第三章 犯人
八月二十一日 捜査二日目
今日は伊瀬知と共に、防犯カメラに映っていた男の写真を持ち、聞き込みに向かう予定だった。しかしその予定は若干の変更を余儀なくされる。それは朝六時に鳴ったスマホの着信音から始まった。まだ眠っていた由衣がスマホに出ると、静かな図書館から、パチンコ店の大当りしている台の隣に、突然投げ込まれたような衝撃音が脳へと駆け巡った。衝撃音の正体は、伊瀬知と言う名のおっぱい好きに他ならない。
「おい! 昨日ケーキ買うのを忘れたろう! 約束したじゃないか!」
名前も告げず、しかも早朝からケーキって。
「ちゃんと覚えていますよー。今日の捜査が終わったら買ってあげますから」由衣は眠気に肩を叩かれながらも、しっかりと答えた。
「絶対だぞ! もし嘘だったら金輪際、君とは口を聞かないからな!」
そんなに怒るほどケーキが好きだったとは。
「はいはい、分かりました。もう~、そんなことでこんな朝早くから電話してきたんですか? こっちがケーキを買って貰いたいくらいだっていうのに」
「いや、それだけじゃない。事件の早期解決の為に、今日は君と別行動をしようと思ってな」
「どういうことですか?」
「闇雲に聞き込みだけをしていたら何日かかるか分からない。プロファイリングによると、
犯人は電車の上りか下りの三駅以内で降りた可能性が高い。だから君は各駅を回り、防犯カメラの映像を借りてきて欲しい」
「それをまた伊瀬知さんと私で一緒に見ると……」
「いや、犯人の顔や服装は君も分かっている訳だし、それは君に任せる。犯人は午前十一時二十六分に駅の自動改札を通っている。ということは、上りならば十一時三十一分の電車に乗っているはず、下りならば十一時三十五分の電車に乗っているはずだ。それさえ分かっていれば各駅の到着時間も分かるはず。君一人でも簡単だろう」
「じゃあ、伊瀬知さんは?」
「俺は各駅周辺で聞き込みをする。夜七時になったら連絡するから落ち合おう。そこで情報交換だ。もちろんケーキもその時に買ってもらうからな」
「分かりました。あっ、そう言えば昨日押収した自転車から指紋は出ませんでしたが、現場と同じ瞬間接着剤の主成分であるシアノアクリレートが検出されたそうです。あの自転車はやはり犯人が使用した物のようですね」
「そんなのもう分かっていたことだろう。俺の能力をまだ疑っていたのか?」
「いえ、伊瀬知さんの能力は認めていますが、犯人を逮捕する上で、証拠という物は絶対的に必要になってきます。でも、瞬間接着剤って手に付けたら取れないんじゃないですかね?」
「いや、ホームセンターなどに行けば、剥がす物が売られている。それに君たち女性がマニキュアを落とす時に使う除光液。あれでもとれる。アセトンという成分、つまりシンナーが溶かしてくれるんだ。まあ余談はいいとして、君は犯人が電車を降りた駅を調べてくれ。また夜七時に連絡する」
由衣は身支度を整え、午前中は上下線の各六駅を回り、防犯カメラの映像を借りて回った。午後は映像のチェック。各駅の電車の到着時刻はあらかた分かっているので、各駅三十分ほどの時間で映像のチェックをすることが可能だった。しかもラッキーなことに、二駅目の映像で犯人と酷似する人物を発見することが出来た。犯人と思しき人物が電車を降りた駅は上り線の隣の駅。神様だけは由衣を祝福しているのだろうか、と思うほどの呆気なさだった。こうして由衣に与えられた仕事は午後三時少し前には終了することとなった。約束の時間よりだいぶ早いが、犯人が電車を降りた駅の情報は伊瀬知の聞き込みの役にもたつはずだ。由衣は伊瀬知に電話をかけた。
「伊瀬知さん、犯人が電車を降りた駅が分かりました」
電話に出た伊瀬知はやや機嫌が悪く、声の後ろからは軽やかな音楽が聞こえていた。
「伊瀬知さん、今どこですか?」
「喫茶店だ。三時のティータイムで糖分を取り、怒りを鎮めていたところだ」言葉からは多少の不機嫌さは感じ取れたが、平静を取り戻そうとしている伊瀬知の努力が窺えた。
「怒り? 何かあったんですか?」
「どうもこうもない! 聞き込みをしても大抵の奴が俺を無視しやがる。だから俺は聞き込みが嫌いなんだ!」
由衣が質問したことで、思い出してしまったのだろう。消えかけていた残り火が再び勢いを増そうと、パチパチと音を立てているようであった。
「もしかして、いつもそうですか?」
「ああ」最上級のぶっきらぼうな言い回しだった。
「じゃあ、こっちは終わったんで、合流して一緒に聞き込みをしましょう」
由衣は犯人と思しき人物が電車を降りた駅で伊瀬知と待ち合わせる約束をし、電話を切った。
約束の場所に向かうと、伊瀬知は既に到着していた。まだ数百メートルは先にいる伊瀬知を人込みの中、瞬時に発見することが出来た。伊瀬知が無視される理由はきっとこれだ。由衣が待ち合わせた相手は伊瀬知ではなく、まるでルパン三世だった。白のパンツに青いシャツ、黄色いネクタイに赤いジャケット。さらには昨日伊瀬知の部屋で見た青レンズのサングラス。おまけに赤いハットまで被っている。大道芸人じゃあるまいし、あれじゃあ人が無視する訳だ。まともな人に見える訳がない。
「伊瀬知さん、なんでそんな服装なんですか?」
「お前、分かってないなー。基本だぞ。聞き込みとは言え、知らない人に話しかけるんだ。ナンパじゃあるまいし、相手を安心させる為にもきちんとした服装でなければならない」
「きちんとした服装? それがですか? 映画の中でも、アニメの中でもないんですよ。ここは真夏の東京。どう見てもおかしいでしょう」
「バカを言え。ちゃんとサングラスの青と、パンツの白で爽やかさを演出しているではないか」
「伊瀬知さんは疲れたでしょうから、車の中で見ていて下さい。私が変わります」
由衣はもはや聞き込みの邪魔としか思えない伊瀬知を、車の中に追いやることにした。
「俺に出来ないことが君に出来る訳がないだろう。君は聞き込み初心者か? 東京の人っていうのは冷たいんだぞ」
「いいから見ていて下さい」
由衣は半ば無理矢理に伊瀬知を車に放り込むと、聞き込みを開始した。
とりあえず、誰でも構わないので手当たり次第に聞いて回ろう。まず子供連れの主婦。次は女子大生。OL。サラリーマン。エッチな看板を持って立っているホームレス。駅前交番の巡査。女子高生。皆親切に話は聞いてくれるが、誰一人として写真の人物を知る人はいなかった。犯人は普段電車を利用せず、車で移動しているのであろうか。となると、駅周辺での聞き込みは意味がないかもしれない。とりあえず、それでも更に一時間ほど駅前で聞き込みをしてみたが、やはり結果は同じだった。聞き込み場所を変えた方がいいのかもしれない。
由衣は伊瀬知が待っている車へと一度戻った。運転席のドアを開けると、助手席で頭を抱え唸っている伊瀬知の姿が目に止まる。
「伊瀬知さん! 大丈夫ですか? また何か能力を使ったんですか?」
「いや、発作ではない。悩んでいたんだ。何故、俺だと誰も話すら聞いてくれないのに、君だと皆、耳を傾ける。俺と君の何が違うというのだ」
「伊瀬知さん、まだ分かんないんですか? それは伊瀬知さんの……」私が服装を指摘しようとすると、伊瀬知の声がそれを遮った。
「分かった! 君が女性だからだ! 心理的に女性ということで安心感を与えるんだ」伊瀬知は頓珍漢な答えを導き出したが、由衣は否定すらする気にはならなかった。
「ならば仕方ない。俺は聞き込みの為だけに男を捨てる気はないからな。聞き込みについては俺よりも君の方が優れている……。いや、有利だということは認めよう」
「全く嬉しくないんですけど。でも誰も写真の人物を知る人はいませんでした。犯人は普段電車を利用しないのかもしれないですね。若い男の人が行きそうな他の場所にでも移動しましょう」
ショッピングモール、パチンコ店、ホームセンター、スーパーマーケットなどを聞き込みして回った。しかし結果が変わることはなかった。
午後も七時を過ぎ、伊瀬知はケーキ店の閉店時間が迫っていることに焦っていた。うるさいので、今日の聞き込みは一旦中断し、また明日続けることにする。
伊瀬知を家まで送る途中、駅前の洋菓子店に立ち寄った。約束だし、仕方がない。由衣は伊瀬知を車に残し、洋菓子店へと向かった。お目当てのケーキはなんと一個七百円。さすがDXショートケーキだ。値段までデラックス、いや値段がデラックスだからDXショートケーキなのだろうか? ともあれ、約束は果たした。由衣は喜ぶ伊瀬知の顔を想像しながら車へと戻る。しかし伊瀬知の姿は車から消えていた。トイレにでも行ったのだろうか。とにかく由衣は車の中で伊瀬知の帰りを待つことにした。数分後、伊瀬知は意外な場所から現れる。それは洋菓子店の三軒隣。フラワーショップからであった。手にはお洒落なバスケットに入れられ、可愛らしく飾られた花々が顔を覗かせている。ルパンにはあまりにも不釣り合いで、由衣は大笑いをした。
「どうしたんですか?」笑いを堪えつつ、質問をする。
「暇だったから花屋に聞き込みに行ってみたが、何も買わない、というのもあれだし、これを買いつつ聞き込みをしてきた」
「そういう花って結構な値段するんじゃないですか?」
「まあな、でもそれだけの収穫はあったぞ。花屋のバイトが写真の男を知っていた」
「本当ですか?」
「ああ名前は分からんが、苗字は華村と言うそうだ。何やら父親が某有名ゲームメーカーの社長らしく、別荘の完成祝いにと、客がこの花屋に花を依頼したらしい。別荘に花を届けに行った際、写真の男を見かけたそうだ」
「有名ゲームメーカーの社長の自宅なら、調べるのも簡単そうですね」
「ああ明日、直接息子に会ってオーラの色を確かめよう」
伊瀬知の意外な行動のおかげで、犯人に近付くことが出来た。急がば回れ、とはよく言ったものだ。
犯人らしき人物を割り出し、しかも手には大好物のDXショートケーキ。伊瀬知は昼間の不機嫌さが嘘のように上機嫌だった。身近な人が喜ぶ姿というものは、見ている由衣自身も幸せな気分になってくるから不思議なものだ。
「ケーキごちそうさん。じゃあ、また明日な」家に到着すると、伊瀬知は車から降りた。
「あっ、伊瀬知さん。お花忘れてますよ」
後ろのシートには、伊瀬知がフラワーショップで買った花が置き去りにされている。
「それは君の為に買った花だ。そんなもので悪いが俺からのプレゼントだ」
「えっ? どうしてですか?」
「今日は君の誕生日だろう」
「何で伊瀬知さんが知っているんですか?」
「君は昨日、俺が発作で苦しんでいる時に、午前零時を過ぎた時計を見て、『こんな日に何してんだか』と、独り言を言っただろう。『こんな日に』ということは、今日が何か特別な日ということだ。何かの記念日か、不幸なことがあった日をさす。身内や彼氏の誕生日、親しい人が亡くなった日などだ。そして今朝、俺がケーキのことで君に電話をかけた時に、君は『こっちがケーキを買って貰いたいくらい』と、言っていた。君がケーキを貰うような特別な日。君の誕生日の確率がもっとも高い」
「さすがですね。当たりです。すごく嬉しいです。ありがとうございます」
幸せを与えたつもりが、逆に幸せを貰うとは、なんたるサプライズ。この誕生日のエピソードを一生忘れることはないだろう、と由衣は思った。
八月二十二日 捜査三日目
写真の男、つまり容疑者の名前は華村大駕。二十四歳。有名ゲームメーカー『スターマウス』の社長、華村文雄のひとり息子だ。大学を卒業し、父親の会社に一応籍を置いてはいるが、実際は仕事もせずに遊び呆けているような状況だ。
今回の事件は計画的犯行。秩序型の犯人となる。秩序型の犯人は高い知能を有しており、魅力的で高いカリスマ性を持っている場合が多い。警察の内部事情や捜査に興味を抱き、またゲーム感覚で殺人を犯すことも多い。マスコミや警察に対し挑戦的な行動を起こすことも多く、犯行時は冷静でリラックス状態である。長男の場合が多いとされ、社会生活にはきちんと適合している。部屋なども綺麗に片付けられていることが多く、車を所有している場合も多い。警察に捕まった時や、聴取を受けた時の対応など、前もってシミュレーションを行ったり、と用心深い面も持っている。また、今回の犯人は快楽殺人犯の可能性が高いと思われ、孤独で人間関係や家族関係がうまく行っていないことも予想される。事件を起こす前に精神的ショックなど、引き金となった何かが起こっている可能性も高い。地理的プロファイリングや心理学の面から考えてみても、華村大駕があの幼稚園を犯行現場と考えることも十分考えられ、華村大駕が犯人だという可能性は否定出来ない。
以上が、伊瀬知が犯人をプロファイリングした結果だ。あながち、容疑者の華村大駕とかけ離れているとも思えず、由衣はやはり華村大駕が犯人なのだろうと主張した。しかし伊瀬知はプロファイリングと言うものは統計学であり、あまり信用は出来ないと言う。その割には何故プロファイリングまで伊瀬知は修得しているのであろうか。
「俺はこの目で見るまでは何も信用しない」と言い、華村大駕のオーラの色と、現場に残されたオーラの色が一致するのかどうかを、確かめたくて仕方がないようだった。しかしプロファイリングも、オーラの色も証拠にはならず、ましてや押収した自転車からも、現場となった幼稚園の教室からも、指紋すら検出されてはいない。つまり証拠と言える物は何一つないのだ。もちろんこれでは華村大駕を任意同行すら出来ない。事情聴取ほどのことしか出来ないのだ。もし華村大駕が話をすることすら拒否したならば、身動きすら出来ない。かと言え、手をこまねいている訳にもいかなかった。
伊瀬知と由衣は華村大駕の自宅、即ちゲームメーカー『スターマウス』社長、華村文雄の自宅へと向かった。都心部に位置するその家は、二百坪はあろうかという広さで、高い塀と立派な門に囲まれていた。まるで美術館のような美しいデザインと、気品を感じる家。もはや我々の次元とは程遠い世界がこの中に広がっていることは安易に想像が出来た。家が与える重圧のような物に押し潰されそうな自分を鼓舞し、由衣はインターホンに手をかける。頭上には二台の監視カメラが二人を捕らえていた。
「はい。どちら様でしょうか」応答した相手は、言葉からも気品を感じる程の落ち着いた物言いと、声のトーンだった。もしかしたら家が与える重圧がそう思わせているだけかもしれないが。
「警察です。華村大駕さんにお話を伺いにまいりました」由衣はインターホンに付いたカメラに向かい、警察手帳を開いて見せた。
「少々お待ち頂けますか。確認して参ります」きっと執事か何かだろう。おそらく華村大駕に、会うかどうかを確認しに行ったのだ。
「大駕様がお会いになるそうです。どうぞ」
意外に早い返答だった。家が大きいからもっと時間がかかると思ったが、考えてみれば内線か何かしらの設備はついていても不思議ではない。
音も無く、大きな門が自動で内側に開いた。玄関までは三十メートル程だろうか。まるでヨーロッパのお屋敷のような綺麗に手入れされた庭には、ししおどしや、松などは存在しておらず、ましてや錦鯉などは泳いでもいなかった。
玄関まで続く白い石畳、緑の芝にイングリッシュガーデンを思わせる手入れの行き届いた草花。きっと庭の管理費だけで、由衣の年収を軽く上回るに違いない。玄関の扉まで五メートル程の距離まで近付くと、見計らったように玄関扉が開いた。中からは、先程の人物と思われるタキシードを着た初老の男性が現れ、軽く会釈をすると、二人を室内へと招き入れた。
「どうぞ、こちらへ」と、応接間と思われる部屋に案内される。
部屋はヨーロッパの調の家具に包まれており、暖炉に絵画、年代物の柱時計など目を引く物ばかりであった。小さくお洒落なシャンデリアがセンスよく並び、部屋を照らしている。大きく長い窓からは庭からの暖かな太陽光が注がれ、人工の光と自然の光がお互いを引き立てつつ、暖かな空間を演出していた。
彫刻の施された漆黒のお洒落な椅子に、まるで借りてきた猫のようにおとなしくちょこんと腰をおろす伊瀬知と由衣。ティーカップに注がれた紅茶に口を付けたものの、味は全く入ってこなかった。
二人はテーブルに飾られたフラワーアートのような生花や、部屋の調度品に目を奪われ、場違いな雰囲気に圧し潰されそうであった。
三分程がたったであろうか。奥の扉が突然開き、写真の男と良く似た人物が現れた。
「お待たせしてすみませんでした。私が華村大駕です。何かお話があると伺いましたが、どういった御用件でしょうか?」
顔は中の下、どこにでもいそうなタイプだ。ただし金持ち特有の、自分自身に魅力があると勘違いした胡散臭い気品は漂わせている。髪は短髪、高そうなスーツに身を包んでいた。
「私は警視庁捜査一課の宮崎と申します」由衣は華村大駕に警察手帳を開いて見せる。
「こちらは私のパートナーであり、探偵の伊瀬知和志さんです」
伊瀬知は自分の名刺をテーブルの上へ置くと、そのまま華村大駕の前へとスライドさせた。
「警察の方と探偵さんがパートナーを組むなんて珍しいんじゃないですか? それに探偵さんは何とも奇抜なファッションセンスをしていらっしゃる」
今日の伊瀬知のファッションは、オレンジ色の革靴に、青いロングスカート、インナーは白地にショッキングピンクの色をした『ドラえもん』のTシャツ。上には玉虫色に輝くジャケット。頭にはスカートと同じ青い色をしたプリーツターバン。耳たぶにはドクロのアクセサリーがゆれている。暑さよりもファッションを優先。そしてセンスのなさはブレることはない。
「ええ、彼は少し変わってはいますが、特別優秀な探偵ですので。早速ですが、三日前の十九日、午前十一時頃、大駕さんあなたはどちらにおいででしたか?」由衣が聴取を開始すると、伊瀬知は能力を使う為、静かに目を閉じた。
「アリバイと言うことですか? 私は何か疑われているのでしょうか」何とも軽い感じだ。言葉こそ丁寧ではあるが、言葉にまるで重みを感じない。それはきっと自身は何も努力せず、親の金を使っているだけのお坊っちゃんだからだろう。つまりはまだガキなのだ。
「確か三日前のその時間でしたら、前日の帰宅時間が遅かった為、まだ家で寝ていたと思います」
華村大駕が犯人で尚且つプロファイリングどおりならば、疑われた時のシミュレーションを行っていても不思議ではない。確かなアリバイもないようだし、供述など信じられるはずもなかった。
「あ~、幼稚園にいた人と同じ紫色だ~。この人、幼稚園にいた人だよ」華村大駕を指差しながら伊瀬知が言った。
華村大駕は驚いたような顔をしている。まだ会ってから言葉を発してはいなかった伊瀬知が、突然子供のような口調で話し出したことに驚いたのか、幼稚園にいた人と断言されたことに驚いたのか、はたまたその両方なのかは分からないが彼は言葉を失っていた。
「伊瀬知さん、長いと辛くなりますからもういいですよ」
二人が何をしているのかが全く分からない様子の華村大駕は、伊瀬知と由衣の顔を交互に観察している。おそらくシミュレーション外のことが起き、事態が全く飲み込めないでいるのだろう。
伊瀬知は目を開けると、華村大駕を見つめ、言葉を叩きつけた。
「幼稚園での暴行傷害及び、殺人の犯人はお前、華村大駕だ。間違いない!」
「あっ、あの……どういうことでしょうか? 幼稚園での殺人? 今ニュースで騒いでいるあの事件のことですか?」
「伊瀬知さん、大丈夫ですか?」由衣は華村大駕の言葉を無視すると、伊瀬知に語りかけた。
「問題ない。短い時間だったからな。多少の息苦しさと手のしびれはあるが、それほどでもない」伊瀬知は由衣にそう答えながら、薬を口に放り込んだ。
「大駕さんは共感覚というものを御存じですか?」由衣は華村大駕に質問をした。
「はい。聞いたことがある、ってくらいですけど。確か、人や物、音などに色や味を感じることが出来る人ですよね」
「それでは四色型色覚というものについてはどうですか?」
「四色型色覚ですか? すみません。聞いたこともありません」
「知らないのでしたら説明は省かせてもらいますが、伊瀬知さんは共感覚と四色型色覚を使い、現場となった幼稚園に残された犯人の色を確認しました」
華村大駕は由衣の言葉に興味を持ったのか、やや前のめり気味に座ると、小さく微笑んだ。由衣の一語一句を聞き逃すまいと集中しているのか、はたまたシミュレーションを越えた展開を楽しんでいるのであろうか。
「そして俺はたった今、この場所で能力を使い、おまえのオーラの色を確認した。それは犯人の物と全く同じ紫色。間違いなくお前が犯人だ」華村大駕に向かい断言する伊瀬知。
華村大駕の口角が僅かに上がった気がした。
「ちょっと待って下さい。私は殺人なんてしていません。それに共感覚など、他の人に見えない物が証拠になんてなり得るのですか?」何故だか分からないが、まるでゲームでも楽しむかのように、目を輝かせながら華村大駕が否定をする。
「この写真は犯人の写真です。事件後に自転車駐輪場と、駅の防犯カメラに映っていました。これ、あなたですよね?」
「いえ、似ている気もしますが私ではないです。先程も言いましたが、私は家で寝ていましたし、普段電車など乗らずに車を利用していますから」普通の質問は想定内なのだろう、スラスラと言葉が出てくる。
「いや、お前が犯人であることは間違いない。それに写真に写っていた人物も、お前と同じ紫色のオーラを纏っている」
「では私が仮に犯人だと仮定して、証拠もなくあなた方は、どうやって私を逮捕するのですか?」
これだ。想定外の話になると何故だか華村大駕は楽しそうに口角を上げるのだ。
「証拠なら必ず見つけ出して、お前に叩きつけてやる」
「犯人の映像が自転車駐輪場に映っていた、と言うことは、犯人が逃走に使った自転車が見付かった、ということですか? 指紋は出たんですかね? なんでしたら私の指紋を採取していかれますか?」
指紋が検出されていないことを見越しての挑発だろう。
「あの事件を捜査しているのはあなた方だけではないですよね?」
「ええ、一課の別の係も捜査をしています。でも、そっちは現段階で華村大駕さんを容疑者として考えてはいないと思います。恐らく捜査線上にすら、まだ名前が上がってはいないでしょう。私たちが発見した自転車を犯人が使用したものと断定はしたようですが、犯人の写真すら未だ入手していないと思います」
「なのにあなた方は事件からたった三日で私にたどり着いた。そして証拠など何もないのに、私が犯人だと断言している。探偵さんが特別優秀だというのもあながち嘘ではないようだ。しかし私は容疑を否認している。楽しいですね。どうか、頑張って私が犯人だという証拠を持って来てください。あなた方とゲームをしたら楽しそうだ。また近いうちにお会いしましょう」華村大駕は伊瀬知を気に入ったのか、それとも挑発しているのかは分からなかったが、楽しそうなのは見てとれた。
「私はたった今、あなた方のお陰で楽しいゲームのアイデアが浮かびました。急いで準備をしなくてはなりません。楽しみに待っていて下さい。それでは急ぎますので、今日はこの辺でよろしいでしょうか」
席をたつ華村大駕に促されるように、伊瀬知と由衣も席をたった。
「あなたが犯人だということは分かりましたが、証拠がない以上、私たちにはあなたを拘留することも出来ません」
由衣は犯人である華村大駕を許せなかったが、仕方がない。伊瀬知のおかげで、華村大駕が犯人だということが分かっただけでも収穫は大きい。あとは彼が犯人だと断定出来るだけの、証拠集めに全力を注げばいいのだから。
「ゲームもいいが、近々お前を逮捕しに来る。仕事や荷物などは今のうちに整理しておくんだな」伊瀬知も多少の悔しさや歯がゆさを感じているのか、華村大駕にそう言葉を浴びせると、さっさと部屋を出て行ってしまった。
由衣は「紅茶ごちそうさまでした」と、軽く会釈をし、部屋を出る。
外の石畳で伊瀬知に追い付くと、伊瀬知はブツブツと独り言を言っていた。今後の捜査について熟考しているようだ。二人は会話もないまま車に乗り込むと、華村家をあとにした。
この時点ではまさか、華村大駕の方から仕掛けてくるとは、伊瀬知も由衣も夢にも思っていなかった。
由衣は伊瀬知を家まで送ったあと、一旦警視庁に戻り、今日までの出来事を漆原に報告することにした。サバイバルナイフや芸能人の顔を模した覆面、瞬間接着剤などの購入先。関係者への聴取。現場周辺の聞き込み及び、防犯カメラに映っていた男の捜索など。つまり普段行われるような普通の捜査はすべて捜査一課の七係が進めている。七係が何か新たな情報を掴んだ可能性もある。現時点では他に手立てがない以上、漆原の指示や、七係の捜査状況に耳を傾けることも必要だろう、と考えたからだ。
だが七係の捜査に大した進展はなく、新たな情報がもたらされることはなかった。未だ華村大駕の名前すら捜査線上に上がってはおらず、捜査は難航している、ということだった。
零係に求められているものは七係には出来ない、伊瀬知の能力を使った捜査。だからこそ、こうも早く華村大駕までたどり着くことが出来たのだ。だが華村大駕を犯人だと立証するための証拠を、伊瀬知の能力で見つけ出すことは出来るのであろうか。それとも零係に出来ることはここまでなのであろうか。