れば、下町の皆とガルヴィン様が視界に入る。


(駄目だわ。今、戒律違反(悪事)がばれてしまうと、黙認していたガルヴィン様も罰せられてしまうかもしれない……! あくまで、追放されたいのは私だけだもの……)


 この状況を乗り切るための案が思いつかず。彼を巻き込んでしまうのではないかと不安に駆られ、唇が震えた。


「あの、えっと……」

「司教」


 言いよどむ私の前に、割って入ったのはガルヴィン様だった。彼は司教様の糾弾するような視線を遮るように、私を背に庇う。


「お恥ずかしながら、私が護衛中に手首を痛めてしまった。聖女シャリアは私のために癒やしの力を使ったのです。その物珍しさから、人が集まり――」

「そ、そうか……。ならば問題ないだろう。護衛騎士の体調は聖女の安全を左右するからな!」


 彼の鋭い眼光と、威圧感に気圧された司教様は、後退りながらもっともらしい言葉を口にした。


 その一方で私は混乱していた。普段の寡黙なガルヴィン様とは違い、饒舌に話す姿もさることながら、私の戒律違反を見逃していたのは事実だったのだ。


(ガルヴィン様……、どうして私を庇うような嘘を――? 彼の行動が、私の追放計画を狂わせるはずなのに、どうして胸が温かくなるの?)


 不服そうにその場を去って行く司教様の背中を、睨み付けるようにして見送るガルヴィン様。彼に抱いた感情の答えは出なかった。




 そうして、帰り着いたのは教会宿舎――、ではなく教会倉庫がひっそり佇む場所。人気のない、その場所で束の間の休息を享受する。

 倉庫へ繋がる石階段に腰を下ろして、重い溜め息をついた。


「ふぅ……」

「聖女シャリア。今日はこの辺りで少し休もう。肩をかそうか?」

「ええ……、少しお願いします……」


 その言葉と共に、ガルヴィン様は私の隣に腰を下ろす。お言葉に甘えて、彼の大きな肩に寄りかかると、誤魔化していた疲労がどっと押し寄せてきた。私の意思とは無関係に、体の重心が彼の方へ傾いていく。


(やっぱり、無言のまま。……本当はお優しいのね)


 隣に座るガルヴィン様の整った呼吸が安心感を与えてくれた――。


 ◇


 数日後。

 癒やしのお役目を終えた私とガルヴィン様は教会の通路を歩いていた。すると――、唐突に掛けられた声があった。


「なんだ、その目付きは。なんと態度の悪い護衛騎士だ」

「えっ……? 私にはそう見えません。寧ろ、護衛という任を立派に務めています。真剣な眼差しです」

「……ま、まぁ。聖女シャリアがそう言うのであれば――」


 間髪入れず、そう答えた私に司教様は驚いたようだ。口ごもりながら、そそくさとその場を離れて行った。


 ――完全な言いがかりだ。恐らく、先日の下町の一件。ガルヴィン様に睨まれたことが気に食わなかった、あの司教様。彼が司教様たちの間で情報共有でもしたのだろう。

 私は不服と言わんばかりに、大きく鼻を鳴らした。


 すると、その様子を目にしたガルヴィン様は申し訳なさそうに眉を下げる。


「聖女シャリア。気を遣わせてしまった。俺のせいで、すまない」

「えっ!? いいえ、私は本当のことをお伝えしたまでです……!」


 見るからに気落ちした彼を慌てて励ました。


(彼の表情の違い、他の人には分からないのかしら……? こんなにも表情豊かなのに)


 そう思った矢先、ひそひそと聞こえてきた声。


「ねえ、また……あの護衛騎士様」

「ええ……。こちらを睨んでいて、何だか怖いわね」


 他の聖女たちだ。彼女たちの視線がガルヴィン様に注がれているため、「怖い」というのは彼のことで間違いないだろう。


(前言撤回した方がいいのかしら……?)


 どうやら、彼の微妙な表情の違いは、私にしか分からないようだ。



 * * *


 護衛騎士、ガルヴィン様との()()も慣れて来た頃。それは唐突に訪れる。

 彼は神妙な面持ちで口を開いた。

 

「突然のことだが、遠征に志願した」

「えっ……」


 あまりの突然のことに、私は驚きの声を上げた。

 

 遠征――、その言葉が示すのは「魔物討伐」遠征。

 原因不明の瘴気から生まれてくる魔物。それらは群れを成して人を襲う。そのため、一定周期で討伐遠征隊が組まれる。もちろん、遠征に参加するのは命懸けだ。それも志願となると、余程のこと。


 私は掛ける言葉が見つからず、沈黙したまま。茫然と佇む私に対して、ガルヴィン様はゆっくり頭を下げてみせる。


「勝手な真似をして、すまない」

「い、え……。ご無事をお祈りしています」


 ようやく紡いだ言葉は掠れていた。

 彼は何も語らず、決意に満ちた眼差しを私に注いでいた――。



 ガルヴィン様と別れた後。教会宿舎へ戻る私は、自分の気持ちに戸惑いを覚えていた。


(どうして、突然……遠征に志願だなんて。それに私……、ガルヴィン様と離れることが嫌だなんて……思ってしまった)


 震える手を胸元できつく握りしめる。

 追放計画が上手く進むまで、ガルヴィン様と下町で過ごす日々が続くことを疑っていなかった。追放されれば自由になれるはずなのに、彼と離れることを考えていなかった自分自身にも驚く。

 

 それに――。


(遠征となると、戦線を征く騎士の癒やし手として数名の聖女が選ばれるはず……。それも下級聖女であれば、替えが利くもの。でも、私は声が掛かっていない……。どうして……?)


 次々と浮かんでくる疑問に、思考は堂々巡りとなり――、遂には答えが出ないままだった。




 瞬く間に、遠征出立の日が訪れる。


 教会の大広間には遠征隊と、それを見送る聖女や家族の姿。騎士たちは誇らしげな表情を浮かべ、聖女や家族も名誉あることだと口々に告げている。


 出立式が始まる直前、私はガルヴィン様と最後の言葉を交わしていた。


(この期に及んで、ガルヴィン様と離れるのが嫌だなんて――。私、どうしちゃったの……)


 言葉を交わす時間が過ぎてゆく――。

 それがとても惜しいと感じてしまうほど、私は彼と一緒にいたい。そんな気持ちを自覚するには遅すぎたようで――。


 私はおずおずと口を開く。


「あの、こんなものでお恥ずかしいのですが……」

「これは――」

「香り袋です。少しでも、お守りの代わりになればいいなと……」


 彼に手渡したのは手製の香り袋。これは下町のおばさんに教えてもらった、魔物避けの薬草を使っている。――ガルヴィン様を守ってくれるようにとの願いを込めたもの。もちろん、祈りを捧げている。


 そこでふと、目にしたのは他の護衛騎士様。魔物討伐遠征に赴くのはガルヴィン様だけではない。ただ、違うのは彼らが掲げている煌びやかなチャームだ。それと比べれば、私が作った香り袋は見劣りするだろう。


「……ごめんなさい。他の聖女は綺麗なチャームをお渡ししているのに……」

「そんなことはない。有り難く、頂戴する」


 力強く答えた彼に、申し訳なさで胸が詰まる思いだった。ただ、香り袋を受け取った彼の嬉しそうな表情が、私の心を癒やした。

 ――私は祈る。どうか、ガルヴィン様が無事に帰還しますように。



 * * *


 遠征出立式を終えたのち。新しく護衛騎士として任命されたのは、ガルヴィン様と正反対な騎士だった。


 いつものように下町へ出向こうとすれば、彼は私の手首を掴み上げた。厳しい視線で一瞥(いちべつ)し、叱責する。

  

「聖女シャリア。教会に寄付のない民への癒やしはご法度だ。それも――、庶民など教会の威厳に関わる」

「あ、あのっ……! 痛いので離してもらえますか!?」


 悲痛な声を上げれば、彼はうるさいと言わんばかりに眉をひそめる。その次には、乱暴に解放された。

 私は鈍痛を残した手首を庇いながら、彼を睨み付ける。こんなことでは抵抗にもならない。けれど、ただ無下に扱われるよりはいいだろう。悔しさで唇を噛み締めながら、心の内に叫ぶ。


(ううっ……、違うの! ご法度でいいのよ! だって、私は追放されたいんだから!)


 私は反抗の意を示すかのように、大きく鼻を鳴らしてみせた。


 ◇


 監視の目をかいくぐり、ようやく下町を訪れたときには、診療所跡地は閑散としていた。

 私は息をひそめ、恐る恐る周囲の様子を窺う。新しい護衛騎士の彼は、下手をすれば下町の皆に剣先を向けるような危うさがある。私はそれを警戒していた。


 戒律違反のために、下町へ足を運んでいたはずなのに。いつの間にか、下町の皆のことが大切になっていたから――。



 すると、路地の曲がり角から、ひょっこりと顔を覗かせたのは、あのやんちゃな少年。彼は浮かない表情をしていた。

 少年は私の元まで走って来ると、おずおずと語り始める。


「お姉ちゃん、僕たちね。こことは違う遠くの町へ行くことになったんだ。妹の胸の病気も酷くなって、夜も咳が止まらないんだ」

「そ、うなの……」

「父さんと母さん、国を渡るって言ってた。お姉ちゃんのように、いろんな人を癒やしている聖女様が沢山いるところへ行くんだって。……今日まで僕や妹を癒やしてくれて、ありがとう! 元気でね!」

「ええ、君の旅路に祝福があるように祈っておくわ」


 それは彼らの近況を知らせるもので――。

 度重なる別れの寂しさが、私の胸を突き刺す。しかし、そんな寂しさには蓋をして、冷静に思考する私がいた。


(うん、それがいいわ。この国にいても……、教会が手を差し伸べるのは決まった人たちだけだもの)


 脳裏をよぎるのは、遠征出立式。奉仕とは名ばかりの、教会を挙げての煌びやかな式だった。私は暗い気持ちを払拭するかのように、首を横に振る。


 そうして、少年と別れの挨拶を終えたとき――。ざわざわとした、得体の知れない感覚が呼び起こされる。凶事を予感させる胸騒ぎ。

 私は周囲を見渡す。そこで目にしたのは――、黒とも表現できないような形容し難い色を帯びた霧が立ち込めていく光景。


「あれは……?」


 疑問を口にすると、すぐさま答えが示された。霧に触れた草花が、途端に枯れ果てたのだ。それに人が触れれば――、容易に想像できる結末に、身の毛がよだつ。


「あれが、瘴気なの……!?」

「お姉ちゃん……! 何か、あっちに――」

「逃げないと! 一緒に行きましょう!」


 少年の手を引いて、一緒に駆け出した。幸いにも、ここは廃れた裏路地で人の往来がない場所だ。


(瘴気は大聖女様が癒やしているはず……。どうして、王都のこんな場所に――)


 それは大聖女様のお役目――、「癒やしの力で瘴気を消し去る」こと。だからこそ、彼女は聖女たちの頂点であり、教会の最高権力者に次ぐ立場を持っていると言われている。


 少年の手を離し、私は足を止める。振り返った彼に向かって叫ぶ。


「先に行って!」

「でも――」

「いいから!」


 言葉を遮り、少年の背を見送った。


(ああもう! ……やるしかないわ!! ガルヴィン様も魔物と戦っている。私だって、できることをするのよ! 少しでいい、あの子が逃げる時間を稼げれば――)


 私にできること。それは祈ること。

 下町の皆と過ごした時間、ガルヴィン様と過ごした時間。それは擦り減った心を癒すかのようで――。彼らの病を癒やしていたつもりが、いつの間にか私自身が癒されていた。温かな気持ちを思い出す。


 途端、白銀の光が足元から波打つ。光の波が黒い霧を押し返し、飲み込むように浄化した。迫っていた黒い霧は跡形もなく消え去り、残ったのは枯れた草花だけ。


「……できちゃった」


 掠れた私の声が、やけに大きく耳に響いた。へたりと地面に座り込んだ目の前には、なんら変哲もない街並みがいつもと変わらぬ時間を進めている。

 それは、ただの下級聖女である私が瘴気を癒やした、という紛れもない事実がそこに広がっていた。


「そうだわ……私は何もしていない。そうよね……?」


 困惑する私の口から溢れた独り言は、風に乗って消え去ったはず――だった。

 

 ◇


 数日後。

 私の前に現れたのは、厳格な出で立ちをした司教様。彼は苛立ったように口を開く。


「聖女シャリア。先日、瘴気を癒やしたのは貴様か」

「わ、私は――」

「言い逃れをしようとも無駄だ。貴様の護衛騎士が証言した。それに――、みすぼらしい少年もだ。瘴気を癒すのは大聖女様の大切なお役目。それを行うということは、大聖女様の立場を脅かす者である」


 彼は息を大きく吸い込むと、芝居じみた様子で言い放つ。


「即刻、裁判である!」


 これは戒律違反を罰する裁判。しかし――、私の思惑とは違ったことで糾弾されるようだ。

 どうやら、あのいけ好かない護衛騎士は私の後をつけていたらしい。それに――、やんちゃな少年は純粋に教会へ助けを求めたのだろう。彼が密告する、なんて考えられない。


(まさかの展開だわ……。でもこれは、ついに訪れたチャンス!?)


 あれよあれよという間に、裁判当日。


 もちろん、私はその間、囚われの身だった。――実のところ。囚われの身である方が癒やしのお役目がなく、睡眠不足も解消されて体調がとてもいい、というのは皮肉なものだ。


 連行されたのは教会の大広間。そこは裁判というに相応しい造りをしていた。

 聖女が戒律違反を犯した裁判、という物珍しさから、貴族たちが傍聴席でひしめき合っている。あの中には私が癒やした人もいるだろう。


 司教様が私の罪状を読み上げていく。そうして、私を裁くのは――。


(王太子殿下と、その婚約者である大聖女様……)


 結果は決められているようなものだ。いや、寧ろ分かりやすくていいかもしれないと、ふっと目を伏せる。

 しかし――、突如として大広間の扉が開け放たれた。


「待って頂きたい!!」


 大広間に響く、決意に満ちた声音。皆が驚き、扉の方を見やる。


 そこにいたのは――。


(ガルヴィン様……?)


 何故、彼がこの場にいるのだろう、と首を傾げた。すると傍聴席から、こそこそと声が聞こえて来る。


「あの方は……?」

「ガルヴィン・シュヴァリエ(騎士)様よ。ほら、魔物討伐の遠征でとても大きな武勲を立てて、爵位と姓を賜った――」

「まあ、素敵な方ね」


 それは彼の近況を語るものだった。ご婦人や令嬢たちは彼の勇ましい姿に目を奪われている。

 どうやら私が囚われている間に、遠征隊は無事に帰還したようだ。


(ああ……、ご無事だったのね。よかった……。私、追放されたいと自分のことばかりで……。本当に酷い人間ね)


 ガルヴィン様の無事に胸を撫で下ろしながら、自嘲じみた笑みを溢す。彼に、そんな私の醜い一面を知られずに済んで良かったと人知れず安堵する。


 すると、彼は予想だにしていない行動に出た――。


「聖女シャリアは、教会へ寄付できないほど貧しい民に癒やしを施したにすぎない。これが平等であり、崇高な精神である。精神は高尚たれ、この教えに反したことにはならないだろう! 瘴気を癒やし、消し去ったことも、彼女こそが真の大聖女であるという証だ」


 王子や傍聴人に語り掛けるようなガルヴィン様の言葉。彼は私の無実を証明するために、熱弁を振るい始めた。


(ちょっと……待って、待って!! 違うの! ガルヴィン様! 私、言われる程の善行をしていないのよ! 困ります!)


 もちろん、それに慌てたのは私。――と、大聖女様に司教様だ。彼らは知られたら良くないことでもあるのだろうか。

 大聖女様は私をきっと睨み付け、司教様は厳しい形相で何かを訴えている。これは私に「罪を自白しろ」と訴えているに違いない。


 私は両手を握り締めながら、わっと声を上げた。


「そ、それは違います! 私は教会の戒律違反を犯しました!」


 ガルヴィン様の熱弁を遮った、私の叫び。武勲を立てた騎士の発言を遮るなど、不敬にも程があるだろう。

 傍聴席の視線は次第に、冷めたものに変わっていき――。ガルヴィン様の熱弁は効力をなくしてしまった。


 大広間の空気が変わった。彼は勢いよく、私を振り返る。


(そ、そんなに睨まないでっ! 流石に怖い!!)


 縮こまった私を見やるガルヴィン様の眼差しは、次第に困惑したものに変わってゆき――。項垂れるように俯いてしまった。

 王子は側近と思しき人物に耳打ちを受けている。それに頷き、こちらを向いたかと思えば、威厳あるような口調で語り始めた。


「そ、そうか……()()シャリア。シュヴァリエ卿の訴えに免じて、貴様には罰を選ばせて――」

「国外追放でお願いします! 追放されたいです!!」


 わっと声を上げた私のあまりの勢いに、王子が目を丸くして言葉を失った。――騒然となる壇上。

 周囲の静けさに、私がやらかしたと気付くまで時間を要する。


(しまった、つい食い気味に……。それに思わず、願望が出てしまったわ)


 はっと我に返り、しおらしく悲しんでいるように装う。

 ただ、大聖女様と司教様は、それがいいと言わんばかりに頷いていた。――ここで利害が一致するなんて、おかしな話だ。


「よ、よいだろう……!! 罪人シャリアは国外追放である!」


 声高々に宣言された処罰内容。私は祈るように胸の前で手を組んだ。


(やったわ! やっと無休労働から解放される……!! ありがとう!)


 ただ、胸中は周囲が思っているようなものではない。解放感と、達成感が私の胸をいっぱいに満たしていた。

 ふと、視線を上げればガルヴィン様の表情に目が留まった。


(ガルヴィン様、悲しそうな顔をして……ごめんなさい。折角、私を庇って下さったのに……。でも、どうして……? ただの聖女と護衛騎士の関係だったはずなのに)


 私の胸に残ったのは疑念、ガルヴィン様の行動だった。ふと視界に入ったのは、静かに震える彼の拳。それは彼自身への不甲斐なさからなのか、思惑を阻まれた悔しさからだったのか――私には分からなかった。



 * * *


 追放されると決まってからは早かった。

 私に残されたのは――、身の回りを整理するための(いく)ばくかの猶予。しかし、教会の宿舎に置いていた僅かな身の回りの荷物はことごく撤去、そのまま廃棄された。おおよそ、教会の仕業なのだろう。


 しかし、自由を手に入れた私はその程度で心が折れるか弱き乙女ではない。私は隙をみて、土を掘る作業に勤しんでいた。

 ――カツン、とスコップが何かに触れる。


(これぞ、生きる力……!!)


 地面から顔を出したのは木箱。それを開ければ、金品を入れた巾着袋。ずっしりとした重みが私の疲れた心を癒す。

 ――そう、これは密かに隠し持っていたもの。教会入りが決まった直前に埋めておいて正解だった。


(そもそも没落寸前の商家の娘に癒やしの力が宿っていた、なんて……酷い話よね。悪い意味で商魂たくましい父は、すぐさま私を教会に売った訳で)


 思い出すには(はばか)られる記憶が脳裏を掠める。その記憶を追い出そうと、慌てて首を横に振った。


 巾着袋を手に、ゆっくり立ち上がる。教会倉庫が佇む場所。そこには有り難い聖遺物が保管されているらしい。けれど、今となっては忘れ去られた、ただの物置。もちろん、人通りが少なく人目につかない。


 私にとってはガルヴィン様と談笑した思い出の場所。叙勲を受け、爵位を得た彼と話すことは許されないだろう。その事実が少し寂しい。


「彼の新しい門出に祝福を――」


 抱いていた淡い想いに別れを告げるため、そっと祈りを捧げた。


 ◇


 そうして――、騎士の監視のもと。連れて行かれたのは、市民が利用している馬車の乗り合い場。


(追放って馬車に乗せられて、何もない場所でポイ、じゃないの……? まさかの乗り合い馬車?)


 情報収集とは違う光景に困惑していると、騎士は素っ気なく言い放つ。


「ガルヴィン様の言いつけですので。それでは、私はこれで」

「え、えぇ……」


 呆れた声を上げた私を置いて、彼は早々と去って行った。

 どうやらガルヴィン様は多大なる功績を残したようだ。こうして、他の騎士に指示を出せるほどまでの地位を手に入れたのだから。


 人々が雑踏する中、私も目的地とする馬車へ乗り込もうと順番を待つ。すると、聞こえてきた会話があった。


「今後、この国は慌れるだろう。どうにも大聖女が偽物だったらしいぞ。王都付近に出現した瘴気をちっとも癒せなかったようだ」

「はぁ……。なんというか、予想通りだよ。他の聖女様と違って身なりが、ほら……やたらと豪勢だったじゃないか。瘴気の影響もあって、こうして国を出る者が多い。今は瘴気で国を失った移住者を多く受け入れている国もあるからな」

「どうりで……、隣国行の馬車に行列ができている訳だ」


 飛び交う不穏な会話。――そう言えば、あの兄妹(きょうだい)も国を渡ると話していた。彼らの幼い笑顔を思い出し、旅の無事を祈った。

 祈りを終えると、前を見据える。それは、これからの生き方を決意する眼差し。――聖女としての私は追放された。


(少し離れた郊外に小屋を借りて、庭で薬草を育ててもいいわね。収穫が軌道に乗ったら、ひっそりとした診療所を開くのもいいかもしれない……!)


 未だ見ぬ、新しい世界に心を躍らせる。

 すると、雑踏する人の流れを横切るようにして、こちらへ向かって来る人影があった。人々の頭ひとつ分、背が高いため凄く目立つ。それは私の視線を釘付けにするには十分だった。


「え……? ガルヴィン様……どうして、ここに?」


 戸惑いながらも浮かんだ疑問に答えはなく、彼は私の目の前まで歩みを進めた。すると、じっと私を見つめて――。


「君の願いを聞き、共に行こうと思う」

(んん? それはどういう意味――共に、行く?)


 脳内で繰り返した彼の言葉を理解したとき、私の口から溢れたのは呆気に取られた声音。


「え……? 叙勲を受けたのでは――?」

「一代限りの爵位など、あってないようなもの。君が自由を求めたように、()()自分の道を選んだ」


 彼は間髪入れず答える。力強く、さらに言葉を続けた。


「爵位など捨てて、君と共に行きたい。あのとき――傷を負った俺を唯一、癒やしたのは君だった。それに、俺はずっと君に想いを寄せていた」


 私をじっと見つめる、ガルヴィン様の真剣な眼差し。彼の言葉に理解が追い付かず、茫然と立ち尽くす。それに、私はガルヴィン様を癒やしたことなど一度もないはず。


 けれど、ふと思い出すことがあった。子どもの頃に見た真剣な眼差しと重なる。あれは癒やしの力が発現して間もない頃。まだ、父に売られる前の出来事だった。

 足に怪我を負い、動けない男の子。――ガルヴィン様に重なる面影があった。


(あのときの、彼の眼差しと同じ……? でも――)


 慌てて首を横に振る。今、記憶を辿っている場合ではない。思考を現実に戻す。

 爵位を捨てる? 栄誉ある騎士の立場も捨てて?


(いや、いやいや……重い! 重すぎる……!!)


 いくら状況を整理しようとしても、理解が追い付かない。

 すると、ガルヴィン様はそっと口を開く。


「シャリア。どうか、返事を聞かせて欲しい」


 そう言って、手を握られた。交えた視線は外されることなく――。それは淡い期待を抱かせるに十分な熱を持っていた。


(薬草の収穫を手伝ってくれるガルヴィン様がいても……悪くない、かも? いや、でも! でも――)


 彼に淡い想いを抱いていた私。追放されて自由を手に入れたかった私。何もかも、私にとって都合のいい状況。そこではたと思い至る。


 私を送り届けた騎士は「ガルヴィン様の言いつけ」だと言っていた。情報収集した追放劇と違ったのは、ガルヴィン様は私を監視する役目を担ったのではないか。騎士は国に忠誠を誓うものだから――、そんな疑念が湧いてくる。

 

 あのときに、父に売られた記憶が蘇ってしまったせいで、ガルヴィン様を疑ってしまう。


 しかし――、ガルヴィン様の熱い視線を受けて、今までの彼の言動が私を裏切らないと物語っているようで。

 そこでふと、彼の腰につけられた装飾品に目を奪われる。あれは――。


「私が贈った香り袋……」

「ああ。君がくれた香り袋が、俺を守ってくれたんだ」


 ガルヴィン様は目元を綻ばせてそう言った。その言葉に、胸が熱くなる。――ほんの少しだけ、彼と過ごす日常を想像した。


 朝露に濡れた薬草を二人で摘んで。それが終われば、ゆったりとした時間の中、朝食を食べる。温かい食事と何気ない会話。

 開いた診療所では、身分に関係なく癒やしの力を使う。薬草を煎じて、必要な人に分け与える。ああ、もちろん、少しだけ対価を頂いても(バチ)はあたらないはず。そんな――、平穏な日々を。


 握られた手に僅かに力が籠っていることに気付き、はっと現実に引き戻される。

 そう、私が目指す平穏な暮らしは、私だけのもののはず。意を決して、震える唇をそっと開く。


「ついて来られるなんて、困ります!!」


 澄みきった大空に、私の動揺めいた叫びが響き渡った――。その言葉とは裏腹に、私は顔に血が上るのを感じていた。頬が熱い。

 思わず叫んだ私の言葉に、ガルヴィン様は静かに微笑む――その瞳に、優しい温かさを灯して。





 乗り合い馬車は揺れる。不慣れな道中、ふと視線を目の前に向ければ――、首を傾げてみせる彼がいる。


「どうした? シャリア」

「なんでもないわ……、()()()()()。ひとまず、定住する場所を決めないと――」


 私の追放計画は、半分成功。――願った平穏な生活は幕を開けたばかりだ。


ご覧いただき、ありがとうございました^^

異世界恋愛、こんなカップルが見たい!という私の創作意欲が爆発したお話でした。実は「あのとき助けて頂いた〇〇です」が好きでして……。聖女ちゃんも、聖職者らしからぬ人間臭さがチャームポイントです。いずれは長編連載版も書きたいなぁ……と思える二人でした。


★★★★★評価・感想・レビューなど、いつでも待ちしております!

頂けると今後の執筆活動の励みになりますので、ぜひお願いします!


また、他にも異世界恋愛(短編)や書籍化進行中の【web版】、異類婚姻譚(長編完結済)などを執筆していますので、そちらもご覧いただけると幸いです。

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― 新着の感想 ―
本当の大聖女はシャリアで、それを追放した馬鹿な者達と言うことですね。 面白い面白い。
ガルヴィン様の重たい愛情(褒めてます)が最高でした(*ノェノ) 恩を忘れず、一途に想い続けていたのですね…… 二人とも末永く幸せになってほしいです。
過労死寸前聖女に幸あれ。 あとシャリアの代わりにパパや元職場が財布を落としたりドアに指を挟む小さな因果応報が来る様祈っておきますね。
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