公爵令嬢の裏の顔 ~婚約者は猛獣かと思いきや、ただの小動物でした~
黄金の獅子。
それが、年に一度王宮で開かれるデビュタントのお披露目で、レイディア・シュベルバーク公爵令嬢につけられた通り名だった。
腰まで伸びた豪華絢爛な黄金の髪に、鋭く彼方を射抜くが如き吊り上がった翡翠色の瞳。人形のように整った顔立ちはいかなる時でさえ泰然と揺るがず、身に纏うのは齢十にして既に見る者を震えさせるほどの王者の覇気だ。
成人すらしていないにも関わらず、国王陛下顔負けの風格を持つ少女。
美しい宝石や可憐な花に喩えられる令嬢は数いれど、獰猛な肉食獣の名を冠されたのは王国広しと言えども彼女くらいだろう。
同時に社交界デビューした第二王子の印象が霞み、むしろそんな人いたっけと首を傾げるほどのインパクトを、ただそこにいるだけで参加者に刻み込んだレイディア嬢の名は、一夜にして貴族たちの間に浸透した。
――さて、どうして俺がこのような逸話を思い出しているかといえば、そのレイディア嬢と現在、同じ室内で向かい合って座っているからに他ならない。
俺ことリュカ・サンロット侯爵令息は、ただ今絶賛お見合い中であった。
「…………」
「…………」
しかし、無言。圧倒的無言である。
お見合い場にあってしかるべき嬉し恥ずかしな雰囲気は当然、軽妙なトークや笑い声などは欠片たりとも存在しない。
この空間には、ただただ沈黙だけが満ちていた。
冷や汗が額を濡らす。気を抜けば痙攣しそうな指先で膝を掴みつつ、俺は極限まで気配を殺していた。
気分は肉食動物の獲物にならぬよう、必死で身を縮こまらせるウサギである。
はたしてこの気まずい時間が流れて、かれこれどれだけ経っただろうか。体感ではとうに数時間は経過しているはずだが、一緒に公爵家にお邪魔した両親が顔を出さないあたり、まだそれほど経ってはいないのだろう。
既に入室時に出された紅茶は冷めきっており、湯気と共に鼻先をくすぐっていた豊かな香りは何処かに消し飛んでいる。つまりは少なくともそれだけの間、俺はレイディア嬢と正面切って見つめ合っていたことになる。
恨みます、お父様にお母様。『あとは若いお二人で~』などと呑気にのたまって息子を見捨てやがった二人に神罰あれ。
そもそも、なんで俺がこんな目に遭わなければならないのか。
確かに今年で十四になる貴族の子息、それも侯爵家の嫡男が婚約者不在というのはあまり外聞がよろしくない。それはわかる。
この国の貴族は、十歳に王宮で執り行われるデビュタントで正式に社交界入りをするのが慣習だ。
それは同時に将来の伴侶の募集を公に開始するという意味でもあり、大抵の子息子女はデビュタント前から話し合っていた家と婚約を結ぶか、そうでなくともデビュタントから二、三年以内には相手を見つけることになる。
伯爵位以上の高位貴族の場合、ほとんど事前の相談で婚約者を決められる事情を鑑みれば、社交デビューから四年経っても相手を見つけられていない俺は何か貴族として欠陥があるのではと勘繰られても仕方がない。
だが、それは頭フワフワお花畑な両親が、『結婚なんて好きになった人とすればいいのよ~』と唐突に恋愛主義を持ち出し、ロクに相手も見繕わなかったからだ。
ひとこと言わせてくれ。そんな状況で婚約者が出来るわけないだろうが、アホかあいつらは。
侯爵家の子息と付き合いのある同年代の子供なんて、ほとんど同格かそれに近い家の子なんだよ。そしてそういう家は、とっくに婚約者も決まってるんだよ。何故それがわからない。
本日何度目かもわからないため息を飲み込みながら、俺は対面のレイディア嬢の様子を窺う。
あらためて見ても美しい少女だ。同年代どころか親世代まで遡っても、彼女に比肩する美貌の持ち主はいないと断言できるほどに、その容姿は突出している。
本物の黄金と見紛わんばかりに煌く御髪に、曇りなく澄み切った宝石の瞳。稀代の彫刻家が身命を込めて彫り抜いた彫像のように奇跡的に配置された顔のパーツに、瑕疵一つ見つからない艶やかな肌。
スラリと伸びた四肢や豊満な身体のラインは俺と同い年と思えないくらいに艶めかしく、もはや目の前にあるのは生物ではなく血の通っていない芸術品だと言われればまるっと信じてしまいそうになる。
本当に、外見だけで判断するなら彼女以上の優良物件はありえないだろう。
けれど、レイディア・シュベルバークという令嬢を語るのに欠かせないのは、やはり彼女が発するオーラとでも表現すべき威圧感である。
さながら、捕食者の前に連れ出された小動物のように、レイディア嬢に直面した相手は身がすくむ。理由もなく本能が彼女に逆らってはならないと訴えるのだ。平伏し、許しを乞えと叫ぶ。目を合わせるだけで命の危険を感じてしまう。
ゆえに生来持つ美貌と合わせて、レイディア嬢は社交界で『黄金の獅子』と囁かれ恐れられる。
噂では王族である第二王子すら、彼女との婚約を嫌がったと聞く。
所詮、噂は噂でしかないと思っていた俺も、実際に間近でこの威圧感を体験すれば噂は真実だったんだなと手のひらを返さざるを得ない。
一時であれば耐えられても、結婚すれば四六時中、それこそ寝所まで共にしなければならないのだ。まあ無理だよな、というのが結論だ。
また、レイディア嬢がこれまで臨んだお見合いがことごとく失敗に終わったという話も、この分だと事実なのだろう。
もしこのお見合いすら破談になれば、本格的にレイディア嬢は結婚相手がいないことになるのかもしれない。
あまり俺も人のことをとやかく言えないので、ある意味で似た者同士になるわけだ。
そう考えると、ちょっとした親近感も……ちっとも湧かんな。
オレ、被捕食者。レイディア嬢、ライオン。ガブリ、うまうま。合掌!
脳裏をなにやら馬鹿げた寸劇がよぎる。きっと俺も精神的に疲弊しているのだろう。
ふと、そこで彼女の目が俺から外れていることに気がついた。
少しばかり興味を引かれて視線の先を辿ってみれば、彼女が眺めていたのは紅茶と一緒に用意された色とりどりのクッキーの皿だった。
……やはりお腹が空いたのだろうか?
「クッキーが好きなんですか?」
「…………」
きっとその時の俺はどうにかしていたのだ。長時間にわたり拷問じみた重圧にさらされ、茹った頭に浮かんだ疑問がするりと止める間もなく口をつく。
瞬間、氷柱のように鋭い眼光に射抜かれた。
あっはっは、俺の馬鹿ぁぁぁぁあああああっ!!
獅子がそんな可愛らしいお菓子を食べるわけないだろうが! 主食は肉に決まってるんだるぅぉおおおお!!
死んだな、と俺は内心で覚悟を決める。いえ、嘘です。もっと生きたい。あと婚約者も欲しい。美人とか贅沢は言わない、優しくて俺を気遣ってくれる子ならオールオッケーで――
「…………………………………………はい」
「………………………………………………………………はあ?」
小さく紡がれたその声を、俺は聞き間違いかと思った。
俺のアホみたいな問いに、レイディア嬢が答えてくれるとは考えていなかったから。
まじまじと、生命の危機を感じていたことも忘れて俺はレイディア嬢を見つめる。レイディア嬢も、何が楽しいのかじっと俺を見返す。
いつまでも、いつまでも。
言葉は交わさない、最初と同じような無言の、しかし決定的に何かが違う時間が過ぎる。
やがてお見合いは、席を外していた両親と公爵夫妻が戻ってきたことで終わりを告げた。
結局その日、俺が彼女の声を聴いたのは、それが最初で最後であった。
侯爵家の屋敷に帰る途中の馬車で、お父様は俺に尋ねる。
「それでどうだった、シュベルバーク家のご令嬢は?」
「……そう、ですね。噂に聞いていたほど、恐ろしい人ではなかった……いえ、きっといい子なんだと思います」
「ふむ、そうか」
***
後日、正式なレイディア嬢との婚約の打診が公爵家から届いた。
お父様は、一言返事でそれを了承した。
俺は悲鳴を上げた。
***
あの精神をゴリゴリとすり減らすお見合いから一週間後、意図せずしてレイディア嬢の婚約者となった俺は、改めて公爵家に挨拶しに来ていた。
「ありがとう! 本当にありがとう! ようやくあの子の良さを理解してくれる相手に巡り合えた!」
「ええ、私はもうダメなんじゃないかって……うぅっ」
玄関ホールにてわざわざ出迎えてくれた公爵様が、目を潤ませ俺の手を力強く握りしめる。その隣では、嗚咽交じりに公爵夫人がハンカチで涙を拭っていた。
まさしく感極まったといった様子の二人だが、その後ろで並ぶ屋敷の使用人たちも、揃いも揃って婚約者が決まってよかったよかったとお祝いムードだ。
どうやらレイディア嬢は一様に恐れられている世評とは違い、両親を含め周りの人間からはとても愛されているらしい。
それでどうやったらあんな乱世を蹂躙する覇王様みたいな雰囲気の令嬢が育つのかまことに不思議ではあるが、ここでそれを口にすれば俺は屋敷の隅にでも埋められるだろうからダンマリである。沈黙は金なりや。
「レディは少々人見知りの上怖がりでね。加えて口下手だから勘違いもされやすいが、心根はとても優しい子なんだ。今日だって君が来ると聞いて、朝からどんなドレスを着るべきか一人で悩んでいたんだよ」
「え、誰のことですそれ?」
公爵様の口から語られた覚えのない令嬢の姿に、思わず真顔で聞き返してしまう。
幸いにも公爵様は流してくれたが……はて、公爵家の令嬢はレイディア嬢だけだったと記憶していたのだが、彼女には姉か妹でもいたのだろうか?
「――お父様」
するりと脳裏に滑り込むような冷たい声が響く。反射的に背筋を伸ばして公爵様の後ろを覗けば、そこにはシンプルなスカイブルーのドレスで着飾ったレイディア嬢が立っていた。
その美しい立ち姿は、まさしく絵画から抜け出してきた女神様の如き――立ち昇る威圧感と、切れ味鋭い剣の切っ先のような眼差しを無視すれば。
「おお、レディ! そんな恥ずかしがらなくてもいいんだよ。ほら、リュカ君に挨拶しなさい」
俺からすれば『余計なことを口走るな……消すぞ』と脅してるようにしか思えない目つきも、フィルターを挟んだ公爵様には羞恥に悶える可愛い愛娘がちょっと睨んできている程度にしか感じないらしい。これも一種の親馬鹿と言えるのだろうか。
その後はレイディア嬢が現れたことで、いらぬ空気を読んだ公爵夫妻と使用人一同に『さあさあ後は若いお二人でごゆっくり』と背中を押された俺は、彼女と二人で公爵家自慢の庭園を散策することになった。
確かに自慢とだけあって、公爵家の庭園は素晴らしいものだった。
単純な広さは言うに及ばず、幾多の名前もわからぬ樹々や植物が織りなすように、あるいは支え合い、混じり合い、それでいて全体が調和するように配置されている。
単体での美しさは当然、とある地点から見れば主役だった花が、場所と視点を変えれば別の花の背景として引き立て役になる。複雑なパズルのような組み合わせは、観覧者に飽きという感情を抱かせない。
俺には理解が及ばないが、きっと気づかないだけでまだまだたくさんの仕掛けや魅力が隠されているのだろう。
問題は、そんな見事な庭園の散策も、レイディア嬢と一緒の時点で『ハラペコ猛獣と一緒☆地獄巡りツアー』に早変わりする点……だった、の、だが。
何故、だろうか。
直前に公爵様が愛娘にデレデレする姿を見たからだろうか。
それとも、やはり先日の件が関係しているのか。
あれほど恐ろしいと思っていたはずのレイディア嬢の気配が、今日は少しだけ、大人しく感じた。
同じ空間にいるだけで心胆が震えるはずの彼女が隣で歩いていても、身体がカクシャクと固まることが無い。息が吸える。空気が軽い。僅かとはいえ景色を楽しむ余裕がある。
これはあれだろうか、俺がレイディア嬢に慣れたという事だろうか?
そう考えてこっそりと彼女の様子を窺うと、庭園の緑に負けぬ綺麗な翡翠の瞳が真っすぐ俺を見つめていた。
驚愕に肩が跳ねかけたのをこらえる。同時に、これまでレイディア嬢を俺のペースに付き合わせていたことにようやく気がついた。
男と女では、当然歩く速度も歩幅も異なる。女性にしては比較的長身のレイディア嬢とは言え、俺と比べればペースも遅いはずだ。
普通の令嬢なら、まず間違いなく文句を言う。マナーの教師もあきれ顔でダメ出しをするだろう。
それは実際に正しいし、今回は紳士としてエスコートの気遣いが出来ていなかった俺の方が悪い。
すまなかった――言わなければならないはずのたった一言が、どうしてか喉が詰まったように出てこない。
言葉も発せずに見つめ返す俺に、不意にレイディア嬢は目を逸らす。
その先には、メイドが休憩とお茶の準備を整えた四阿があった。
――婚約を解消、してもらうつもりだった。
いくら美少女だとしても、レイディア嬢と生涯を共にする覚悟が俺にはない。今日公爵家来たのは、俺が頭を下げて、婚約者の立場を辞退するつもりだったからだ。
だけど、喜びのあまり涙を流す公爵夫妻に出迎えられて、大勢の使用人たちにも歓迎されて、決心が鈍っている内にレイディア嬢と庭園に送り出された。
今、俺たちはあのお見合いの日のように四阿のテーブルを挟んで座っている。二人の間にまたがっているのは、やはりシンと水を打ったような沈黙である。
鼻先を、先日と同じ紅茶の芳醇な香りがくすぐっていた。それを認識して楽しめるだけの余裕が、今はある。
「…………」
レイディア嬢は、何も言わない。
婚約者のエスコートへの不満も、一向に提供されない会話の催促も、共にした散策への感想も。何も、求めてこない。
俺には、彼女がわからなくなった。
『人見知り』『怖がり』『口下手』。
本来ならば黄金の獅子とまで渾名される令嬢に相応しくないはずの単語が、グルグルと脳内で渦を巻いている。これまで俺が見て来たレイディア嬢の姿がそこに合致していく。
思い返せば、俺は特別彼女に何かをされたわけではない。凍えるような毒舌で精神をズタボロにされたわけでも、公爵家という権力を盾に屈辱的な命令を受けたわけでも、ましてや直接鞭で嬲られたわけでもない。
彼女はただ、そこに居ただけだ。何もせず、ただ居ただけなのだ。
恐れ、怖がり、避けていたのは――いつも、その周りの人間だった。
俺、だった。
よそで漏らせば鼻で笑われるはずの妄想に、現実という中身が注がれていく。これまで信じていたはずの常識が、ひび割れ始める。
「どうして、俺なんですか?」
いつしか、問いかけていた。
「なんで、俺との婚約を望んだのですか?」
胸が苦しかった。わけが分からなくなった。複雑怪奇に絡まり合った感情が膨れ上がって、どこでもいいから吐き出したい。誰でもいいから助けてほしかった。
俺は、一言呟いただけだ。
何気ない疑問を、うっかりと尋ねただけなのだ。
俺の問いに、レイディア嬢はその芸術のような無表情を壊さない。
しかし、一つゆっくりと瞬きをする。翡翠の瞳が、僅かに揺れる。
「…………初めて」
ポツリと桜色の唇から零れ落ちたのは、数えるほどしか聞いたことがない、それでもいやに記憶に残っている可憐な声だ。
「初めて、だったから」
噛み締めるように、素朴な幸せを味わうように、彼女は言う。
「初めて、私のことを、見てくれた。私のことを知ろうとしてくれた、人」
その時のレイディア嬢は、これまでと微塵も変わりないはずの無機質な表情をしていた。
だけど、確かに俺には彼女が笑ったように見えたのだ。
俺は、自分が恋に落ちたことを、自覚した。
***
後日、お父様は俺に得意げな顔で語った。
「ほら、婚約者をこっちで用意しなくてよかっただろう?」
俺は脳みそハチミツ漬けなお父様の顔面に拳を叩き込んだ。少しは反省しろください。
恋愛小説経験値がほぼ皆無な作者の悪ふざけ。
主人公が溺愛する続きも書こうと思ったけど筆が折れたんや……。
◇レイディア・シュベルバーク
・本作のヒロイン。生まれながらにして覇者の風格を備えている。コミュ障。
・公爵家という恵まれた生まれ、目もくらまんばかりの美貌、明晰な頭脳、他数々の優れた才覚など、天が二物も三物も与えた少女。だがコミュ障。
・基本的に表情が死滅しているが、内面はかなり豊かで夢見がちな乙女。いわばライオンの皮を被ったウサギである。将来の夢は『可愛いお嫁さんになって旦那様に手料理を振る舞う』こと。だがコミュ障。
・本来なら同い年の第二王子の婚約者になってもおかしくないのだが、自分が主役になるはずだったデビュタントを食われた第二王子は彼女のことを天敵レベルで嫌っている。だがコミュ障。
◇リュカ・サンロッド
・本作の主人公。王子様などわかりやすい物語のヒーローではない、等身大の少年。
・同年代の子供よりメンタルが強く、そのおかげでレイディア嬢の威圧に耐えられた。他に特別秀でたところはないが、逆に欠点らしい欠点もない普通を絵にかいたような人間。
・良く言えばおおらか、悪く言えば暢気すぎる両親に呆れているが、実際は彼のメンタルの強さは親譲りである。ある意味で似た者同士。
・この後、婚約者を溺愛するようになる。周囲からは『獅子を娶った男』としてよくわからない尊敬のしかたをされるようになった。




