エピローグ
「伊瀬知さん、お久しぶりです」
由衣は伊瀬知の家を訪れていた。
「そうか? まだあれから三日しか経っていないぞ。そんなことよりも早く金をよこせ」
伊瀬知は由衣がほっとするほどに、伊瀬知のままであった。ぶれないファッションセンス、言葉遣い、伊瀬知は間違いなくここにいる。
「はいはい、八日分で十二万円。ちゃんと漆原さんから預かって来ましたよ」由衣は漆原から預かってきたお金を、伊瀬知に手渡した。
「あんなに苦労したのにこれだけか。まったく警察って奴は税金でなりたっているくせにケチすぎる。これじゃあ生活が出来ん」
確かにあれだけの苦労を考えれば、決して高い金額ではない。
「おっ、そう言えば君は昇進したんだったな。給料もさぞかし上がったことだろう」
「だから何なんですか!」
伊瀬知は何か言いたげに、ニヤニヤと微笑むと由衣に近付いてきた。
「二万貸してくれ! 頼む。君も大切なパートナーが餓死してしまったら困るだろう」伊瀬知は両手を合わせ、由衣に頭を下げた。
「別にいいですけど、ちゃんと返して下さいよ」
「ああ、次の事件が解決したら、その金で返す」
「本当ですよ」由衣は財布から二万円を取り出すと、伊瀬知に手渡した。
「あっ、これは伊瀬知さんの彼女に」
由衣は伊瀬知の彼女用に買ってきた物を、伊瀬知の前に置いた。
「ああ、すまん。助かる」
「それにしても驚きましたよ。華村家の別荘から脱出した後、伊瀬知さんが深見美沙を探しに、再び別荘内に戻るなんて思いもしませんでした」
「いや、あれは……なんだ、君が後からやって来た刑事たちの相手で忙しそうだったから、暇を持て余していただけで……」由衣は伊瀬知のこの言葉が、本当の伊瀬知の言葉でないことを知っている。あれだけ別荘内では深見美沙について冷たい態度をとっていたのに、結局は彼女を助けに行き、身寄りのなくなった彼女を引き取った、伊瀬知という男の優しさを。
「美沙~」伊瀬知が彼女に呼びかける。
伊瀬知の声を聞き、深見美沙が伊瀬知の元へと走ってきた。
「おばちゃんが美沙に御飯を買ってきてくれたぞ」
伊瀬知は深見美沙の頭を撫でながら、私が買ってきた缶を開け、深見美沙にあげた。
「おばちゃんじゃないですよ! 美沙ちゃ~ん。お姉ちゃんが買ってきた御飯は美味しいですか~」由衣も深見美沙の頭を撫でる。
深見美沙は幸せそうに、まるで御礼を言うかのように、由衣を見つめ「にゃ~」っと、一言鳴いた。
「伊瀬知さん、聞きました? 私に御礼言いましたよ」
「いや、俺にはお姉ちゃんじゃね~し、って聞こえたぞ」
「それにしても、喜多川さんはなんで猫に深見美沙なんて名前を付けたんですかね」
「理由は分からんが、喜多川が美沙を可愛がっていたことは間違いない。もしかしたら、寂しかったのかもしれないな。他人の心の中なんて、誰も分からない。ただの猫である美沙を親友として、心の拠り所にしていたのかもしれない。気が強く、何者にも負けない人に見えても、実際は虚勢を張っているだけで、脆く弱い人間だ、なんて実例は、昨今の世の中に溢れかえっているからな」
「そう言えば、柴咲さんの意識が戻ったそうですよ」由衣は、嬉しそうにお金を胸の内ポケットにしまっている、伊瀬知に語りかけた。
「そうか、まあ終わった事件の犯人が死のうが生きていようが、俺には関係ないがな」そう悪態をつく伊瀬知ではあったが、表情は嬉しそうな笑顔を作っていた。この笑顔がお金に向けられているのではなく、柴咲へと向けられていることも由衣は分かっている。
「そうだ、あのバイオ何とかって能力何ですか?」
「バイオ・エレクトリシティだ。体内に二百ボルトほどの電気を溜め込むことができ、それを放出することで、スタンガンのようにショックを与えたり、電球を光らせたり、コンセントを握ればテレビもつけられる。メリットは脳に障害を与えなくても使える点だ。だが、自分の意思で操ることが難しくてな。まだうまく力をコントロールできないから、君には話してなかった。俺も現場で使ったのは今回が初めてだ」
「そんなの実戦でよくうまくいきましたね」
「俺は天才だからな」
「天才は、自分で自分のこと天才だって言わないんじゃないですか?」
伊瀬知は答えることなく無言であった。もうこれ以上この話を広げるつもりはないのだろう。
「それにしても華村大駕は何故、自分の父親である華村文雄を殺したんですかね」
由衣は唯一、腑に落ちていなかったことについて、伊瀬知に意見を求めた。
「んっ、君は分かっていなかったのか? それに華村文雄を殺したのは華村大駕じゃないぞ」
「えっ? どういうことですか?」
伊瀬知の言葉は由衣の想像を絶するものであった。
「俺は事件を解決したが、華村大駕が華村文雄を殺したなんて、一言も言っていないだろう」
「じゃあ、何で華村文雄が誰に殺されたのか、教えてくれなかったんですか?」
「確証がなかったからだ。だが昨日それも解決した」
「昨日? まだ捜査を続けていたんですか?」
「ああ。君は華村大駕の母親、つまり華村文雄の奥さんを知っているか?」
「はい。有名人ですもんね。確か、大村麗華とかいう名前で女優さんをしていたんですよね。華村文雄とは歳の差が十八歳でしたっけ?」
「華村文雄は四十一歳の時に、華村文雄の子供を妊娠していた大村麗華と再婚した。もちろん腹の子は華村大駕。大村麗華が二十三歳の時だった」
「再婚?」
「華村文雄は大村麗華の妊娠が発覚した際、他の女性と婚姻関係にあった。夫婦には三歳になる子供もいた。前妻の名前は『佳也子』という。子供は家を留守にしがちな父親の文雄にはあまり懐かず、母親の佳也子にべったりだったという。それも多少の理由だったのかもしれないが、大村麗華の妊娠が発覚すると、華村文雄はえらく喜び、大村麗華と再婚をする為に佳也子と三歳になる子供を家から追い出したんだ。もちろん無理やり離婚させられ、慰謝料すら払われることはなかった」
「ひどい……」
「佳也子は子供と共に小さなアパートへと引越し、生活の為に、朝も夜も寝ずに働き続けたという。しかし、そんな生活が長く続く訳もない。子供が十一歳の時だった。佳也子は過労がたまり、命を引き取った」
「子供はどうなったんですか?」
「子供は児童養護施設へと引き取られ、そこで十六歳まで育った。その後は母親の影響で好きだった料理を職とすべく、ある店で住み込みとして、働きながら調理師免許を取得し、努力の末、一流シェフの道を切り開いた。子供はその店の料理長を任される程に成長し、料理の道を上り続けていたという。そう、三ヶ月前までは」
「まさか、その子供って」
「佳也子の旧姓は佐藤。子供が料理長を務めていたレストランは赤坂の『ソン・ドゥ・ラ・プリュイ』という店。ああ、俺たちがあの別荘で出会い、最後は柴咲によって殺されてしまった人物。佐藤正二郎は華村文雄の子供だったんだ。つまり佐藤正二郎は華村大駕の実の兄だった、ということだ。もちろん華村大駕は、佐藤正二郎が兄だったということは知らなかっただろう。むしろ兄がいたことすら教えられてはいなかったかもしれない」
「それじゃあ、佐藤が華村文雄を殺したのですか?」
「ああ。おそらくは母親である佳也子の復讐だ。俺は昨日『ソン・ドゥ・ラ・プリュイ』に行き、佐藤を雇ったオーナーに話を聞いてきた。オーナーは自分の子供のように佐藤を育て、可愛がっていたという。もちろん佐藤もオーナーには心を許しており、母親のことや、自分たちを捨てた父親についても話をしていたという。もちろん父親に対して佐藤が恨みの感情を抱いていたこともオーナーは知っていた。今まで辛い境遇で育ってきた佐藤にオーナーは共感し、佐藤を立派に育て上げた。自分の店の料理長として、オーナーは誇らしくも感じていたという。だがそんな折、佐藤が退職願いを提出した。オーナーにとっては突然のことだったという。いくら聞いても理由は話してくれなかった、ということだった。おそらく偶然、佐藤は自分たちを捨てた父親、華村文雄の別荘で管理人を募集していることを知ったのだろう。そして復讐の為、身分を隠し華村家の使用人となった。しかし華村文雄への復讐というのは建前で、本人は気付いていなかったもしれないが、心の底では父親の愛情を求めていたのかもしれない。もしかしたら、佐藤のことに気が付き、謝罪の上、佐藤のことを文雄の子供として、受け入れてくれるのではないか、という父親の愛情というものに幻想を抱いていたのかもしれない。しかし華村文雄は幻想とは程違かった。佐藤の顔はおろか、佳也子のことすら忘れていたんだ。おそらく佐藤はあの部屋で、気付かない華村文雄に対し、自分の素性を明かしたのだろう。だが華村文雄が、佐藤を受け入れることはなかった。むしろ財産が目当てだと、佐藤や佳也子を罵倒したに違いない。佐藤にとって、それがどれだけショックで、憎々しいものだったかは計り知れない」
「それが、佐藤さんが華村文雄を殺した理由……」
「ああ、佐藤は三ヶ月間、管理人として別荘に住むようになり、その間に別荘の秘密にも気が付いたのだろう。華村文雄に復讐する為に、別荘の秘密については気が付かないフリをして、逆にそれを利用しようと考えた。そしてチャンスが巡ってくる。華村大駕がおかしなゲームを開催し、俺たちをあの別荘へと集めた。佐藤にとっては華村文雄に復讐するまたとないチャンスだった訳だ。いうなれば俺たちを含め、たくさんの人たちを巻き込んだ華村家の壮大な親子喧嘩って訳だ」
「あーっ! 私、華村大駕を華村文雄も殺害した人物として、被疑者死亡で送検しちゃいましたよ。どうしよう~」
「まあ、そんなこともあるさ。気にするな。今更、蒸し返す話でもないだろう。俺たちの胸にしまっておこう。結局、皆死んでしまったんだ。続きはあの世でやってもらうとしよう」
「それでいいんですかね? やっぱりまずいでしょ~」
こうして、伊瀬知と由衣の零係としての初めての事件は終わった。しかし事件に終わりはない。今も、そして、これからも零係は走り続ける。出発点、0(ゼロ)。零から始まる物語はまだ始まったばかりなのだから……。
「ブーッ、ブーッ、ブーッ」由衣のスマホのバイブ音が響き渡った。
「なんだ、屁か?」
「違います! 電話です!」
「はい、宮崎です。はい、渡しました。ええ、大丈夫です。えっ? はい、はい、分かりました。では一度そちらに戻ります。では」
「何かあったのか?」
「ええ、漆原さんから新しい事件の捜査依頼です。今度は『呪い』ですって! 伊瀬知さん行きますよ!」
「何処に行くんだ」
「警視庁です」
「俺は刑事じゃないんだぞ。俺は行く必要ないだろう」
「じゃあ、車で待っていて下さい。急いで戻ってくるので、すぐ捜査に行きましょう」
「ちょっ、ちょっと待て、その前にケーキを食べさせてくれ」
「駄目です! 私にお金を返す為にも急ぎますよ」
「ケーキが食いたい~! おい! こらっ! やめろ~!」
由衣は半ば引きずるように、伊瀬知を部屋の外に出すと、襖を力いっぱい閉めた。
階段を転げ落ちるように伊瀬知を下まで下ろし、車に放り込む……。
伊瀬知と由衣は今もここにいる。事件を追いかけ、事件の中に。見える景色は、鏡越しの世界のように偏ったものかもしれないが、人間らしさを、そして人間の醜いほどに必死なさまを見詰めて行こうと思う。人間なんて所詮人間なんだ。宇宙や、地球から見ればアリみたいなもの。人生は辛いことだらけだけど、楽しんで行こうと思う。
「ねっ? 伊瀬知さん!」
「何のことだ」
「何でもないですよ」
由衣は伊瀬知の肩を思いっきり叩いた。
「いててっ、何をする!」
「伊瀬知さん。行きますよ~!」
「おいおい、一課の刑事がスピード違反で捕まるなよ」
由衣は伊瀬知の言葉を無視し、アクセルを力いっぱい踏みしめた。
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著者の月坂唯吾です。
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