第五章 殺人
動揺している皆を仕切るのは伊瀬知だった。さすがにこんな状況には慣れているのだろう。伊瀬知は佐藤にこの別荘についての質問を始める。
「この別荘の中は携帯電話の電波が届かないようだが、家全体が圏外なのか?」
「はい。意図的に圏外になるように造ってあると、以前旦那がおっしゃっておりました」
「この別荘に固定電話は?」
「ええ娯楽室と、旦那様のお部屋、そして大駕様のお部屋にはあります。しかし私を含め、他の方のお部屋には入ることが出来ませんので、実質使用できる電話は娯楽室の電話のみとなります。皆様の各お部屋にも電話はございますが、そちらは内線のみになります」
「先程の話だと鏡の迷路のパターンは三パターンということだったが、それぞれの地図などは持ってないのか?」
「地図でしたら皆様のお部屋のプリンターから印刷することが可能です。また私も常に所持しております」伊瀬知の問いに佐藤が答えた。
「今現在も所持してるんだな?」
「はい」
「その三パターンの地図は全員が持っていた方がいい。全員分、地図をコピーすることは可能か?」
「はい。只今、娯楽室にてコピーして参ります」佐藤はそう言うと、急いで談話室を後にした。
すると小声で伊瀬知が由衣に話しかける。
「今から共感覚と四色型色覚を使い、全員のオーラの色を調べる。佐藤が戻ってきたら佐藤のオーラも調べるから、その時点で俺が元に戻らなかったら戻してくれ。後は任せる」伊瀬知はそう言うと、椅子をガタガタと揺すり、楽しんでいるように笑い出した。
「伊瀬知さん。どうかされましたか?」伊瀬知の行動を不審に思ったのか、柴咲が言った。
「大丈夫です。彼は今、ある能力を使い捜査を始めたところです。しばらくの間、小さな子供のようになりますが、お気になさらないように。また失礼な言動をする恐れもありますがご了承願います」
「確か前にお会いした時もそうでしたよね」由衣の言葉を聞き、神埼が言った。
「はい。その節は申し訳ありませんでした」
「もうしわけないんですか~」伊瀬知が由衣の言葉を繰り返す。人の気も知らず、気楽なもんだ。
「伊瀬知さん。そんなことよりオーラの色を教えてください」
伊瀬知は辺りを見回すと、一人一人を指差しながらオーラの色を答えていった。
「水色。グレー。オレンジ。藍色ですよ」前に聞いていたとおり、水色が喜多川、グレーが神埼である。あとはオレンジが柴咲、藍色が沢村であった。由衣はさりげなくメモを取る。
佐藤が戻ったのはそれから五分程してからだった。その間、伊瀬知はブツブツと独り言を言い続けていたが、引き戸が開いた途端、佐藤を見て指を差した。
「黄色ですよ」
佐藤のオーラは黄色。これで全員のオーラの色の確認が終わった。
「伊瀬知様。どうかなさいましたか?」なんの説明も受けていない佐藤は驚いた様子だ。
そんな佐藤を尻目に、伊瀬知は体を揺らしながら、ニコニコと笑い続けている。
どうやら伊瀬知は自分で戻る気がないようだ。
「もう戻っていいですよ」由衣は伊瀬知に囁いた。
「え~っ、戻るんですか?」伊瀬知は由衣の気遣いを無駄にするかのように、大声で復唱する。
「はい、戻ってください」普通に答える由衣。
由衣の言葉を聞き、伊瀬知は静かに目を閉じた。
娯楽室にある電話は受話器を持ち上げても何の音も聞こえず、通話不能になっていたという。
佐藤は全員に三パターンの地図と客室のカギを配り始めた。ここでやっと別荘の全貌を全員が把握することとなる。地図には鏡の迷路の他に、一号室から六号室までの客室、華村文雄の部屋、華村大駕の部屋、佐藤の部屋、青の談話室、赤の談話室、食堂、娯楽室、プール、シアタールーム、パーティールームなどの各部屋の場所も記されていた。
「本日の鏡の配置はパターン2になります」佐藤が全員に地図を配り終わると言った。
「何だか、ややこしいですね」由衣は、伊瀬知に語りかける。
「……」伊瀬知は何も答えず、地図を凝視し続けている。
一分程すると、今度は伊瀬知が由衣に話しかけてきた。
「難しいですか? 難しくないですか? 僕には簡単なんですよ」その話し方は伊瀬知が能力を使用中の時と同じ。
あれ? さっき元の伊瀬知に戻ったと思ったのに。気のせいだったのであろうか。
「伊瀬知さん、もう能力は使わなくていいんですよ」由衣は伊瀬知が理解できなかったのかと思い、今度は分かりやすいよう、ゆっくりと話した。
由衣の言葉を聞いた伊瀬知はゆっくりと目を閉じる。
そして一呼吸置くと、伊瀬知は目を開いた。伊瀬知は目を開いたとたん、眉間にシワを寄せ、怪訝な表情を見せる。
「すまん。短い時間だから続けて使っても大丈夫かと思ったが、結構辛い」
「えっ? 共感覚と四色型色覚を使った直ぐ後に、また何かの能力を使っていたんですか?」
胸を抑え、苦しそうに大きく呼吸をしながら、伊瀬知はそれに答える。
「ああ、いちいち地図を見るのが面倒だから、サヴァンの能力を使って三パターンの地図を全て記憶した」
「能力を解除しても、サヴァンの能力で一度覚えたことは覚えていられるんですか?」
「ああ、それくらいならば大丈夫だ。まあ何万桁の数字だの、難しい暗算を瞬時に解く、というようなものに関してはサヴァンの能力を使っていないと無理だがな」
「成る程、便利ですね。その辛そうな苦しみさえ無ければ……」
「ああ、だから今はなるべく話しかけないでもらえると助かる」
そんな伊瀬知の異常に気が付いたのか、佐藤が再び声をかける。
「伊瀬知様、本当に大丈夫ですか?」
苦しみながら伊瀬知に答えさせるのもあまりに可哀想なので、由衣が代わりにそれに答える。
「大丈夫です。彼には持病がありまして。ただ薬もありますし、一時的な物なのでお気になさらずに」
伊瀬知のことが気になっていたのか、由衣の言葉を聞くと、皆が再び手元の地図に目を落とし始めた。
先ずはこの別荘のことについて、もっと知らなくては。と考えた由衣は佐藤に質問を始める。
「では、佐藤さん。私からも幾つか質問させてもらってもいいですか?」
「はい。なんなりと」
「玄関以外に出入口はないのですか?」
「はい。私が知る限りはございません」
「では、華村大駕さんは今どちらにいるか分かりますか?」
「いえ、昨夜旦那様と一緒にこちらにいらしてからは、お姿を拝見してはおりません。しかし昨夜喜多川様から深見美沙様をお連れになりたいと御連絡をいただいた際、確認の為、大駕様のお部屋にお電話を繋いだところ、お出になりましたので、恐らくは現在もお部屋にいらっしゃると思います」
「社長の華村文雄さんもお部屋にいらっしゃると思いますか?」
「お出かけになった御様子はありませんので、恐らくはお二人とも御在宅かと」
息子がゲームと称し、こんな馬鹿げたことを行っていることを華村文雄は知っているということなのだろうか。ということは息子が殺人傷害事件を起こした犯人だということも。
「ならば和奈を殺した犯人が華村大駕だと分かった以上、先ずは華村大駕の部屋に行ってみませんか?」もちろん、そう主張したのは沢村であった。
犯人がそこにいる可能性がある以上、華村大駕を逮捕するため、警察官として由衣は向かわなければならない。そして目的はどうであれ、沢村が華村大駕の部屋に行きたい、と申し出たことも理解出来なくはない。玄関ドアにロックをかけたのが華村大駕ならば、部屋に玄関ドアのロックを操作する物が存在するか、彼がそれを所有している可能性も高い。ならば、次に行かなければならない場所は華村大駕の部屋。
「そうですね。では華村大駕の部屋に向かいましょう」
「ヤダ! 私は行かない。ここで待っています」由衣と沢村の会話を聞いていた喜多川が言った。
「なら私もここで待たせてもらいます」続くように神埼。
「では、私もここで待たせていただきます」そう言ったのは、なおも耳にイヤホンをつけ、音楽を聞いている柴崎。
深見美沙は椅子に座ったまま、眠いのか、目を閉じている。
「じゃあ、伊瀬知さんもここで待っていますか?」
「いや、俺は行く。もう落ち着いてきたから大丈夫だ」
華村大駕の部屋へと向かうのは、伊瀬知と由衣、佐藤に沢村の四人。逆に喜多川、神埼、柴咲、深見美沙はこの談話室で待っているということになった。おそらく喜多川は面倒臭さから、神埼、柴咲は沢村と一緒にいることが嫌だったからだろう。
各々の心情や感情は仕方がないことだ。だが犯人だけは仕方がないでは済まされない。犯人……華村大駕だけは。
由衣は皆と共に華村大駕の部屋に向け足を進めた。とはいえ、部屋の中に華村大駕がいたとしても、中に入ることはもちろん、存在すら確認出来ないかもしれない。顔認証システムがあるからだ。
華村大駕の部屋に行くには三分程の時間がかかった。
部屋の前に着くと、佐藤が残念そうに言う。
「大駕様はお部屋にいらっしゃらないようです」
「何故、分かるのですか?」由衣のその質問には伊瀬知が答えた。
「おそらく、あの緑色だろう。不在が緑、在室は赤そんなところだろう」
「さすがは優秀な探偵様です。他の部屋には入ることが出来ませんので、ランプで在室かどうかを確認出来る仕組みになっております」
確かに部屋のドアの上部を見ると、緑色のランプが点灯している。
「このドア以外に出入口はないのですか?」由衣が再び質問をする。
「おそらくはないかと。というのも、私もこれまで大駕様と旦那様のお部屋には入ったことが一度もございません。顔認証システムを解除すれば入れるのですが、一応雇い主ですので許可がありませんと……。ですから宮崎さん同様、私にも分からない、というのが正直な所で御座います」
「でもこの部屋の中に華村大駕はいない。他の客室にも入れない、ということは、華村大駕が現在いる部屋は限られますよね?」伊瀬知が言った。
「ええ、青の談話室、赤の談話室、シアタールーム、娯楽室、プール、パーティールーム、食堂のいずれかだと思います」
「じゃあ、一度先程の青の談話室に戻りましょう」由衣が伊瀬知に提案すると、伊瀬知はやや怪訝そうな表情を見せた。
「何故だ?」納得が出来ないようだ。
「華村大駕が部屋にいないということは、華村大駕が先程の青の談話室に現れる可能性もあります。喜多川さん、神埼さん、柴咲さんが襲われないという保証がない以上、一度彼等と合流すべきです」
「成る程、事件解決を目的とする探偵と、人命を守ることを優先する警察との意見の相違、という訳か。仕方がない。雇われている俺は君に従うしかないようだ」若干気に触る言い回しではあったが、伊瀬知は由衣の意見を受け入れたようだ。
急いで来た道を引き返すと、勢いよく青の談話室の引き戸を開けた。
「きゃあー」突然神埼の叫び声が響き渡る。
聞こえてきた叫び声に、由衣は咄嗟に身構えた。
しかし、神埼の視線は、こちらに向けられている。なんてことはない。神埼は突然勢いよく引き戸を開けて入ってきた由衣たちに驚き、叫んだだけであった。
喜多川は神埼の叫び声に驚くこともなく、椅子に座り紅茶を飲んでいる。深見美沙にいたっては眠ったまま身動きすらしなかった。
「驚かせてすみません。あれ? ところで柴咲さんは?」由衣は二人に質問をした。
部屋を見渡したが、柴咲の姿が見当たらないのだ。
「柴咲さんなら、皆さんが出て行ってから少し経ってから、『やっぱり私も行ってみます』と言って部屋を出て行きましたよ」喜多川が落ち着いた声で答える。
「でも、私たちは華村大駕の部屋に行って来ましたが、途中で会いませんでしたよね?」由衣が伊瀬知にそう言うと、伊瀬知は少し焦ったように佐藤に訊ねた。
「この部屋に一番近い、客室以外の部屋はどこだ?」
「おそらく赤の談話室だと思います」佐藤が急いで答える。
「柴咲が危ない! 急いで行くぞ!」伊瀬知はそう言い放つと、急いで部屋を飛び出した。
伊瀬知は地図を記憶している。由衣は後に付いて行くのがやっとであった。今回は伊瀬知の様子から何かが起こっている、と判断したのか、先程は青の談話室を離れることのなかった人たちも、全員同行した。一分程たったであろうか、ドアに『赤の談話室』と書かれた部屋に辿り着く。伊瀬知は躊躇うことなく、ドアを、そしてその先の引き戸を急いで開けた。
部屋は青の談話室と同じ造りで、天井や床、椅子の生地などは青の談話室とは対照的に赤に統一されていた。だが、この部屋には青の談話室とは明らかに違う箇所が存在している。それは赤い部屋のインテリアと見間違う程に赤く染まる、男性の血塗れの死体であった。
「きゃあー」神埼の叫び声が部屋に響き渡る。
「伊瀬知さん、あれは……」質問した由衣にも、何が起こっているのかは分かっていた。「ああ、社長の華村文雄だ」伊瀬知は冷静に答えると、死体を観察し始めた。
「どうして華村文雄が……」由衣は言葉を失う。
「だっ、旦那様!」佐藤は慌てふためき、どうしていいのか分からない、といった様子を見せている。
「華村文雄さんと今日は会ったか?」死体を調べながら、佐藤に質問をする伊瀬知。
「いえ今日はまだ旦那様とも、大駕様ともお会いしてはおりません。それと私は少し前までこの部屋にいましたが、その時は旦那様のご遺体などはここにありませんでした」佐藤はパニックになりながらも、質問には的確に答えた。
「この部屋にいたのか?」
「はい。ちょうど伊瀬知様と宮崎様がいらした時に、私はこのお部屋におりました。玄関のベルが聞こえて出て行きましたが……」
「ということは華村文雄が殺されたのは俺たちがここに来てからの小一時間の間ということになる。これだけ刺されれば、華村文雄の断末魔は相当だったはず。いくら何でも同じ別荘内にいて、俺たちが叫び声に気が付かない、というのはおかしくないか?」伊瀬知は独り言のように考えを口に出した。
「殺されて間もないのでしたら、柴咲さんが殺したんじゃないんですか?」喜多川が伊瀬知の独り言に答えるかのように言った。
「いや、そうとも限らない。第一、柴咲さんには華村文雄を殺す動機がない。殺したいと思うなら、むしろ脅してきた華村大駕の方を狙うだろう」
正当な理由で自分の意見を否定され、再び考え込む喜多川。
「じゃあ、沢村さんが殺したんじゃないんですか? 華村文雄は華村君の父親な訳だし、娘を殺した犯人の親なら、殺したいと考えてもおかしくないんじゃない?」喜多川は沢村に厳しい視線を送りつつ、再び伊瀬知に自分の推理を披露した。
「ああ、それならば動機としてはおかしくはない。だが、沢村さんは俺達とずっと一緒だった。沢村さんに犯行は無理だ。それに犯行動機もアリバイもない、という面では柴咲さん同様、喜多川さんと神埼さんも容疑者ということになる」
伊瀬知の言葉を聞き、喜多川はやっと静かに口をつぐんだ。
華村文雄の遺体は、赤の談話室の椅子に項垂れたような状態で腰をかけ、腕を力なく床へと垂らしていた。背中上部に複数の刺し傷があり、そこから流れ出した血が顔以外の体を赤く血に染めている。床には指先からポタポタと垂れる血が赤黒い楕円を描いていた。佐藤の話が本当だとすると、殺されて間もないはず。でもそれにしては、飛び散った血が乾いてきているのが気になる。
「宮崎君。少しだけ調べたい。二分ほどしたら俺を戻してくれ」伊瀬知は共感覚と四色型色覚で、部屋の中に残されたオーラを調べるつもりなのだろう。
由衣は現場保存という名目で、四人には部屋の外へと待避してもらった。
伊瀬知は全員が部屋の外に出る前に能力を使ったのであろう。二人きりになると「今、おっぱい大きい先生いたね」と、由衣に笑顔で微笑んだ。
伊瀬知はキョロキョロと部屋を見渡すと、引き戸、部屋の隅々、そして華村文雄の遺体周辺などを調べてまわる。伊瀬知は何やらぶつぶつと独り言をいいながら、時には笑い声をあげ、時には誰かと会話をしているような仕草を見せた。
由衣は腕時計で二分が経ったのを確認すると、伊瀬知に語りかける。
「伊瀬知さん、二分経ちました。もう戻っていいですよ」
その言葉を聞き、由衣の元に戻って来る伊瀬知。
「えっ? 微乳ですか? 巨乳ですか?」笑顔で由衣を見る伊瀬知。
こいつ、わざと言っているのだろうか? 由衣はゴツン、と軽く伊瀬知の頭を小突いた。
「ごめんなさい。微乳ですか」
「いいから早く戻って下さい」
「もう駄目ですかー。微乳だからですか?」
由衣が再び拳を上げると、伊瀬知は急いで目を閉じた……。
「駄目だ……どういうことだ?」目を開けた途端、クールになる伊瀬知。
「どういうことだ? じゃねえよ! このエロ探偵」由衣は小声よりやや大きな声でそう突っ込んだ。
「おかしい……」考え込んでいる伊瀬知。
おかしいのはお前だ、と言いたい所だが我慢し、由衣は伊瀬知に質問をした。
「何がですか?」
「ああ。華村文雄のオーラの色は煙のような薄い白。この部屋には新しい華村文雄のオーラの色と、直前まで部屋にいた佐藤のオーラの色である黄色がたくさん付いている」
「当たり前じゃないですか」
佐藤は直前まで部屋にいたわけだし、華村文雄はこの部屋にいて殺されたのだから、オーラの色があちこちに付いていても不思議ではない。
「いや、不思議なのはそこじゃない。この部屋には薄い白と黄色以外の最近付いたオーラの色がないんだ」
「どういうことですか?」
「分からないのか? 華村文雄と佐藤はこの部屋にいた。そして華村文雄を殺した犯人も。では何故、華村文雄と佐藤以外のオーラの色が見えない。華村文雄を殺した人物のオーラの色が見えないのはおかしい」
「あっ、言われてみればそうですね」
由衣が理解したことを確認すると、伊瀬知は言う。
「考えられることとすれば、華村文雄を殺したのは、佐藤か華村大駕のどちらかだということくらい」
それを聞いた由衣は疑問をぶつける。
「何故、華村大駕が殺した可能性があるのですか?」
「忘れたか? 華村大駕は俺が共感覚と四色型色覚を使えることを知っている。華村大駕が犯人なら、どこにも触ることなく犯行を行うはずだ。しかも華村文雄が自らドアを開け室内に導き入れるような人物。背後に立たれても警戒しない人物。そう考えると華村大駕が犯人の可能性が一番高い。そう考えれば筋が通る。もちろん佐藤が殺したという可能性も否定はできないし、華村大駕をかばっている、または二人が共犯という可能性もあるが」
「でもそれだと動機が見当たらないですよね?」
「まあ現時点ではな」
いずれにしても確証はない。ハッキリとしていることは、華村文雄が殺されたということ。そして柴咲と華村大駕の居場所が分からない、ということだ。
伊瀬知と由衣は『赤の談話室』での確認を終え、引き戸を開けた。
目の前には固唾を呑んで、恐怖と不安に顔を固める四人の姿があった。当然であろう、伊瀬知や由衣ならともかく、彼らは人が殺されている現場など、見るのは初めてであろうから。さすがの深見美沙も眠っている、ということはなく、大きな目をぱっちりと開けていた。
「今後、現場には誰も立ち入らないでください。とにかく、今はまずは柴咲さんを探しましょう」由衣は皆に言った。
しかし誰もが同じ考えだとは限らない。
「私は安全だと華村君が言っていた、私の部屋に案内して欲しいです。美沙も同じ部屋で構いません」やはり自己主張が強いのは喜多川であった。
そしてその意見に神埼も賛同し、同じ意見を述べた。
「では喜多川さん、神埼さん、沢村さんは、佐藤さんに部屋まで案内して貰って下さい。私と伊瀬知さんは柴咲さんを捜して他の部屋をまわってみます」由衣がそう言うと、佐藤は丁寧にお辞儀をしながら、伊瀬知と由衣に「どうぞお気をつけて」と声をかけた。
去っていく四人を見届けると、伊瀬知は鏡の迷路を彼等とは逆の方向に進み始めた。
「今度は何処に行くんですか?」
「とりあえず、一番近い『シアタールーム』に行く」
「シアタールームって、自宅にある映画館みたいなものですよね。お金持ちの豪邸拝見番組みたいなテレビでよく見ます」
「大抵のやつが金をもてあまし、大して映画なんて見もしないくせに造るんだ。ただ自慢がしたいだけさ」
そんな旗から見たら僻みにしか聞こえない金持ちの批判を繰り広げながら、二人はシアタールームと書かれたドアの前へと辿り着いた。
伊瀬知は迷うことなくドアを開ける。中はまた畳一畳ほどのスペースだった。もちろんシアタールームはその先の、アルミ製の引き戸の奥だろう。もう予想が出来ていただけに驚くこともなかった。おそらく全ての部屋がこういう造りになっているのだ。
無言で引き戸に手をかけ、躊躇なく開ける伊瀬知。
引き戸を開けると、その先は暗闇に包まれていた。うっすらと見えるシアタールームは座席が十席ほどの小さな映画館といった雰囲気。スクリーンには映画こそ映っていなかったが、天井に広がる大型スクリーンには満天の星空が映しだされていた。
「プラネタリウムか。ここまでくると腹が立ってくるな」伊瀬知がぼそっと独り言を呟く。
「あっ、伊瀬知さん。オリオン座がありますよ」
「君は星座になんか興味があるのか?」
「オリオン座とカシオペア座くらいしか分かりませんけどね」
伊瀬知と由衣がそんな何気ない会話をしていると、部屋の電気が突然付いた。
「驚かせてすみません」そう声を掛けてきたのは、二人が捜していた人物の一人、柴咲であった。
「柴咲さん、ここにいたんですか? 探しましたよ」由衣の言葉を聞き、きょとんとした様子を見せる柴咲。
「凄いですよねー。この部屋。プラネタリウムにもなるみたいなんですよ。感動してこんな歳なのに夢中になってしまいました」
プラネタリウムを夢中で見ていた割には、相変わらず柴咲の耳にはイヤホンが付いている。どんな時でも音楽を聞くことはやめないようだ。
「こんなんだから造るのに数十億もかかるのか。下らない。こんなものに金をつぎ込むなら、恵まれない俺のポストに百万でもいいから入れておいてくれればいいのに」どこまで本気なのかは分からないが伊瀬知が言った。
「二人ともこんな時になにを落ち着いているんですか!」由衣はやや強い口調で二人に話しかけた。
「あの、さっき私のことを捜していた、とか言っていましたよね? それに今こんな時に、って、宮崎さんが仰いましたが、何かあったのですか?」
「先程、赤の談話室で華村文雄さんの刺殺体が発見されました。他の皆さんは華村大駕が安全地帯だと言っていた客室の方に避難しました」由衣は今までの経緯を柴咲に説明した。
「お前が殺したのか?」伊瀬知が突然、柴咲に質問をした。
「ちょっと伊瀬知さんもう少し……」
由衣の言葉を遮り、焦った様子を見せながら柴咲が語りだす。「私は殺してなんかいませんよ。華村文雄さんが殺されたことも今知ったくらいですから。それに刺殺なら返り血を浴びたりするんじゃないですか?」柴咲は自分が着ている白いシャツを伊瀬知に見せながら、無関係を主張した。
「それに凶器はどうしたって言うんですか!」柴咲は犯人扱いされ、やや怒っているようだ。
「大丈夫ですよ。伊瀬知さんは口が悪いだけで、ただ柴咲さんのアリバイが聞きたかっただけですから」なぜ、由衣が伊瀬知のフォローにまわらなくてはならないのか。
「私は迷路の中を迷っていたら、この部屋を見付けてプラネタリウムに夢中になっていただけで、華村文雄さんを殺してなんかいません」柴咲は聞きたいことを理解したのか、やや落ち着いた様子で自分のアリバイについて話した。まあアリバイがない、ということに変わりはなかったが。
由衣は今の柴咲の証言に多少の違和感を覚えた。迷路の中を迷っていたら、というフレーズだ。柴咲は伊瀬知とは違い、この別荘の地図を暗記してはいないはずだ。しかし柴咲は青の談話室から玄関へと向かう際、地図も見ずに皆の先頭を的確に歩いていた。それが柴咲の潜在的な能力なのかは分からないが、そんな人が迷ったりなどするのであろうか。
「そんなことになっているのなら、私も自分の部屋に行ってみます」
まあ、柴咲が犯人でないのならそれが一番安全だろう。
「場所は分かりますか?」
「ええ、佐藤さんからもらった地図に部屋番号が書いてありましたから」
ポケットにでも入れているのかもしれないが、柴咲は今地図を手にしてはいない。それに例え地図を持っているとしても、ここまで来るのに迷った人が、部屋番号が分かったとして部屋まで辿り着けるのだろうか。しかし由衣の心配をよそに、柴咲はさっさと部屋を出て行ってしまった。
「柴咲さん大丈夫ですかね?」由衣が言った。
「ああ、彼なら心配ない。それよりも、俺たちもさっさと他の部屋に行ってみよう」
やはり伊瀬知にとっては、事件を少しでも早く解決することが、何よりも優先されるのだろう。柴咲のことなど興味がない様子だ。
その後、伊瀬知と由衣は『娯楽室』に向かった。娯楽室も今までの部屋同様、金を無駄につぎ込んだ贅沢部屋、と言える造りであった。床は大理石、天井はガラス張りで人工の星空が見え、アーチ状に架けられた幾つかの梁には、お洒落なアンティーク調の照明や装飾品が配置され雰囲気を醸し出している。壁には絵画。部屋の角にはバーカウンター、ジュークボックスまで備え付けられていた。肝心の娯楽設備は、ダーツにビリヤード台。ピンボール台。サッカーゲーム盤。チェスといったレトロな雰囲気。娯楽というより、見た目やお洒落さを重視した感じだ。今時の小学生には娯楽というより、博物館に見えるだろう。
佐藤の言っていたとおり、バーカウンターの内側には電話もあったが、やはり受話器を持ち上げても、ボタンをプッシュしても反応はなかった。
娯楽室には華村大駕の存在も、外に出られるような場所もなく、二人は娯楽室にため息だけを残し早々に立ち去った。
次に向かった場所は『プール』。さすがにプールに無駄金をつぎ込むことは出来ないだろう。まあ、別荘内にプールがあるというだけでも贅沢なことに間違いはないが。
『プール』と書かれたドアを開ける。この先にはおそらく贅沢な、二十五メートル程の、学校やホテルのようなプールが広がっているに違いない。多少予想も出来たので、伊瀬知は気構えなしに引き戸を開けた。
中に一歩踏み込んだ伊瀬知と由衣はまたもや言葉を失った。
部屋の中は想像を越える空間であった。真っ暗な部屋の中、プールの底が星空のように緑や赤、青などの光でライトアップされ、幻想的な空間を造り出していた。プールサイドはオレンジ色の光でライトアップされ、夜空の中の暖かな空間を演出しているようであった。
そこに人が存在していることはなかったが、自分の想像の未熟、貧弱さを嫌というほど味わうことになった。伊瀬知と由衣は何だかしてやられた、という気分に苛まれ、プールの部屋は二人の心にモヤモヤとした物を残した。
部屋を出た伊瀬知は一言、「もう事件なんてどうでもよくなって来るな」と、呟く。まるで登山帰りの中学生たちのように、ぐったりとした足取りで、二人は次の『パーティールーム』を目指した。もう驚くのは当たり前。下手な先入観を持たないことが最適な対処法なのだと、伊瀬知も由衣も気が付いていた。
きっと普通に歩くよりもやや時間が掛かったことだろう。二人は何とか『パーティールーム』と書かれたドアの前へと辿り着いた。もちろんドアを開ける時も、その先の引き戸を開く時も、なんの想像もしないように志した。どうせ驚くのだ。下手な先入観は自分を苦しめるだけだと、既に嫌という程、味わって来たのだから。
しかし、そんな心がけが逆に驚きを生んだ。パーティールームの中はお洒落ではあるが、何と言うか、想像を越えるような特別なことはなく、至って普通なのだ。まあ、普通とは言っても想像の域を越えていなかった、というだけで、豪華で金がかかっていることには変わりはないのだが。
パーティールームは床も壁も天井も、白一色であった。一面、白一色の中に、黒いソファー、黒いテーブル、黒い椅子、黒いシャンデリアに、茎も葉も黒い観葉植物。白と黒とのコントラストが見事でお洒落な空間となっていた。やはり他の部屋同様、人の姿も、抜け道も存在してはいなかったが。しかし今までの部屋とは違い、伊瀬知にとってはやや落ち着く、居心地のいい空間だったようだ。伊瀬知はソファーに腰を下ろし、溜め息をつくと、胸元から煙草を取り出し、火をつけた。もちろんテーブルの上に白い灰皿が置かれていたことも、その行動を起こした理由の一つだろう。由衣も伊瀬知の隣に腰を下ろすと、溜め息をついた。
「華村大駕、見付かりませんね」由衣はまるで、お茶を飲みながらどうでもいい天気の話をする、年寄のように伊瀬知に語りかけた。
伊瀬知は茶飲み仲間のじいさんのように、意味ありげなことを言った。
「見えない人と、見える人。見えない壁と、見える壁。見えない心と、見える心。見えない景色と、見える景色。見えない真実と、見える真実。一見すると真逆だと感じるこれらは、実際にはそんなに大した違いなんてなかったりするのさ。物の見方や、考え方一つで見えるものなんて百八十度変わっちまったりもするからな」
何を言いたいのかは分からなかったが、良い話を聞いたような、やはり何だか分からないような話だった。
伊瀬知はまるで心の中のストレスを体の外に吐き出すように、煙草の煙を勢いよく天井に向け、吐き出し続けている。
「あれ?」由衣はそんな伊瀬知の様子を眺めていたが、あることに疑問を抱いた。
「どうかしたか?」伊瀬知は由衣に目を向けること無く、声をかける。伊瀬知の視線は尚も天井を見つめ、口からは煙草の煙を吐き出し続けていた。
「それです」由衣は伊瀬知の吐き出す煙を指さした。
「煙草の煙が風でなびいているみたいなんですけど、この部屋は二重扉になっている訳だし、風なんて吹き込んでいないですよね?」
「そう言われれば、そうだな。どこかに空気の流れがあるのかもしれないな。まあ空調の可能性も高いが」
伊瀬知は立ち上がると、煙草の煙を足元に向け吐きながら、部屋の中を歩き回る。
しばらくして伊瀬知は先程座っていたソファーと、テーブルを挟むようにして置かれている、反対側のソファーの辺りで足を止めた。
「ここだ」伊瀬知はそう言うと、煙草を灰皿にねじ込む。次いでソファーを抱えると、重そうに後ろへと引きずった。
ソファーの置かれていた場所の下からは、床下収納のような物が現れる。
「これ、なんですかね? 外に出られる隠し通路だったりして」
「ありえなくはないな」
伊瀬知は床下収納のような物の取っ手に指をかけ、上に持ち上げようと力を込める。しかし扉はガタガタと動きはするものの、扉が開くことはなかった。
「どうやらロックされているようだ。鍵穴なんかは見当たらないから、おそらく玄関ドアのように、どこかで操作出来るに違いない。ここが外に出る為の通路、という可能性は十分考えられる。覚えておこう」
伊瀬知は再びソファーに腰を下ろすと、煙草に火をつけた。
由衣も再び伊瀬知の隣に腰を下ろし、伊瀬知の煙草が灰皿にねじ込まれる間の短い時間、目を閉じる。もちろん眠かった訳ではない。頭の中で現状を整理する為だった。
特にその間、二人が言葉を交わすことはなかった。しばらくして伊瀬知のたばこが灰皿にねじ込まれる。
「さて、行くか」と、やや億劫そうに伊瀬知は両膝に手を置き、掛け声と共に立ち上がった。
残すは食堂だけ。華村大駕はそこにいるのだろうか? 先程よりは心なしか、伊瀬知の足運びが軽やかなように見える。煙草のおかげなのか、次の食堂が最後の部屋だからなのかは分からないが。
ドアに『食堂』と書かれた場所までは、そう時間がかからなかった。もちろん主観であるので確かではないが。比較的簡単に辿り着くことが出来たような気がした。
伊瀬知はドアの前まで行くと、躊躇うことなくドアノブに手を伸ばす。一畳のスペースも伊瀬知は立ち止まることなく進み、引き戸を開けた。ドアを開ける度に驚いたり、感想を言ったりすることに正直うんざりしていたのは、伊瀬知も由衣も同じようだ。
食堂と書かれたドアから中に入ったのだから、二人が今いるのは食堂の中のはずだ。だが、これが食堂なのであろうか。そもそも室内なのだろうか。何と言えばいいのだろう。外なのだ。頭上は満天の星空。森の中のキャンプ場のような場所。木々に囲まれた芝生の上に二人は立っていた。芝生の中央はお洒落なカフェのようになっており、ウッドデッキの上に幾つかの赤いガーデンパラソルが立っていた。その下には緑色のお洒落な椅子とテーブル。間接照明が所々にあり、薄明るい良い雰囲気を演出している。
急に外に放り出されたような環境に二人が言葉を失っていると、誰かが話しかけてきた。
「伊瀬知様、宮崎様、ちょうどよろしかった。御食事の準備が出来ております。皆様すでにお集まりです。皆様にはお部屋の内線で御連絡出来たのですが、伊瀬知様と宮崎様はどこにいらっしゃるのか分からず、今探しに行こうと思っていた所でございました」話しかけてきた人物は佐藤であった。
「この部屋は食堂だよな?」伊瀬知は一番気になっている点について質問をした。
「はい。食堂です。完全にお外のように再現されてはいますが室内でございます」
「いちいち感想を言ったり、怒ったり、金のことを考えたりするのは無駄なことだとやっと分かったよ」
由衣も伊瀬知と同じ意見だった。ここは非現実世界。そもそも価値観が蟻と象ほどかけ離れているのだ。元々同じ土俵で考えても理解出来るはずもない。
伊瀬知と由衣は、佐藤に導かれるまま、皆の集まるテーブルの端に腰を下ろした。