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ラナンキュラス 後

おっさんの要望通り、肉屋の仕事を手伝うことになった。男3人で立つにはあまりに狭かったのでおっさんと俺は店の前に立ち、橘は中で渡瀬さんと待っていてもらった。

かといって、大量の客が来るわけでもなく、ほとんどの時間をおっさんと話すことに費やした。おっさんは見かけと声量によらず、すごく落ち着いた話し方をした。俺の目をよく見て話をしたんだ。

「灰色だな全部。お前のとこは花屋だろ?さぞきれいなんだろうなぁ…」

今まで俺から一度も目をそらさなかった彼がふと視線を外したので驚いた。涙をこらえているのだとすぐに気がついた。そう言われてもう一度店の外を見渡してみた。

とても殺風景にみえた。朝と大して変わらない人通りの少なさに、まばらに開いた店たち。

普段から色とりどりの花に囲まれている俺たちは、灰色の世界の存在を忘れていたことに気がつく。

「肉屋さんは花がお好きなんですか?」灰色の世界が寂しくてなんとなく、そんな質問をしてみる。

「そりゃあ好きだよ。きれいだし、かわいらしいだろ? ……こんな世界じゃなきゃな〜。」と寂しそうに微笑む。

ハツラツとしたおっさんの顔が灰色に染まったようで、言葉に詰まってしまった。『こんな世界』。渡瀬さんの謝罪はきっとこんな人たちへのものだったのだろうと思った。何だか気分が沈んでしまって、一瞬か、もしくはとても長い間、俺は地面を見つめて次の言葉を探していた。ふと、カツカツと商店街のコンクリートを硬いものでたたく音が聞こえて、俺はもう一度前を見た。ほんの数人の内の一人、お客さんだった。ヒールの音はどんどん大きくなり、俺たちの前で止まった。

黒いパンツスーツに前髪から後ろまで持っていき、一つにまとめたいかにもキャリアウーマンというような雰囲気の女性だった。

「いらっしゃぁーい!!今日もコロッケかい?」

さっきまでの灰色の空気を脱ぎ去り、最初に出会ったときと同じような底抜けに明るいテンションではなしかける。女性もどうやら常連のようで、すさまじい勢いで話しかけるおっさんに戸惑いもうろたえもせず、こくりと頷いた。

おっさんは両手の親指だけを立ててグッドというジェスチャーをするとすぐに店の中に入っていってしまい、俺と彼女の間に気まずい空気が漂う。

気まずい空気をなんとかしようとしてくれたのか、女性が口を開く。

「あの、アルバイトさんですか?」

「いえ、普段は花屋で仕事をしているんですけど、ここの店主さんに頼まれて手伝いに来ました。」

言い切ってしまってから後悔した。花屋で働くことは異常だったから。おっさんの店に迷惑をかけてしまうかと思った。

「私、お花が大好きなんです!」

大きな感嘆符をつけて女性がうれしそうに口にする。

驚きと安堵が同時に来て胸がじーんと熱くなった。

 「なんのお花が好きなんですか?」

まだ冷めない胸の熱さに唆されてそんな質問をしてしまった。おっさんの言っていたことが心に違和感を残していたのだろうとも思った。

女性は心底驚きながら、でも、とてもうれしそうな顔をした。

「みんなきれいですけど、ユリがとくに好きです。凛としていてかわいさや美しさの中に強さがあるところが。」彼女はとても嬉しそうに花の話をした。大きな口を開けて笑っていたが、華やかで上品で常に美しかった。

「お客さんはユリに似てますね。」

普通のお客さんと花の話を久しぶりにできたことが嬉しくて、笑顔が素敵だと褒めたくて、そんなキザなことを言ってしまった。

一瞬驚いた顔をした彼女が何か口にしようとしたとき、タイミング悪く電話がかかってくる。電話の内容はよく聞こえないが、きっといい話ではなかったのだろう。

さっきまで生き生きしていた彼女の顔が途端に灰色になってしまった。

「ありがとうございます。でも、花のほうがよっぽど綺麗ですから。」

距離を取るような返事をされ、また沈黙が訪れる。さっきよりも重い沈黙だった。

さっきまでの何倍も重い重力を押しのけてにコロッケを片手に持ったおっさんが帰ってくる。

「おまたせー。150円になりまーす!」

女性が財布を出そうとしたとき、カードケースのようなものがカバンから落ちてきて、それは地面に着いた瞬間たくさんの紙を吐き出した。俺の足元に落ちたそれを拾ってみる。名刺だった。

廣瀬かれん。いかにも堅苦しい普通のフォントで会社名と名前が書いてあった。「あ!それ!」俺の拾った名刺を横から眺めていたおっさんが叫ぶ。

「そこ、花子ちゃんと同じ職場だろ!」

今までおっさんのデカい声と勢いに、まつ毛の1本も動かさなかった女性が“花子”という名前を聞いた瞬間、肩をビクつかせた。

「何かご存じないですか?」

人を探しているんです。と慎重に探ってみる。

「知らないですよ。なんなんですか!」少し焦ったようにつきはなす。名刺を急いで拾おうとして指をアスファルトに擦ったが、それすらも気にできる様子ではなかった。

「なあなあ、お姉さんが“花子ちゃん”なんじゃないの?」

“知ってる?綺麗な花みたいな服着た女の人。”といつの間にか俺の背後に立っていた橘が核心をつく質問をする。相澤の時と同じような真剣で、普段から想像つかないほど圧をまとった表情だった。

「違います。変な勘違いやめてください。」

圧に押されて俯くが、地面を見つめながらもはっきりとした口調で否定した。

「じゃあ紹介してよ。人探してるって言ったじゃん。」

橘も引く気はなく、2人の間にはピリピリとした空気が流れていた。

「何がしたいんですか?“花子ちゃん”なんて探し出して」

諦めたように廣瀬さんの周りだけ空気がほどけ、ゆっくりと顔を上げて俺の方をみる。

「会わせたい人がいるんです。その人は宇宙人なんですけど。」

正直に言うしかないと思った。正直に言っても大丈夫だろうと思った。この人もきっと普通の人ではないのだろうと思ったから。

「少し、待っていてくれますか?花子ちゃんを連れてきます。」

数秒だけ今にも泣き出しそうな顔になった。それから、今までで一番強い顔をした。彼女は来た方向と逆に歩いていった。地面をしっかり蹴るような歩き方だったが、どこか弾んでいるようにも見えた。

「おまたせしました。」ちょうど日が暮れる頃、店の前で少し低くて芯の通った声がした。

渡瀬さんを連れて、急いで外に出てみると寒い中、ロリータ服に身を包んだ廣瀬かれんが立っていた。

「これが花子ちゃんです。……これが私です。」

不安そうだけれど、誇らしげな表情をして彼女は自分を見せた。冬に似合う純白のスカートに淡い青色のポンチョをかぶっていた。白い人工のレザーに包まれた綺麗な手には大きな紙袋を下げていた。

「やっぱり、とってもすてきだわ~」渡瀬様がゆっくり近づいて、廣瀬の手を取る。

廣瀬の目にたまった涙は洋服と相まってキラキラした装飾のように思えた。

「完成したんです。渡せなかったけど」そう言って廣瀬は大きな紙袋から自分の着ているのより少しサイズの小さな服を取り出した。

「着ていただけませんか?」

子供のように泣きじゃくる廣瀬はしゃくりあげながらも丁寧に洋服を手渡す。

「もちろん!貴方が作ったのよね〜?とっても素敵。」

渡瀬さんはにこにこと穏やかな笑顔を浮かべて洋服を受け取る。廣瀬の笑い方に似ているなと思った。

渡瀬さんは着替えのため、店の奥に入っていき俺たちは廣瀬とその場に残った。


「やっぱり死んじゃうんですか?宇宙人だから。」

廣瀬は涙でぐしゃぐしゃの顔をこちらに向ける。

「そうですね。そういう法律になっているので。」

できるだけ無表情な声を意識して質問に答える。俺たち花屋は異常でないといけなかった。

「私、おばさまが宇宙人だってこと知ってたんです。服が心残りなことも。だから、渡せなかった。」

“だって、死んじゃうじゃないですか。”

当たり前だと思った。服を受け取った渡瀬さんはとても穏やかながら、覚悟のある表情をしていたから。

廣瀬は苦しそうな声で温かな思い出を語りだした。


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なじめなかった。それこそ、自分が宇宙人なのではないかと錯覚するほどに。

私と世界はいつも噛み合っていなかった。この世界は噛み合わない人に厳しくて私は人間なのに人間のふりをして生きていた。

やっとの思いで大学を卒業し、就いた職場はとても息の詰まる場所だった。真っ黒なだけのスーツとみんな同じ形のデスクに囲まれて仕事をするのは私にとってはしんどかった。おばさまは私の救いだった。唯一息のできる場所だった。

大好きなロリータ服を会社にバレないための変装の道具のように使ってしまっていた私は花屋の前で彼女に会えて初めて世界を好きになった。

彼女はとても人間らしかった。私よりも上手だった。でも、この人は上手な人なのだとわかってしまった。彼女は本物ではないと。

穏やかなのに凛としていて、背筋を伸ばして歩く姿は私の憧れだったけど、彼女はいつもどこか申し訳なさそうな態度だったから。

彼女に服の仕立てを頼まれたとき、家に帰る途中で布を買い、家に帰ってすぐデザインを考え始めた。作るのには結局、2週間ほど経ってしまったけど。その間に彼女の気持ちに気づいてしまって、だんだんと手は動かなくなるばかりだったんだ。

あの洋服を着た渡瀬さんはきっと綺麗だろうな。だって渡瀬さんのために作ったんだから。でも、着てほしくないな。


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せっかくのフリルの袖が涙で濡れていくのを構わず廣瀬は目を擦った。泣き顔を必死に抑え込もうとしているようだった。

橘も目に涙をためていた。俺はまだだめだった。

しばらくの間待ち、廣瀬の呼吸が落ち着きそうな頃、店のドアが軽い調子に開く。

渡瀬さんは背筋を伸ばして廣瀬の方に一歩一歩近づいていった。止まりそうな涙がまた溢れ出し、俯いた廣瀬のスカートを濡らす。廣瀬の前で立ち止まった渡瀬さんはもう一度手を取り“どうかしら、似合う?”とにこやかに聞く。

「お似合いです。」無理やりの笑顔で嗚咽混じりの声で廣瀬が答える。

「ならよかった。花屋さん、ありがとう。」

廣瀬の手を離し、俺たちの方に向き直る。背骨一つ一つが強い意志を持ったような美しいお辞儀をする。

「はい!こちらこそありがとうございます!」

橘が大きな声でそれに応える。お辞儀は声の大きさに見合わずすごく静かだった。

手を離された廣瀬はもう一度渡瀬さんの手を取ろうとした。渡瀬さんは首を静かに横に振った。


棺桶には華やかな洋服をまとい、鮮やかな花々に囲まれた渡瀬さんが眠っている。

「純白が似合うと思ったんです。私、白ユリが一番好きで。でも、これじゃあ死ぬための服みたい…。」

廣瀬は奥歯をひどく噛み締めながらそう嘆く。

最後にラナンキュラスの花束を彼女の棺桶にそっと置く。


きっと明日も宇宙人に花束を。


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