ある調査員の日記
【07/09/23XX】地球より出立。
今回は異世界CF986の調査が目的だ。見送りには家族も来てくれて、私の初任務を祝福してくれている。しばらくこの世界を離れるが、それでも神は私を見守ってくださるのだろう。とても気分がいい。旅はきっといいものになる。
【08/09/23XX】部屋が狭い。
私の部屋は『ハリー・ポッター』で、ハリーがホグワーツに入る前の部屋のようだ。ベッドと、荷物を置けばなくなる床しかない。どうせもうすぐ皆コールドスリープに入るんだから、部屋を借りても怒られないだろう。そうしよう。
【11/09/23XX】乗り心地はまずまず。
時空航行船は全く文句のつけようがない。映画館に、図書館、三ツ星レストラン、展望台まである。特に展望台は私のお気に入りだ。ワープ空間の極彩色も、宇宙に広がる星の海も、それぞれを交互に見ることでいつも新鮮な気持ちになれる。家族と一緒だったら満点だ。
【14/09/23XX】時空間流れ星を見た。
今までの宇宙を抜け、B-00時空境界領域へ入り、私が元いた宇宙から離れてしまうと、外の世界は一変した。星1つない果のない暗黒が広がっている。そこで破滅した世界が別の世界に引き寄せられて落ちる、時空間流れ星を観測した。言葉にし難い色彩だった。
【19/09/23XX】良好。
すでに75%がコールドスリープに入ったが、残った隊員の士気が衰える様子はない。皆やる気に溢れ、異世界への到着を今か今かと心待ちにしている。トランプゲームに興じたり、ビデオゲームで遊んだりもしたが、私達の心は唯一つ。まだ見ぬ異世界にしか向いていない。
【22/09/23XX】問題なし。
ひとりがホームシックになった。世界と世界の間で、寂しい気持ちはわからないこともないが、我々は異世界調査隊なのだ。中には一生故郷に帰れなくなる者だっている。しかし皆覚悟しているのだ。家が恋しいことくらい、乗り越えて見せるべきだ。
【28/09/23XX】異常なし。
また時空間流れ星だ。私達の世界から、異世界CF597へと飛んでいった。すでに滅びたあの世界に何を思って飛んでいくのか、少し追いかけたい気持ちにもなった。だが、私達に寄り道をする気はない。人類が移住できる異世界をひとつでも多く発見せねばならぬのだから。
【18/10/23XX】皆眠った。
時空境界領域は広大だ。極超光速で航行しても数年かかるほどだ。コールドスリープしたいが、私は記録担当なので、しばらく使うことはできない。しかし、その間この素晴らしい闇を独り占めできるのだ。どれだけ金を積んでも、なかなかできる経験ではない。
【23/10/23XX】エンジントラブル。
エンジン出力が低下した。機関士が起きて、エンジンの点検をした。未だに人間がいちいちチェックしているのかと驚くだろうが、AIも人間も完璧じゃないのだから、互いに補い合う必要があるのだ。しかし私のキーボードの変換キーの効きが悪いのは、一体誰が修理してくれるのだろう?
【04/11/23XX】異常なし。
そろそろ食事に飽きてきた。最初こそ仲間と一緒だから気にならなかったが、同じメニューを何度も何度も繰り返されると、食べる気も失せてくる。自動で食事を用意してくれるのは便利なのだが……レパートリーに問題あり。
【08/11/23XX】異常なし。
この日記は私が趣味でつけているものだ。誰に提出するわけでもないし、内容を気にすることはないが、これを書いている時、変に周りを警戒してしまう自分がいる。誰も起きてなど、いるはずもないのに。孤独すぎて頭がおかしくなっているのだろうか?
【11/11/23XX】異常なし。
今日は1が4つ並ぶいい日だ。聖書にもそんなことは書いていなさそうだが。とにかく、私はスティック栄養食を4本取り出して、一気に頬張った。4つの味がミックスされて非常にまずい上、口の中がパサパサした。私は馬鹿だ。
【12/11/23XX】異常は……多分ない。
やはり私は馬鹿だった。昨日あんなことをしたせいで、腹が痛い。気になってパッケージの注意書きを見直したが、1日に3本以上食べると腹痛を引き起こすらしい。1年に1度、腹痛と引き換えの楽しみとしてこれをやることとする。来年は他の隊員も巻き込んでやる。
【19/11/23XX】異常なし。
日記を見直すと、10月は2回しか書いていないではないか。そこで10月何をしていたかを思い出したが、特に何もしていなかった。船の状況をデーターベースに入力してから、寝転がって昔のラジオ番組を聞きながら本を読み、飽きたら映画を見て、眠くなったら寝るだけだ。最高に気ままだろう? でもそろそろラジオと本のストックが尽きそうだ。
【29/11/23XX】異常なし。
おお、神よ! ついにすべての本を読み切ってしまった。隊員が持ち込んだ不健全な本は山程あるのだが……。これを読み始めた時、私は人間性を失ってしまいそうで、少し恐怖している。私にもっと仕事をくれ。
【06/12/23XX】異常なし。
私は今まで読書に当てていた時間を睡眠に使って、不健康な生活を送っている。そんな私を見かねてか、船の方からわざわざ「トレーニングルームに行け」なんて言ってきた。そこまでされては行くしかあるまい。到着するころにはスパイダーマンになっているだろう。
【16/12/23XX】異常なし。
いくらトレーニングしても壁には貼り付けないことがわかった。暇だったのでウェブシューターは作ったが、いかんせんこれを使うには船は窮屈過ぎる。異世界に行けたら、あちらの住人を驚かせるのに使おう。蜘蛛男なんて称号も、いただければいいのだが。
【21/12/23XX】異常なし。
例の不健全な本を読んだが、驚くべきことに身体はなんの反応も示さなかった。船内での生活の妨げとならないよう、食事の中にそういう成分が含まれていたのだろうか? こんなところにまで来て、あんな本を読むやつも、私くらいしかいなさそうなものだ。
【24/12/23XX】聖なる日!
クリスマスだというのに、起きてくる奴はいない。私は七面鳥を独占するという類まれなる豪勢なパーティーを心から楽しんだ。家族とのクリスマスに勝るものではないが、ひとりだけのクリスマスというのも、楽しいものだ。
【01/01/23XX】ハッピー・ニュー・イヤー!
とは言っても、時空が断絶されたこの領域で、地球と同じ年明けを迎えられているかは全くわからない。もしかしたら、子供たちは皆もうおじいさんかもしれない。……それだけは嫌だ。絶対に、何があっても嫌だ。
【06/01/03XX】異常なし。
野球がしたい。サッカーがしたい。登山がしたい。ハイキングがしたい。なんでもいいから外に出て体を動かしたい。だが外に出てどうなるかなんて誰も知らない。時空の狭間に飲み込まれて消滅するのか? ひとりくらい放り投げてもバレやしないだろう。500人いるんだし。
【12/01/23XX】異常なし。
映画も見終わった。この船に残る娯楽はビデオゲームとトレーニングしかない。ゲームは正直得意じゃないが、どうせ時間だけは無駄にあるのだ。やりこんでしまうのも、まあ悪くはない。というわけで、ゲームの道を極めることにした。
【21/01/23XX】異常なし。
もし、ずっと未来でこの日記が見つかったら、これはどのように扱われるのだろう。「かつて異世界を探した男」として私は英雄になり、この日記は本になって出版される……。だめだな。そんな高尚なことは何一つ書いてない。
【09/02/23XX】異常なし。
交代要員のコールドスリープ期間が延長されていた。一体全体どういうことだ? トラブルシューティングを起動したが、馬鹿みたいに時間がかかる。お前までコールドスリープしてたのか? なあ、なんとか言えよ。
【12/02/23XX】異常なし。
コールドスリープ期間の延長は、あいつが最初から期間を1年長く勘違いていたらしい。ふざけてるのか? そうでなければ、私の事が嫌いなのか? 頭が痛くなってくる。今日は早く寝よう。どうせ明日も繰り返しだが。
【18/02/23XX】船に異常はない。
そろそろ辛くなってきた。ゲームは下手糞過ぎてやる気が失せたし、映画も見る気がしない。誰の声も聞かないままこのまま無駄に日々を重ねていくのか? それだけはやめてくれ。お願いだ。誰か私に話しかけてくれ。
【24/02/23XX】異常なのは私だ。
悲しいことに、この船に麻薬はない。完全なる孤独の中、こうやって文字を書くことによって人間性を維持している。私はどうすればよいのだ。問いかけたところで答えるものはいない。皆眠り、異世界を待っている。
【05/03/23XX】助けてくれ。
刃物の類さえ見つからない。この静寂に耐えられなくなったしまった。時折する耳鳴りだけが生きている証として機能している有様だ。カプセルを叩き割って引きずり出してでもいい。誰かと話したい。人間を、感じたい。
【10/03/23XX】誕生日だ。
神からの誕生日プレゼントだろうか。倉庫で大量の薬を見つけた。鎮痛剤と書いてある。異世界で使うことを想定してだろうか。なんだっていい。ここにある分を飲めるだけ飲めば、死ぬことができるはずだ。ささやかな希望で、白い錠剤が輝いてさえ見えた。
【11/03/23XX】くそったれ。
私は生きている。致死量が低すぎた。その上、船のコンピューターが私が飲み込んだものを取り出してしまった。生かされてしまった。だが、あの倉庫で私はコードの束をも見つけていた。次こそは、ここから逃げ出してみせる。
【12/03/23XX】また生かされた。
神は私に何をさせようというのだろう。ただこうやって絶望を書き連ねていくことが、果たして私の使命なのか? 子を殴ったことはない。妻と喧嘩したこともない。全く罪を犯していない私が、なぜこのような苦しみに遭わなければならないのか。神は何も答えなかった。
【13/03/23XX】私の祈りを聞き入れてください。
これが最後になることを神に祈る。武器庫をハッキングして、爆薬を入手した。これを抱きかかえて、カプセルの前で自爆すれば、もろとも死ぬことができる。死ぬ時くらい気持ちよくありたいものだが、この船はそれさえ許さないらしい。
【15/03/23XX】おしまいは許されない。
非常に悲しいが、まだ書くことができてしまう。スイッチを入れる直前、何かが私を弾き飛ばした。その後丸一日気絶していたようだ。そこまでして私を活かす理由がわからない。こんな危険なやつ、とっとと殺したほうが得に決まってる。
【**/**/****】神よ、私を見捨て給え。
何度死のうとしたかわからない。また首を吊ろうとした時は、前と同じように、なぜかコードが切れた。超自然的な力の作用さえ疑われる。神は私を見守ってくださっているのだろうが、それさえもわずらわしい。ひとりにさせてくれ。
【**********】空の果ては地獄
私は知らず知らずのうちに罪を犯していたのかもしれません。それなら私は今すぐ懺悔し、悔い改めます。だから、私が死ぬことを許してください。神よ、聞いているのでしょう? 見ているのでしょう? 私の願いを聞き入れてください。
【**/**/23XX】どうしようもない。
無断でコールドスリープに入ることを試みたが、カプセルのロック解除に失敗して、システムへのアクセス権限を失った。記録もできない。もはや船員として見られていないのか、食事も出てこなくなった。餓死できるなら、いいかもしれない。
失敗した。
ちくしょう、船は私に水だけは強制的に飲ませてくる。どうやってか? 簡単だ、時間になったら拘束して口にチューブを突っ込んでくる。
このままでは数カ月ほどは生き続けてしまう。行動を起こさなければならないが、起こせるほどのエネルギーは残っていない。頭も働かず、時間の経過さえわからない。もう、ゆっくりと死んでいくしかないのだろうか……。
半年経った。死にかけていると、船は私に栄養を注入する。排泄物は勝手に汲み取っていく。だが私には自由に動ける力は与えられない。選ぶ権利を剥奪された。何が私を生かすのか。幾度も考えたが、それは神しかいない。クソみたいに偉大な使命のせいだ。
さらに2ヶ月だ。浮浪者のように這い回っていると、いきなり腕が私を掴んで、「食事」をさせる。なるほど、私はさしずめペットといったところか。だとしたら、こんな酷い楽しみ方をする設計者はそうとうな狂人なのだろう。
脚を切断された。船の窓を割ろうと蹴り続けたからだろうか。そうでもしていなければ、正気を保てないというのに。もう生きていくことに疲れただけなんだ。それくらい、わかってくれてもいいものだろうに。
腕をも切り落とされた。音声入力のおかげで、こうして日記を書くことができる。だが、同音異義語の入力の制度は高くない。ほら、またこうやって間違えてる。おかしなところはキーボードで修正する前提のようだ。馬鹿なんじゃないか?
パソコンの電源コードが断線していた。つまり、これを書くことはもうすぐできなくなるということだ。今度こそ最後になると思う。もし、これを誰かが読んだら、時空の果てでだるまになっている私を殺しに来てくれ。頼んだぜ。