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鏡は何も映さない  作者: 月坂唯吾
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第六章 囲まれた空間

「本日のメニューは、イアリアン海鮮サラダ、ハンガリー風グーラッシュスープ、パリパリ金目鯛と香草のバターレモンソース夏野菜のキャビア仕立て、シャラン産鴨胸肉のロースト赤ワインソースでございます」佐藤の説明と共に、豪華な料理が並べられる。高級なワインやシャンパンなどのアルコール類までもが用意されていた。

「食事まで手間と金をかけまくってやがる。一体何処の高級レストランなんだか。まあ、これに関してはありがたいがな」文句を言いつつ、嬉しそうに食事に手を付ける伊瀬知。

「この料理は誰が作ったんですか?」由衣はグラスを運ぶ佐藤に質問をした。

「全て私がお作りしました。お口に合えば宜しいのですが……」

「凄いですね。何処かのお店で修行なさったんですか?」

「ええ、赤坂の『ソン・ドゥ・ラ・プリュイ』という店で以前、料理長をやっていまして……」

「ソン・ドゥ・ラ・プリュイだって? 超高級店じゃないか!」

由衣は全く知らない店だったが、伊瀬知が驚く反応を見て凄いことだけは分かった。

「有名なお店なんですね」

「宮崎君、もしかして知らないのか? ミシュランの三ツ星店だぞ」伊瀬知は誰もが知っていて当然、といった口調だが、しがない一警察官でしかない由衣が、そんな高級店を知るはずもない。官僚でもなければ、お嬢様でも、金持ちのボンボンと交際しているセレブな女でもない。千円程の外食にすら躊躇する由衣の懐事情をまるで分かっていない。どんなにファストフード店と、スーパーの夕方の値引きシールがありがたいことか。

「昔のことでございます。私の作ったお料理を皆様に味わって頂けるだけで、今は嬉しゅうございます」そう言う、佐藤の価値観ですら由衣とはかけ離れているに違いない。

「もはや金さえあれば何でも出来るような気がするな。アホみたいな鏡だらけの家に、豪華ないくつもの部屋、一流シェフの豪華な料理に、海外のリゾート地のようなプール」伊瀬知はワインを片手に、半ばやけくそとも思われる言い回しで、華村家を皮肉った。

 その言葉の意外な部分に佐藤が食いつく。

「プール? 伊瀬知様はこの別荘のプールに行かれたのですか?」

「はい、私も伊瀬知さんとさっき行って来ました。凄く綺麗でしたよ。海外旅行にでも行った気分になっちゃいました」聞かれた伊瀬知ではなく、由衣が答える。

「鍵は開いていましたでしょうか?」

「えっ? 鍵って入り口のドアのことですか? それなら開いていましたけど……それがなにか」

「私はこの別荘に雇われて三ヶ月程経ちますが、プールと書かれたドアの先には一度も入ったことがなかったもので。普段はドアに鍵がかかっていて開かないようになっています。きっと旦那様か大駕様がこちらに来られてから、ドアのロックを解除したのかもしれませんね」

普段は開く玄関のドアが開かず、代わりに、普段は開かないプールの部屋のドアが開いている。華村大駕はゲームの為に皆を集めたはず。もてなす為ではないはずだ。ならば普段閉ざしているプールの部屋をわざわざ開放するはずもない。ということは、何かこれにも意味があるのだろうか。


「その様子では華村大駕は見つからなかったようですね」

食事を終えた沢村が、ワインを片手に伊瀬知の隣の席に腰を下ろした。

「ええ、全ての部屋を見て回りましたが、華村大駕も、外に出る出口も見付かりませんでした」由衣が伊瀬知の代わりに状況を説明する。

「では華村大駕は今、この別荘にいないということですか?」沢村は由衣の顔を見据え質問をした。

「いや、奴はこの状況をゲームと言っていた。奴はこの別荘の何処かに必ずいるはずだ。そして華村文雄を殺害したのも、恐らく華村大駕だ。絶対に見つけ出してやる」今度は逆に伊瀬知がその質問に答えた。

 皆そこそこアルコールを摂取してはいたが、今自分たちが置かれている状況を、伊瀬知や由衣、沢村の会話から理解したようだった。自分の身を守る為には皆と共にいるか、安全地帯だという自分の部屋に避難するしかない、ということも。しかし食事により一時、恐怖と不安から開放されたことだけは事実だった。皆の顔に笑顔が戻っていた。

柴咲は食事中も音楽を聴いているようであったが、音量が小さいのか、皆との会話は普通に行っていた。

「柴咲さん、何の曲を聴いているんですか?」由衣は柴咲に質問をしてみる。

「すみません。失礼ですよね。分かってはいるんですが、どうしても音楽が常にかかっていないと落ち着かなくって。曲はクラッシックです。バロック時代の曲。私にとっては普通に生活する為のヒーリングミュージックのようなものです」

「だから、どんな時も音楽を聴いているんですね。眠っている時も聴いているのですか?」

「さすがに眠っている時は聴いていません」

「そうですよね。すみません」

 由衣は今まで生きてきて、色々な人に出会った。一見すると変人だと思われるような、変わった人にも何人もあった。だが食べ物の好みや、愛する対象の好みが人それぞれ違うように人間も人それぞれなのだ。変人だと感じるのは自分の価値観と違うからであって、その人物においてはそれが日常。つまり変人などではなく普通なのだ。自分と違うから異常。その考え方自体が異常であり、変人なのかもしれない。


食事を終え、皆との会話や料理、アルコールを堪能した喜多川は佐藤に頼み、用意してもらった『シャトーマルゴー』とグラスを持ち、部屋に戻って行った。もちろん、深見美沙、神埼も一緒に食堂を出る。

それを見ていた柴咲も佐藤にワインを要求した。しかし柴咲はワインにそれほど詳しくはないのだろう。喜多川と同じものでいい、と指示を出すにとどまり、喜多川同様ワインとグラスを佐藤から受けとると、部屋に戻って行った。きっと柴咲は酒が欲しかっただけ。一本何万もするマルゴーではなく、国産の一本千円もしないワインでも満足したことだろう。味ではなく血中のアルコール濃度を高くしたいだけなのだ。何とも無駄な話。馬の耳に念仏ではないが、価値が分かっていない、という面では華村家よりも達が悪いかもしれない。

残された沢村は伊瀬知と由衣から執拗に捜査情報を聞き出そうとしていたが、それも無駄だと理解したのだろう。いつのまのか、そそくさと食堂を出て行った。

 食堂に残された伊瀬知と由衣は、少しでも情報を聞き出そうと佐藤に話しかけた。

「皆さんお部屋に戻られましたし、佐藤さんも一息付いてください」

由衣は沢村がさっきまで座っていた席にグラスを置き、ワインを注いだ。始めこそ遠慮していた佐藤ではあったが、「客の相手をするのも君の仕事ではないのかね?」という、伊瀬知の脅しとも思われる言葉によって、小さく微笑むと、かしこまりながらも席に腰を下ろした。


「地図に記載されている以外に、華村大駕が身を隠せる部屋などはありませんか?」由衣は佐藤に対して事情聴取とも思われる口調で質問を始めた。

「他にお部屋はありません。確証はありませんが、私は大駕様がいらっしゃるのはご自身のお部屋だと考えております。他にはどこもありませんから。大駕様は実際にお部屋の中にいらっしゃるのに、いないように見せかける為、ドアの上のランプの色を操作していると私は考えております。もちろん、そんなことが出来るのかどうかは私には分かりませんが」佐藤も用件は理解しているようで、自分の意見を含め、適切な答えを由衣に伝えた。

「パーティールームのソファーの下に床下収納のようなものがありましたけど、あれって中はどうなっているんですか?」

「それにつきましては、プールのお部屋同様、常に鍵がかかっておりまして、私も中を確認したことはございません」

「俺たちの部屋は、その部屋に登録した人以外は入れない、ということだったが、客が帰った後は部屋の登録を消去し、誰でも入れる状態に戻すのではないのか?」

さすが伊瀬知だ。考えてみれば当然のこと。一人が登録したら、その部屋がその人物にしか使えないのならば、たくさんの客を呼ぶことは出来ない。客室が初めに登録した六人しか使うことが出来ないなんて、あり得るはずがない。ということは、客が帰った後に登録を消去する方法が存在するということになる。

「もちろん、その通りでございます。その作業は私が任されておりますので確かです」由衣が初めに事情聴取のように質問した為なのか、それとも初めから聴取されていると思っているのかは分からないが、佐藤にはまるで一息付いている、といった様子はなく、むしろ余計にかしこまってしまっているように見えた。佐藤と伊瀬知の会話を由衣が客観的に聞いていても、伊瀬知が佐藤に対し、聴取しているようにしか聞こえなかった。

 何だか、一息付いてください、と座らせておきながら尋問をしているようで申し訳ない、という気持ちが由衣の心の大半を占め始めていた。

「じゃあ華村文雄と華村大駕の部屋にも登録を消去さえすれば、俺たちでも中に入ることが出来るということになるな?」

「はい、おそらくそうなります。私の雇い主ということもあり、私が選択することは出来ませんが、伊瀬知様がどうしても、ということであれば」

「では早速だが、今からやってもらえないか?」

「はい。かしこまりました。旦那様が殺害され、警察にも連絡出来ない状況である以上、私に出来ることでしたら御協力させていだきます。では鍵の用意をしてまいりますので、少々お待ち頂けますでしょうか?」

「ああ、それとセロテープのような物があれば貸して欲しい」

「分かりました。一緒に持ってまいります」

もはや二人の会話を見守るだけとなっていた由衣は、二人の関係、調べる側と、調べられる側としての話が終わったことに、なぜだか安心感のような物を抱いていた。

 伊瀬知は、背を向けウッドデッキから降りかけている佐藤に向かい声をかける。「部屋の顔認証の登録を先に行ってから向かう。十五分ほどしたら、華村大駕の部屋の前で落ち合おう」

 伊瀬知の言葉からは、もはや先程のような関係性を感じさせることはなかった。佐藤も振り返り、軽く会釈をするにとどまった。


伊瀬知と由衣は、まず由衣に与えられた客室へと向かった。部屋の顔認証システムの登録を済ませる為だ。これから、華村大駕と華村文雄の部屋に向かう。中には何があるか分からない。何もないかもしれないが、自分の部屋が唯一の安全地帯ということならば、いつでも中に入ることが出来るように準備しておいた方がいい、と考えたからだ。

由衣に割り当てられた部屋は二号室。二号室と書かれたドアの横には十九インチ程のモニターが取り付けられていた。ドアの鍵穴に佐藤から渡された鍵を挿し込み捻る。モニターからは「ピコン」という電子音が聴こえた。モニターの画面に目をやると、「新規登録です」という文字と、三つの丸が表示されていた。その下には「目、鼻、口を画面の丸に合わせてください」と書かれている。きっと、この画面に由衣の顔を合わせれば良いのだろう。指示通り由衣は画面の丸印に顔を合わせた。しばらくすると、再び「ピコン」という音が鳴り、「登録、認証されました」という文字が画面に表示された。「ガチャリ」と部屋の鍵が開いた音がする。由衣は伊瀬知と顔を見合わせ、お互いに頷くと、部屋のドアを開き、一人中へと足を踏み入れた。

 

中には他の部屋同様、一畳のスペースと引き戸があり、由衣は特に何の感想も持つことなく、奥の部屋へと進んだ。部屋はごく普通のビジネスホテルのシングルルームのような造りであった。但し部屋に窓はなく、やや息苦しいような印象を受ける。トイレに、小さなクローゼット、ベッドにテーブル、テレビ、ソファー。特に得もなく不可もなく、といった普通の部屋……ただし、そこまでは。普通の部屋ではない点。それはバスルームの存在であった。バスルームだけはミラー オブ ハウスを象徴するように全面鏡張りで、全面に由衣の姿が写し出されていた。いったい何処のラブホテルなんだか、といった悪趣味な造り。まあ部屋としての役割は充分果しているので、贅沢は言えないが。由衣は一通り部屋の中をチェックすると、伊瀬知の待つ廊下へと、いや鏡の迷路へと戻った。

その後、同じように伊瀬知の部屋の登録も済ませ、二人は佐藤と待ち合わせをしている華村大駕の部屋へと向かった。

 

華村大駕の部屋の前には既に佐藤が到着し、二人を待っていた。相変わらず華村大駕の部屋のドア上部には不在を示す緑色のランプが点灯している。伊瀬知は佐藤からセロテープを受け取ると、すぐに部屋の登録解除をお願いした。

佐藤が華村大駕の部屋のモニターにカードキーのような物を挿し込むと、モニターには「登録を解除しますか?」との文字が表示された。佐藤は迷うことなく「はい」という文字をクリックする。画面はパスワード入力画面へと移行し、佐藤はメモを見ながらランダムな七桁の英数字を入力した。登録した時と同じ「ピコン」という音と共に、画面には「登録を消去しました」と、表示され、「ガチャリ」と、ドアの辺りからロックが解除された音が聞こえてきた。

「解除が完了いたしました。これでどなたでも中にお入りになれます」佐藤は振り返ると、言った。

しかし由衣は即座に行動を起こすことを躊躇った。いざ解除された、と言われても感電死が怖いからだ。もしかしたら、という可能性もある。本当に電流が流れることはないのだろうか。佐藤を疑う訳ではないが、佐藤すら華村大駕に騙されている、という可能性だってある。由衣が佐藤の言葉に直ぐに反応出来ず、どぎまぎしていると、由衣の前に伊瀬知が立ちはだかり、迷うことなくドアノブに手をかけた。どうやら部屋の中に入ろうとしているようだ。

「伊瀬知さん、怖くないんですか?」

「何がだ?」

「だって、もし部屋に入って電流が流れたら死んじゃうんですよ」

「俺たちはだからこそのコンビだろう。俺に何かあっても君がいる。お互いを信じているからこそ命をかけられるんだ。例え俺が死んでしまったとしても、俺は君が仇を打ってくれる、と信じている。事件を解決してくれると。俺にとっては君がただ一人のパートナーだからな。それが本当の意味でのコンビってやつだ」由衣は伊瀬知の覚悟や、由衣を認めてくれている、というような伊瀬知の言葉に反省し、自分を恥じた。本来ならば刑事である由衣こそが、伊瀬知のような考えを持たなくてはならないのだ。

伊瀬知は一畳ほどのスペースを進むと、躊躇うことなく引き戸を開け、部屋の中へと入って行く。だが部屋へと足を一歩踏み入れた途端、伊瀬知は苦しみの声を挙げた。

「うぎゃー!」伊瀬知の体はプルプルと震えている。恐らく電流が伊瀬知を襲っているのだ。やはり華村大駕の罠だったのだろうか。

「伊瀬知さん!」由衣はどうすることも出来ず、伊瀬知の名前を叫ぶことしか出来なかった。

半ばパニック状態になり、あたふたとする由衣。すると伊瀬知の様子が激変した。

なんと伊瀬知は笑顔で振り返ると「なんて、なっ!」、と言い、何事もなかったようにスタスタと部屋の奥へと進んで行ったのだ。

「えっ? 伊瀬知さん、電流は?」

「っんなもん解除したんだから大丈夫に決まっているだろう」

「伊瀬知、死ね!」由衣は心の中でそう叫んだ、つもりであった。だが実際は、あまりの憎しみから言葉として発していたようである。

「殺されるのは困るな。俺が死に、そして君が犯人では、誰がこの事件を解決するんだ。アホなことを言っていないで仕事するぞ」

「誰のせいですか!」

 由衣の言葉を無視し、奥へと進む伊瀬知を追い、由衣も華村大駕の部屋へと足を踏み入れた。ただし華村大駕が何処かに隠れ、襲ってくる可能性もあるので警戒は怠らずに。

 ある程度予想はしていたが部屋の中に華村大駕がいることはなかった。部屋には隠し通路のような物もなく、間取りも客室と同じであった。もちろんバスルームが鏡張りなのも同じだ。部屋の中には特に何か事件のヒントとなるような物はなく、玄関のドアやプールの部屋のドア、パーティールームにあった床下収納などを操作するような物も存在してはいなかった。一応華村大駕の部屋の電話も確認してみたが、娯楽室同様、外への通話はもちろん内線すら使用出来なくなっていた。

 由衣は一旦部屋の外、鏡の迷路まで戻り、ドアを閉める。ドアの上部に目をやると、ランプは人が部屋の中にいるという赤い色を示していた。部屋にはまだ伊瀬知と佐藤がいる。ランプは正常に作動しているようだ。ということは前回ここに来た時も、華村大駕はランプが示していたとおり不在だった、ということになる。では、華村大駕は一体何処にいるのだろうか。そもそも本当にこの別荘の中にいるのであろうか。

 由衣が一人、ドアの前で思案していると、部屋の中を探索し終えた伊瀬知と佐藤がドアを開け出てきた。

「なんだ、こんな所でサボっていたのか」そう悪態をつくファッションセンスのない男は、意気がりながらも若干体調が思わしくないように見える。おそらく部屋の中で共感覚と四色型色覚を使い、華村大駕の痕跡でも調べたのだろう。具合が悪いなら悪いらしく、悪態などつかず、大人しくしていれば少しは可愛いものの。まあ、それが伊瀬知らしさでもあるので仕方がない、といえば仕方がないが。

「次は華村文雄の部屋ですね」

「ああ」由衣の言葉に返事をしながら、伊瀬知はドアの前にしゃがみこんだ。

 具合が悪いのかとも思われたが、伊瀬知をみると、何やらセロテープを、ドアの下と床を繋ぐように、貼りつけている。見た目ではセロテープが貼ってあることすら分からない。

「何をしてるんですか?」

「分からないのか? 華村大駕は部屋の中にいなかった。だが零時までには必ずやつはこの部屋に戻って来るはずだ。鏡の迷路の配置換えが行われるからな。だから人の出入りがあったかどうかが分かるように、トラップを仕掛けているんだ。もしも人の出入りがなかったとしたら、華村大駕はこの別荘にいないか、他に地図にない部屋があるか、鏡の迷路の稼働を回避する方法があることになる」

「なるほど。さすが探偵ですね」警察官とはまるで動きが違う。由衣にとっても伊瀬知とコンビを組むことは勉強になることが多いようだ。


その後、同様に華村文雄の部屋も調べたが、特に手掛かりになるようなものは何も見付からなかった。電話も調べたが、娯楽室や華村大駕の部屋同様、外への通話も内線も繋がらない状態になっていた。


華村文雄の部屋を調べ終わると、佐藤は零時までに片付けを終わらせなければいけないから、と食堂に戻って行った。零時になると鏡の迷路が稼働してしまう。それまでに部屋に戻らなくてはならないからだ。

華村親子の部屋を調べることはできた。華村大駕が部屋にいない、と確認できただけでも収穫は多い。

残された時間ではたいした捜査も出来ない。伊瀬知と由衣も、それぞれの部屋に向かうことにした。


「共感覚と四色型色覚を使って何か分かったんですか?」由衣は伊瀬知の後ろを歩きながら話しかけた。

「華村文雄の部屋の中には最近のオーラはなかった。昨日この別荘に来てからは一度も部屋に入ってはいないはずだ。華村大駕の部屋には、最近付いたと思われる紫色のオーラが付着していた。少なくとも深見美沙の件で佐藤が部屋に電話をかけた時までは部屋にいたことになる」

「本当に今もこの別荘の中にいるんですかね? それにしても伊瀬知さん、頻繁に能力を使っていますけど大丈夫なんですか?」

「大丈夫な訳ないだろう。辛いことは君も見ていて気が付いているはずだ。多少薬がまだ効いているとはいえ、呼吸困難だけはかなわない」

「傍から見ると分かりませんが、パニック発作って思ったより辛いんですね」

「まあ、味わったやつにしか分からんさ。発作の辛さと恐怖はな」

伊瀬知は今も具合が悪いのだろうが、鏡の迷路を記憶しているだけあって、迷うことなく的確に迷路を進んでいく。由衣は母親の後を付いていく幼い子供のように、伊瀬知のその背中を追いかけた。


数分後、到着した場所は玄関であった。

「あれ? 部屋に行くんじゃなかったんですか?」由衣は玄関扉の辺りにしゃがみ込む伊瀬知に、頭上から声をかけた。

「ああ、事を済ませたらな」伊瀬知は華村大駕の部屋の時と同じように、セロテープを玄関扉の下と床を繋ぐように、貼りつけている。

「またトラップですか?」

「華村大駕がこの別荘の外にいる可能性もあるからな」

「なるほど。華村大駕の居場所を絞り込むんですね」由衣が納得すると、伊瀬知は「よしっ」という小さい掛け声とともに、立ち上がった。


今度こそ部屋に行くのかと思ったが、どうやら伊瀬知が向かう場所は別のところのようであった。道が分からない由衣でも部屋に向かっていないということは理解が出来た。他にもトラップを仕掛けるつもりなのであろうか。

 伊瀬知は突然立ち止まると、壁と化している鏡に向かい、考えているような仕草をみせる。次いで、鏡の表面をコンコンと叩いたり、押してみたり、引いてみたり、鏡にライターの火を近付けてみたりと、何やら確認を始めた。由衣にはどれも同じただの鏡にしか見えないのだが、伊瀬知には何か気になる点でもあるのだろうか。しばらく鏡を確かめると、伊瀬知はまた場所を移動し、そしてまた鏡を調べる。そうして十ヶ所程の鏡を調べると、伊瀬知はまた考え込んだ。

「伊瀬知さん、さっきから何をしているんですか?」

「君は何も分からず付いてきていたのか?」伊瀬知の言葉には、驚きと、呆れたという二つの感情が込められているようだ。

「はい、全く分かりません。教えて下さいよー。コンビじゃないですか」もはや羞恥心などは感じていられない。由衣は伊瀬知に甘えて見せると、答えを求めた。

「鏡の迷路の地図は持っているか?」

「はい、ここにあります」由衣はポケットから地図を取り出し、伊瀬知に見せた。

 伊瀬知は由衣から地図を受け取ると、胸の内ポケットから赤ペンを取り出し、地図に点を打ち始める。

「今行った場所はこの点の位置だ。零時まではあと十分程ある。急いで部屋へ戻るぞ」

伊瀬知は地図を由衣に返すと、さっさと迷路を歩き出した。

「えっ? 教えてくれるんじゃ……」

「少しは自分で考えろ。そこまで教えれば、馬鹿でも分かるはずだ」


伊瀬知は多少発作が落ち着いたのか、部屋へと向かう途中、大きなあくびをした。

「少し飲み過ぎたかもしれないな」伊瀬知はそう言うと、眠そうに目を擦りながら首を回す。

「確か漆原さんから伊瀬知さんはお酒が飲めない、と聞いていたんですけど、漆原さんの勘違いだったみたいですね」

「いや、間違いではない。俺が飲んでいる薬はアルコールを摂取すると副作用が強くなると言われているんだ」

「でも伊瀬知さんお酒飲んでいましたよね?」

「副作用の辛さと、酒の誘惑。天秤にかける程のことでもないだろう」伊瀬知はさも当然といった様子で、振り返りもせずに答えた。

「副作用ってどんな感じなんですか?」

「激しい偏頭痛や吐き気、極度の眠気などだ」

「伊瀬知さんはその辛さよりもお酒を取るんですね」

「なんだ、文句でもありそうな顔をしてるな」

伊瀬知の発作の辛さは由衣には分からないが、辛い発作よりもどうやら伊瀬知はお酒をとるようだ。一般的に酒好きはあまり甘いものを好んで食べない、と聞くが、伊瀬知はショートケーキも酒も好きなようだ。由衣の予想では、伊瀬知の好きなものは一番がショートケーキ。二番が酒。といったところだろう。きっとこの二つは発作よりも優先される。そう考えると、発作は伊瀬知にとってそれほど辛いものではないのではないか、という気さえしてくるから不思議だ。


由衣は伊瀬知に連れられ、部屋へと戻った。

伊瀬知は「何かあったら内線で連絡してくれ」という言葉と共に、「点の内側は何もないと思って、地図をよく見てみろ」という言葉を言い残し、自分の部屋へと向かって行った。何だかんだ言っても、先程のヒントと思われる言葉を残す。伊瀬知という男は口が悪いが憎めない男だ。

 

由衣は部屋の時計の針が零時を回ったのを確認すると、部屋の引き戸をチェックした。

引き戸の鍵は、鍵を開けても閉めてもロックされており、開くことはなかった。佐藤の言うとおり、鏡の迷路の配置が変更される為に、朝までは何をしても開かないのだろう。

 特にすることもない。シャワーでも浴びてから、伊瀬知に出された問題に向き合うとでもしよう。


「う~ん……」由衣はシャワーを浴び終え、伊瀬知が与えた問題に向き合っていた。赤い点は地図の中央部に集中している。伊瀬知は「点の内側は何もないものと思って、地図をよく見てみろ」と、言っていた。

「あれ?」何かが分かった気がしてきた。赤い点を結んでみる。丁度、地図の真ん中に正方形の赤い四角が出来た。伊瀬知に言われたように四角形の中は何もないと考え、地図とのにらめっこを始める。

「あ~っ! 分かった!」正方形の中にも迷路はあるものの、正方形の中に入る道はない。つまり、もし正方形の中に書かれている地図上の鏡が存在していないとするならば、正方形の中には二メートル×二メートル程の小さいスペースが存在することになる。もしここに華村大駕がいるとしたら……でもスペースが狭すぎる。一日中そこに隠れているというのもやや無理があるだろう。伊瀬知は中に隠れられるスペースが存在する、という可能性を考え、中に入る方法がないか調べていたのだ。確か今日の鏡の迷路は地図のパターン2だ、と佐藤は言っていた。ではパターン1の時とパターン3の時も中央部に部屋が存在する可能性はあるのだろうか。由衣は他のパターンの地図とも、にらめっこを開始する。

 結論から言うと、他の二つのパターンの地図上にも、中に入ることの出来ない正方形が存在していた。場所は二つともパターン2と同じ中央部。ただし大きさはパターンによってまちまちであった。パターン2では二メートル×二メートル程であったが、パターン3では三メートル×三メートル程、パターン1に至っては五メートル×五メートル程の中に入ることの出来ない正方形が存在していた。パターン1ならば楽々隠れることが出来る。だが物は置けない。何故ならば、鏡の迷路は稼動するからだ。パターン2になった場合、二メートル×二メートル程の狭さになってしまう。鏡の迷路や玄関ドアの操作はもちろん、トイレも食事を作ることも出来ない。これでは隠れ続けるのは無理だ。

 とにかく、伊瀬知の謎の行動は理解が出来た。明日、伊瀬知に確認をしてみよう。

 時計の針は午前二時をまわっている。何が起こるか分からないので、由衣は部屋の電気は付けたままベッドに入り、眠りについた。


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