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特殊ジョブ「勇者代行」が発動し、気が付けば勇者ハーレムを乗っ取っていた【後編】

作者: 彩星暎文

後編です。今回こそ爽やか路線に・・・バ、バカな! 手が勝手に・・・!




「ねぇルングさん。シャロンと何かあったんですか?」


 休息日。繁華街でミャナの買い物に付き合っていると、突然そんな事を聞かれた。

 じっとりとした疑いの目で、こちらを見つめてくるミャナ。どうも後ろめたいものを感じてしまって、即座にとぼける。


「な、ナンノコトカナー?」


「ルングさんにやたらベタベタくっついてません?」


「な、仲の良いのは良い事じゃないか」


「最近あのアル中女、発情した雌犬の匂いがするんですよね」


「雌犬っておま……」


「ルングさんも満更でもなさそうだし……面白くないです」


 これが女の勘というヤツだろうか。

 実はあれからシャロン……いや、シャーロットとは随分親密になった。昼の関係も夜の関係も。別にパーティに隠す事じゃないんだが、俺からは何となく言い出せずにいた。


「まぁいいです。今日はミュナにいっぱい付き合って貰いますから!」


「お、お手柔らかにな……」


 すでに両手は、大量の買い物袋で塞がっている。

 だが容赦なく、ミュナはショッピングを続けていく。そんなに買ってどうするんだとも思ったが「楽しそうなのでいいか」と諦めて溜息を吐いた。




 だがそんな楽しい休日は――――とある宝石店で台無しになった。


「すいませんが、あなたに商品をお売りする事は出来ませんね」


「ど、どうしてです!?」


 ミュナが焦ったように、店員に詰め寄っている。

 俺も拒否されている理由が分からない。しかし周囲の客は、彼女を見ながら馬鹿にするように笑っている。どうも嫌な感じだ。


「当店は200年の伝統を持つ由緒あるジュエリーショップです。そのブランドに相応しい相手にしか、商品を売らない事になっておりますので」


 誇らしげに店員が言うと、ミュナの顔色がどんよりと曇る。


「ミュナが……ハーフエルフだからですか?」


「理解しているなら話が早い。他のお客様の迷惑になるので、すぐに出て行って貰えないでしょうか」


 周囲を見回せば、誰もが蔑むような目でミュナを見ていた。

 ハーフエルフや獣人への偏見や差別があるのは感じていた。けれど、こんなに露骨に態度に示されたの見たのは初めてで、俺もショックを受けた。


 それでもミュナは食い下がった。

 ギッシリと金貨が詰まった袋を、店員に見せながら。


「で、でも、お金はあるですよ? 多少割高でもいいので……」


「フン……金さえあれば品格を買えるとでも? やはりハーフエルフだな。性根までも汚らわしい」


「っ……!」


 紳士の仮面を脱ぎ捨てて、罵倒する店員。

 言葉の刃に、びくりと身をすくませるミュナ。

 俺はもう我慢出来なくなり、店員の胸倉を力任せに掴み上げる。


「てめぇ……取り消せ!」


「ひいぃ! な、何ですか貴方は。憲兵を呼びますよ!」


「ミュナ! ダーク・ストームをぶちかまして、この腐った店をムカつく客ごと灰にしちまえ! 俺が許す!」


 俺の発言を聞いて、真っ青になる店員と客たち。ようやく目の前にいるミュナが、その気になれば自分たちを害せる存在だと気が付いたようだった。


「い、いいですよぉルングさん。よくある事ですから」


 激怒する俺を、逆になだめるミュナ。

 一番辛いのはこいつのはずなのに。そう思うと俺はもっと居たたまれなって、ここにいる奴等を全員殴り倒したくなった。

 けれどそれは許されないから……代わりに俺は叫んだ。


「ミュナは俺の大切な仲間だ! ハーフエルフだから何だってんだ!」


 そして沈黙する店内。誰もが俯いて俺と目を合わせない。

 けれど、こいつらはきっと反省してないし、変わる事なんてないんだろう。そう思うとやり切れない気持ちでいっぱいになった。


「ルングさん……」


 無力感に包まれる俺を、ミュナが呆けたように見つめていた。




 すっかり元気を無くしてしまったミュナを、彼女の部屋まで送り届ける。

 窓から外を見れば、日はすっかり暮れている。本当なら外食してくる予定だったが、今はお互いにそんな気分になれなかった。

 何か食べ物を買ってくるかと尋ねると、ミュナはふるふると頭を振った。


「ごめんなさい……」


 ミュナが椅子に腰かけながら、消えそうな声で謝罪する。


「何でミュナが謝るんだよ。お前は何も悪くないだろ」


「そうじゃありません。今までの事です」


「今までって……」


「ミュナは汚い女です。最初はドルガに取り入って……今度はルングさんを利用しようとしてました。あれだけ酷い事を言ってたくせに」


 怯えたように、俺に視線を向けるミュナ。

 閉ざされていた彼女の秘密が明かされる予感がする。俺はミュナの対面に座り、じっくりと聞く姿勢を取った。


「魔王を倒して、お金が欲しかったんです。山ほどのお金が。そして綺麗な服や宝石で身を包んで、お城みたいな豪邸に住んで。そうすれば……もう誰にも馬鹿にされないと思ってたんです。でもきっと無理です。ミュナは汚らわしいハーフエルフですから、死ぬまで馬鹿にされ続けるんでしょう」


 その時に俺は気付いた。ミュナも本当は宝石が欲しかったわけじゃない。高級品を買う事の出来る自分を誇りたかったんだと。彼女の浪費癖も、必要以上に飾り立てるのも、強烈な劣等感がさせていた事なのかもしれない。


「俺は田舎者だから実感が無いんだけど……そんなにハーフエルフへの差別って強いのか?」


「エルフと人間の交配は禁忌であり、その結晶がハーフエルフです。一昔前に比べれば大分マシになったと聞きますが……地域によっては人間扱いされません」


「そうなのか……ひどいな」


 人間扱いされない。それは一体どういう気持ちなんだろう?

 俺には、彼女の苦悩を想像する事しか出来なかった。


「ドルガにはペットとして扱われてました。ミュナの頭を踏みつけながら、アイツはいつも笑ってました。ミュナも捨てられたくなかったので、一緒になって笑いました。控え目に言ってドルガはクズですよ。まぁ、ミュナも人の事は言えませんけどね」


 自嘲した笑みを浮かべるミュナ。

 やはりドルガは最悪だった。彼女がどんな気持ちで耐え続けてきたのか……その気持ちを想うと、胸が張り裂けそうになる。


「でもルングさんがリーダーになってからは、すごく楽しかったです。ミュナを必要としてくれて。活躍したら褒めてくれて。気づいたらミュナ……本当にルングさんの事を好きになってたんです」


「……そうか」


「ダメですよルングさん。ミュナみたいな日陰者に優しくしたら。簡単に好きになっちゃうんですよ?」


 涙を浮かべながら微笑むミュナ。

 それはあまりにも儚げで、痛々しい笑顔だった。


 確かに最近は、ミュナの好意を感じていた。

 けれど、ドルガが復活すれば終わりになる関係だ。お互いに必要以上に踏み込まないことが大事だと思っていた。けれど今日、俺たちは決定的に近づいてしまったらしい。


 そんな事を考えているうちに、気づけばミュナの顔が傍にあった。

 可愛らしい桜色の唇から漏れた、微熱を帯びた吐息が俺の頬をくすぐる。


「お、おい……んっ……!?」


 一瞬の隙を突かれて、ミュナにキスされる。

 そのまま俺たちは床に倒れ込み、唇を離して見つめ合った。


「一生のお願いです。ミュナにルングさんを上書きして下さい。今まであった嫌なことを全部全部、忘れさせてください」


 ミュナは瞳を潤ませて、必死に懇願してくる。

 しかし、俺は混乱していた。突然の展開に頭がついていかない。だってこの前まで、メチャクチャ舐められてたのに! なんだこの健気な生き物は!


「ハーフエルフは嫌ですか? やっぱり汚らわしいって思いますか?」


「そ、そんな事はない! でも俺たちはパーティの仲間で……」


 ミュナの気持ちは、すごく嬉しい。

 彼女はハーフエルフと自分を蔑んでいるが、そうはいない可憐で美少女だ。

 けれどやはり、リリィの顔が頭に浮かび……俺を弱腰にさせる。


「シャロンの件はどうなんです?」


「ぐっ、それは…………!」


 ミュナの鋭い指摘に、俺は何も言えなくなる。

 それと同時に、シャーロットに手を出しておいて、今さらリリィに拘る自分が腹立たしくなる。リリィはただの友達なんだろうに。


「シャロンを切れというワケじゃありません。ただ……ミュナにも少しだけ、ルングさんの愛情を分けてほしいだけです」


「本当に……お前はそれでいいのか?」


「いいんです。ねぇルングさん……まだ何か言い訳しますか? これ以上、ミュナに恥をかかせないでほしいです。もしも断るなら……ミュナは自棄になって死んじゃうかもしれませんよ?」


 くすり、と蠱惑的に笑うミュナ。

 やはりミュナは小賢しい。このまま言い争いをしても勝てる気がしないし、ここまで言われたら男として引き下がるわけにはいかない。こんな時にも策を弄する彼女に、多少の苛立ちを覚える。


「きゃっ!」


 無言でミュナを両手で抱きかかえた。俗に言うお姫様抱っこ。

 ミュナは小柄で、重さなんてほとんど感じない。けれど、うっすらと脂肪を帯びた心地いい柔らかさが、ミュナが年頃の女という事を教えてくれた。

 そのままベッドまで運んで覆い被さると、ミュナが慌てて声を上げた。


「あ、あの。ルングさん!」


「なんだよ? もう止まれないぞ」


 ミュナは恥ずかしげに目を逸らし、尖った耳を真っ赤にして囁く。


「実は……これがミュナの初恋なんです。だ、だから……出来るだけ優しくしてくれると嬉しい……です」


 そんな事を言われたら、たまらなくなっちゃうだろうが。

 俺の理性はあえなく崩壊する。本当にミュナは策士だよな。




‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐




「よし……準備は万端だな!」


 俺たちは、アスガット討伐のための準備を終えていた。

 もはや周辺で苦戦するモンスターはいない。装備は最上品を揃えた。回復薬も買うだけ買った。後はなるようにしかならない。


「ついに旅立ちの朝が来た。今回の冒険も、あと少しで終わるだろう。必ずやアスガットを倒し『ヒュプノスの魔笛』を手に入れよう!」


 いつしかリーダーを任されていた俺は、城門の前で決起の挨拶を行っていた。リリィ、シャーロット、ミュナ……信頼に満ちた皆の視線を感じながら、空高く聖剣掲げて叫ぶ。


「大丈夫だ……俺たちならやれる! 最後まで力を合わせて頑張ろう!」


「「「お~~~~~っ!」」」


 皆が拳を掲げながら、気力に満ちた返事を返してくれる。

 今このパーティの士気は最高潮だ。実力も以前よりも遥かに底上げできたと思う。この調子なら、きっと目標を達成できるはずだ。


 良いパ―ティになったもんだ……と感慨に浸っていると、シャーロットが頬を染めながら、俺の右腕に絡みついてきた。


「ルング様……素敵ですわ。あなた様の進む道ならば、たとえ地獄の果てへもついていきます!」


 シャーロットの豊満な感触にクラクラしていると、今度はミュナが、飛びつくように左手に絡みついてくる。


「ひゅーひゅー、ダーリン! 今日も世界で最高にカッコいいですっ! ミュナってば、惚れ直しちゃいましたっ!」


 親に甘える子猫のように、全身で愛情を表現してくるミュナ。それを見ていると、つい微笑ましくなってしまう。


「ちょっとそこの浪費娘! ルング様に近づくのを止めて下さる!?」


「アル中女こそ、醜く腫れあがった脂肪の塊を、ダーリンに押し付けるのを止めて下さい!」


 いつものように、シャーロットとミュナが火花を散らし始める。


「わたくしは既に禁酒してますわ! 酒に酔わずとも愛に酔えますの!」


「リュナだって最近は貯金してます! 幸せな家族計画の為に!」


「なんですのおぉぉぉ!!」「やるんですかあぁぁぁ!!」


 ガキーン、とレスラーのように取っ組み合う二人。

 だが元凶である俺に、この争いを止める資格などない。俺に出来る事があるとしたら、刺される覚悟をしておくぐらいだ。


 しかし……平凡な村人の俺が、こんな二股野郎になるなんて。しかも、相手は両方とも超のつく美人ときたもんだ。一体どういう事なんだコレは。


 人生の不思議を噛みしめていると、視線を感じて振り返る。

 するとリリィが微笑みながら、こちらを見つめていた。


「仲良くていいね。ルングくん、モテモテだ!」


 朗らかに喋りかけてくるリリィ。

 だが、その笑顔はやはり仮面のように見える。


「あ、あの……リリィ。怒ってたりするか?」


「何で? 怒ってるわけないじゃない」


 ひょっとして、二股を軽蔑されているのかもしれない。

 そう思って聞いてみたが、リリィは意外そうな顔で否定する。どうやら嘘を言っている感じはしなかった。


「そ、そうか……」


「そろそろ出発しようよ。急がないと予定が狂っちゃうよ?」


「あ、ああ……」


「ほら行こっ!」


 白い法衣を翻して、笑いながら俺の手を引くリリィ。

 その神々しい姿を見れば、誰もが彼女を聖女だと認めるだろう。


 けれどその笑顔は……まるで感情が読めなかった。




 アスガットの居城近くに辿り着く頃には、陽はすっかりと暮れていた。

 手頃な洞窟があったので、キャンプを張って食事し、交代制で睡眠を取る。

 寝床に入ってからしばらくして、シャーロットとミュナが寝入ったのを確認した後、俺は気配を消して静かに立ち上がった。


「ルングくん。どうかした?」


 洞窟の入り口では、リリィが見張り役をこなしていた。

 今日は月が出ていて、灯りがなくとも互いの顔がよく見える。


「少しだけ話をしないか?」


「もちろんいいよ」


 俺が提案すると、リリィは快く受け入れてくれた。

 リリィの隣に腰かけて、しばらく他愛のない事を話す。

 そして頃合いを見計らって、懐から『ある物』を取り出した。


「その……突然だけど、これを受け取ってほしい」


「髪飾り……? どうして?」


 戸惑いを隠せないリリィに、俺は少し照れつつも意図を明かした。


「収穫祭まで少し早いけど。誕生日プレゼントだよ」


「あっ! 覚えてて……くれたんだ!」


 リリィの顔が、驚きの後に喜びに染まる。

 その反応を見て、間違っていなかったと安堵した。


 明日はアスガットとの決戦だ。勝てる自信はあるが、万が一という事があるかもしれない。その前に、心残りは無くしておきたかった。


「実は王都を出発する前に、買ってたんだけどな。リリィと話す機会が中々作れなくて渡しそびれてた。迷惑かもしれないけど……」


「嬉しいに決まってるよ! わあぁ……綺麗。でも、本当に貰っていいの?」


「友達なら贈り物をするのは当たり前だろ? 普段の感謝の気持ちさ」


「友達……そっか。なら受け取ってもいいんだよね……?」


「ああ。もちろん」


「えへへ……大切にするね」


 子供のように、無邪気にはしゃぐリリィ。

 先程までとは違い、彼女の笑顔は自然なものに感じる。

 それを眺めながら、渡して良かったと心から思えた。


 俺はしばらく天を仰いだ後、本題を切り出す事にした。

 空気が変わった事に気づいたようで、リリィも怪訝そうな顔をしている。


「最後に……それが渡せて良かった」


「最後? それってどういう……?」


「ドルガが復活したら、俺はパーティから抜けるからさ」


「…………え?」


 驚愕に歪むリリィの顔。

 ピシリと、聖女の仮面が割れる音が聞こえた気がした。

 リリィが立ち上がり、凍った笑みのままで詰め寄ってくる。


「ど、どうして? これからも一緒に居ればいいじゃない」


「それだと俺が……耐えれそうにないから」


「どういう……意味?」


「もうドルガに、理不尽に殴られるのはゴメンなんだ。自画自賛だけど、俺は充分に頑張ったと思う!」


「そんなことは私がさせないから! それに……ドルガだって今回の事でルングくんの事を認めるはずだし」


「いや、あいつは逆に腹を立てると思う。あいつは自分以外の人間が称賛される事が許せない。もう勇者の加護のせいで性根がねじくれちまってる」


「そんな……ことは……」


 リリィも、それは無いとは言えないのだろう。

 悔し気に俯くが、すぐに視線を上げる。説得を諦める気はないらしい。


「それと、皆とすごく仲良くなれただろ? それがまたドルガと一緒になって俺を攻撃するのるのかと思うと、流石に耐えるのは無理そうだ。彼女たちの本音を知ってしまった分……余計にな」


「きっとシャロンとミュナも、そんな事はもうしないよ……それに、ルングくんが居なくなったら悲しむと思う」


「……かもな。でも、パーティがギクシャクするのは避けられないだろ? そもそもドルガ中心のパーティだったんだ。原因が俺なら、抜けるのが当然だ」


「でも……でもっ……!」


 苦し気な様子で、どうにか説得の糸口を探すリリィ。

 それが少し意外だった。勇者パーティで味わった俺の苦痛は、決して軽いものではない。リリィならば充分に理解してくれると思っていたから。


 それだけ俺はリリィに想われていたのかもしれない。

 しかし嬉しい反面、虚しくもあった。彼女にはドルガがいるんだから。

 そんな複雑な想いのせいで、思わず余計な言葉を漏らしてしまう。


「けど、何よりも辛いのは………………いや、何でもない」


「……何?」


「何でもない」


「言ってよ」


「だから何でもないって。さて、そろそろ俺は行くよ」


 明かに口を滑らしてしまった。これ以上は泥沼になる。

 そう思い、俺は何事も無かったように立ち去ろうとするが、それをリリィは許してくれなかった。


「誤魔化さないで! 言ってよッ!」


 俺の腕をきつく掴み、激しい口調で問い詰めるリリィ。

 その表情は激情に彩られている。彼女とは二年以上の付き合いになるが、そんな顔は一度も見た事が無かった。

 けれど、怒鳴られる筋合いなんてない。いいから放っておいてくれ!


「うるせぇな……何なんだよっ!」


「……っ!?」


 怒りまかせに、俺は掴まれた手を振り払う。

 リリィはバランスを崩して、草むらに倒れ込んだ。


「俺たちは友達なんだろ!? ただの友達でしかねぇんだよ! これ以上俺の心に踏み込んでくるんじゃねぇよ!」


 せっかく離れる覚悟をしたのに! それを台無しにするなよ!

 俺がどれだけ悩んだと思う。俺が決意をしたのは誰のためだと思ってる。

 それ以上踏み込むな。そしたら全部がメチャクチャになる。


 けれどリリィは、それでも求め続けた。


「ふぐぅぅぅッ……お願い。言って……言ってよぉ……!」


「……ッ!」


 月光に輝くリリィの涙。今にも壊れてしまいそうな心。

 それを見て……俺の心臓が軋みを上げる。駄目だ。止めろ。言うな。


 すぐにでも駆け寄って抱きしめたい。けれど、そんな事は許されない。

 彼女には婚約者がいて、聖女という崇高な使命がある。俺とは立場がまるで違う。

 もし俺が自分勝手に彼女を求めても……いたずらに苦しめてしまうだけだ。


「お願い……ルング……!」


 だが、リリィは俺の名を呼んだ。悲痛な声で祈るように。

 もう……無理だ。どうにもならない。

 限界まで抑え続けてきた感情が――――爆発した。


「やっぱり君が好きなんだよ! 愛してしまってるんだ! どうしても心の中から消えてくれないんだ!」


 心の底からの叫び。言ってしまった。

 縛っていた心を、解き放ってしまった。

 けれど、もう止まらない。


「ドルガの傍にいる君を見るのは、もう嫌なんだ! 君がヤツの腕の中で抱かれていると思うと気が狂いそうになるんだ! 胸が死ぬほど痛くて張り裂けそうになるんだよ! もう俺を……君から解放してくれよ……!」


 気付けば、俺も涙を流していた。

 シャーロットといる時も、ミュナといる時も。

 どんなにリリィを忘れようとしても、決して忘れる事など出来なかった。



「あああああああああああッッッ!!


 突然リリィが奇声を上げ、俺の胸に飛び込んできた。

 その勢いで倒れそうになるが、慌てて受け止める。掴んだリリィの肩が、小刻みに震えていた。


「リ、リリィ?」


「うわああああぁぁッ! ああああぁぁッ!」


 顔を涙でグシャグシャにして、狂ったように慟哭しているリリィ。

 そのあまりの激しさに、彼女がどうにかなってしまったのかと思った。


「やだよ……ルングが居なくなるなんて嫌だよおぉぉ……ッ!」


 どんどんと、俺の胸を叩くリリィ。


「ずるいよ……ルングはずるいよぉ……! ひどいよぉ……!」


 泣きじゃくる彼女が、何を伝えたいのか分からない。

 けれど俺は何も言えず、されるがままになっていた。


「ルングさえ居なければ……私は愛されてるって……幸せなんだって……自分に嘘を吐き続ける事が出来たのに」


「リリィ……?」


「こんなに私の心をいっぱいにして! こんなに私の心をかき乱して! 私がおかしくなっちゃったのは、ルングのせいだよ! 私の前から居なくなるなんて、絶対に許さないんだからッ!!」


 リリィが何か大切な事を言っているのは分かった。

 その核心に触れようと、リリィに尋ねようとした時だった。


「それはどういう……ん、んんっ……!?」


 突然、リリィに唇を奪われる。

 そして草むらに押し倒され、馬乗りにされた。


「ぷはぁっ……ルング。好き。好きなのぉ……大好きぃ……!」


「お、おい!? ぷあっ……んむっ…………」


 俺の唇を、熱烈に貪っているリリィ。

 あまりの展開に、俺の思考は完全に停止する。

 散々好きにした後……ようやくリリィは唇を離した。


「私の事を好きって言ったくせに……浮気者。シャロンとミュナに手を出すなんて最低だよ……! この女たらし。いつか絶対に刺されるんだから」


「う、浮気って言われても……あの時リリィと俺は……」


「何か文句あるの?」


「な、ないです」


 理不尽だと思ったが、リリィが怖すぎて何も言えない。

 お互いの体温を感じながら、しばらく心地よい沈黙を共有する。

 やがてリリィが、俺の身体の上で苦笑しながら囁いた。


「あーあ。やっちゃった」


「……ああ」


「これじゃあ、もう友達って言い訳はきかないよね」


「……そうだな」


 これから、何があるのかは分からない。

 王様を激怒させるかもしれない。ドルガに殺されても文句は言えない。

 ひょっとして、女神様から神罰を受けるかもしれない。

 聖女を、婚約者を奪うという事は、それだけ重大な事なんだ。


 けれど……俺は覚悟を決めた。

 何があろうと、リリィの事だけは絶対に守ってみせる。


 リリィもきっと、葛藤しているはずだ。

 彼女は模範的な聖女だった。誰よりも女神に祈りを捧げていた。婚約者であるドルガを支えようと、懸命に助力していた。

 しかし、その彼女が大切に守っていたものを、俺が壊してしまった。


「あっ……!?」


 俺が急に動いたので、リリィが驚きの声を上げる。

 先程とは逆に、今度は俺が彼女の上に覆い被さった。

 リリィは頬を染め、潤んだ瞳で熱っぽく俺を見つめている。


「リリィは悪くない。俺のせいだ」


 リリィの罪の意識を、少しでも和らげたくて言った。

 それを聞いて、リリィは優しく微笑んだ。


「ありがとう。でも、ルングは勘違いしてる」


「勘違い?」


「私は……本当は悪い子なんだよ?」


「……リリィ?」


「女神様だって裏切るよ。愛する人の為だったら」


 その真意を問おうとする前に、リリィが俺を強く抱きしめてくる。

 再び交わされる激しいキス。それが求めあう合図となった。

 互いに限界まで抑え続けた愛欲が、タガが外れたように爆発する。


 ――――もう俺たちに、後戻りは出来なかった。 




‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐




【ドルガ視点】


 頭が割れそうに痛い。

 体に思うように力が入らない。

 どうやら寝すぎたようだ……気だるくて実に不快だった。


「ここは……?」


 周囲を見回すと、宿屋の個室のようだ。

 俺はベッドに寝ているようだ。しかし、ここまでやって来た記憶がない。ひょっとして酒を飲み過ぎて、記憶を失ったのかもしれない。

 そんな事を考えていたら、聞き覚えのある声がかけられた。


「……おはようドルガ。体の調子はどう?」


 リリィの見飽きた顔がそこにあった。

 付き合いだけは長い、言わば召使いのような女だ。

 最近は顔を見るのも飽きてきたが、聖女の能力は優秀なのでパーティに残してやっている。


 ただ最近は、何かと生意気になってきた。

 婚約者の肩書きがあるからって、調子に乗っているようだ。魔王を倒したら、ゴミのように捨ててやる。どんな顔で泣き喚くのか……今から実に楽しみだ。


「昨日の記憶が無ぇんだ。何があった?」


「ドルガはね。アスガットの『ヒュプノスの魔笛』で眠らされてたんだよ」


 思い出した。魔王軍の幹部であるアスガットと戦い、ヤツに眠りの呪いをかけられちまったんだ。クソが……俺とした事が。なんて屈辱だ。


 それもこれも、使えないパーティのせいだ。

 シャロンもミュナもツラが良いから置いてやってたが、俺の足を引っ張ってばかりの役立たずだ。そろそろ飽きてきたし、捨て時かもしれない。


「それで……アスガットはどうした?」


 あの魔族野郎は、徹底的に痛めつけて殺してやる。

 怒りに震えながら問うと、リリィから意外な答えが返ってきた。


「討伐に成功したよ」


「冗談だろ!? 俺でも苦戦したんだぞ!」


「ルングが上手く指揮してくれたの。すごく戦いやすかったよ」


「な、何であの雑用が……待てよ、そうか!【勇者代行】のせいか!」


 どうやらルングが、出しゃばったようだ。

 勝手な事をしやがって。とっとと追放しとくんだった。

 というか、リリィのルングに対する呼び方が変わっている気がするが……まぁ、そんな事はどうでもいい。とにかく腹立たしい。


「ルングの野郎……ふざけやがって……!」


「ねぇ、ルングは頑張ってくれたよ? どうして怒ってるの?」


「けっ、アスガットが油断しただけだろ。運が良かっただけだ」


 そうだ。そうに違いない。

 ルングのクズが、俺すら苦戦した相手に勝てるはずがねぇ。いや、恐らく俺の戦った時のダメージがアスガットに残っていて、それをルングがかっさらっただけだ。コソ泥みてぇな真似をしやがって。


「どうして……そんな事を言うの? 前から聞きたかったんだけど、どうしてドルガはルングに辛く当たるの? ドルガとルングが協力して戦えば、もっと楽に魔王たちを倒す事が出来るはずなのに」


「うるせぇな! 勇者は俺だけでいいんだよ!」


 うっとおしくリリィがルングを庇うので、俺の苛立ちは頂点に達した。

 本当にペラペラと口だけ回る、恋人気取りのうぜぇ女だ。仕方なく傍に置いてやってるってのに、立場を弁えやがれ!


「俺が……俺だけが女神に選ばれし勇者なんだ。特別な存在なんだよ! 魔王を倒して得られる栄光も功績も称賛も、全ては俺のモノなんだ! ルングみてぇな偽物に横取りされてたまるかよ!」


「それが……本音なんだね。結局、全部自分のためなんだ……」


 リリィが俯いて何か言ってやがるが、知った事じゃない。

 ルングのゴミカスザコが……マジでムカつくぜ!

 俺のおこぼれを狙ってるゲスな乞食野郎。クソ王が連れていけっていうから、仕方なく雑用をさせてたが……決めた。もうタダじゃおかねぇぞ!


「ルングをどうする気?」


 暗い顔でリリィが尋ねてくるが、俺の答えはもう決まっていた。


「追放するに決まってんだろ! いや……いっそ殺した方がいいな。あいつが野心を抱く可能性もあるからな。罪人に仕立て上げて、すぐにでも処刑してやる」


 そうだ。最初からそうすれば良かったんだ。

 俺は、大勇者ドルガ様だぞ? 最初からクソ王ごときの命令に従うのが間違っていたんだ。これでスッキリする。


 俺の作戦に感動しているのか、無言で立ち尽くすリリィ。

 その顔を見ていたら、面白いアイディアを思い付いた。


「リリィ、お前も手伝え。ククク……どうやらあいつは、お前に惚れてるみてぇだからな。お前に裏切られたと知ったら、さぞかし面白い顔をしながら死んでくれるだろうぜ」


 俺の作戦を聞いて……リリィはニッコリと笑った。

 どうやら乗り気のようだ。こいつも俺の役に立てて嬉しいんだろう。


 ルングの無様な死に様を想像して、少し機嫌が良くなってきた。

 すると突然――――リリィが妙な問いかけをしてきた。


「ところでドルガ。今日って何の日だか分かる?」


「ああっ? 何の日だぁ?」


 そう言われて気づく。

 外がガヤガヤと騒がしい。どうやら祭りでもしてるようだ。


「ああ……今日は収穫祭か。下民共がうるせぇなぁ」


「……それだけ?」


 じっと俺の目を見つめるリリィ。

 その吸い込まれるような瞳に、なぜか気後れしてしまう。

 ひょっとして、俺は何かを忘れているのか? 

 まぁいい……どうせ下らない事だろう。俺には関係無い話だ。


「知らねぇよボケ。つーか腹が減った。何か持ってこい!」


「…………分かった。ちょっと待ってて」




 リリィが部屋を出てしばらくして――――異変に気が付いた。


「あれ……? 何だ……眠い……?」


 どこかで聞いた事のある音色に、俺の意識は奪われていく。

 それが『ヒュプノスの魔笛』だと気づいた時には手遅れだった。

 視界が暗くなり、身体には力が入らず、俺の身体の自由は完全に奪われてしまっていた。想像していなかった事態に、焦りばかりが募っていく。


 ふと気づくと、俺の横に誰かが立っていた。


「ドルガ……聞こえてる?」


 リリィの声だった。

 こいつが『ヒュプノスの魔笛』を再び俺に使ったんだ。

 どういうつもりだと怒鳴ろうとしたが、今は声すら出ない。


「やっぱり忘れてたね。収穫祭が何の日だったのか」


 収穫祭……さっきの話か?

 一体何だってんだ。そんな事より早く俺を……!


「答えはね……私の誕生日。そして私たちの婚約記念日だよ」


 その答えを聞いて――――俺の背筋が凍った。

 何か、何かとてつもない間違いを犯してしまった気がして。

 怯える俺を置き去りにして、リリィは淡々と言葉を紡いでいく。


「あなたは……勇者になって変わっちゃたね。女神様から与えられた大きな力に溺れて、いつしか最低のケダモノに成り果ててしまった」


 ケ、ケダモノだと?

 ふざけやがって! この俺を一体誰だと思ってやがる!


「それでも……私はあなたを愛そうとした。愛さなきゃいけないと思った。その想いは、いつしか呪いのように私を縛った」


 お前が俺を愛するのは、当然の事だろうが!

 それを……呪いだと? 召使いふぜいが何様のつもりだ!


「だって私は聖女であり、あなたの婚約者なんだから。勇者を支えなければいけないし、愛を貫かなければいけない。そう在りたいと……そう在り続けると……私は女神様に誓っていたから」


 そうだ。お前は勇者である俺に尽くす使命がある。

 婚約者である俺を、愛し続けると誓ったはずだ。


「女神様から聖女の加護を与えられて……本当に嬉しかったんだ。すごく誇らしかった。何の取り柄も無い私が……誰かの役に立てるって思ったから」



 女神様、女神様と。本当にお前はそればっかりだな。

 そうだ。お前は昔から女神に祈るしか能の無い、バカな女だった。


 そんなバカ女を口説くのは簡単だった。

 隣村の悪ガキ共に金を握らせて、お前をイジメている所を俺が助ける。そんな三文芝居にお前はコロッと騙されて、俺の告白を受け入れやがった。


 お前の親父が大金を貯めこんでるのは知ってたからな。それを俺のモノにする為には、お前と結婚するのが一番簡単だったんだ。そうとも知らずに親子ともども俺を信じ切って……笑いが止まらなかったぜ!



「私にとって……女神様は、女神様への誓いは何よりも大切だった」


 そうだ。そうやっていつまでも女神を信じていろ。

 お前は俺に騙されながら、ずっと夢を見ていればいい。

 女神に祈っていればいい。聖女として死ぬまで俺に尽くせばいい。


 それがバカなお前の、たった一つの幸福なんだから。



「でもね……もういい」



 …………は? 今なんて言った?

 女神の事はもういい……そう言ったのか?

 お前は女神が、いや俺が……何よりも大切だったんじゃないのか?


「私には……ルングさえいてくれればいい」


 ル、ルングだと!? 

 あのクソ野郎がああぁぁぁぁ! やりやがったなあぁぁぁぁぁ!


「私を守って流された血の色が……抱きしめてくれた温もりが……本当に大切なものを教えてくれたから」


 こ、このアバズレがあぁぁぁ!

 絶対に許さねぇぞ! お前もあのクソザコも、絶対に殺してやる!

 クソがああああぁぁぁ! 何で身体が動かねえんだよおぉぉぉ!


「出来るなら、ルングと和解してほしかった。それが出来ないなら、魔王を倒すまでドルガには眠って貰うつもりだった……でも――――」


 リリィの声音が急激に冷えていく。

 そして最後に残ったのは、研ぎ澄まされた殺意。


「あなたは彼を殺そうとした。それだけは絶対に許さない」


 ――――ひいいっ! 

 心の中で、俺は悲鳴を上げた。

 背筋どころか、心までも凍り付く。


「ごめんねドルガ。最後まで愛せなくて」


 リリィの足音が近づいてくる。

 ちょ、ちょっと待て! 何をするつもりだ!?


「せめて痛くないようにするから」


 や、やめろ。やめろやめろやめろ! やめろって言ってんだろビッチが!

 俺は勇者なんだぞ!? 俺にしか世界は救えないだぞ! こんな事をしたら、女神が黙っちゃいないぞぉぉぉぉ!


 分かった、分かったから! 魔王討伐の分け前はたっぷりくれてやる。

 死ぬまで遊びたい放題だぞ? お前も実はそれが狙いなんだろ? 

 お前が望むなら、愛人として囲ってやってもいい。どうだ、嬉しいだろ?


 や、やめろ。やめろやめろやめてやめてやめて!

 近づくな近づくな近づくな! 俺は勇者なんだぞおぉぉぉぉ!


 う、うわああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――!!



「さようなら。永遠にお休み」




‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐




 勇者ドルガが失踪した。その報に世界に激震が走った。

 しかし、すぐに人々は安堵した。新しき勇者が現れたからだ。

 その活躍は目覚ましく、いつしかドルガの事など誰もが忘れてしまった。


 新時代の英雄。新たなる勇者。

 彼の名は――――ルングといった。




‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐




「はあああぁぁ……疲れたぁ」


 絢爛豪華なダンスホールから逃げ出した俺は、大きく溜め息を吐く。

 人気の無いテラスで天を見上げると、夜空に星が輝いていた。


「うふふ……ルング様ってば、ずっと緊張されてましたわね」


 美麗なドレスを纏ったシャーロットが、俺の隣でくすくすと笑っている。

 今日は彼女がいてくれて助かった。もしも俺だけで今日ここに来ていたら、どれだけ恥をかいていたか分からない。


「まさかこの俺が、王侯貴族のパーティに呼ばれるなんてなぁ」


 アスガットを討伐して早半年。俺は未だに勇者パーティにいた。

 ドルガが行方不明になり、俺は新たな勇者として世界中を飛び回っている。

 そのうち王族たちからの覚えもよくなり、いつしか冒険の合間にパーティなどに招かれるようになっていた。


「わたくしは子供の頃から躾けられてましたから。まさか今になって、それを披露する機会があるなんて思いませんでしたが」


 シャーロットが、感慨深げに語っている。

 世が世なら、彼女は美しい伯爵令嬢として名を知られていたはず。けれど不幸な運命が、彼女を戦場へと導いてしまった。しかし、今のシャーロットの顔からは、暗い影は見えない。


 あれからシャーロットは、勇者パーティでも大活躍していた。

 魔法剣士として実力をつけ、凶悪なモンスターにも一歩も引かない。

 その武勲を王様からも認められており、このままいけば彼女の悲願である一族再興も夢ではなさそうだ。


 昼は凛々しい剣士。夜は美しい淑女。それが現在のシャーロットだ。

 かつての、卑屈にねじ曲がった女はもういない。


「シャーロットは慣れたもんだろうけどさ。俺には堅苦しいパーティなんて、不釣り合いなんだよ。出来るなら二度と参加したくないなぁ……」


 冗談まじりにぼやくと、シャーロットがジトッとした目で睨んでくる。


「それにしては……王女様といい感じだったじゃありませんの」


 うっかり地雷を踏んでしまった。俺はすぐさま言い訳する。


「い、いや……あれは違うだろ。お姫様が俺に対して本気になるわけないし。勇者ってどんなんだっていう興味本位な行動に違いない」


「それ……本気で言ってますの? あれは恋する乙女の目でしたわよ」


「マ……マジデスカ? ソンナバカナ……!」


「もう……ルング様ほど魅力的な御方ならば、仕方のない話ではありますが。今夜は、わたくしだけを見て下さいませ」


 シャーロットは切なげに呟いた後、まっすぐに俺の目を見つめる。

 陶器のような白い肌。まばゆく輝く金の髪。女神すら嫉妬する美貌。

 そこには磨き上げられた、完全無欠のレディがいた。


「誰よりもお慕いしております……ルング様」


 薔薇の香りを漂わせ、シャーロットが愛を囁く。

 星明りが頼りの闇の中で、どちらともなく口付けを交わした。



「そ、それで……御主人様。今夜はどんなお仕置きをして下さるんですの?」


 もじもじと頬を赤くして、期待の視線を向けてくるシャーロット。

 違った。こいつは完全無欠のレディなんかじゃなかった。

 公共の場では才色兼備の完璧なレディ。だが俺の前ではドMの可愛い雌犬のペットだ。もちろん、そういうプレイだけども。


 俺も調子に乗り過ぎて、もう後戻りが出来ないくらいに彼女の性癖を歪ませてしまった。俺たちの間には、もはや変態的な主従関係が出来上がっている。


「本当にすまない。責任は取るからな」


「意味がよく分かりませんが……シャーロットは幸せですわ!」




‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐




「これならばいかがでしょう! 高貴なミュナ様によく似合うと思いますよ!」


「だからぁ、いらないって言ってるじゃないですか~」


「そんな事を言わずに! お願いですから受け取ってくださいよぉ!」


「もう~! いい加減にして下さい!」


 ミュナが声を荒げて、泣きついていた男から逃げ出した。

 その相手とは、以前にミュナを見下したジュエリーショップの店員だ。

 王都を俺とミュナがデートしていると、その店員に待ち伏せされており、しつこく高級品を渡されそうになったのだ。どこから情報が漏れたのやら。


 俺たちの活躍が世間に広まるにつれ、ミュナが勇者パーティの一員だという事も知られることになった。それをどこかで聞いた店員が、報復を恐れてミュナのご機嫌を取りに来たというわけなんだろう。


 黒魔導士ミュナの名は、今や天下に鳴り響いている。

 勇者パーティの攻撃の要である事と、可愛らしい容姿も相まって、今や冒険者の憧れの的だ。自らを汚らわしいと蔑んでいた、ハーフエルフの少女はもういない。


「それにしても英雄効果か。手のひら返しにもほどがあるな」


「いい迷惑ですよ。落ち着いてデートもできません!」


 ミュナはすっかりご機嫌斜めになってしまった。

 俺も完全に同意だ。せっかくのデートなのに、あんな奴の顔は見たくない。


「もう宝石なんて興味ありませんし。あんなのただの光る石じゃないですか」


「お前の変わりようも、恐ろしいものがあるけどな」


「どうせ買うなら、もっと意味のあるものを買いますよ」


「例えば?」


「うぷぷぷっ。そ・れ・は~~~!」


 妖しく含み笑いをするミュナ。何か不吉な予感がする……!




「どうですこの家! 買っちゃいました~~!」


 その豪邸は、王都の外れにあった。

 下手な貴族の館よりも、遥かに広くて立派な建物だ。

 そんなとんでもないモノを、俺たちが知らぬ間にミュナが買っていた。


「お、おお……すごいな」


 俺としては、馬鹿みたいに褒める事しか出来ないわけだが……落ち着きなく邸宅を見回していると、巨大な玄関に掛けられていた表札に目が留まった。


「ミュナさんよ。どうして表札に、俺とお前の名が一緒に入っているんだい?」


「そりゃあ、ここがダーリンとミュナとの愛の巣だからですよぉ!」


「お、おう……」


 得意げに答えるミュナに、俺は何も言う事が出来ない。

 言いたい。すまないが住まない。勝手に決めるなと言いたい。

 ミュナに屋敷の中を案内され、とある部屋までたどり着く。


「ミュナさんよ。どうしてこの部屋には俺の絵や銅像が並んでいるんだい?」


「そりゃあ、ここはミュナがダーリンの妄想に耽る部屋ですから!」


「う、ううん……」


 またも堂々と答えるミュナに、俺は何も言う事が出来ない。

 言いたい。ちょっとキモくて怖いと言いたい。

 更に屋敷を案内され、ひときわファンシーな部屋にたどり着く。


「ミュナさんよ。どうしてオムツやベビーグッズが既にあるんだい?」


「もちろんもちろん、ダーリンとの子供が出来た時のためです!」


「ワアアアァ~~ッ、気が早すぎるだろ! もう本当に頭大丈夫かお前!」


 流石にもう黙っていられない。俺は心から不満を叫んだ。

 だがこれくらいでは、ミュナの暴走は止まらない。


「思い立ったが吉日って言うじゃないですか! スイッチオーン!」


「うおおおっ、何だ!?」


 ミュナが怪しいスイッチを押すと、足下に輝く魔法陣が浮かび上がる。

 そして俺たち二人は転移し、これまた怪しい部屋へと送り届けられた。

 やたらとデカいハート型のベッド。ピンクの照明。鏡張りの壁。

 部屋の隅では、不思議な匂いのするお香が焚かれている。


「こ……この部屋は!?」


「これぞ、エクストリーム・ラブルーム! ミュナが開発した、あらゆるエッチな機能が搭載された、究極のエロい魔法部屋なんです!」


「魔法の無駄使いすぎる! 天才なのか!? 馬鹿なのか!?」


「さぁ、ダーリン! さっそく愛を確かめ合いましょうっ!」


 気が付けば、シースルーのネグリジェに着替えているミュナ。

 呆気に取られている隙に、勢いよく俺の胸に飛び込んでくる。


「ちょ、ちょっと待て! いきなりすぎんだろ!」


 あまりの急展開に俺が難色を示す。

 すると、ミュナが泣きそうな顔になる。


「やっぱり嫌ですか……? 最近、ダーリンが忙しくて中々会えなかったから……今日はいっぱいいっぱい、愛してほしかったんですぅ……!」


 涙で瞳を潤ませながら、震える声で俺を求めるリリィ。

 こんなの耐えられるはずがないじゃないか!

 衝動のままに抱きしめると、ミュナは幸せそうに笑った。


「えへへ……ちょろいっ! そんなダーリンが大好きですっ!」


 またもミュナの罠だったか。おのれ策士。無念だ。

 これからも俺はずっと、この可愛い小悪魔に翻弄され続けるんだろう。




‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐




 王国の外れにある山奥に、とある一軒の家はあった。

 古くて小さいけれど、大切に手入れされている事がわかる。

 その家に入ると、俺の誰よりも大切な人が出迎えてくれた。


「リリィ。ただいま」


「おかえりルング。お疲れ様」


 エプロン姿のリリィが、微笑みながら振り返る。

 どうやら料理の真っ最中のようで、手が放せないらしい。

 俺はリリィの後ろに回り込み、首を伸ばすように鍋を覗きこんだ。


 どうやら、今日は俺の大好きなアレのようだ。

 勇者パーティが東方での冒険の際、手に入れた食材とレシピによって、新たに王国にもたらされた料理。今、王都じゃ大ブームになっているとか。


「おお、やったぜ。カレーライスだ!」


 俺が興奮気味に呟くと、リリィがくすくすと笑った。


「あはは。本当に好きだよね」


「うっ……ガキくさいかなぁ」


「ううん、作り甲斐があるよ。喜んでくれて嬉しい」


「そ、そうか……」


 照れながら頭をかいていると、そっとリリィが背を寄せてくる。

 そして背後に振り返りながら、物欲しそうに唇を尖らせた。

 これがいつもの、リリィがキスをねだる合図だった。


 軽くついばむようにキスをしていると、リリィが少し顔を逸らした。

 いつもならもっと欲しがるのに……そう不思議に思っていると――――


「また……他の女の匂いがする」


「ひいいぃぃ……!」


 リリィに暗い呟きに、俺の背筋が凍り付いた。

 そんな馬鹿な。あんなに入念に身体を洗って来たのに!

 ガタガタと震える俺を見て、リリィが噴き出した。


「あははっ冗談だよ。シャロンとミュナは認める約束だもんね」


「あ、ありがとうございます……!」


「でも私が一番じゃなきゃ……イヤなんだからね?」


 そう言いながら、銀色に輝く指輪を見せつけてくるリリィ。

 それは俺が、以前プロポーズした時に贈った婚約指輪だった。


 俺とリリィは、すでに結婚の約束をしていた。

 魔王を倒したら、すぐにでも結婚式を挙げる予定だ。


「ああ……分かってるよ」


「じゃあ、ほら……もっとキスして?」


 リリィの嫉妬心に、本格的に火がついた。

 どうやら晩飯にありつけるのは、だいぶ遅くなりそうだ。


「本当にリリィは、甘えん坊さんだよな」


「むっ……私をこんな風にしたのはルングでしょ?」


「ごめんごめん」


「もう……んっ……ちゅっ……」


 むくれていた唇を塞ぐと、すぐにリリィはキスに夢中になる。

 俺の可愛い婚約者は、キスが大好きだった。






 ――――闇の中で、懺悔するような女の声が聞こえた。

 涙まじりのその声の主は、一体どれほどの罪を犯したというのか。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 苦しげなリリィの寝言で、俺は目を覚ました。

 暗闇の中で隣を振り返ると、月灯りに照らされたリリィの寝顔があった。

 どうやら悪夢にうなされているらしく、額は汗でびっしょりだ。


「許して……許して下さい……女神様…………!」


 リリィは夢の中で、女神に赦しを請うているようだ。

 俺はランプに火を灯すと、リリィの肩を優しく揺する。


「リリィ。大丈夫かリリィ」


 ビクリと身をすくませて、リリィが目を覚ます。


「んっ…………また私……うなされてた?」


「ああ……大丈夫か?」


「うん、平気。起こしちゃってごめんね?」


「気にするな」


 気丈に振る舞うリリィだが、その表情からは濃い疲労を感じた。

 毎晩のように、彼女は悪夢うなされている。はっきり言って異常だ。

 だがその内容を聞いても、はぐらかすばかりで教えてくれない。


 それはきっと……勇者ドルガの失踪に関わる事なんだという確信がある。


 リリィの話では、ドルガは宿屋に戻った時には姿を消していたという。それから王国に依頼したものの、ドルガが見つかる事は無かった。


 ドルガを彼女が『どうにかした』というならば、きっと俺のせいだ。

 前にリリィが言っていた。愛する人の為ならば、女神すら裏切ると。

 俺がきっと、彼女に罪を犯させてしまった。



 だからリリィは――――聖女の力を失ったんだ。



 リリィは今、俺たちと冒険をしていない。戦う力を失ったからだ。

 彼女のギフトジョブは【聖女】ではなく【咎人(とがびと)】に変化していた。

 咎人……罪を犯した人。罪人の事だ。こんなギフトジョブは見た事が無い。

 リリィをこんな山奥に住ませているのも、このジョブを見られたらどんな疑いをかけられるか、分かったもんじゃないからだ。


 リリィは女神に対して、何らかの背信行為を行った。それ故の咎人の印。

 その罪の意識のせいか、女神の神罰のせいか分からないが、それが彼女の心を蝕んで悪夢を見させている。きっとこれが正解だろう。


「……なぁ、リリィ」


 白布で汗を拭っていたリリィに声をかける。

 俺の考えが合っているのか確かめたくて。


「なぁに?」


 しかし、リリィの顔を見たら……言葉が出て来ない。

 何を聞けばいいというんだ。何を話せばいいというんだ。

 誰にも相談せず、罪を背負ったに違いないリリィ。きっと俺の為に。

 そんな彼女の罪を暴く事が、本当に彼女を救うのか?


 とっさに俺は頭を切り替えて――――別の事を聞いた。



「冒険に行けなくて……辛いか?」


 リリィは俺の質問に少し考え込み、元気無く答えた。


「そんなことはないよ。ただ……ルングが傷付いた時に、私が治療してあげられないのが嫌かな。あれは私の役割だと思ってたから」


「そうだったな。リリィの治癒魔法は最高だった」


「何よりも……いつもルングと一緒にいられないのが辛いかな」


「それは……そうだよな」


 落ち込む俺を見て、リリィが苦笑する。


「だけど、三日に一度は帰って来てくれるし……私は幸せだよ?」


 俺は必死で転移魔法を習得し、出来る限りこの家に帰ってくるようにしていた。 けれど冒険が難航したり、急用が入って帰れない日もある。

 そんな時……リリィはどんな想いで一人の夜を過ごしているんだろうか。

 それを想うと、胸が締め付けられるように痛くなった。



「リリィ。あのさ……」


「ん? なぁに?」


「俺、頑張って魔王を倒すよ。それで……すぐに結婚しよう」


「ええっ……どうしたの急に?」


「そしたら【勇者】なんて辞めて、君にとって最高の夫になるよ」


「……ルング」


「リリィが飽きるぐらい一緒にいるよ。リリィが嫌になるぐらいたっぷり愛すよ。悲しむ隙なんてないぐらいキスをするよ。子供も沢山つくって賑やかな家庭をつくろう。そして……死ぬまで一緒に笑って過ごそう」


「うん……うん…………!」


 ポロポロと大粒の涙を零し、子供のように何度も頷くリリィ。

 それから俺にもたれかかって、小さい顔を胸にうずめてくる。


「少しだけ……泣かせて」



 女神への信仰を捨て。聖女という地位を捨て。婚約者を捨て。

 彼女は俺を選んでくれた。俺だけを愛そうと決断してくれた。

 そんなリリィに、俺が出来る事は何だ?


「リリィ、愛してるよ」


「私も……貴方を誰よりも愛してる」


 俺はリリィを、強く強く抱きしめた。

 どんな困難が待ち受けようと。たとえ女神が咎人と責めようと。


「絶対にリリィを守ってみせるから」


 ――――そう心に誓いながら。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。もしも気に入ったら感想や評価ボタンを押して貰えると嬉しいです。作者のやる気が出ます。前編はこちら→https://ncode.syosetu.com/n6167gh/

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[良い点] ハッピーエンド??? 面白かったですが女神が勇者を贔屓する理由の説明が無く代理勇者の為に行動し世界の平和に最も貢献したと思われる聖女が不幸になっているのがいまいちでした かと言って自己中な…
[気になる点] 女神のせいで中古女を押し付けられたルング可哀想過ぎて泣ける、、、 [一言] ヤリマンしかいないから正直いらないなってwwwwルング寝取られ好き過ぎるw
[良い点] (多分死亡?した)1人を除いて勇者パーティーが幸せになっていきそうなところ・・・ [気になる点] 一番の咎人はドルガで咎神はその彼に勇者というスキルを与えた女神だと思う。 もしかしたら、予…
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