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鏡は何も映さない  作者: 月坂唯吾
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第二章 捜査

事件は昨日、八月十九日の午前十一時頃に起こった。 現場は閑静な住宅地で、駅からも程近い幼稚園。幼稚園は夏休みに入っていたが、不運にもその日は自由登園の日であった。普段より園児や保育士たちは少なかったが、年中組はプール遊び、年長組は一つの大きな教室に集まって、歌や手遊びなどで遊んでいた。年長組の教室担当は二人の若い女性保育士。事件はまさにその年長組の園児達が遊ぶ教室で起こった。

ドン・キホーテなどで売られている芸能人の覆面を被った男が教室に突然侵入してきたのだ。始めこそ覆面姿の男を見て笑っていた園児たちではあったが、保育士たちの叫び声、男の言葉にならないうなり声、そして何より男が手にしていたサバイバルナイフを見て、園児たちは小さいながらに自分の身が危険にさらされていることを理解した。泣き出す子供、逃げる子供、保育士たちを含め教室内はパニックとなる。

男は走ったりなどはしなかったが、訳の分からない言葉を叫びながら、教室内の物を壊したり、ナイフで威嚇するなどを繰り返した。命には別状はなかったが、髪を掴まれたり、振り回されるナイフで手や顔を切られる園児も数名いた。一人の保育士は園児たちを廊下から避難させ、もう一人の保育士は教室内で子供たちを誘導した。しかし、それを見た男は逆上。園児たちを逃がしていた保育士の元へと迫る。まだ数名の園児が逃げ遅れていた。

 するとパニックになったのだろう、自分に近付いてくる男に向け、保育士は一人の女の子を突飛ばし、逃げ出してしまったのだ。

怪我をした園児は十名ほど。そして保育士が男に向け突飛ばした女の子は死亡した。犯人は楽しむように笑い声をあげ、馬乗りになり何度も女の子をナイフで刺し続けていたという。犯人は逃走し、今も行方は分かっていない。


漆原の話や渡された捜査資料によると、犯人は声や体型から若い男と見られる。犯人は素手で犯行を犯していたが、指紋が検出されなかった所をみると、接着剤などで手をコーティングしていたか、何らかの細工を手に施していたと思われる。今の所、犯人が触った場所からは指紋の代わりに、瞬間接着剤の主成分であるシアノアクリレートが検出されていることもあり、瞬間接着剤で手をコーティングしていたという説が濃厚だった。

犯人を目撃した人物は、教室にいた保育士二人と、教室にいた園児たち、そして教材を納品に来ていた教材納品業者の四十歳男性。園児たちは大変ショックを受けており、PTSDなどの影響も考え、聴取は最低限にとどめられた。しかし園児たちからは何も情報を得ることは出来なかった。パニック状態にいた保育士の二人は犯人が若い男性らしきこと、現場での状況、園児を全員救えなかった後悔を聴取で述べた。ただし罪悪感からか、自分が非難されることを恐れたのか、園児を犯人のもとに突飛ばした保育士は、そのことを警察の聴取で語ることはなかった。

現場での全ての真実は教材納入業者の男性から語られる。彼は犯人が教室に侵入する直前から犯人が逃走するまでの全てを目撃していた。五十メートルほど離れた場所にいた彼は恐怖心からその場を動けなかった、と供述している。もし彼が助けに行っていれば、もしくは保育士が被害者の園児を突飛ばさなかったら、現状は変わっていたかもしれない。ただし彼らを攻めることもまた難しい。現場では倫理や常識を惑わせるだけの強い恐怖やパニック状態が存在していた。だが冷静な状況で事件を聞く一般人は違う。きっと彼等を非難することだろう。さらに被害者遺族においては彼等に殺意さえ抱きかねない。その観点からマスコミなどにはその部分は公表されなかった。



八月二十日 捜査一日目

伊瀬知と由衣は漆原と別れた後、早速現場となった幼稚園へと向かった。事件現場にいた保育士二人にも住まいが幼稚園に近いということで集まってもらっている。

由衣は車を幼稚園に向け走らせながら、ひどく憂鬱そうな伊瀬知に話しかけた。

「さっき車の中で伊瀬知さんを待っている間に、伊瀬知さんが病院で読んでいた、って仰ってた『キョウカンカク』って小説をスマホで調べましたよ。ネタバレも全部読んじゃいました」得意げに話す由衣に伊瀬知が口を開く。

「君はアホか。小説は自分で読んで楽しむものだ。あらすじと結末だけを調べてなんの意味がある」伊瀬知は低いテンションのまま、由衣に視線を送ることなく答えた。

「伊瀬知さんもあの小説の探偵みたいに、共感覚をこれから幼稚園で使うんですか?」

「ああ」

「じゃあ、伊瀬知さんにも自殺したい人が青色に見えて、人を殺したい人が赤色に見えるんですね」

 由衣の言葉を聞き、伊瀬知はやっと由衣に視線を送った。そして呆れた顔と、怒りと、面倒臭さを兼ね備えた言葉で答える。

「君は共感覚を何か勘違いしている。同じ物や人を見て、全員が同じ色を見る訳ではない。表す色が何を意味しているのかも人それぞれだ。共感覚は脳と目が見せる幻覚のような物だからな」

「じゃあ、伊瀬知さんには何が見えるのですか?」

「俺の場合はまず人の声。喜怒哀楽の言葉が四色の色で見える。それと人間の……厳密には生き物のだが、オーラのような物が色で見える。オーラの色は人それぞれ違い、その色は触れた物にも指紋のように付着する。時間が経つほど薄くなり少しずつ消えていくがな」

「それで伊瀬知さんは急いで事件現場に行きたかったんですね」

「ああ。犯人のオーラの色と痕跡を調べる為にな」

「でも同じ色のオーラの人ってたくさんいたりしないんですか?」

「だから、俺は今こんなにも憂鬱な気分を味わっているんだ」

「どういうことですか?」

「もう一つの能力。四色型色覚を同時に使う。そうすれば犯人だけの色を識別出来る」

「そんなことも出来るんですね。凄いじゃないですか!」

「君は他人事だからそんなことが言えるんだ。一つの能力を使っただけでも、その後に辛いパニック発作が襲ってくるというのに、二つの能力を同時に使うことが、俺にとってどんなに辛いことか分かっているのか」

「そうですよね。分かる気がします」

「分かるもんか! なぜ俺ばかりが辛い思いをする」

「じゃあ、前もって薬を飲んでおけばいいんじゃないですか」

「ああ。頓服薬であるソラナックスを前もって服用しておけば多少は発作が軽く済む。だがそれは一つの能力を使う場合に限ってだ。薬の効果は長時間持続する訳ではないし、二つの能力を同時に使う場合は薬を前もって飲んでも発作は普通にやってくる」

「じゃあ防ぎようはないんですか?」

「現時点で回避する方法はない」

「伊瀬知さんが飲んでいるって仰っていた、抗不安薬はどうなんですか?」

「メイラックスは、今はもう飲んではいない。メイラックスは作用が強く、作用時間も長いが、俺の場合は耐性が出来てしまい、今はもうたいした効果が得られないからな」

「それじゃあ仕方がないですね」

「仕方がないとはなんだ。そうだ! 頑張ってやってやるからご褒美をよこせ。それならやってやる」

「ご褒美って何ですか?」

「そうだな、駅前のケーキ屋のDXショートケーキを四つ買ってくれ」

「そんな物でやってくれるならいいですけど……」

「約束だからな! 絶対だぞ!」

「はい」

「よ~し、やる気が出てきた。早く急げ」

この伊瀬知という人物は見た目とは裏腹に、単純で操りやすいのかもしれない。


幼稚園に着くと、正門の前で待ってくれていた保育士の二人と共に、現場となった教室へと向かった。保育士たちは始めこそ伊瀬知の服装に対し不信感を抱いていたようであったが、紳士的な伊瀬知の言葉に好感を持った様子だった。

「今日は繰り返しになってしまいますが、事件の詳細やお気付きになった点などを、時系列を追って伺いたいと思います。それとは別に彼は共感覚という能力で捜査を行っていきます。捜査の間、彼は幼稚園児のようになりますが、お気になさらないように。また失礼な言動をする恐れもありますがご了承願います」理解は出来てはいないだろうが、保育士たちは由衣の説明に対し、合図地をうった。

「じゃあ伊瀬知さん、私は彼女たちに状況を伺いますから、伊瀬知さんはちゃちゃっとやっちゃって下さい」由衣が伊瀬知にそう言うと、伊瀬知は静かに目を閉じた。

保育士たちの視線は伊瀬知に向けられている。そして一呼吸置き、目を開けた伊瀬知。と同時に、伊瀬知は教室の隅へと走り出した。全員の視線が伊瀬知を追いかける。伊瀬知は床に尻をついて座ると、何やら機嫌良さそうに鼻歌を歌い、アンパンマンの絵本を広げ、ページをめくり出した。あっけにとられている保育士たちを無視し、由衣は伊瀬知に向かい質問をする。

「伊瀬知さん、この先生たちのオーラ見えますよね?」

「あっ!」質問するまで存在に気が付いていなかったのか、伊瀬知は声を上げると、由衣を指差した。そして走ってやって来る。

「あ~、この先生のおっぱい大きい」保育士の胸を指差し、ニコニコと笑う。

いや、由衣ではなく、おっぱいに向かい走って来ただけだったようだ。おっぱい好きは障害うんぬんではなく、伊瀬知自身のただの好みなのかもしれない。伊瀬知は保育士たちの周りをグルグルと回りだし、まるで感情を押さえられないように笑い続けている。楽しそうな伊瀬知。それに反してどうしていいか分からずに立ち尽くす保育士たち。そんな膠着状態を打ち消したのはやはり伊瀬知だった。

「きゃあっ」という保育士の叫び声と共に、伊瀬知が保育士のスカートの中から顔を覗かせたのだ。

「伊瀬知さん! 駄目です! 痴漢で逮捕しますよ」由衣は少し強めに言葉を投げかけたが「駄目ですか~?」と、きゃっきゃと、はしゃぎ出し、気にも留めない様子の伊瀬知。由衣は少し頭に来て、伊瀬知を捕まえようと追いかけた。しかし追いかけっこでも楽しむかのように逃げる伊瀬知。罪悪感のかけらもなく、楽しそうに走り回っている。そして今度はもう一人の保育士のスカートをまくりあげた。保育士の叫び声の中、由衣はついに伊瀬知を捕まえると、伊瀬知の頭にげんこつを浴びせる。自分でも驚いたが、由衣はいつの間にか伊瀬知に対し、小さな子供を相手にするように接していた。伊瀬知の図体はデカイのに、まるで子供を叱っているような気分だった。

「うわ~ん」と大きい声で泣き出す伊瀬知。「ごめんなさい~」と泣いている。泣き声はうるさいが、とり合えず伊瀬知は大人しくなったようだ。

「伊瀬知さん、先生たちのオーラの色見える?」由衣はさっきと同じ質問を伊瀬知にした。涙を堪えつつ、頷く伊瀬知。叱ったからか、言うことを聞くようになった。

「じゃあ、この先生たちのじゃないオーラの色、見える?」

「うん、薄いのがたくさん見えるよ」

「どの辺にたくさんある?」

「下の方」おそらく下の方は園児たちのものであろう。

「上の方にはない?」

「あるよ。濃いのも薄いのも」濃いということは新しいもの。つまり事件後にこの教室に入った刑事や鑑識たちのものだろう。

「薄いのもたくさんあるの?」

 教室を見回す伊瀬知。「ううん。一つだけ」

「何色?」

「紫」

「先生たちの色とは違うんだよね?」

「うん」

時間がたっているもので、唯一残されたオーラの色。おそらく犯人のオーラの色は紫。やはり犯人が指紋を消そうが、どうしようが、オーラの色は消えないようだ。

「その紫のオーラって、どこに付いてるか教えてくれる?」

「ここと、そこと……」と言いながら、歩き出す伊瀬知。

 紫色のオーラは園庭側の窓に向かって続いていた。伊瀬知の共感覚によると、犯人はここから逃走した、ということになるようだ。目撃情報どおりだった。つまり犯人のオーラの色は紫に間違いない。


「あっ、伊瀬知さんはその辺でちょっと遊んで待ってて」由衣が園庭の遊具の方を指差し、そう言うと、伊瀬知は「うん!」と答え、嬉しそうに遊具の方に向け走って行ってしまった。

改めて伊瀬知の言動を保育士たちに謝罪すると、事件についての聴取をおこなった。犯人に向かい園児を突き飛ばした方の保育士、伊瀬知流に言うならばおっぱいが小さい方の保育士、神埼あゆみは自分が園児を殺してしまった、という後悔にさいなまれ退職を考えているという。もちろん恐怖の中での錯乱だった訳で、彼女を直接攻める人は少ないかもしれない。だが彼女の行動が園児を死に追いやったこともまた事実。彼女は一生その十字架を背負い生きていくことだろう。

特に保育士たちからは新たに得られた情報もなく、由衣は保育士たちに御礼を言い、教室を後にした。


園庭に出ると伊瀬知はブランコで遊んでいた。

「伊瀬知さん! 行くよ~」と声をかけると、「は~い」と、伊瀬知は素直に戻ってくる。

戻ってきた伊瀬知は至極当然といった様子で、横を歩きながら、由衣の手を握った。


「さっきと同じ紫色のオーラ見つけたら教えてもらえる?」由衣は教室を出てからの犯人の足取りを追うことにした。

しかし、さすがに教室の中とは違い、外では犯人が触れた個所は格段に少なく、紫色のオーラは、正門にのみ残されていった。

 目撃者、教材納品業『教育のウサギ社』の柴咲弘二の証言とも一致している。柴咲の目撃証言によると、正門を出た犯人は停めてあった自転車に乗り、駅方向に逃走したという。 


伊瀬知と由衣は徒歩で駅方向に向かい歩いて行った。その後、紫色のオーラは発見できなかったが、これは想定内。事前に伊瀬知と行っていた打合せどおりの展開だった。

伊瀬知は今日の捜査が終わるまでは能力を解かず、共感覚と四色型色覚を使い続ける予定となっている。これは一日に何度も能力の代償であるパニック発作を体験したくない、という伊瀬知の希望でもあった。ただし、それでは捜査中に事件について伊瀬知と話し合うことが不可能になってしまう。その為、今日の捜査の流れを前もって話し合っておいたのだ。

簡単にいうと、まずは幼稚園での事実確認。保育士二人と犯人のオーラの色の確認。その後は、自転車で逃走した犯人の足取り探し。自転車や目撃情報などが見つかった場合は、周辺の監視カメラの有無を確認。発見された場合は、監視カメラの映像解析。犯人の顔と身元を割り出す。という大まかな流れだ。

今回の犯人は指紋を消して犯行に及んでおり、覆面やサバイバルナイフなどの犯行道具からも、事件は計画的犯行だと考えられる。ならば逃走用の自転車に、足取りや証拠品になりかねない自分の自転車を使用する可能性は低い。恐らく盗品か、乗り捨てられていた自転車などを使うことだろう。それと犯人は普段の行動範囲内で犯行を犯す可能性は低い。もちろんまったく知らない土地というのも心理学的には考えにくい。よって犯人の普段の行動範囲を円で囲み、その円の外回り数キロ圏内が犯行場所に選ばれる可能性が高い、と思われる。

駅方向に犯人が逃走したというのならば、駅の周辺で自転車を乗り捨て、電車か、駅近くのパーキングにでも停めてあった、自分の車で逃走した、という可能性が高いだろう。もちろん自転車でそのまま逃走、ということも考えられるが、目撃されるリスクを考えると、やや現実的とは思えない。タクシーなどでの逃走も考えられるが、それでは運転手に顔を覚えられる可能性がある。計画的犯行ならばタクシーはまず使わないだろう。そこで今すべきことは、駅周辺に乗り捨てられている可能性が高いであろう、犯人が逃走に使用した自転車を発見すること。自転車が発見された場合は、その後の犯人の逃走経路を見つけ出すことだ。


 由衣は信号待ちで止まると、伊瀬知に声をかけた。

「そういえば犯人のオーラの色は紫色として、さっきの先生たちは何色だったの?」

「おっぱいが大きい先生が黄色、もう一人の先生はピンク色だよ」

由衣は歩きながらメモをとった。


伊瀬知と由衣は、まず駅周辺に不法駐車されている自転車を見てまわった。しかし伊瀬知によると犯人と同じ紫色のオーラが付着した自転車はない、ということであった。他にも個人経営の駐輪場や、店舗の敷地内に止められた自転車など、数ヶ所をまわったが結果が変わることはなかった。

最後は駅前の駐輪場。契約者や一時利用の客が利用することから、可能性は低いかもしれないが、確認しない訳にもいかない。しかし三階、二階、一階とまわり、そのつど伊瀬知に確認をとったが、犯人が使用したと思われる紫色のオーラが付いた自転車が発見されることはなかった。

予想がハズレたのであろうか。由衣は他に可能性のある場所がないか熟考した。すると暇をもてあまし、場内を走り回っていた伊瀬知が、嬉しそうに飛び跳ねながら戻ってくる。

「おんなじ紫色あったよ」得意気にニコニコとしている。

「ホントに? どこに?」慌てる由衣であったが、対照的に伊瀬知は動こうともしない。

「僕が見付けたんだよ」

そうか、分かった! 伊瀬知は誉めて欲しいんだ。「すごいね~。えらい」由衣がそう言い伊瀬知の頭を撫でてやると、「えらい! えらい!」と自分で言い、きゃっきゃと飛び跳ねた。

「どこで見付けたの?」

「こっち」今度は早く見せたくて仕方がないのだろう。由衣の手を引き、小走りで向かって行く。

由衣が連れて行かれた場所は駐車スペースから少し離れた場所。一階奥の隔離された場所だった。伊瀬知は「この自転車だよ」と指をさす。

駐輪場の管理人に確認をとると、駐輪場を利用する自転車には定期契約のシールか、一時契約の紙が付いている、ということだった。つまり、それ以外はお金を払わず無断で置かれた自転車ということになる。裏からの出口には人は配置されておらず、度々不当に利用する人がいるのだという。そういった自転車は一ヶ所に集められ、一ヶ月ほど経つと別の場所に運ばれて行くのだという。その不当利用の自転車が置かれた一画に目的の自転車はあった。由衣は管理人に事情を説明した後、漆原に電話をかけ、犯人の自転車の確保と鑑識の要請をおこなった。


あとは犯人のその後の足取りだ。とりあえず駅前のコインパーキングを十ヶ所ほどまわってみる。しかし紫色の痕跡も、紫色が付着した車も発見には至らなかった。仕方なく今度は電車を利用した可能性を考え、駅に向かってみる。しかし利用者が多い駅では券売機にも、自動改札にも大量のオーラの色が付着しており、犯人の紫色が付いているのかは伊瀬知にも分からなかった。一応駅のホーム内も確認させてもらったが、紫色の痕跡はなかった。

現時点で伊瀬知と由衣にしか出来ない捜査。それはオーラから犯人の顔を断定すること。伊瀬知はテレビや映像の中の人物のオーラの色も見ることができるという。自転車駐輪場と、駅の防犯カメラの映像を提供してもらい、紫色のオーラを持つ人物を探してみることにした。日付や時間は限定されている。そんなに辛い作業ではないはずだ。防犯カメラの映像を映像保存サーバからコンパクトフラッシュメモリ(CF)にコピーし、伊瀬知の部屋でノートパソコンを使い確認をする。

現在、午後八時。時間的にこれが今日最後の捜査となるだろう。つまり犯人の顔が分かり次第、伊瀬知は能力を解除し、もとに戻る。つまり激しいパニック発作がやってくる訳だ。それがこの作業を伊瀬知の部屋でやる理由でもあった。外で苦しまれたら、由衣はどうしていいのか分からず、あたふたすることになるだろう。だがそれが伊瀬知の部屋ならば、伊瀬知も多少は安心出来るだろうし、由衣は今朝の漆原の動きを見て、薬の場所も分かっている。伊瀬知に命の危険がないことも。

「さあ、始めようか。幼稚園で見た紫色のオーラの人がいたら教えてね」

「うん」

事件は昨日の午前十一時頃に起こった。犯行を犯し、急いで自転車で駅前の駐輪場に向かうには、最速でも五分はかかるはず。駐輪場正面入り口の映像から、チェックを開始した。時間は午前十一時五分からの一時間。平日の昼間ということもあり、利用客は十人ほど、しかしその中に紫色のオーラを持った人物はいなかった。そして次に見たのは駐輪場裏口の映像。やはり利用客は少なかったが、午前十一時十七分の映像に伊瀬知が声をあげる。

「あっ、この人、幼稚園にいた人と同じ紫色!」

 由衣はその声を聞き画面に釘付けになるが、画面には顔はおろか、自転車を押す人物の後ろ姿しか映ってはいなかった。紫色のオーラの人物は自転車を押し、駐輪場の中へと去って行く。しかし五分後、同じオーラを持つ人物が再び自転車を持たずに出てきた。男の顔ははっきりと確認することが出来る。もちろん伊瀬知もこの男が、オーラが紫色の人物だと証言した。つまりこいつが犯人。この男が駐輪場を出たのは午前十一時二十二分。こいつが電車を利用し逃走したかどうかは、駅の自動改札機の監視カメラを見ればはっきりとするだろう。


紫色のオーラを纏った男は、午前十一時二十六分の自動改札機の監視カメラ映像に映っていた。男は年齢が二十代半ば程で、中肉中背、黒のキャップを被り、上下黒っぽい服装。映像に映る自動改札機や自動販売機との比較により、身長は170~175センチ程と推測される。この男は一体何者なのであろうか。

とりあえず、犯人の顔を確認することは出来た。捜査初日としては上出来だろう。映像をプリントアウトして、今日の捜査は終わりを迎えた。


「伊瀬知さん、もう捜査終わったんで、戻ってもいいですよ」

「もう終わりですか? 終わりじゃないですか?」

「もう終わりです。お疲れ様でした」

由衣の言葉を聞き、伊瀬知は静かに目を閉じた。


「大分掴めたな。犯人の写真を持って、明日は聞き込みにまわるぞ」伊瀬知は目を開くより早く言葉を発した。

そして、それとほぼ同時に眉間にしわを寄せる。苦しみだす伊瀬知。その姿は今朝見た時よりも苦しそうに感じられ、手足もやはりしびれているようだった。大きく息を吸い、胸をおさえている。今回は激しい片頭痛も伴っているようだ。時折、頭を押さえている。

由衣は漆原同様、薬と水を手渡した。

「あ……りがとう。少しすれば……落ち着くはず……だ」伊瀬知は苦しそうに荒い呼吸の中、由衣に御礼を言った。

「大丈夫なんですか?」

 伊瀬知は苦しみながらも頷く。

「それじゃあ、私は今日分かったことを整理しておきますね」


「まず、犯人の逃走経路に間違いはないもよう。犯人は幼稚園の正門付近で自転車に乗り逃走。午前十一時十七分に駅前の駐輪場に自転車を放置後、十一時二十六分に駅の自動改札機を通過、電車にて逃走。伊瀬知さんの能力により、犯人のオーラの色は紫色と判明。保育士の二人、子供を突飛ばした方『神埼あゆみ』のオーラの色は黄色。胸の大きい方『喜多川紗己』のオーラの色はピンク。犯人が逃走に使ったと思われる自転車は回収済み。また防犯カメラの映像から、紫色のオーラを持つ、犯人と思われる人物の写真及び、映像を入手」


伊瀬知が聞いている余裕があるのかは分からなかったが、声に出しながら手帳に書き込んだ。

「明日は写真を持って聞き込みですね」

壁に掛けられた時計に目を向ける。午前零時十五分。

「あっ、もう今日か……こんな日に何してんだか」由衣は独り言を呟いた。

 伊瀬知が落ち着きを取り戻したのは、それから三十分程してからだった。伊瀬知が落ち着くまで、ユーチューブを見て暇を潰していた由衣に、伊瀬知が申し訳なさそうに言った言葉は、意外なものだった。

「さっきの今日のまとめ。間違いがある」

「えっ、ホントですか? どこがですか?」

 何故か言い辛そうな態度を見せる伊瀬知。「保育士二人のオーラの色が違う。子供を突き飛ばした方はグレーで、胸の大きい方は水色だ」

「えっ、でも私が聞いた時、伊瀬知さんは黄色とピンクって言っていませんでしたっけ」

「あれは……保育士二人のパンツの色だ。すまん」

「えっ? あははははっ」意外な答えに由衣は大笑いをした。

「それじゃあ、伊瀬知さんも落ち着いたみたいだし、私帰りますね」

「ああ」

襖のところまで来た伊瀬知に、「伊瀬知さん。おっぱい好きはともかく、スカート捲りは犯罪ですからね。おやすみなさい」と由衣は冗談っぽく言った。

恥ずかしそうにしている伊瀬知の態度に、由衣は笑みを浮かべながら、仕事から日常へ、警察官からぐうたら娘へと戻っていった。


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