悪役令嬢はサンショウウオを倒しにいく。2
という話をしたところ、テレビの画面に映る暗い栗色の髪の女はみるみるうちに不機嫌になった。
「サンショウウオが何かは知らないけれど、我が国の事情について詳しいようね。お前が言うように、このまま怪物を倒すことができなければ他の王族の身の保障はできないでしょう」
あくまでこちらの架空の話だと付け足すと、では夢物語と言うことにしましょうと言った。
部屋の隅では一通り詰られた魔術師がこちらの話に聞き耳を立てているようだった。王族の惨状について話すとわかりやすく肩を揺らすので、そうなってしまった際は命を捨てねばならない立場の人間なのだろう。
「おまえの言う話では、この国の中枢を担うものたちが完全に消息を絶たないと、救世主は現れないということね」
それに比べてこの女は肝が据わりすぎている。ゲームの状況と向こうの世界の状況を重ねるのであれば、国王の姪の行く末は亡命か暗殺か処刑かのどれかである。
「まあ、いいわ。その夢物語のサンショウウオとやらはどうやって倒されたの?」
未曾有の大災厄と言っても過言ではないほど多くの命が失われた世界の荒廃の始まりを告げる序盤のイベントだが、サンショウウオからなんとか逃げ延びた親子の依頼をこなすと、悪夢のような記憶を振り返りながら攻略のヒントを教えてくれる。
怪物の脇腹に兵士が放った矢が当たったときに「チョットイタイ」と鳴いたのだそうだ。
チョットイタイ、というのが主人公がいた世界の言葉であったため、この世界の人々には鳴き声の差であることしかわからなかった、というのが事の顛末である。
主人公たちは怪物の脇腹を重点的に攻撃し、「カナリイタイ」と言わせた後に炎属性の魔法で乾燥状態にすることで撃破できる。
その手順を踏まない限りはでかいサンショウウオに対する攻撃は強力なぬめり状態によって無効化される。このゲームのボスは必ず何かしらの手順を踏んだ後にやっと攻撃が通るようになるシステムなのだ。
「その話、即席の作り話ではないでしょうね……そのサンショウウオの姿絵などはないの?」
仕方がないので、スマホを取り出してスクリーンショットを検索して表示したものを見せた。暗い栗色の髪の女の赤い瞳が大きく見開かれる。
すると画面の向こうからぞろぞろと人が集まり、怪物だ、獣だ、サンラット渓谷だと騒ぎ始めた。非常にどうでもいいことだが、サンショウウオは獣というか両生類である。湿ったところを好み、乾燥に弱い。
なんだなんだ、やはりこいつが救世主なのかと騒ぎが起きているなかで暗い栗色の髪の女だけが目を伏せて唇に指をあてて何かを考えているようだった。しばらくすると、静まりなさいとその場にいる
「ホルヴェーク公爵家ベアトリクスが魔術研究所の主席研究員兼所長として命じる。騎士団から長弓が得意なものを何人か連れて怪物の脇腹に何発か命中させてきなさい」
命を捨ててこいとほぼ同義の命令だということは俺にもわかった。上司に詰られていた魔術師が「ヒェ」と鳴いたのは無理からぬことだろう。
結局、向こうの世界とテレビとの接続をどうにかしている場合ではなくなった。魔術師によって恐る恐る行われた実験で電源を切っても再接続に支障はないことがわかったので、この件については日を改めて対応について考えるということになった。
テレビの電源をプツリと切った後にテレビ台から古いゲーム機を取り出した。重ねるように置かれていた箱の中には数枚のディスクが入っており、青いディスクを探し当ててゲーム機に挿入する。
主人公が目覚めたのは王城の地下の研究エリアだった。先ほどテレビの画面に映っていた部屋によく似ている。あの部屋の隅などは魔術師が上司に詰られていた場所だ。ただし薄暗い部屋の本棚や照明は床で粉々、石の床は黒い染みが染みついていた。蝋燭が一本だけ残された不気味な部屋の外に出ると、このゲームのストーリーが始まる。
身元がはっきりしない主人公は北西のサンラット渓谷のある領地へ行って、そこに棲みついている人を喰う大きな怪物を倒せば衣食住や身分の保障をとある貴族に約束される。半強制的に怪物退治へ出発することになった主人公は二人の仲間を連れて渓谷へと向かう。その道中の村々でクエストをこなすと渓谷の怪物の弱点の他に消えた王族の話を聞くことができるという。これは限られたタイミングでのみ発生する隠しイベントなので見逃しているプレイヤーが数多くいる。
国王は行方不明、王妃も王子も王女も亡命したかどさくさに紛れて他国のスパイや反対勢力に暗殺された。逃げ遅れた王族や血縁のある上級貴族は、領地や部下を見捨てることができずに怪物の討伐に身を捧げることになった。
王弟たちもその妻たちも、子供たちも時が過ぎるにつれてどんどん姿を消した。彼ら彼女らに付き従っていた貴族もメイドも兵士もいなくなる。そしてついに寂びれた王城では困窮した国民による略奪が発生した。そんな事態になっていても城内の魔術研究所に残って怪物の討伐方法の研究を続け、最期には見世物にされるために惨たらしく処刑されたのが王弟ホルヴェーク公爵の長女、ベアトリクスだった。
彼女の処刑をもって継承権を持った王族はいなくなり、新しい王権が成立する。その王権が成立した直後が主人公の現れる時期ということらしい。
このゲームの世界があのテレビに映った画面の向こうの世界なのだろうか。このストーリーはあの画面に映った女の未来ということになってしまう。
自分が関わったことの恐ろしさに気付いて、その日は早めに寝ることにした。
やたらでかいサンショウウオを討伐したと知らされたのは一週間くらい経ってからだった。
暗い栗色の毛の女が画家に描かせたという怪物の死骸はやはりどう見ても、ゲームに出てくるでかいサンショウウオにそっくりだった。
「お前のおかげよ、ありがとう。感謝しているわ」
昼飯のラーメンを作っていると唐突にテレビの電源が勝手につき、勝手に感謝された。今度は薄暗い洞窟のような部屋ではなく、明るくて広い豪華な家具や照明のある部屋にいるようだった。女の背後に豪華な服を着た男女が並んでいる。王太子と王妃と王子と王女とのことだった、さらに画面の端から中年の男性を引き寄せて「わたくしのお父様よ」と言った。王弟、ホルヴェーク公爵ということだろう。
「それから……今はお忙しいとのことだから伯父様は後で紹介するわね」
伯父様、というのは別の王弟のことだろうかと問いかけると「違うわよ」と否定された。
「国を救ってくれたひとに一番感謝しないといけないのは国王様に決まっているでしょう、国王フィッツ・グラナシア・カイデンバーク陛下よ」
国王は確か儀式のために命を捧げたのではなかったか?
暗い栗色の髪の女に問いかけると、きょとんとした顔をしてこう言った。
「そうよ、儀式のためにライフポイントをひとつ削ってくださったの」
合点がいった。確かにこのゲームのキャラクターたちはHPがゼロになると戦闘不能になりLPがゼロになると消失するシステムだった。LPのことをこの世界では「命」というのか。
俺は脱力してしまった。そういう話であれば必要以上に惨たらしい処刑が行われたというのも、残ったLP分殺さなければいけなかったということになるのだろう。
「そういえば名乗るのが遅れたわね。わたくしはホルヴェーク公爵家の長女、ベアトリクス。国立魔術研究所の主席研究員兼所長よ。よろしくね、賢者様」
俺のおかげで怪物が倒せたのだから接続を切断するのはやめて、これからも有効活用しようということになったらしい。いざとなったらテレビを廃棄して逃げよう。
そうしてゲームのなかの世界との奇妙な繋がりを得てしまったうえに、公爵令嬢ベアトリクスの上司になってしまった。
さらにこの後、我が家の1LDKにベアトリクスが異文化交流の名目で滞在することになるのは、また別の場面で語ることにする。