計画的犯行
音を立てずに部屋を出たはずだった。
だが玄関で靴を履いていると、背後から「どこ行くの?」と声がかかり肩が跳ねる。
振り返ると、腕組みをした母が壁に寄りかかり立っていて、暗闇の中からじっとこちらを見ていた。
「ごめん。起こして」
「それは別にいい。それより、いま何時だと思ってるの?」
「あー……うん。ごめん」
「……また司狼くんと?」
僕は気まずさを感じながら頷く。
嘘は苦手だ。いや、嘘というわけではないのだが、まったく正直というのも違う。
母を裏切っている。これから自分がすることで、きっと母に迷惑をかける。そう考えると、僕の胸が苦しくなる気がした。
「本当は、彼とはあまり深く付き合ってほしくないんだけど」
思案するようにそう言った母を、僕は意外な気持ちで見た。
泰虎には散々「あいつと付き合うのはやめろ」と言われ続けてきたが、母に言われるのははじめてだ。あまり人を悪く言ったり批難することのない母だが、それでも心の中ではそう思っていたのか。
「別に、司狼くんを悪く言ってるわけじゃないの」
僕の心を読んだかのように母が言う。
司狼を悪く言うわけではないが、深く付き合ってほしくない、とはどういうことか。首を傾げる僕に、母は困った顔をした。
「ただ、恐いのよ」
「司狼は母さんに暴力を振るったりはしないと思うけど」
「そうじゃなくて……。あんたを手の届かない遠くへ連れて行かれそうで、恐いのよ」
なんだか似たようなことをつい先日も聞いた気がする。
母の言う遠くとはいったいどこを指しているのだろうか。ぼんやりと考える僕に、母は「まあいいわ」とため息をついた。
「あんたが心を開ける唯一の相手だもんね。行っていいわ。でも、ちゃんとここに帰ってくるのよ?」
絶対に、約束。そう言った母の表情は、薄暗くてよく見えなかった。けれど声はとても真剣だったので、僕はしっかりと頷き家を後にした。
外に出ると夜の湿った匂いと静けさに包まれた。見上げた空に星はない。雲に隠れた月がおぼろげに見えるだけだ。
長い夜になる予感がした。
*
駅前の外付けコインロッカーエリアには、夜でも煌々と明かりがついている。
その眩しさに目を細めながら、僕はロッカーの二段目を開けた。入っていたシルバーのスーツケースはかなり大きいが、中身は空なので軽々と降ろすことができる。
スーツケースを貸してくれた犬井さんには、後でお礼をしなければ。だが、お礼に何をすればいいのかがさっぱりわからない。菓子折りを渡すのがいいか。それとも現金をスーツケースに入れて返すべきか。まあ、泰虎に相談すれば確実だろう。
スーツケースを転がしながら、鈴が丘に向かった。病院の正面玄関はもちろん閉まっているが、時間外通用口がある。小さな入り口から入り狭い廊下を進むと、受付がありそこで名前を記入した。
「こんな時間にお見舞いかい?」
受付にいた初老の警備員に声をかけられ頷く。
「姉が産気づいたようで。とりあえず色々荷物を届けに」
「そうかい。無事生まれるといいねぇ」
「ありがとうございます」
やり取りには緊張したが、すんなり通ることができてほっとした。
羽子さんの入れ知恵で、色々なパターンの言い訳を想定していた。怪しまれるのも覚悟していたのに簡単に信用されると、それはそれで罪悪感が生まれて困る。やはり僕は嘘が苦手だ。
スマホで時間を確認し、メッセージを送信する。エレベーターで緩和ケアの階に向かうと、扉が開かれた瞬間何かが飛びこんできた。
驚きながらも受け止めると、飛びこんできたのは白いワンピースを着た羽子さんだった。
「え……早くない?」
「同じ入院患者の人が協力してくれたんだけど、騒ぎを起こすタイミングがちょっと早くて。それより、ボタン! 早く下の階押して!」
「あ。そうか」
扉が再び閉まり、狭い箱の中にふたりきりになると、彼女はほっと息を吐いた。
「上手くいって良かった……」
「誰かに見られてない?」
「うん。ナースステーションは無人だったし、大丈夫」
「薬は?」
「ちゃんと持ってきました!」
斜めがけした小さなバッグを軽く叩き、羽子さんが笑う。
普通の服を着て、ベッドにいない彼女は、一瞬どこにでもいる元気な女の子に見えた。
けれど死の匂いは完全に拭いきれるわけもなく、骨の浮いた手足や、ステントの埋め込まれた胸元からもれ出ている。
それでも出会ってからいまがいちばん、羽子さんが生き生きして見える。
僕がこれからすることが正しいとは思わない。けれどいま、するべきことだと確信した。
「大丈夫そう?」
「もちろん。外出なんて久しぶりで、ドキドキしてる」
「そう。……じゃあ、行こうか」
スーツケースを大きく開き、羽子さんに向かって手を差し出す。
彼女は僕にエスコートされ、笑顔でスーツケースの中にその足を下ろした。




