手がかり
響のセカイの中で、奏での歌声がリピートし続ける。
あの日ライブが終わって、奏での言葉を聞いたからあの歌声が鳴り止まない。
気がついたら家にいたし、気がつけば朝になっていた。
そんな心が抜け殻のように呆然とした中でも響の体はしっかりと学校へ来ていて授業を受けていた。
とはいえ、響の中で聞こえていたのは先生の言葉ではなく、彼女の歌声だけが亡霊の声のようにこだまし続けていた。
気がつけば、学校のいつもの席に座った状態でぼんやりとしたまま響はずっと窓の外を眺めていた。
「――何してんだろうね。私」
それは誰にも聞こえない小さな独り言だった。
むしろ誰にも聞いてほしくない言葉だとも言えた。自分の何もかもを否定する言葉だからだ。
それほどに、あのライブは衝撃的で。自分の中にあったものがすべて砂に変わって風に吹き飛ばされてしまったようだった。
自惚れと言ってしまえばそうだったのかもしれない。IFRITを結成する前から何もトラブルがなかったわけでもないが、響や他のメンバーのサポートもありそれは乗り越えられてきた出来事たちだったからだ。
だが、今回に関しては乗り越えようと思っても肝心要の相手がもう存在しないという目標の喪失も大きかったのだ。
「響……さん?」
呼びかけられた声に振り向くと、前髪が顔を隠すかのように伸びているまるで亡霊を思わせるような友人が響を見つめていた。
「あ、彩音? 驚かさないでよ」
「べ、別に。そ、そんなつもりじゃ……なかったんですけれど……」
不意を付かれて驚いた響の言葉に彩音の声がどんどん小さくなっていく。
――ほんと、IFRITの時とは別人だよね……。この子。
そんな事を考えながら、響は声をかけてくれた友人――黒崎彩音の方を見つめていた。
彩音はIFRITのキーボード兼作曲担当をしているメンバーだ。
普段はまるで幽霊と小動物を足して二で割ったような大人しさの塊のような子であるが、音楽に関連したこととなると一気に熱が入る。
元々、ネットで打ち込み音楽をメインに活動していた彩音だが、ひょんなことからIFRITに加入し、今ではその才能を存分に振るってくれている。
とは言え、普段の学校ではその大人しさのほうが目立つのだ。
そんな彼女が自分に話しかけてくるのが珍しくて響も驚いてしまったのが実状だ。
「どうかした?」
「あっ。えっと……そのいつもの響さんと違うというか、上の空だったので。な、なにかがあったのかなと」
この子にまで気づかれるなんてと思いながら、昔なら人の心配なんて全くしなかった彼女に心配されていることに少し奇妙な気持ちを持ってしまう。
「そんなに変だった?」
「響さんって、授業はすごい真面目に受けられてるじゃないですか。なのに今日は完全に先生の話も聞いていなかったみたいに見えたので……。先生に当てられたらどうしようと思ってしまったんです」
「あー……」
彩音の指摘は見事に的中している。響の学業の成績はあまり芳しくはない。
とは言え、IFRITの活動に支障が出てはいけないので授業だけはしっかり受けようと心がけていたのだ。
「ごめん、気をつけるよ。ありがとうね。彩音」
「い、いえ。……と、ところで何かあったんですか?」
彩音の言葉に響は正直に答えるか悩む。
どこか正直に言うことに抵抗を感じてしまったのだ。だがいい意味で変わっていこうとしている彼女の言葉を台無しにすることは避けたかった。
「ねぇ、彩音」
「は、はい」
「昨日のライブって見れたりする?」
「あ、はい。見れますよ。あそこは配信に力入れてくれるからアーカイブも見れるんです。放課後の反省会でみんなで見ようとは思ってましたし」
声が少し大きくなり、ネットなどの自分が得意とした話題になると落ち着いてくる彩音を見ていると今の彼女になら少しお願いしてもいいかなと考え始める。
「ねぇ、それって、うちのスマホとかでも大丈夫?」
「といいますと?」
「先にライブの動画を見ておきたいなって」
「なるほど。ちょっと待ってください」
本音を言えば、見たいのは自分たちの演奏ではなくAZULのやつだったのが、そこについては伏せておきたかった。
「うん、ちょっと画質は落ちると思いますが大丈夫です。あとでLINEでURL送ります」
「ありがとう。助かるよ」
「いえ、響さんが私を頼ってくれることって珍しいので嬉しいんです」
「いつも頼りにしてるけれど」
「そ、そうなんです?」
あ、元の小動物に戻りかけてる。そんなことを考えながらもう一つ彼女に聞いておきたいことがあった。
「ねぇ、彩音」
「な、なんでしょう?」
「私達の後に歌ってたAZULってバンドだけれど……」
「あー、オーナーが独断で入れた人達ですよね?」
「うん。……あの子達について知ってることってないかな?」
響としてはAZULのことに関して誰かに質問するということは、今の自分の心境を悟られる可能性があったのだが、彩音ならばそこらへんを指摘してくる可能性は低いと判断していた。
それに彩音はネットでの音楽の情報に詳しい人間だ。ならば自分よりAZULに関して知っている可能性があると思ったのだ。
彩音は少し悩んだ表情で何かを考えていたが、首を軽く横に振る。
「ごめんなさい……あの、お役に立てなくて……」
「いや、彩音が謝ることじゃないし」
響は今にも申し訳無さで泣きそうな彩音を慌ててフォローする。
「ただ……」
「ただ?」
「私達より後ってことは……オーナーはAZULってバンドのことを知っていた……ってことになりますよね」
「まぁ、そうなるよね」
「だったら、それなりに知名度とかありそうなんですけれど……聞いたことがないんです」
確かに、さっきまでライブの衝撃で頭がまともに考えていなかったが彩音の言う通りだ。
オーナーはなぜAZULが自分たちより後のトリを担当できると判断したのか。もちろん、彼女たちが有名であったならば問題はないはずだが、彩音が知らないというのであればなにか別の理由がありそうな気がした。
「それに……これは自信がないんですけれど……」
「大丈夫、間違ってても怒らないから」
「わ、私、帰ってからライブの動画をチェックしてたんです。そのときにどんな音楽なんだろうなってその後のAZULもみたんですけれど……」
本当に自信がないのだろう。彩音の声が聞き取るのも困難なほどに小さくなっていく。
そして、彩音の呼吸が荒くなっていく。
顔色がどんどん悪くなっていき、彼女の体が痙攣を起こす。
そんな彩音を見て、過呼吸を起こしてる。まずいと思った。
その彼女を心配する感情によってさっきまで何もないと思っていた自分の心の中で何かが動く。
そして、それと一緒に動かされるかのように気がついたら響は彩音の手をつかんでいた。
「落ち着いて。大丈夫、誰も彩音を怒ったりしない。失望したりしない。あなたを要らない子なんて言わない。だから、落ち着いて」
「ひ、ひ。ひ……響さん……」
彩音が一度大きく息を吸う。そして吐く。それをもう一度繰り返す。
「……ごめんなさい。落ち着きました」
「私こそ、ごめん。知らないうちに彩音を追い込んでた」
「そ、そんなこと無いです。ってAZULの件なんですけれど……」
「無理しなくても」
「響さんは怒らないって言ってくれましたから」
彩音が微笑む。この微笑が本当に彼女に似合っている。響は心の底からそう思った。
「どこかで聴いた気がするんです。それが何なのかはわからないですが……」
何かを思い出そうとする彩音だが、授業の再開を予告する予鈴によって遮られる。
「あっ……」
「大丈夫。時間はあるから」
自分のために頑張ってくれている彩音を見れば自分がこれ以上落ち込むってことが響としてはできなかった。
「ごめんなさい。放課後までには思い出します……」
そう言うと彼女は自分の席へと戻っていく。
響は戻っていく彩音を見て笑みを浮かべていた。
自分にはこうやって心配してくれる友だちがいるということが嬉しかった。
――なんだろうこの気持ち。
響のセカイのなかでわずかに動くその想いは彼女のセカイの大きな穴を少しずつ埋め始めていた。
ふと、響が周りを見ると教室中のみんなが自分のことを見ていた。
彩音とのやり取りをバッチリと見られていたことにようやく気づく。
響は急に恥ずかしさがこみ上げてきて真っ赤に顔を染めるのであった。